【習作】白磁のアイアンメイデン 第1話「踏んでさし上げますわ」その7
嵐が、ベアトリスの拳から放たれた。薫風(クン・フー)奥義、獲麟(かくりん)。
―――竜が最期に目にしたものは、ブレスを真っ二つに裂きながら飛来する、巨大な黄金の拳であった。
【その6】
「…やりすぎましたわ」『やりすぎましたな』
戦闘態勢を解き、元の真っ赤なドレス姿に戻ったベアトリスと、再び人型に組み上がり、元の執事服を閃光とともに身にまとったアルフレッドは、ほぼ同時につぶやいた。
彼らの眼前に横たわるのは竜だったモノ――彼女らの技によって首から上を吹き飛ばされた、その残骸である。
「程々に痛めつけた後で、”忌み野の竜”の居所をお聞きするつもりでしたのに」
軽く腕組みをしながらそう呟くベアトリスの元へ、「掃除」を終え、全身返り血まみれになったフローレンスが歩み寄ってきた。【チチチチ】顔の光点を規則正しく光らせながら、ベアトリスに話し?かける。
「ああ、大丈夫よフローレンス。言うほど落ち込んではいませんもの」両の手のひらを胸の前で軽く打ち鳴らすベアトリス。
「次に期待しましょう。それよりも、流石に疲れましたわ。アルフレッド、美味しい紅茶を一杯いただけるかしら」『喜んで』
テキパキとお茶の準備を始めるアルフレッドに軽く微笑みを投げると、ベアトリスはヘリヤに顔を向けた。
「さて、魔術師殿。ご感想をいただけますか」
「見事なものだ。竜殺しの技、確かに見届けた」ヘリヤは素直に賞賛の言葉を口にする。
「ありがとうございます。真っ直ぐなお褒めの言葉」ベアトリスは両手を頬に当てた。
「少し照れてしまいますわ」
「他者を素直に評価できぬものに進歩はない…アカデミーの教えだ」ヘリヤは一瞬視線をそらす。わずかな間の後、再びベアトリスに向けられた瞳には、ある種の決意のようなものが宿っていた。
「”忌み野の竜”を、狩る、か」
「ええ、打ち倒して、平伏させて、最後に足で踏んでさし上げますわ」
踏むのか。
「その、竜の眠る場所は、わかるのか」「わかりません」あっさり答える。
「先程の竜人殿にお尋ねできればよかったのですが、生憎と首から上が吹っ飛んでしまいましたの」
吹っ飛ばしたの間違いだろう、そう言いたくなる気持ちを抑えながら、ヘリヤは再び問いかける。
「ではどうするのだ」「繰り返します」「繰り返す?」「ええ、話によると、”忌み野の竜”が従えるドラゴニュートは、先程の一体だけではないとのこと」
あんなものが、まだ何体かいるのか。ヘリヤの背筋を冷たい汗が流れる。
やはり―――
「ですので、片っ端から喧嘩をお売りします」「は?」
「先程のドラゴニュート、竜の姿を現した挙げ句、首から上が吹っ飛んでしまいましたでしょう?」吹っ飛ばした、だろう。
「そのときに起きた大きな魔力の発動と、唐突な消失。それを異変と感じないほど、彼のお仲間が鈍いとは思いません」
「異変を確かめに、ここにまた新たなドラゴニュート共がやってくる、と」
「ええ、そうしたら次こそは、死なない程度にうまく痛めつけたうえで、”忌み野の竜”の居場所を聞き出してみせますわ」言いながら両手を広げ、軽くターンするベアトリス。
「いい作戦でしょう?」
物騒な話を、夕餉の話題のように軽やかに語るものだ。思えば最初に出会ったとき、リザードマン共を蹴り殺していたときから、その「作戦」とやらは始まっていたのだろう。なんとまあ大雑把で迂遠な手段だ。うまくいく保証もない。…そこにつけ入る隙がある。
「その、”忌み野の竜”の眠る場所、掴んでいると言ったら?」「…それは本当ですか?」
よし、食いついたか。彼女と出会って、初めて自分が有利な立場に立てた手応えを感じつつ、ヘリヤは話を続ける。
