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書きたいことを無限につくる「皮肉にも」の論理トレーニング

先日ふと自分の過去ツイートを読み返していたら、頻繁に使うキーワードがあることに気が付きました。

それは「皮肉」「皮肉にも」「皮肉なことに」というフレーズです。

例を挙げると。。。

こんな感じで、しょっちゅう使ってるみたいなんですよね。

そして、考えてみるとこれは、世の中で繰り返し見られる現象であり、よくある「論理パターン」なのです。

そこで今日は、この「良かれと思ってやったことが、皮肉にも○○になってしまう」という現象についてわかりやすく解説したいと思います。

副作用に着目しよう

結論から言うと、「物事には必ず副作用があるので、その構造をあらかじめ意識しておきましょう」という話です。

図解するとこんなイメージ。

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たとえば「結果B」が得たくて、そのためには「施策A」が効果的なのでは?という仮説を立て、それを実行したとします。

ところが、施策Aと結果Bの強化の流れに注意が向く裏で「結果C」も強化され、それによって「結果B」はむしろ弱められてしまう。

最終的な結果として「プラスマイナスゼロ」もしくは「逆にマイナス」になるという事がわりと起きるんですよね。

組織内でも頻繁に起きる「改善の副作用」

たとえば、組織課題についても同じことが言えるのですが、

・社員のパフォーマンスを上げるという結果Bのために
・社内アンケートを取るという施策Aが展開された
・しかしその裏で「アンケート業務が増える」という結果Cが強化され
・お客さまに向けた仕事以外の社内的な業務に追われ、皮肉なことに社員のパフォーマンスは下がってしまった

人材採用についてもまったく同じです。

・ミッション実現に向けて組織能力を上げるという結果Bを得るために
・人材採用強化という施策Aが実行され、採用人数目標を追いました
・しかしその裏で「新入社員の受け入れ負荷増大」という結果Cが強化され
・しかも、人数を追い過ぎたことで採用基準が甘くなり、認識合わせのコミュニケーションコストが増えるという結果Dも強化され
・最終的には、本来の業務以外のメンタリングの負荷が大きくなり、皮肉なことに優秀な社員ほど退職してしまった

このような「皮肉な」現象を、僕はこれまで、急成長する組織の中で何度も何度も目の当たりにしてきました。

良かれと思ってリリースした施策がむしろ逆効果に

この皮肉な構造は、組織で起きるだけでなく、プロダクト開発や改善の現場でも頻繁に現れるパターンでした。

たとえばこのログミーTechさんの記事もそうです。

買いたいと思っている人の目線と売りたいと思っている人の目線は、光と影の関係みたいな感じです。同じ検索結果、UIの中に同居しています。なので片方だけを見て部分最適を施すと、それで幸せになる人もいるんですけど、不幸になる人もいるという副作用が必ず起きる。

僕が、USのメルカリを担当していた時の話でも同じことを言っています。

皆さんにシェアしたいのは、「合成の誤謬(ごびゅう)」です。アプリの機能を細分化してABテストしていけば、それぞれ統計的に正しいのかは判断できます。ただ、それぞれ個別には正しくても、組み上げた時に全体として良い状態になるかというと、必ずしもそうじゃないケースもあるということです。(中略)
単体ではうまくいっている一つの施策が、実は別の部分にマイナスの影響を与えているかもしれないってことは、企画の人間は常に俯瞰して感じ取れないといけないんですよ。

我ながら良いこと言ってる気がします(笑)

ということで、例を挙げればキリがないので、今日はここまでにしますが、何が言いたいかと言うと「副作用が起きることを前提にして、全体を俯瞰してつなげて見てみよう」ということです。

そうやって目の前の現象を俯瞰してみることで「皮肉な構造」を発見できると、書きたい事も見えてきますし、書こうとしている内容にも一段と深みが出てくるのではないでしょうか?

ではでは。読んで頂きありがとうございました。

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