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安心をポータブルする。

ここ最近は何を考えて過ごしていただろう。
瞑想も、書くことも二の次にして何をしていたかといえば、オフィスを作っていた。
オフィスという名の、軽トラの荷台の上の構造物に御執心だった。

僕らの意識は広大な宇宙を飛び回っている。
そこからあるまとまりを持ってイメージが飛来する。
それがなんなのか、自分自身も把握できない。
本質の光と自由の風がそこに吹き込んでいる。
意図とエネルギーが集中する。そこから意識を離すのが難しくなる。
愛すべき暴走するエネルギー。

僕は全く建築的知識も大工的な専門的な技術も持ち合わせていない。
イメージに対してjugaad的に迫っていくのが好きなのだ。

この荷台に鎮座するオフィスは、ずっと、この数年ほど頭の中にあったイメージが急激に具体化していったものだ。
ややこしい話だけど、僕が住んでいたところに2ー3ヶ月のうちに2人の知り合いが住んでは出て行った。
僕は軽トラックを買い替えたりしていたので前住んでいた平家の駐車場に太々しく置きっぱなしにしていたのだけど、2人目の知り合いが出て行って流石にまずいだろという気持ちが高まり、そそくさと軽トラックにピックアップした。
この時はまだどこにも壁がないし、窓もない、屋根も半分しかない状態で、放置されたそれは半分ゴミと化していた。
人がぞんざいに扱ったものは、どんどんゴミのようになってくる。
全てのものをぞんざいに扱わなければゴミは生まれないのだろうか。
もののけになりつつあったオフィスは、ピックアップした瞬間から完成へ向けて急激に進みはじめた。

このオフィスは土地を支配しないあらゆる時代の迫害されてきた、また迫害され続けている人々、文化へのリスペクトの現れだ。
万年単位の遡り方をすると、人間の見方の転換点があると直感する。
万年単位で感覚として遡るためには、自然物の力が必要だと思う。
石や大木は、大きく形を変えないまま数千年、数万年、数億年という時間を過ごしている。
彼らと共にいることで、感覚的な時間の跳躍ができると思う。

移動できる簡単な住居は、自然物との接触を容易にする。
安心をポータブルにする。

固定した場所で安心感を得る時代ではないのかもしれない。特に日本は災害で一時的、もしくは長期的に住めなくなることもある。
十年後には景色が変わっている。変わり続ける環境の中で、安心して生きる知恵が必要だ。

今日の話の内容のようにいろんなところにあっちこっち飛びながら、オフィス作りはまだまだ続く。

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