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もう少し自由に生きれたらいいのに

あなたの「自分にしかできないこと」って何ですか..?

「そろそろ就活か...どうしようかな」なんて考え始めたころのこと。僕は将来の自分を見つけられないでいた。

働き方も多様化してきている。当たり前なことだけれど、自分で自分の将来を決めなきゃいけないタイミングに差し掛かっていた。

なんとなく企業の採用ページを見てみたり、業種・職種なんてものを調べてみたりもした。今はSNSが主流の時代。Twitterとかでベンチャー界隈の情報を覗いてみたりもしてみた。

そんな時だろうか。

「なんとなく生きづらい」そんなことをじわじわと感じ始めた。

ボーっとタイムラインを見ていた時だろうか。

「個人の力で稼げないなんて、これからの時代終わり。」

「楽して稼げるようになるために、オンラインサロンに入りましょう!」

ああ、またこれか。

今日も流れてくる、「個人主義」「オンラインサロン」の文字たち。

僕は少しだけうんざりしていた。
インターネットが発達して、個人が昔よりも発信できる時代。僕の手元に届いてくるのは、突飛な生き方を推奨してくるような情報ばかり。

根暗な僕は、いつもこう思ってしまう。

「自分には何もない」

別に人と違う特技もなければ、格好いい容姿もない。社会を変えたいという確固たる信念もなければ、「これができます!」っていうスキルもない。

いや、もしかしたらあるのかもしれない。それでも、タイムラインにまわってくるような人達を見てしまうと、どうしても「自分なんて...」って思ってしまう。

大学1年のころは、もっと自分の可能性を信じてあげれていた気がするのに。
最近は周りの友達と話していても、どこか孤立している気がしたし、こんな悩みを抱いているのは僕だけなのだろうかって。

また、どんどん自分の殻にこもっていってしまう日々だった。

ああ、どうしたらいいのだろう。ぐるぐるぐるぐる自問自答し、エブリデイネガティブスタートになっていたころに、こんな記事に出会った。

私はそれまで、「自分にしかできないこと」を「スキル」の面でしか考えたことがなかったから。他の誰よりも業務効率化に長けているとか、データをまとめるのが速いとか、文章を書くのがうまい、とか。仕事をする上では「他の誰かには真似できないスキル」を身に付けることが大切なんだろうなと、そう思っていた。

まさに僕の事だった。僕は人に勝るポイントを必死に探していたのだ。

でも、「自分にしかできないこと」ってそういうことじゃないらしい。

「自分の体を使って世の中を知り、見て、感じ、考えること。それが、誰もが平等に持っている、『自分にしかできないこと』です」

なにかがフワッと軽くなる感じがした。

今まで自分は、人と違う所を必死に探して、見つけては上がいることを知り、見つけては上がいることを知りの繰り返しだった。

でもそんなの当たり前だ。どんなにスキルがある人でも、世界を見渡せばそれより出来る人なんてたくさんいて当たり前だ。

大事なのはそこじゃなかった。

何かを見て感じて、聞いて触って、嗅いで...

その時に自分の中で感じたことは、この世界のだれにも真似できない「自分にしかできないこと」だ。

だから、僕がいつもウンウン唸っていた「スキル」というものは、自分が感じたことを形にしていく手段であって、そんなのきっとなんだっていいんだろうし、何通りもあったっていいんだと思う。

どれか一つに絞ることもない。

それなら、
「自分が一番心地よいと思える手段で、思ったことを形にしてみる」

ここを大事にするだけで、きっと今よりもっと楽に、自由に生きられるんじゃないだろうか。


感性を磨いてみること

他人と比べてしまうのは、もうしょうがないことなのだと思う。学校では人より上手くできることが評価されてきたのだから。

でも、他人とか一旦おいといて、「自分は」どう感じているのだろう?何に心が動かされているのだろう?そんなことを丁寧に一つ一つすくい上げていくことで、世界の見方ってもっと変わるんじゃないかと思う。

自分の内側と向き合うと、もっと世界の事をちゃんと知りたいって思うようになる。人がどう思うのかももっと知りたくなる。

人がもっと人に寄り添える気がする。

そんな世界は今よりも、もう少しだけ自由で生きやすいんじゃないだろうか。

そんな世界を願って、僕が出来ることは、僕自身の感性をもっともっと大事にすること、今よりももっと目の前の人がどう思ってるかを大切にすること。

それだけ。

さいごに

僕は基本的に人と話すのが苦手だ。

何を話せばいいのかがスラスラ出てこない。

どうしたって、その場の雰囲気についていけないこともあるし、ついていこうとすると自分が疲弊するのが分かる。

でも、しゃべることだけが表現じゃないことを知った。

話が上手な人は、「話す」という表現の手段がその人にとって適していただけだ。

こうやって文章を書く、写真を撮る、歌を歌ってみる、料理をする。目の前の人に寄り添って話を聞いてあげることも、表現なのかもしれない。

世の中を見つめ、自分を丁寧にできる手段を見つけることで、人は今よりももっと自由に生きれるはずだ。

みんなが「自分が感じたことを大事にできる」社会になればいいなあ

おしまい。



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