「ああ、間違いなく掴んでいる。それで」「条件は何ですの?」「え、あ」
「その情報をご提供いただく代わりに、なにか提供しろとおっしゃるのでしょう?」
「あ、ああ」有利な立場が、早速端のほうから崩れつつあるようだ。いや、まだだ。彼女からしても、これは喉から手が出るほど欲しい情報のはずだ。
「単純なことだ。”忌み野の竜”のところまで、同行させてほしいのだ」
聞いたベアトリスは小首をかしげる
「まあ、なぜそんなことを…ああ、なるほど」左の手のひらに右の拳を打ち付ける。ぽん、と間の抜けた音が響いた。
「つまりわたくし達を、護衛にしたい、ということですか」
「…察しが早いな」
「”忌み野の竜”のところに何としても赴きたい。しかし、竜を護る手下どもを駆逐する手段を持たない。そこへ都合よく、竜殺しの技を持ち、”忌み野の竜”の眠る場所を探すわたくし達がやってきた。ならば自分の持っている情報を餌に同行を申し出て、道中の障害を全て排除させれば良いだろう、ということですわね?」
察しすぎだ。
しかし全くもってそのとおりであったので、ヘリヤは何も言えずに黙る他なかった。交換条件として、成立しているだろうか。有利な立場が、音を立てて崩れ始めたのを感じる。
だが――ヘリヤは弱気な考えを、首を振って振り払う。代わりに脳裏に浮かんできたのは、自分を嘲笑う、いくつもの影。吐き捨てるように誓った言葉。ここで引くわけには、いかない。なんとしても”忌み野の竜”の元へたどり着かねばならないのだ。
「たしかに私は、敵を暴力的に排除する手段は持たないし、持とうとも思わない。だが、自分で言うのもおこがましいが、わたしはアカデミーでは百年に一人の天才と呼ばれた男なのだ。攻撃呪文は知らずとも、その他のありとあらゆる魔術を行使してみせよう。その私の魔術が役に立つ局面も、きっとあるはずだ…頼む」「わかりましたわ」「ふえっ?」
思わず口から漏れた妙な音が自分の発したものだと気づいたヘリヤは、慌てて口元を手で抑える。
「たしかにおっしゃるとおり、魔術師殿のお力をお借りする場面が出てくるかもしれません」ベアトリスは、すっと右腕を前に出した。その中指に、彼女の瞳と同じ、アイス・ブルーに輝く石をはめ込んだ指輪がはめられていた。「ご一緒させていただきますわ。どうぞよろしくお願いいたします」
予想以上にあっさりと要求が通り、ヘリヤは軽く動揺してしまっていた。
「ああ、あ、ありがとう」「……」「ん? な、なんだ」
右手を差し出したまま、ベアトリスは軽く苦笑する。
「ご存じないのですね。帝都では、男性が女性の指輪に口づけをすることで、信頼の意を表すものなのですよ」「口づけ!?」声が軽く裏返る。
「指輪にですから、そう緊張なさらなくても」
「き、緊張などしていない、いないぞ。そうか、そうだったな。アカデミーに長いこといると、そういう機会から遠ざかってしまうのでな。つい忘れてしまっていたんだ」
妙な早口でそれだけ言うと、ヘリヤはベアトリスの右手を恐る恐る取り、不器用に口づけした。指輪の石が一瞬、不思議な光を放つように見えた。
「ありがとうございます、それでは」ベアトリスはすっと後ろに下がると、
「ベアトリス・スカーホワイトと申します。ヘリヤード様、改めて道中、どうか宜しくお願いいたしますわ」スカートを両手でつまみ、優雅極まるお辞儀をしてみせた。
「ああ、こちらこそ宜しく」一瞬、彼女に見とれてしまっていたことをごまかすように、あらぬ方向を見つつヘリヤも応じてみせたのだった。
―――舞い上がっていたヘリヤが、「ヘリヤード」という自らの真名を教えてなどいなかったことに気づくのは、もう少し後になってからのことである。
第1話 「踏んで差し上げますわ」 完 第2話へ続く