吉田五十八について。吉田五十八からはたくさんのことが学べる。

一、はじめに
旧猪俣邸は、財団法人労務行政研究所の理事長を勤めた猪俣猛夫妻の邸宅として、昭和42年に建てられた木造平屋である。設計は吉田五十八によるもので、回遊式日本庭園を配した「数寄屋住宅」である。長男猪俣靖が、相続の際に平成10年に世田谷区に寄贈し、財団法人せたがやトラスト教会の管理運営のものと一般公開されている。
吉田五十八は、明治27年、太田胃散で有名な太田信義58歳のとき五男第八子として生まれたことから、五十八と名付けられた。大正12年に東京美術学校を卒業し、吉田建築事務所を開き、建築家として活動を始める。吉田は「数寄屋建築」の近代化に努め、大壁造りの壁体を始め、数多くの独自の手法を通じて、因襲化した「数寄屋建築」を再生させ、「数寄屋住宅」を確立した。

二、「明朗性」という空間コンセプト
吉田五十八の開発した具体的な手法として「大壁」の確立があった。「大壁」について吉田五十八は以下のように語る。
構造の柱と、室内から見る化粧の柱を、別々にしなければならないと考え、それには真壁を大壁にして───大壁とは、柱の面に壁をつけて、柱を見せない構造───この壁に、自分の見たい柱を、自分の好きなところへ、自由に建てて、柱間の寸法とか、いろいろの昔の約束から解放された、自由奔放な完全な室内構成としての日本建築を、まず、確立したわけです。
そして吉田五十八が自らの開発した大壁という手法は、日本建築のデザインの自由を獲得することになる。
同時に、吉田五十八は、大壁と同じ発想で、開口部に対しても自由なデザインを実現するのである。

大壁と開口部に共通する発想とは、何か。それは吉田五十八の建築理念の中核をなす「明朗性」という空間コンセプトである。この「明朗性」という概念は、吉田建築においてさまざまな形で実現されているところのものである。吉田五十八が自らの建築を以下のように語っている。
古来からの日本建築特有の、煩雑さを整理して、これを簡素化し、取れるものはとり、捨てられるものは捨て、ぜい肉と思われるところはとって、すっきりと、あく抜けした建築に、さらに、古来からの慣習による非近代的の残滓をとりのぞき、そのかわりとして、近代性をもつ、現代生活と直結した「新しい近代数寄屋」をつくりあげた
このことから分かるように、吉田五十八は、欧米のモダニズムが、建築を様式から解放し、空間として思考しているのと同様に日本建築を数寄屋造りという様式から解放し、近代的な空間としての「数寄屋住宅」を指向したのである。

三、外部空間に対する開口部
吉田五十八の「明朗性」という空間コンセプトの考え方にしたがうと、外部空間に対する開口部は、何もない方がすっきりしていてよい、ということになる。したがって、建具は見えないように壁に引き込むことになる。

1,部屋の一方向のみに開口を取る場合

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部屋の一方向のみに開口部を取る場合、戸袋を片側に寄せるか、両側に設ける場合と二通り考えられる。戸袋を両側に設ける場合、開口は狭くなるが、部屋としてのバランスは取りやすい。
旧猪俣邸リビングの場合は戸袋を両側に設けているが、片方はホール側へ押し込み戸袋が見えないようにし、もう片方は西側に設け収納分だけ壁を作っている。ホール側へ押し込んだ戸袋のおかげで、開口を広く三間半も取ることに成功している。そのことによって、空間コンセプトとしての外部空間への開放感や空間的な連続性を得ることができている。
右側の壁面には太陽光と庇の影がきれいな形状で陰影を作り出し、左側は西側に当たるため戸袋で西日を遮ることとなり、シンメトリとなっていないことの合理的な説明となっている。

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戸袋はどのようになっているかと言えば、構造の柱の外側に、手前から障子2枚、ガラス戸2枚、網戸2枚、雨戸2枚の全部で8枚の収納となっている。これと同じ構成で左右対になっているので、各建具は4枚ずつとなっている。
ここで注目したいのは、戸袋に建具をすべて収めるいわゆる「芯外し」の手法を取り、障子も戸袋の中に入れている点である。
障子のように、弱い材質で造られているものは、室内で使用し、なおかつ構造の柱の間で行き来させる使い方をするのが通常である。このことから吉田五十八の場合、障子すらも自由な構成の一部と考えていることが分かる。

夫人室の場合はこれとは異なり、庭に対して壁面を取らず、全開としている。すっきりと開口部をとって建具の収納そのものを感じさせないような造りとなっている。

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戸袋の納まりからわかるように、構成としてはリビングと同じであるが、壁面の奥に戸袋を設けており、戸袋は隣室での収納になっているかのように見える。そうなると隣室は戸袋によって明り取りが妨げられるようにも思えるが、隣室は今で言うウォークインクローゼットとなっており、光を多く取り入れる必要のないスペースとなっている。

