建築と街並みについて考えてみた。既存の住宅地を美しい街並みにするとか、無理なんでしょうかね。

一,はじめに
建築と街並みは重要な関連性があるが、「街並み」のあり方はひとつではないため、街並みの代表的な姿、すなわち、①道路に対して連棟的につながる場合と、②庭付き戸建てが立ち並ぶ場合とに分けて、論ずることとした。その上で、あるべき街並みの姿に配慮して建てられた建築の例を挙げつつ、建築のあるべき姿を論ずることとした。

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二,連棟的につながる場合

1,ヨーロッパの街並み
「美しい街並み」といった場合、ヨーロッパ型の街並みを理想のモデルのひとつとして考えている論者も多い。一例を挙げると、芦原義信は「街並みの美学」において、『都市の形成にあたり、街路にその重要な意義を見出しそれに強い愛情を感じてきたのは、主としてラテン系の民族であり、アングロ=サクソン系はそれにつぎ、我が国は最も遅れをとってきたといえよう』としている(※1)。
芦原の挙げるヨーロッパの街並みの美しさは、道路に対して隙間なくファサードを並べるものであり、外壁の色・素材、屋根の色・形状を揃え、歴史に基づいた街全体としての統一感にポイントがあると言えよう。
しかし、これはヨーロッパのみに限られたことであろうか。

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◀スペイン・バルセロナ

2,かつての日本の街並み
芦原氏の指摘は、現代日本においては説得力をもつものではあるが、歴史的には日本における街路は、開放的な家屋の造りも相俟って、非常に魅力あるものであったようだ。
日本の建築に大きな影響を与えたアントニン・レーモンドが明治期の日本の街並みを見て、まるで芦原氏がヨーロッパの街並みを高く評価するのと同様に深く感銘を受けたことは、その著書の中に記述がある(※2)。
アントニン・レーモンドは、現在のチェコ共和国に生まれ、フランク・ロイド・ライトにあこがれてアメリカに渡る。そして1919年12月31日大晦日の賑わいの中、ライトの「帝国ホテル」の設計アシスタントとして日本に来日する。そのときのことをレーモンドは以下のように記述する。
『その村々の道の両側には、しめかざりの環や、提灯がぶら下がった松や、竹が並んでて陽気で、単純な喜びの雰囲気に包まれていた。商店は道に向かって開け放たれ、売る人買う人共々、茶をすすり、火鉢に手をかざしながら親しげに坐っていた。(中略)私はその時、現代建築と呼ぶものが、日本では無意識に実行され、生き続け、守られていた、建築の原則であり、われわれはその失われた原則の知識を、意識的に回復させようと努力しているにすぎないと気がついたのである。私は少しずつこれらの原則がいかにも物質文明という時勢の急務に適用され、復興され得るかを学び知るようになった。』
アントニン・レーモンドにとっては日本の街並みはむしろ学ぶべきものであったようだ。
アントニン・レーモンドをして上記のように表現するに至った当時の街並みは、今ではほとんど残っていないが、わずかに観光的価値を持つものとして日本各地に点在する。その例を2つ以下に記述する。

3,埼玉県川越の例
日本各地に残る例として、重要伝統的建造物群保存地区の川越が挙げられる。埼玉県川越市のいわゆる「蔵造りの街並」(幸町の全部、元町1丁目、元町2丁目及び仲町の各一部)は、「伝統的建造物群保存地区」に指定されていて、江戸から明治に渡っての伝統構法の町家の並ぶ地区である。
この地区は、寛永15年(1638)の大火の翌年の町割りを基本とし、明治26年(1893)の大火後、明治40年(1907)頃までに造られた、防火性能の高い蔵造り町家の町並みが特徴的である。

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▲川越(平入りの連続する街並み)    

壁面が黒く、切妻屋根の平入りが連続する様は、電柱の地中化も相まって美しい街並みを形成し、観光名所にもなっている。
川越においてこのような街並みが残ったのは、耐火性能を高めようという地域の高い意識があったからである。「小江戸」と呼ばれてはいるが、本家江戸のように火事に対しては非常に脆かったことから、スクラップ&ビルドを繰り返す価値観が形成されていった地域とは異なり、商人たちの「蔵を守る」という強い意志の現れが街を変えていったのである。
但し、川越の場合、ほとんど重要伝統的建造物群保存地区という狭い地域のみに限られており、その地区を一歩外に出ると日本中どこでもみられるような無秩序な街並みに放り出されるのが残念である。


