見出し画像

Shiny,Glory,Sunny Days #4 「迷走と決意」

【前回】   【目次】

「……なぜだ」
 寒風吹きすさぶ中山レース場の片隅で、俺は人知れず頭を抱えていた。
 メイクデビューを見事な勝利で飾ったサニーブライアン、いやサニーではあったが、その後のレースではどうにも勝ちきれず2連敗。
《ファーストグローブ、今一着でゴールイン! 2着はフラッシーダッシュ!》
 そしてたった今、俺の目の前で3敗目が確定した。これで今年の出走予定は終了。4戦1勝の戦績で年を越すことになってしまった。
 もちろん、1勝もできずに引退してしまうウマ娘も少なくないトゥインクル・シリーズで、デビュー戦だけでも勝利を得たということ自体は決して悪いことではない。
 だが、いかんせん俺たちはウマ娘たちの頂点、日本ダービーでの勝利を目標としている身なのだ。こんなところで足踏みしている訳にはいかないというのに。

「ううう。また負けてしまいました……」
 サニーが重い足取りで戻ってきた。慰めなければ、とは思うものの、例のごとく何を言っていいかわからない俺は黙り込んでしまう。
「トレーナーさん、わたし、どうすればいいんでしょう」
 小さい声で問いかけてくるサニーは、なんだか真夏の陽炎のように頼りなかった。
「……トレーニングだ。それしかない。勝つまでやるんだ」
「……そうですね。わかりました。がんばってみます」
 肩を落とすサニー。ろくな言葉を思いつけず、根性論に逃げてしまった俺も、合わせて肩を落とす。
 いったい、どうすればいいんだ。

「明日の大晦日、いっしょに初日の出を見ませんか!」
「……なに?」
 打開策を何も思いつかないまま今年のトレーニング予定を終え、最悪の年越しを迎えようとしていたとき、サニーがいきなりそんな提案をしてきた。
「唐突だな」
「す、すみません」
「しかし、なんでいきなり初日の出なんだ」
「ええと……その、気分転換といいますか……このままだと、なんというか、心が重いまま新年を迎えてしまいそうで、そういうの、なんだかイヤだなって……」
 ごにょごにょと話すサニーの言葉を聞きながら、俺はまた自分を責めていた。現状を打開するためにどうすればいいか、サニーなりに悩み抜いた上での答えが「初日の出を見て気持ちを切り替える」ことなのだろう。本来ならば、そういう提案は俺のほうからするべきだったのに。俺はまた、自分の不甲斐なさに打ちのめされそうになる。
 だが俺は、無理やり気持ちを切り替えた。俺が今すべきことは自己嫌悪に陥ることではない。そんなことをしてもサニーは勝てない。彼女のために何でもすると誓ったが、その中に自分を責めることは入っていない。
「……名案だ。喜んでつきあうよ」
「やった! ありがとうございます!」
「しかし、初日の出といってもどこで見るつもりなんだ。まさか、今から山登りってわけでもないんだろう?」
 俺が問いかけると、サニーは得意げな笑みを口元に浮かべ、ある場所を指さした。
「……なるほど、校舎の屋上か」
 文武両道を掲げるトレセン学園には、座学のための校舎が存在している。数百人のウマ娘の受け入れが可能であるそれは、大きさ、高さともに、人の学校と同等以上の規模であった。確かに、その屋上ならば初日の出を迎えるには申し分ないだろう。
「立ち入る許可を取ってくるよ。当日は夜明け前に、早朝トレーニングの名目で外出許可を取るといい」
「わかりました!」
「今日のトレーニングはこれで終了だ。クールダウンを忘れずにな」
「はい! ありがとうございます!」
 軽い足取りで離れていくサニー。そんなに嬉しいのだろうか。

