総務省を卒業しました

2021年7月1日付けで、旧郵政省時代から24年にわたって働いてきた総務省を退職しました。私はまだ40代半ばですので、普通に勤め上げての退職というわけではないのですが、総務省で出来ることは十分やり切って、中退でも退学でもなく、卒業したという気分です。ちょうど今はどの組織にも属さない自由な立場にありますので、これまでの記事では踏み込まなかったことも含め、考えていることを書いてみたいと思います。

この一年間取り組んだNHK受信料制度改革

noteの記事は個人の立場で書いていることもあり、特に触れませんでしたが、この一年間はNHKの受信料制度改革のための放送法改正に向けたプロジェクトチームを統括する立場にありました。受信料やNHKというテーマがYahoo!ニュースで取り上げられると、必ずといって良いほどコメント欄が炎上し、下の記事が出たときも、あっという間にコメントが1万超えしたことに驚きました。そもそも戦後間もない頃に出来た受信料制度というものが、国民視聴者の皆さんからの理解や納得を得られるものとして、今後どれぐらい存続可能なのだろうかと自問自答しながら、少しでも現状を改善していきたいという思いで取り組んだ一年間でした。

ちょうど年明けの文春砲をきっかけに、総務省を巡る様々な問題が国会での大きな議論の対象になったことに影響を受け、放送法改正法案は2021年2月26日に閣議決定・国会提出したものの、残念ながら成立には至りませんでした。2021年の通常国会では、内閣が提出した63本の法案のうち、61法案が成立しており、成立しなかったのはこの放送法改正法案の他に出入国管理法改正法案のみという結果でした。それでも、24年の官僚人生で初めて担当した放送という分野において、心から尊敬できる上司・同僚・部下のサポートを頂きながら、まがりなりにも法案という形でアウトプットを世に示すことができたことには、大変満足しています。

なぜ総務省を卒業しようと思ったのか

私の今回の決断は、省内外の方々から予想外に驚かれてしまいました。これまで総務省では順調に仕事をしてきましたし、周囲からもそのように見られていたのだと思います。特に最近は、今回の放送法改正法案、そして2020年の電気通信事業法改正と、省内では重要テーマと位置付けられた仕事をさせていただきました。総務省に何か不満があったのか?とか、問題続きの総務省に愛想を尽かしたのか?といったことも聞かれましたが、決してそのようなわけではありません。理由は、「デジタル分野の専門家としてのキャリアを、組織にとらわれず作っていきたい」ということに尽きます。

以前の記事で、日本の組織は、メンバーシップ型雇用の仕組みの中で専門性が低いという課題を抱えており、霞が関も同じということを書きました。

当然ながら、そのような組織の一員である私も、デジタル分野を仕事のフィールドとして生きていく上での専門性の不足ということを痛感していました。本来であればこの7月の人事異動でちょうど課長になるタイミングだったのですが、このまま課長になっても効果的な政策を打ち出していくことができないのではないかという悩みがありました。そして、専門性を高めていくためには、組織を超えて、特にデジタルビジネスの最先端に身を置きつつ、自分を磨く必要があると感じました。

つまり、上の記事で書いたような問題意識が“おまいう”にならないよう、自分自身その道を選ぶことにした、というのが今回の決断のシンプルな理由です。

私が感じた霞が関の課題

このように、総務省が嫌になった、あるいは総務省に愛想を尽かしたというわけでは決してありません。とはいえ、このまま総務省でキャリアを積むよりも、違う道に進むことの方がベターだと判断したことも事実です。やはり総務省そして霞が関全体には、大きな課題があるのも事実と考えています。

そこで、まず霞が関全体の課題について私自身が思っていることを書いてみます。

当然ながら、上で書いたとおりメンバーシップ型雇用に関連した専門性の低さが最大の課題だと思っています。

デジタル化が世界的規模で急速かつ大がかりに社会や経済を変え、また、日本は人口減少という歴史的な変曲点にある中で、霞が関は今、外国や過去の模倣ではない新たな政策を作り、実行していく能力を十分に持ち合わせていないと感じます。デジタル分野の競争政策を例にとっても、制度整備は着実に進んできているのですが、基本的にはEUの後追いをしている状況です。

