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「何か食べたいものある?」

僕の一番好きな食べ物はお寿司である。

「一番好きな食べ物」というものを決めておくと便利な場面があるため、どこかのタイミングで、一番好きな食べ物はお寿司と決めた。

実際にお寿司は大好きである。

コミュニケーションがそこまで得意でない人同士が会ったとき、 いや、得意な人でもそうかもしれないが、話題のために一番好きな食べ物を聞いたり聞かれ たりすることがたまにある。聞いた方はそこまで相手の一番好きな食べ物を知りたいわけではなく、そこから会話を広げたいという気持ちからそう聞いている。だからその時、なんだろうな、と悩んでしまうのはよくない。沈黙を埋めるための会話なのだから、そこで沈黙が生まれてしまうのは避けたい。なんでもいいから、好きな食べ物を一つ、ぱっというべきである。こういう時に、好きな食べ物を決めておくと便利である。

ところが、先日ラジオで、「一番好きな食べ物を決めたら、二番目以降の食べ物がかわい そうじゃないか」と言っているのを聞いた。食べ物を大事に思えば、一番、二番と決めてし まうことは失礼ということらしい。うーむ、そういう考え方もあるか、とその時思ったが、 今思い返してみて、いや、そんなことはない、別にかわいそうではない、と思い直した。

中学生や高校生の時のクラスを思い返していただきたい。クラスで一番好きな女の子を決めたら、二番目以降の女の子がかわいそうだろうか(男の子でもよい)。とんだお門違い であることはすぐにお分かりいただけると思う。

王様にでもなったつもりか。クラスの女の子全員から耳目を集めるイケメンにでもなったつもりか。二番目以降の女の子は、おおよそ、 別にあなたに好かれようとは思っていない、と言うだろう。というか一番になった女の子も、 たぶん別に名誉とは思っていない。

食べ物だって同じだろう。二番目以降になった食べ物が、自分にとって一番でなかったか ら悲しいとかいうことはない。別にあなたに好かれなくてもいい、と思っている。その食べ物が存在している時点で、誰かには愛されているのだろうから、その食べ物にとってもある程度満足できると思う。それに、彼らからすれば、そもそも食べられたいと思っていないか もしれない。人間が世界の王になって、食べ物を支配する立場であるからこそ、かわいそう、 とかいう傲慢な考えも浮かぶのではないか、という極端なことまで考える。

というわけで、 僕の一番好きな食べ物はお寿司である。毎日お寿司を食べ続ければ、一週間はもつのではないかと思う(意外に早くお寿司は飽きそうである)。

ところで、世間の主婦(主夫)を毎日のように悩ませる問題が、今日の献立問題である。 生きている限り、これが解決されることはない。最近では、今日の献立を提案し、レシピまで見せてくれるアプリが人気であるのは、それだけこの問題は深刻であることを表していると思う。が、こういうアプリで提案されると今度は、なんとなくその料理は気分じゃない、とか、 家の人の好みに合わない、とかいう理由でお気に召さないこともあるので、人の心は難しい。 うちの母も同様で、口癖のように、「何か食べたいものある?」と聞いてきた。お昼ご飯を食べているときに、「夕飯何食べたい?」と聞いて家族に笑われることもあった。お昼を食べているときに夕飯の献立を考えるのはちょっとおかしいのだが、母としては、昼食を食べているときでさえつい考えてしまうほどの深刻な問題だったのだ。

そう聞かれたときに食べたいものがあることはめったにない。だから、最初は、「特にな い」と答えていたが、それでは母は困ってしまう。そうなると、ことあるごとに、「何か食べたいものある?」と聞いてくるし、ついには、「食べたいもの考えてくれた?」と聞かれる。

小さいころであれば、自分の好きなものを食べさせてくれることは幸せなことであったはずだ。自分の権利で食べたいものを決められるのは、誕生日くらいであったのではないかと思う。いつからこうなってしまったのだろう。思い返せば、姉がひとり立ちしてから、僕にこのことが聞かれることが多くなったような気がする。それまでは姉がこの問題と向き 合っていたのだ。