「ひゃー!? さ……寒い!」
「冬だからな」
 屋上に通じるドアを開けたとたんに叩きつけられる寒風に、サニーが悲鳴を上げていた。高所を吹く風は、地上のそれとはまた一味違う。
「うう、寒いのは、苦手、です」
「大丈夫か……ほら、飲むといい。熱いから気をつけろ」
 水筒に準備していたコーヒーをサニーに手渡す。サニーはすぐに口を付け……今まで見せたことのないような表情になった。
「ニ……ニガイ……ニガイノモ……ニガテデス……」
 しまった。ミルクも砂糖も自分で飲むときは使わないものだから、準備するのを完全に忘れていた。
「だ、大丈夫か……?」
「ダイジョブ……ダイジョブデスヨ……ヘーキヘーキ」
 なんだその話し方は。
「すまん……今度から気を付けるよ」
 なぜか学園の備品としてあったアウトドア用のヒーターのスイッチを入れ、その周りにこれまたアウトドアスタイルの椅子を備え付ける。
 ヒーターの温かさのおかげで、サニーの顔にも元気が戻ってきたように見えた。ちびちびとコーヒーを飲んでは「ニガイ……」と口に出すのを繰り返している。
 空の底が少しずつ赤み始めてきていた。夜明けまであと1時間ほどか。

 それにしても、初日の出、か。拝むのはいつ以来だろうか。子供のころ、親父に無理やり登らされた山の上から見たっきりか。登ってる最中はずいぶん親父を恨んだものだ。それも、昇る太陽、その輝きを見た瞬間に全部吹っ飛んでしまったが。
「……トレーナーさん、ありがとうございます」
「どうした急に」
 サニーがいきなり語りかけてきた。普段は見せない神妙な顔つきに、俺は少しだけ慌ててしまう。
「実はトレーナーさんにお願いするの、結構悩んだんです。何を言ってるんだ、そんなことしている暇があったらトレーニングしろ、ってバカにされるかもなんて思ってました」
「バカになんてしない」
「……そう、ですよね。トレーナーさんはそんなことを言う人じゃないと思います」
 そこまで話すと、サニーは急に黙り込んだ。
 ……静かなのは好きだが、過ぎると居心地を悪くする。かと言って、俺には場の空気を和らげるような、気の利いたことを言ってあげられる会話スキルは備わっていない。
 くそ、そんなこと言ってる場合か。俺は持てる会話力の全てを振り絞る。
「太陽、好きなのか。サニーだけに」
 ……出てきたのがこの言葉だったので、俺は腹でも切ろうかと思った。
「そうなんです!」
 だが、予想外にサニーが食いついてきた。
「わたし、小さい頃にお父さんに無理やり山へ連れて行かれたことがあるんですよ」
 なんだか、どこかで聞いた話だ。
「そのとき見た朝日が、本当にきれいで……すごく感動していたわたしに、お父さんが言ってくれたんです。サニー、お前もあの太陽みたいに、みんなを暖かく照らすような子になれるといいね、って」
 そう言うと、サニーは下を向いてしまう。垂れた前髪に瞳が隠される。
「そのときから、わたしの夢は『太陽みたいなウマ娘』になりました。でもどうすればなれるのか、さっぱりわからなかったんです。そんなとき、テレビでトゥィンクル・シリーズを……日本ダービーを見たんです」
 サニーはそこで話を一旦切ると、コーヒーに口をつけた。
「すごいレースでした。6バ身離して勝った1着の子も強かったし、2着の子も……確か、20番人気くらいで全然注目されていなかったのに、ものすごい粘りで……なんて名前の子だったかな……」
 待て。
 ちょっと待ってくれ。今、なんて言った?
「わたしはとても感動して……そのとき思ったんです。わたしもレースに出て、そして勝ちたい。勝って、みんなに感動を与えられるようなウマ娘になりたいって……それがわたしの目指す『太陽』だって思ったんです……トレーナーさん、どうしました?」
 目を閉じてうつむく俺を見て、サニーが心配そうに尋ねてくる。俺は深く息を吐くと、唇をなめた。
「サニー」
「はい?」
「そのダービー、見たのは十年前か」
「え? ええと……そうだと、思います」
 そうか。そうなのか。
「サニー。そのときの2着の子な……『ルナスワロー』って名前じゃなかったか?」
「あ! そうです、たしかそんな名前でした……あの、トレーナーさん、どうしてわかったんですか?」
 俺は天を仰ぐ。俺の耳に、懐かしい実況の声が聞こえてきた。

――そして2着にはルナスワロー!