外国の後追いであっても、それが日本の社会や経済を良くすることにつながるのであれば、決して悪いアプローチではないと思います。ただし、大学の法学部で憲法や行政法を勉強してきましたという程度の人材が、約2年ごとに様々な部署の異動を繰り返す中で、最先端の経済学やビジネスの知見を必要とするデジタル分野の競争政策というテーマに取り組むことは、たとえ後追いをするにしても非常に難易度は高いものなります。政府に経済学のPh.Dやビジネス経験者を多数そろえているという、先進国では「普通」の環境にない霞が関では、はるかに時間と労力がかかる作業となってしまいます。

最近ようやく知られるようになってきた霞が関のブラックな職場環境は私も課題と感じるのですが、上で書いたことは、その背景の一つとなっていると思います。「自身の専門的バックグラウンドを活かした希望するポジションに就き、(2年ではなく)長期間にわたってそのポジションを務める」というジョブ型雇用の世界であれば、また違った職場環境になるでしょう。

また、仕事に人を当てはめるジョブ型雇用ではなく、人に仕事を当てはめるメンバーシップ型雇用の組織であるが故に、「組織の論理」が優先し、仕事の効率性を妨げている面もあると思います。例えば、仕事の必要性ではなく職員の処遇の観点からポストや部署が作られることで、レポートラインや調整先が複雑怪奇になることがあります。加えて、国民や社会・経済にとってではなく、組織(と究極的にはそのメンバーの処遇)にとって良いことかどうかが政策の判断軸となりがちであることも、メンバーシップ型雇用がその大きな理由といえるでしょう。ただし、このことは霞が関だけではなく、同じくメンバーシップ型雇用の仕組みで成り立っている日本の組織全般に当てはまることなのだと思います。

メンバーシップ型雇用という観点とは違うのですが、もう一つ重要な点があります。民間企業であれば、効果的なアウトプットが出せていない、あるいは働く環境が良くないといったことは、様々な経路を通じて最終的には財務データや企業価値として表れ、市場での競争の中で是正されていく、というメカニズムが働くはずです。霞が関の場合、世論そして国会の厳しい追究を通じた政治による是正メカニズムが一応あるのですが、それが十分に機能していない、あるいはあさっての方向に「是正」されていくということが見受けられます。

こういったことがトータルとして、働く場としての霞が関の魅力を損なってきている面は否定できないと思います。もっとも、最近言われているように優秀な人材が集まらない、あるいは霞が関を離れていくといった現象は、決して悪いことではなく、労働市場での競争を通じた是正メカニズムとして働くのではないでしょうか。つまり、幸か不幸か霞が関もようやく市場を強く意識する必要に迫られてきたといえます。

「霞が関のSIer」としての総務省の課題

次に、霞が関全体ではなく、総務省の課題についても思うところを書いてみます。総務省は地方自治や行政管理・評価などの行政も担当していますが、ここで書くのはあくまでも私自身が携わってきた情報通信行政の話です。

総務省は情報通信分野を対象とする様々な行政機能を持っています。その大きな柱として通信・放送の規制行政の機能があるのですが、この機能についての話は今回はさておくとして、それ以外に社会全体のデジタル化の促進という行政機能を担ってきました。

この行政機能について、私は常々「総務省は霞が関のSIer」だと感じていました。2000年代初頭に政府が“e-Japan戦略”を打ち出した頃から、総務省は「ICTの利活用の促進」を政策目標に掲げ、産業のほか、医療・教育・行政といった各ドメインでICTをもっと使おうと旗を振る取組を進めてきました。各ドメインに携わる主体にはICTについての知見やノウハウがなく、もっといえば関心すらあまりない中で、総務省は彼らに対して「ICTを使うと良いことがありますよ」と働きかける役割を果たしてきたのです。それは、あたかもユーザー企業にシステムの売り込みをかけるSIerのようなものだったといえるでしょう。

このようなICTという技術を中心に物事を捉えるSIer主導のデジタル化の問題点は、最近広く認識されるようになってきました。

ICTの真価は、各ドメインにおいて少し便利になりますよというものではなく、ビジネスモデルや組織といった各ドメインの本丸を変革する点にあります。それは、ICTが取引費用をはじめとする諸活動のコスト構造を大きく変えることが背景にあることは以前の記事で書きました。

したがって、本来ICTの導入とは、各ドメインの知識や課題を十分に理解・認識した上で、各ドメインの在り方自体を新しいものに刷新する取組であるはずです。

ところが、SIer主導という日本独自のプラクティスにより、ICTの目線、さらにいえばとにかくICTが使われれば良いという視点でしか物事を捉えられず、結果としてあまり意味のないシステムが次々に導入され、ICTが効果を生んだように思えないという事態になってしまいました。「霞が関のSIer」である総務省にも、そのような残念な結果を生んでしまったことに対する責任の一端があることは否定できないでしょう。