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もっとも吉田五十八は吉屋信子邸(鎌倉)においては、障子は隠さず、柱の内側に納めている。障子を隠すという手法に絶対的なこだわりがあるわけではないようである。

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2,部屋の二方向に開口を取る場合

画像8部屋の二方向に開口を取る場合、出隅と入隅の2つが考えられる。
よく見かけるのは出隅の場合である。
部屋を一部庭に対して飛び出す形で設ける空間コンセプトは、自然に対してよりダイナミックに近接する印象を演出すると同時に、庭と家屋との関係を客観的に眺めるといったシークエンスの面白さがある。出隅に耐力壁を設けてしまうとそれらが断絶してしまうため、コンセプトが失われてしまう。
部屋の二方向に開口を取る場合、建具同士の出合いの処理が難しくなる。
構造の柱をエンドとすれば枚数がかさんで6枚~8枚になった場合、建具一枚の厚みを3センチとした場合、18センチから24センチになってしまう。それでは柱が太くなりすぎてしまう。
そこで、柱の芯を外して建具が出会う形とすることになる。雨戸はその機能から構造の柱の外側にくるため、建具が出合うレールは柱の外側に設けることになる。
但し、障子だけは柱にぶつかるように芯上に設けてある。

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部屋の二方向の開口は、同じく吉田五十八の設計では、「四君子苑」が挙げられる。北村捨次郎設計による数寄屋の茶室を眺めるような形で造られたRC造であるが、角に柱がない。
「明朗性」を突き詰めていくと、柱すらも明朗性を欠くものとして認識されたのであろうか。

旧猪俣邸の場合、入隅の開口も存在する。広い洋間のリビングに接してダイニングがあるが、ダイニングとリビングに隣接する形で中庭が設けられている。

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中庭の空間コンセプトは、庭に突き出すのとは逆に、自然を中に取り込むことを演出している。盆栽のように小宇宙を作り出す効果がある。
建築的な意味合いにおいては、中庭を設けなかった場合に、屋根の高さが非常に高くなってしまうという点、室内が暗くなりすぎる点、風通しが悪くなる点といった点が欠点として挙げられる。中庭を設けることによって、これらが建築的に解決するのである。 

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入隅の建具も出隅と同様、枚数がかさむ場合柱の太さを超えてしまう。
したがって、障子は柱と出合うようにしたとしても、それ以外のガラス窓等は外側に配置することとなる。

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3,ピクチャーウィンドウ
ピクチャーウィンドウと構造・素材との関係は空間コンセプトと構造や機能とがせめぎ合う難しい問題があり、設計者側にここから何を見せたいか、という明確な意図がないと実現できないものである。特に南側に庭を取り、広い開口部を設けた場合、それ以外の壁面は耐力壁を設けることとなり、満足に窓を取れないということになりかねない。またセキュリティーの問題から障子を窓とすることはできない。格子の問題も同様である。

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旧猪俣邸における渡り廊下のピクチャーウィンドウは、一見したところ、障子窓に細い格子が並べられ、数寄屋造りの茶室に向かう窓として普通の姿をしている。
しかしながら、配置上、門のすぐ近くにあり、外部から侵入されやすいリスクを抱えた窓である。そこで、吉田五十八は障子の裏面にガラスをはめ、突破されにくくすると同時に、格子も中に鉄筋を入れ、外を木の板で覆うという工夫をしている。
このように吉田五十八は素材的な解決によってデザインの自由を獲得しているのである。このような手法に対しては、伝統的な数寄屋建築の立場からすると、まがい物ではないかとの批判も考えられる。しかしながら、様式を捨てて新しい数寄屋を目指す吉田五十八にとっては、全く問題とはならないのである。

吉田五十八の著書「饒舌抄」にはこのようにある。
こんな話がある。
或る会合で、或る人から質問されたことがあった。それは、
『一体数寄屋普請には、ガラスとかタイルとか云った近代の建築材料を使つてはいけないものですか』
と。私は無論、
『使つてもかまはない』
と答へた。
それは茶室建築が出来た昔だつて、ガラスやタイルがあつたら、千利休だつて之は便利だと云つて使つたに違ひない。
だから数百年経った今日使つていけないことはないのである。その意味で数寄屋普請にも、タイルであれガラスであれ、近代的な建築材料を使ふ事は勿論大賛成である。

四,最後に
以上、空間コンセプトを如何なる建築的手法において実現するかを吉田五十八設計による旧猪俣邸を例に述べてきた。
木造住宅でありながら無国籍な住宅が量産される中、吉田五十八の実現したものは、手法において新しく、精神において伝統的なものである。
モダニズムの巨匠からは多くのものを学ばなければならないとは思うが、吉田五十八からはもっとより多くのものを学ばなければならないと思う次第である。

以上

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