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これまでの人生について 少年期〜就職〜消防学校まで

これまでの私の人生を振り返ると、なりたい自分と現実の自分とのギャップに苦しむ人生でした。ホントの自分と違う生き方を続けていた結果、表面だけ着飾って中身が空っぽに。。

以下の3つのテーマで書いていきたいと思います。

○親のこうあってほしい像は虚像の自分をつくる
○人生最大の挫折 
○自分のことを知らないといけない


明るいスポーツマンを演じてきた学生時代

私の学生時代の他人から見たイメージはやんちゃなバスケ少年って感じだと思います。
小学生の頃から比較的足が速かったり、マラソン大会では学年1位になることもあったりと、運動がそこそこできました。自分自身もそんな自分のことを誇りに思っている部分はありましたし、何より私の母親はそんな息子が誇らしいくて仕方なかったんでしょう。「あんたはスポーツができる」「明るく元気いっぱい、やんちゃ」こんな言葉を日々言われると、子供心には「自分はスポーツマンで明るい人間なんだ」と思い込む力が生まれます。そして、そうでなければならないといったいった意識が潜在意識レベルにまで刻まれていたきがします。
そうして、日々を過ごす中で、中学時代は体育祭の応援団長を努め、高校時代はバスケで県大会3位の成績を修めるなど、順調に母親のこうあってほしい息子像を全うしていきました。
しかし、こうした日々の中で自分自身の中にあったはずの小さな違和感に私はまだ気づいていませんでした。

親元を離れ関東へ 最大の鬼門を迎える

大学を卒業後、私は消防士として新たな生活をスタートさせます。
某政令指定都市の消防職員として採用されたので、初めて親元を離れます。
「親のこうあってほしい像」+「自分自身の強烈な思い込み」により私は消防士にまでなってしまいました。しかし、この時の私はまさにイケイケドンドン。
自分自身の本質や特性など全く分かっておらず、この街の全ての火災はおれが消滅させる!
ぐらいの勢いでいました。
消防士は採用されると、まず、消防学校と呼ばれる教育施設で半年間缶詰状態となり、みっちり消防に関する基礎を叩き込まれます。
ここで、最初の違和感を感じることになります。
消防学校は規律を重んじており、半年間半ば軍隊のような生活を強いられます。
誰しもがそれなりに辛い生活になるとは思いますが、私はこれがホントに辛く、日曜日の夜は毎週吐き気をこらえながら寝るって具合でした。
→具体例なエピソードなんかはまた別の記事で紹介させて下さい
とにかく、集団生活や周りと同じを求められることに対する拒否反応がとても強かった。
ほんとに辛かったです。。
「憧れて入った消防の世界だけど何か違うし、周りはキラキラしてるが、おれはどうなんだ。。訓練だってあまり興味もわかないし」そんな違和感を抱えながら半年は過ぎていきました。


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