上の記事でも書いたとおり、様々なドメインにおいてDXに取り組むに当たっては、これまでの「情報化」や「ICT利活用」の取組の轍を踏まないことが重要だと思っています。

従来のICT利活用とデジタルトランスフォーメーションの違い

そして、その際はSIerではなく、各ドメインで事業に携わる方々自らが推進の主体となることも求められています。

新たなICTの位置付け

実際、霞が関においても、例えば医療分野については厚生労働省、教育分野については文部科学省といったように、各ドメインの担当官庁が自らのテーマとして取り組む流れが出来てきています。行政分野についても、2021年9月に発足するデジタル庁が中心的な役割を担うことになります。そのような中で、総務省がこれまで長らく政策目標として掲げてきた「ICTの利活用の促進」は、その使命を終えたと感じます。

その代わりに、情報通信分野において取り組むべき新たな政策課題は次々に生まれてきています。例えば上で書いたように、EUを中心として、競争促進や利用者保護の観点から、デジタル・プラットフォーム企業を対象とした新しいルールが作られてきています。総務省も、そのようなルール作りに重点をシフトするという道があったはずでしたが、どちらかといえば経済産業省などが主導しており、少なくとも現状ではその流れに十分乗り切れていません。その理由としては、長年取り組んできた「ICTの利活用の促進」のための業務がいわばある種の「負債」となってしまっている面があり、新たな政策課題にリソースが割けていないことが挙げられます。

今回の記事ではさておいた通信・放送分野の規制行政という機能は引き続き重要です。ただし、この行政機能は諸外国では一般的に独立行政委員会で担当しており、必ずしも省という組織である必要はないという意見も根強いです。これらのことを考えると、総務省の情報通信行政は何のために存在しているのか、という重たい課題が突きつけられているといえます。

あのレジェンドの迷言「辛いです」について思うこと

私の今後については、民間ビジネスにフィールドを移し、デジタル分野の専門性を高めていく予定です。転職に当たっては、国家公務員の再就職規制という厳しい制約がありますので、当然ながら自ら携わった仕事のツテは使わず、真正面から職探しをしてみました。今後これまでどおり記事を書き続けることができるかどうかは分からないのですが、実際に働き始めるのはもう少し先の予定ですので、自由がある内に、これまで現職の官僚としては言えなかったことも含め、少しでも記事を書いてみたいと思います。

最後に余談として、私は小学校高学年の2年間を広島で過ごしたとき以来の広島カープのファンなのですが、今回総務省を卒業するに当たり、私が尊敬する人の一人であり、今やカープのレジェンドとなった新井貴浩さんの迷言が思い浮かびました。

新井さんはカープの4番として2005年に本塁打王も取ったほどの主力選手でしたが、2007年のオフにFAを宣言してカープを離れ、阪神に移るという決断をしました。そして、FA宣言の記者会見の場で、「カープが大好きなので、辛かったです」「喜んで出て行くわけではない」などと発言し、「カープを出て行くくせに何言いよるんじゃ」とカープファンからの大ひんしゅくを買ってしまいました。

私自身も、当時嫌な思いをしたファンの一人でした。それでも、今勝手ながら感じるのは、この時の新井さんにとってのカープに対する思いは、私にとっての総務省に対する思いと同じだったのかなということです。

ちなみに、新井さんのその後は、カープファンでなくてもご存じの方が多いと思います。阪神で打点王を取るなどの活躍はしたものの、2014年のオフにクビ同然で阪神を去ることになり、2億円の年俸が2000万円に下がりつつカープに戻ってきました。そして、MLBでの20億円のオファーを断り同じタイミングで戻ってきた黒田博樹投手と共に、カープを25年ぶりのセ・リーグ優勝に導きます。新井さん自身も再びカープの4番に座り、打率3割100打点という誰も予想しなかった活躍で、セ・リーグのMVPに輝くことになります。

霞が関も、特に専門性の面での課題を解決するため、人材が官と民との間で行き来する“リボルビングドア’を大きく開いていく必要性が強く指摘されるようになってきました。将来そのような仕組みが普通になれば、私自身も再びリボルビングドアの内側を目指したいと思う時が来るかもしれませんし、そのように思える霞が関、そして総務省になっていて欲しいと強く願っています。

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