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手軽さは麻薬だ。

手軽さは恐ろしい。
先ほどもドリップ式のコーヒーが切れてしまい、ついついコンビニで購入してしまった。amazonで頼めばより美味しいものが安く買えるのに、一日待つのが何となく嫌で今日もまた買ってしまった。コンビニが近くにあるというのは、あまりにも手軽すぎる。

彼女も、その麻薬に毒されている。彼女の場合は欲しいと思ったものをすぐにポチってしまうので、毎日のようにamazonから商品が届く。基本在宅業務の私が受け取るのだが、配達員さんが怪訝そうな顔で彼女の名前に指をさし、「こちらでお間違いないでしょうか?」と聞かれるまでが鉄板だ。手軽さは時に恐ろしい、物事の妥当性を奪っていく。

このように世の中には、「手軽で恐ろしいもの」に溢れている。上記は便利さの延長にある進化なのでまだ良いのだが、手軽さを悪質な手法に応用しているケースも多い。分かりやすい例で言うと、リボ払いが挙げられる。
賢明なみなさまであればお分かりとは思うが、「上限まで借りても、月々定額を返金するだけでOK!」という手軽さと分かりやすさ(正しくは誤解させやすさ)によって、返済計画もないまま利用してしまう人がいる。実際のところは高い金利で長期間返していくことになるので、借りた金額によっては人生を棒に振る可能性すらあるのだ。

TwitterやInstagram、YouTubeというコンテンツも、手軽さ故に危険である。
スマホのロックを解除してアプリのアイコンをタップすれば、そこには”暇つぶし”のコンテンツが溢れている。好きな芸能人が、YouTuberが、可愛い女友達が、最近会っていない友人が、魅力的な文章や画像や動画を発信している。全部を見るには1日24時間では足りない。そんな世界線に私たちは存在しているのだ。
意識して抑えなければ、休日1日携帯をいじって終わる…なんてことが起こりかねない。というか、誰しもが経験したことがあるのではないだろうか。私はある。結構ある。

少し話が逸れるが、私はそんな非生産的な時間を少しでも減らすため、仕事や作業など決められた時間内は以下のアプリを起動することにしている。アプリ内で木を植えるのだが、その間は携帯をいじることができなくなる。いじると枯れる。悲しくなる。変に罪悪感を煽ってくるアプリである。

話を戻すと、本記事では、手軽なものほど注意深く検討する必要がある、ということだけお伝えしたい。手軽なものには必ず意図がある。それが私たちの利便性を上げてくれる目的なのか、利権を持った誰かが得をする目的なのか、本質を見抜いた上で利便さを利用する、そんな力がこれからの世の中では要されるのである。

ちなみに今日はショートショートを書くつもりでいたのだが、書いても書いても話がまとまらず、思考の記事を書くに至った。思考を書くだけの記事というのは、これまた手軽で恐ろしいものだ。
…と、タイトルを回収したところで、本記事を終了とする。

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