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「不可解な銃弾」

2015年、夏。
黒竜江省の哈爾賓(ハルビン)には凛と澄んだ空気があった。

中国で最も北部に位置するこの地は、ロシア風建築が建ち並び、中国語とロシア語の入り混じった不思議な世界感を作り出していた。シベリア鉄道でモスクワへと通じる東北アジア交通の枢軸都市である。旧満州帝国の歴史をなぞりつつ大連、長春を北上してきた鉄道の旅で立ち寄った。

哈爾賓駅と言えば、伊藤博文が朝鮮民族主義者の安重根の銃弾に倒れたとことも有名だろう。

極東を取り巻く欧米型帝国主義全盛期。日本は地理的にも戦力的にも大国に飲み込まれると致命傷になるため、朝鮮に対し開国及び併合を推し進めている最中に事件は起こった。

安重根は処刑されたが、日本の報復を恐れた多数派により併合は一気に進むことになる。

この暗殺事件には不可解な点が多い。

安重根が使用した銃はベルギーFN社製の7連式ブローニング拳銃だったのに対し、伊藤を絶命に追いやった銃弾はフランス騎馬隊のカービン銃の弾だった。また、安重根は駅ホームで群衆を装って近づき銃弾を放ったのだが、検死の結果、伊藤を死に至らしめた銃の弾道は上から下に向かっているという。

さながら、JFKを暗殺した「魔法の銃弾」と同じで説明がつかない。

右胸部と腹部から貫通した三発の弾丸によって、伊藤の内臓と肋骨は破砕された。いずれも致命傷だった。
応急手当のため運び込まれた貴賓車内では、急場の機転か、随行の役人らが気付薬としてブランデーを差し出した。伊藤は一杯呑み干し、犯人が朝鮮の青年だと告げられると、一言「そうか、バカなやつだ」と吐き捨て、二杯目のブランデーを口にしたところで間もなく絶命したという。

2015年、夏。入社6年目のころだった。

世界中を駆け巡った凶変の現場にいたはずなのに、覚えていることと言えば、引率教員に付き合わされ(?)、青島麦酒と哈爾賓麦酒を毎晩ガブガブとかっくらったことくらい。2種類の麦酒の味の違いだけをしっかりと舌の記憶に刻み込み、帰国してしまったのだ。
現地ガイドや記念館に展示された貴重な証言や資料で深めた学びは、その晩、哈爾賓麦酒の泡よりも早く消え去った。

旅が遠くなった時代だが、思い出を醸成させるには絶好の機会だ。
消えゆく麦酒の泡のように過ごした日々があったとしても、思いがけないところで好奇心が生まれたならば臆することなくその日から学び直せば良い。リアルな現場に触れた経験は本物だから、何事にも大きなアドバンテージとなる。

巧妙に仕組まれた謀略により、世界では真相が明らかになっていない事件は少なくない。

次回はフォード劇場(ワシントンD.C.)の写真を整理しようと思ったが、あの時はサミュエルアダムスやミラーライトの記憶しかないことを思い出した。アメリカの歴史上最も劇的かつ謎に満ちた初の大統領暗殺事件。それは当代の名優が観劇中のリンカーンに向けて放った不可解な銃弾から始まった。

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