4,京都産寧坂の例
日本に残る街並みの例として、京都産寧坂は日本を代表する街並みと言ってよい場所である。沿道には、土産物店や飲食店などが並び、川越と同じく重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
八坂神社、円山公園、清水寺などが集中するエリアにあり、外国人観光客が絶えない。

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▲産寧坂(平入の続く街並み)


京都産寧坂は、川越同様切妻屋根の連続する街並みとなっており、川越と異なり蔵が見受けられず、また坂という傾斜地であることもあって、車両の通行もなく、屋根の高さが変化に富み非常に美しい街並みを形成している。
日本にもこのように美しい街並みもあることから、冒頭の芦原氏の指摘も、いささか的外れのようにも見えるが、このような美しい街並みが現代の日本にはほぼ壊滅状態であることを併せて考えると、街並みの美しさに愛情をもち、育て保存しようという意識の遅れはやはり否定し難いものなのである。

5,街並みに配慮した建築の例
さて、参考書にもあるように、ここ産寧坂(二年坂も含めて)には、街並みに配慮したという点で、特筆すべき建物がある。
二年坂の出入り口に「名代おめん高台寺店」などが入っている建物がある。
新築の建物であり、街並みに配慮した雁行スタイルで立っている。
敷地はかなり広く、ゆうに5件分は建てられるだけの敷地である。ここに例えば切妻屋根の一棟をたてようものなら、街に対して大変威圧的な構えを見せることになったと思われる。
そこをあえて小ぶりの家屋が立ち並ぶように雁行スタイルでボリューム感を抑えて街並みの雰囲気を壊さないようにして建てたものと思われる。
街行く人々はこれが新築であるとは気が付かないのではないだろうか。
街並みを守ろうという意識の高い建築という点で建築に携わるものの多くが見習うべきものと考える。

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※今は取り壊されている。


三,庭付き戸建てが形成する住宅街の場合

1,田園都市の理想形としてのレッチワース
現代の日本の住宅街開発の理想形は、二で取り挙げた「連棟式」のものではなく、郊外の「田園都市型の住宅街」、すなわち広い庭付きの一区画ごとに単体としての家屋が立ち、それらが道路に沿って並ぶものを指していると思われる。
田園都市の理念の元となったとされるエベネザー・ハワード(1850-1928)によるレッチワース(1903英ロンドン郊外)は、都市の長所と農村の長所を併せ持つ都市づくりという構想であった。レッチワースは成功を収め、その後政府の手でいくつものガーデン・シティが造られ、日本にも大きな影響を与え、田園調布の開発へとつながるのである。

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◀レッチワース(1903)


2,田園調布の例
日本の理想的な住宅街として多くの人が敷衍する「田園調布」は、現在の東急電鉄や東急不動産の母体企業たる田園都市株式会社によって開発・分譲された住宅地である。田園調布駅の西側に放射状に街路を設け、街路樹・広場・公園を多く取り入れ、街全体を庭園のようにすることが企図された。現在でも厳しい建築条件は守られ、美しい街並みを保持しているとされる。
しかしながら、建物に関して言えば、統一感はなく、むしろ植栽や塀によって隠され、街の美しさに建物は寄与していないと感じられる。田園調布の美しさは人工的に造られた道路のシークエンスによって演出されたものではないだろうか。

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▲田園調布(google earth)     


3,北米型高級住宅街の例
ビバリーヒルズ(米カリフォルニア州)やウェストバンクーバー(加)北米型高級住宅街は、レッチワースや田園調布の街並みとは違い、土地の起伏に合わせて道路が蛇行している。これは計画地の起伏に逆らわない開発をした結果である。
同時に樹木が街の美しさを作り出すという共通の価値観があるからであろう。もちろん一区画が広大で、大きな家屋を建てた上でさらに樹木のためのスペースが十分にあることが前提なのであるが。

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◀ビバリーヒルズ(米カリフォルニア)


4,日本のお屋敷町の例
日本の街並みで、大きな家屋と植栽で街並みが形成される場合「お屋敷町」と呼ばれる。日本の伝統的な街並みの一つであるが、連棟式の街並みと違って、各地に未だに点在している。
武家屋敷の伝統的な考え方から基本的には敷地内を覗くことができず、道路からはわずかに中の家屋の瓦屋根が見える程度で、街並みとしては整ってはいるが、「美しい」という前向きの表現を取るのはやや憚られるというのが正直な感想である。
まして道路側の植栽がブロック塀に取って代わられてしまったら、「殺風景」としか言いようがなくなる。

