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汝、かにばること無かれ

初めて「人を食べてみたい」と思ったのは、確か6歳のときだった。父と遊んでいたときのことだ。

何をして遊んでいたかは、あまり覚えていない。覚えているのはひどく楽しかった記憶と、父への愛情と、目の前にあった父の手が、とても美味しそうに見えたことだけだ。

目一杯体を動かして空腹だった僕は、目の前にあったその「美味しそうなもの」に思わずかぶりついてしまった。

口の中に広がった、父の血、父の肉の味。きっと一生忘れないと思った。その後に響いた、父の情けない悲鳴も。

そのとき僕は、3つのことを学んだ。1つ、どうやら僕は、他人への愛情とその人への「食欲」がリンクしているらしいということ。2つ、しかし「人を食べる」ということは、どうやら社会的には許されざる行為だということ(後で父には死ぬほど怒られた)。

そして3つ、人の血肉は「この世の何よりも美味しい」ということだ。

以来、僕はなるべく他人に関わらないように生きてきた。幸い僕は、他人を不快にさせない程度のコミュニケーション能力と、人並の学力と、一般人レベルの運動能力と、パッとしない容姿とを備えていた。

それだけのものがあれば、親友や恋人というものを作らず、学校という閉鎖社会でひっそりと生きていくことはそんなに難しいことではない、と思う。

正直、ひどく飢えることもあった。そういうときは、「別のもの」を食べて飢えを誤魔化していた。

そういう生活は、ある時期までは上手く行っていたと思う。あの時、彼女に会うまでは。

秀島キッカ。高2の2学期、席替えでたまたま隣になったそいつは、まさに「たまたま席が隣になった」というだけの理由で僕に積極的に絡んでくるようになった。

いや、後で聞くと「それもあったけど、新藤クン、なんかいつもぼっちでカワイソーだと思ったからだよ!」というのもあったそうだ。余計なお世話だまったく。

ともかく、人との関わり合いを避けてきた僕にとってはウザいことこの上ない相手だった。スルー安定、テキトーに相手して、それでおしまい。そう思っていた。

だけど秀島は……キッカは、そんなに甘い女じゃなかった。とにかく押しが、圧が強い。こちらが相手をしようがしまいが、グイグイやってきた。スルーしようがお構いなし。ほんの少しでも相手しようものなら、餌に食いついたサメのごとくこちらを離さなかった。

冷静に振り返ってみると、「ウザいやつ」以外の感想が思い浮かばないはずだ。なのに気づいたときには、彼女に対する気持ちが嫌悪から好意に変わってしまっていた。

結局、「飢えて」いたんだと思う。他人とのつながりに。そして文字どおりの意味で。

僕らは付き合い始めた(告白したのがどちらからだったか、はっきり覚えていない。たぶん僕からだったんじゃないだろうか)。

いろいろなことを話し(9割はキッカから僕への話だったが)、いろいろな場所に行き(9割はキッカの提案だったが)、そんな毎日を過ごしていくうちに、僕の中のキッカへの思いはどうしようもなく膨れ上がっていった。

もちろん、それに伴うもう一つの感情とともに。

彼女を食べたい。食べてしまいたい。ほっそりとした腕を。赤い唇を。柔らかい胸を。輝く瞳を。何もかもを。

僕はその気持ちを必死で抑え込んでいた。だけど、そういうものは大抵の場合、抑え込めば抑え込むほど膨れ上がっていくものだ。そして限界まで膨れ上がった風船のような気持ちは、ちょっとした一刺しで、パチンと弾け飛ぶ。

パチンといったのは忘れもしない、高3の夏。

いつもよりも暑い夏だった。空調の効いた図書館で受験勉強をしようという話になり(もちろん、キッカの提案だ)、午後いっぱいをそれに費やした僕らはお互いヘトヘトに疲れ果てていた。

だからだろうか。僕は「ここからすぐ近くだし、僕の家に来ないか。飲み物ぐらい出すよ」と言ってしまった。

キッカは目を丸くして驚くと、ブンブンという音が聞こえそうな勢いで何度もうなずき、そして最後に微笑んだ。僕の大好きな、あの笑顔で。

それを見た僕は……僕は、なんだろう、とても一言では言い表せない気持ちになったことだけは覚えている。

父は仕事で家にいなかった。母はそもそもいない。部屋に二人きり。大好きな、大好きな女の子と。

キッカを部屋に案内し、麦茶を用意する。手が震えていたのが分かった。部屋に戻ると、キッカは僕のベッドの下を漁っていた。「おっかしいなあ、あるって聞いたのに」

短いスカートから下着が見えていた。薄い水色だった。僕の理性がもったのはそこまでだった。

僕はキッカを抱き寄せると、真っ直ぐに彼女の目を見て言った。

「君を食べたい」

キッカは耳まで真っ赤になると、小さく、こくんとうなずいた。

僕らは強く抱き合った。僕は、目の前にあった、彼女の、白い、首筋に、

歯を


「待てい!」

そのときである! 僕の背後、部屋の隅の影から鋭い声が聞こえたのは!

「ならぬぞ少年! 君は餓鬼の魂に囚われておる!」

「そ、その声は……服部半蔵さん!?

「然り!」

半蔵さんは跳躍、空中三回転を決めると僕の目の前に立つ!

「その汚れた魂、拙者が払ってしんぜよう! 臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! ぜええん! 喝!!!

半蔵さんが切った九字の軌跡が眩い光を放つ! その光をまともに浴びた僕の体内から、黒く汚れた何者かの影が、苦しみに身を捩りながら出現した!

「ギエエエエエエエエ!!!!」

「餓鬼よ、去れ! 喝、喝、カアアアアアアアアッツ!!!

「ギエエエエエエエエエ……」

影は忍光をまともに浴びて、煙のように消失! 後には何も残らなかった。

「は、半蔵さん! ありがとうございます」

「うむ、社会的倫理的にあぶないところであったな少年。だがもう大丈夫だ。では続きを楽しむが良い! さらば!」

こうして、僕は自分の恐るべき性癖を克服することができたのです。これというのも全て、服部半蔵さんのおかげです。その後、五年間の交際を経てキッカとゴールイン、二人の子供にも恵まれ充実した毎日を送っています。

半蔵さんありがとう。僕は今、幸せです!

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※この作品は、下記の企画に賛同して書かれたものです。あなたもしよう。


そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