僕としても、食べたいものを聞かれたときに毎回、特にないと答えてしまうのは心苦しいところもあるため、だんだん対策をするようになった。まずは、母の持っているレシピ本を あらかじめパラパラとめくり、食べたいなと思ったものをメモしておく。それを母に提出し、 しばらくはあの質問をされないぞ、と安心した。

ところがそれでも、何が食べたい?と聞いてくることはおさまらなかった。その時、僕は 無言で冷蔵庫に貼ってある食べたいものリストを指差すのであるが、そうすると今度は、 「何から作ればいいかわからない」と言ってくる。だから、これにも対策をすることにした。 ご丁寧にも、食べたいものリストの料理に曜日を振り、どの日にどれを作ればよいかを明確 にしたのだ。これでもう、一週間は聞かれることはない。こうして、僕の努力により、献立問題、というか、何か食べたいものある?と聞かれる問題は解決に向かったのである。

しかし、問題はそこまで単純ではなかった。今度は、主菜だけでなく、栄養バランスも考えた副菜として何を食べたいか聞かれるようになってしまった。副菜と言うと、僕の中にあるレ パートリーもそこまで多くはなく、たいした答えを出すことはできなかった。レシピ本を見たりもしたが、そもそも副菜のレシピは少なく、その中でピンとくるものも多くなかった。結局、この問題は解決されることなく、僕の一人暮らしが始まるまでそのままだった。

リストにすることで、ある程度問題は緩和されたのだが、食べたいものと日付を明確にしたときにも、その他に、単発で食べたいものを所望したときにも、せっかく献立を提案したのに、母がその通りに作ってくれないことも多かった。もちろん、母の気分もあるだろう。 だが、それ以上に大きな理由は、母がいざスーパーに行くと、その時の旬の食べ物とか、安くなっている食べ物とかを見て、せっかくだからそれを使おうと思い、そうすると献立が浮かんでくるそうだ。なら最初から聞かなくて良いじゃないか、と思うけれど、スーパーに行 っても献立が決まらなかった時の保険があることは大事なのだろうと思う。

そんなこんなで、僕としても、努力が報われない感じがするし、そもそも献立を考えるのは面倒だし、レシピ本のレパートリーが無くなってくるので、僕の中で問題は再発した。そんななか、親戚の法事で、いとことそのお母さん、つまり僕から見ればおばさんが、こんな会話をしているのを耳にした。

「今日何食べたい?」おばさんのセリフである。

「オムライス」といとこ。

「いつもオムライスじゃん」

そのいとこは同い年で、その時高校生だったから、オムライスというのはかわいいなと思ったが、肝心なのは、いとこが、食べたいもの聞かれる問題を見事に解決していることだった。

自分が一番好きな食べ物で、毎日食べても飽きない、むしろ、飽きるまで食べたいというくらいのものを毎日言えばよいのだ、ということに気がついた。母親は困るかもしれないが、 こちらとしては実際にそれが食べたいのであるし、もし毎日その献立であっても、自分が一 番好きで毎日でも食べたいものであるから、母の方が最初に飽きて、自分で献立を考えるしかなくなる。これまで悩んでいたことが何だったのかと思うほどの、見事な解決策に、感嘆した。

というわけで、早速これを実践した。最初に書いたとおり、僕の一番好きな食べ物はお寿司である。毎日お寿司が食べられることをもちろん期待していない。だが、機械のように毎日、「何か食べたいものある?」と聞いてくる母に、機械のように「おすし」と言えばよいのだから、こちらの負担はほとんどゼロだ(さすがにかわいそうなので、たまに「ハンバー グ」も混ぜた)。最初、おすしと言ったときに、「え、寿司!?食べに行く?」と聞かれ、なんとなくそれはそれで悪い気がしたので、「これから毎日、おすしって言うことにした」と、 初日から手の内を明かすことにはなってしまった。

こういう理由からも、一番好きな食べ物を決めておくと良い。全国の子どもたちは、親からの「何か食べたいものある?」攻撃に、瞬時に、その一番好きな食べ物の名前を言えばよ いのである。反対に世の親御さんたちも、子どもが、特に食べたいものはないという限りに おいては、自分が一番好きな食べ物を毎日作ってやればよい。ただし、これによって親子関係が破綻した時の責任は負いかねるのでご留意いただきたい。

ということで、あなたの好きな食べ物は何ですか?

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