「その子な、俺の担当ウマ娘だったんだ」
「え、本当ですか!」
「ああ、あのダービーは忘れられないレースだ。ルナスワローは本当に最高の走りをしてくれた」
 ルナスワローの顔を思い浮かべる。そういえば少しだけ、サニーに似ていたかもしれない。
「だけど届かなかった。彼女もそこで燃え尽きてしまったのか、結局そのあと一度も勝てなかった……」
 俺はもう一度うつむき、深く息を吐きだす。
「それから十年、俺は一度も担当の子をダービーに、いや、ダービーどころかGⅠに送り込むことさえできないままだ」
 握りしめたこぶしに、力が入っていくのがわかった。
「俺は……」

「じゃあ、十年越しのリベンジですね!」
 俺が顔を上げると、腕組みをしたサニーがふんぞり返るように立ち上がっていた。あまり迫力はなかったが。
「サニー」
「トレーナーさん! わたし、たった今決めました!」
「な、なにを」
「わたし、三冠ウマ娘になります!」

 ……は?

 脳がフリーズした俺に、サニーは勢いよく語りかけてくる。
「まずは皐月賞! そしてもちろんダービー! それから最後に菊花賞! 全部勝ちます! 勝って、十年分のトレーナーさんの思い、全て晴らして見せます! 決めました、わたし!」
「な、なんで」
「トレーナーさんが、わたしの道を照らしてくれたからです」
 風が吹く。サニーの前髪が揺れ、輝く金の瞳が表れた。そんな彼女の背後から、紅く燃える太陽が昇ろうとしていた。
「そのおかげでわたしは、今こうしてトゥインクル・シリーズで走れています。あのときトレーナーさんがわたしに声をかけてくれなければ、わたしは今頃、デビューさえしていなかったかもしれません。勝ちを夢見ることすらできなかったかもしれないんです」
 日が昇る。サニーの輪郭が紅く染まっていく。
「だからわたしは勝ちます……ダービー、必ず勝ってみせます。でも、それじゃ足りません。わたしがトレーナーさんにもらったものには、全然足らないんです。だから」
 日が昇る。雄大な太陽を背に受けて立つサニー。サニーブライアン。
「わたしは、三冠ウマ娘になります」

 俺はまたまた息を深く吐いた。どうやら呼吸を忘れていたらしい。
「……なろうと思って、なれるもんじゃない」
「もちろんです! だからがんばります、限界まで、目一杯、力の限りがんばります! トレーナーさん、今年もご指導よろしくおねがいします!」
 逆光で陰となったサニーのシルエット。だが目が、金の瞳だけが、爛々と輝きを増していく。ああ、この子は本気だ。本気で三冠ウマ娘になるつもりなのだ。
 俺は立ち上がりながら、俺の中でこだまする声をひとつずつ消していく。「がんばったから勝てるってもんじゃない」「無理に決まっている」「あきらめろ」「笑わせるな」「お前にはできない」……。
 全て消したところに残っていた言葉を、サニーに向けて投げかける。
「わかった。まずは皐月賞を目指すぞ。すこし無理をするが……ついてこれるな?」
「……望むところです!」
 夜の底に沈んでいた太陽が、遙か高みへと昇ろうとしていた。やるぞ、俺は彼女を、サニーを、あの高みまで押し上げてみせる。
 そのためなら、なんだってやってやる。俺は昇る太陽に向けて、改めてそう誓った。

【続く】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