大将堂本舗

インテリアデザイナーをしています/スタイルを基調としたスタイルデザインをDIYで実現す…

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インテリアデザイナーをしています/スタイルを基調としたスタイルデザインをDIYで実現するという、あまり他の人ができないようなことをやっています/芸術修士(京都芸術大学・建築デザイン)

最近の記事

建築と街並みについて考えてみた。既存の住宅地を美しい街並みにするとか、無理なんでしょうかね。

一,はじめに 建築と街並みは重要な関連性があるが、「街並み」のあり方はひとつではないため、街並みの代表的な姿、すなわち、①道路に対して連棟的につながる場合と、②庭付き戸建てが立ち並ぶ場合とに分けて、論ずることとした。その上で、あるべき街並みの姿に配慮して建てられた建築の例を挙げつつ、建築のあるべき姿を論ずることとした。 二,連棟的につながる場合 1,ヨーロッパの街並み 「美しい街並み」といった場合、ヨーロッパ型の街並みを理想のモデルのひとつとして考えている論者も多い。一例

    • モダニズムを切り口に自分の建築についての考えをまとめてみた。

      1,はじめに 本投稿は、モダニズムについて自分の考えをまとめたものである。ご承知のようにモダニズムについては地層をなすぐらい大量の論があり、おそらく世界共通の定説的なものも存在すると思われる。だがしかし、膨大なしかも茫漠としたモダニズム論に足を踏み入れたところで、建築に対する自らの立ち位置を定めるのにどこまで役に立つのかわからない。今、自分なりの切り口でモダニズムを読み解き、自分の今後の活動の指針とすることが今の自分には必要なのではないかと考える次第である。以下、3つの疑問

      • 立原道造・ヒヤシンスハウス~詩人が夢見た小屋~

        1、立原道造とヒヤシンスハウス 立原道造は『萱草に寄す』(わすれなぐさによす)など数多くの詩作で著名であるが、建築家としての属性があることは世にあまり知られていない。 立原道造は、1914年(大正3年)に生まれ、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、石本建築事務所(石本喜久治・分離派建築会)に入所するも、1939年(昭和14年)満24歳で結核で没する。東京帝国大学在学中、岸田日出刀研究室に属し、建築の奨励賞である辰野金吾賞を3度受賞したが、一年下の丹下健三が1度しか受賞していな

        • 吉田五十八について。吉田五十八からはたくさんのことが学べる。

          一、はじめに 旧猪俣邸は、財団法人労務行政研究所の理事長を勤めた猪俣猛夫妻の邸宅として、昭和42年に建てられた木造平屋である。設計は吉田五十八によるもので、回遊式日本庭園を配した「数寄屋住宅」である。長男猪俣靖が、相続の際に平成10年に世田谷区に寄贈し、財団法人せたがやトラスト教会の管理運営のものと一般公開されている。 吉田五十八は、明治27年、太田胃散で有名な太田信義58歳のとき五男第八子として生まれたことから、五十八と名付けられた。大正12年に東京美術学校を卒業し、吉田建

        建築と街並みについて考えてみた。既存の住宅地を美しい街並みにするとか、無理なんでしょうかね。

          noteデビュー! 一体何をしたらいいか分からない・・・。 とりあえずリノベーション画像アップだ!

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