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▲名古屋市東区白壁(お屋敷町の代表例) 

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▲船橋市海神(元海浜別荘地・今ではブロック塀の殺伐とした街並みになっている)

5,日本の「グリッド型」住宅街の例
日本の住宅街として開発されたものの多くは、道路が単純な直線型であり道路同士が直交する「グリッド型」の住宅街である。
グリッド型の問題点は、車両がスピードを落とさないという安全性の難点ももちろんあるが、美しさという観点からは単調さに問題があろう。
田園調布のように直線道路の先には田園調布駅がある、といった指向性があるならば直線に意味が出て来るが、単に事業性の観点から直線になっている場合、出来上がった街は退屈でしかない。また、田園調布のように湾曲した道路のようなシークエンスがなく、街を歩くときの印象が心の襞に染み渡っていくことはない。

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◀東京日野市鹿島台団地(google earth)


6,東京下町「木密地域」
「日本の住宅地は美しくない」と言ったときの代表例として挙げられる東京下町の所謂「木密地域」と言われる無秩序な密集住宅地にあっては、もはや植栽を植えるスペースもなく、分割・統合を繰り返すことになり、もはや街並みの美しさを論じることよりも、耐震・耐火対策が急がれる行政に負荷をかける地域となってしまう。幅員の大きい道路沿いに耐火建築物を建て、エリア間の延焼を防ぐという発想にまで行き着き、エリア内が全焼することを想定しているという有様である。
耐震補強・耐火補強する資金もなく、かと言って地価も高く公共の立場に立って建築を考えるというようななく、条例による緩和措置による誘導を行なうも、なかなか対策が進まないのである。

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◀台東区谷中三丁目

7,街並みに配慮した建築の例
残念ながら、4~6で上げた例を美しい街並みにすることは非常に困難を伴うと言わざるをえない。各種法規制や減税・増税によって誘導するという方法も考えられるが、それらは建築の問題ではない。
そんな中、これからの建築的解決の有力かつ現実的な方法として「建物を小さくする」して、街に対して開放するスペースを大きくとるという方法がある。


現在神戸市上津台で実施されている「里山住宅博」では、街並みの形成も含めたこれからの建築のあるべき姿が試みられている。
その例として、3号地・ヴァンガードの例が挙げられる。
この建築の最大の特徴は、「小さい」ということである。

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建物を小さくすることでの有利な点は、温熱環境が非常に有利に働き、省エネルギーに寄与することとなる。
建物の省エネルギー基準については、2015年4月1日から新たな基準が導入されたが、2020年までにはすべての新築住宅に対して義務化されていくという流れである。冷暖房・換気・給湯・照明などの設備から、開口部面積・外皮性能まで高い水準を求めるということになると、従来の規模の家屋では、建築の単価が跳ね上がることになる。この問題の抜本的で現実的解決の一つは「家を小さくする」という方法である。
「家を小さくする」と必然的に建築面積以外の部分が大きくなってきて、そこに植栽を植える余裕が生まれ、植栽との関係で建物を考えるという日本の建築の本来の考え方に戻ることができる。
問題はそうやって出来上がった空間を街に対して開放していくかどうかである。
かつてのブロック塀のような閉鎖的な囲い込みを行なってしまったら元も子もないが、幸いなことに、最近の住宅は駐車スペースにお金をかけず開放的にしていく傾向にある。かつて、駐車スペースによって日本の庭が潰されていくことを危惧された時代もあったが、今日では駐車スペースを取らざるをえないがためにブロック塀を設けることを控えることとなるという皮肉にも好ましい傾向にあるのである。

四,最後に
「街並みを美しく」というフレーズを耳にしてからいったい何年経っただろうか。景観条例や重伝建などによって守られる地域はともかく、こうすれば一般の住宅地が美しく変わっていったという例を耳にしない。
しかしながら、ときどき、「あ、ここは美しいな」と感じるスポットがある。それには決まって開放的で小さな家が建っている。
ここ20年日本は不況であった。現在もその状況は基本的に変わらない。お金の回りがよくないのである。それが建築に対してどのような影響があるかは確かなことは言えないが、金を注ぎ込んで法令制限目一杯に建てるという考え方から、限られた予算の中でいい家を建てるという考え方に変わり、斜線制限に触れることのない形のよい家造りにつながっているのではないかと思うようになった。
「豊かさとは何か?」というフレーズも耳にしてからいったい何年経っただろうか。不況という長く貧しい期間を経て、ひょっとしてもう答えは見つかっているのかも知れない。

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