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紅剣鬼 四

承前   目次

<前回までのあらすじ>
 武芸集団『美留禰子(みるねこ)流』。その次期師範代と目されていた男、「暁月(あかつき)」が、突如流派の総帥を斬り殺した上、宝刀を持ち出し出奔するという事件が起こる。宝刀と流派の名誉を取り戻すべく、少女剣士「東雲(しののめ)」を含む精鋭五人――剛刀の残雪(ざんせつ)、無剣の竜胆(りんどう)、旋風の野分(のわき)、電光の飯綱(いづな)が追手となって「暁月」を追う。
 暁月を追う途上で立ち寄った宿場町。そこでは住人が暁月によりひとり残らず惨殺されていた。山と積まれた死体の中から、ただ一人の生き残りである少女を救い出す一同。だが、少女が助けを求める声を発した途端、少女の体が閃光と共に爆ぜた。

 黙って爆発に巻き込まれる程、彼らは愚図ではない。刹那の認識よりなお早く、それぞれが安全圏に脱していた。

 爆心の、野分(のわき)以外は。

 立ち込めていた煙が晴れる。赤黒い欠片に塗(まみ)れながら四人が見たものは、半分程吹き飛んだ死骸の山と、半分程吹き飛んだ野分の死骸だった。

◇ ◇ ◇ ◇

「――札だ。符術のものだな」「フダ?」

 残雪(ざんせつ)が焼けた小紙片を摘み上げながら言った。

「都の陰陽師どもが良く使うものだ。札に術式を込めておき、ここぞという時に発動させる。単に発動させるだけなら術の覚えなどいらぬ。それ故、裏の仕事に携わる者共が良く用いておる」

 残雪はすりこぎのような指に力を込める。指先で紙片が塵と化し、風に消えていく。

「おそらく娘の懐にでも隠してあったのだろう。罠としてはありふれたものだが、罠として使うには一つ条件がある」
「なんだい」
「札はひとりでに発動することはない――つまりは」
「何処かで様子を眺めてやがる、ってことかい」

 その言葉を耳にした瞬間、それまで呆然と立ち尽くしていた飯綱(いづな)の目に仄暗い火花が宿った。

「出て来い暁月っ!」
 朱塗りの十文字槍を振り回しながら、電光の飯綱は吠える。

「貴様何処に潜んでおるか! 遠くから我らを嘲笑っておるのか! 姿を見せよ! 惰弱な、臆病者のネズミめがあっ!」

 悲痛な叫びが死の町に響き渡る。
 ――応えるものは、生臭き血風のみであった。

「……無駄であろうな。符術の中には、人や物を瞬時に別の場所に飛ばしてしまうものも在ると聞く」
「とうにそいつで逃げられた、ってわけだ。便利なもんだねえ」
竜胆が呆れ顔で応える。
「恐らくは、な。それにしても……」

残雪は太い指を太い顎に当て、思案顔を作る。

「不可解、なり」
「……何がだい」
「死体の斬られ様から見ても、暁月の奴めが確たる意志を持ってこれを為したのは間違いない。だが、あの男は紛うことなき剣狂い。剣の道を極めること、己の技を磨くことが全ての男だ」

竜胆と東雲が、そろって苦笑を顔に浮かべる。在りし日の暁月を思い出したのだ。

「皆殺しはまだしも、だ。その暁月めが、符術に頼り姑息な罠を仕掛けた……全くもって”らしくない”」
「じゃあなにかい? 暁月の野郎は狂っちまったんじゃあ無くて……そうか、呪い師共に操られている、ってことも有り得るのかい」
「うむ。まあ、無くはないという程度だがな」
「いえ、無いと思います」

ぼそりと、呟く声。
声を発した少女は、屈強な二人からの視線に射すくめられ、途端にあたふたとしだす。

「なぜだ、東雲」
「あ、いや、えっと、その……」
「構わないから言ってご覧よ」
「いや……その、めちゃくちゃなんですが……」

竜胆は、言い淀む東雲を複雑な気分になりながら眺める。巣から転がり落ちた雛鳥のようにすら見えるこの弱々しい生き物は、だが一度刀を握れば、並の武芸者では及びもつかぬ腕前を見せるのだ。

それこそ、我々四名に同行を認めさせる程の――そして、全てを捨てて技を磨き上げた自分に、匹敵する程の。

竜胆は我知らず、奥の歯を噛み締めた。

「ええと、理由はですね、残雪さんの仰ったことと同じです」
「何?」
「あの……あの、<暁月さんらしくないから>です」
「……」
「す、すみません! 訳がわかりませんよね! すみません!」
「いや...…<暁月らしくないから>……か」
残雪は目を閉じ、深くうなずく。

――暁月だから。あの暁月だからこそ、咒(まじな)い師如きの傀儡に成りさがるなど、万に一つもありえない。

無論、全く理由にもならぬ理由である。しかし何故か、その物言いには妙な説得力があった。

つまるところ、彼らにとって暁月とはそういう男だったのである。

◇ ◇ ◇ ◇

飯綱の慟哭が止んだのは、それから程無くのことであった。

「……気は済んだかい?」
「ああ……すまぬ姐御。怒りに我を忘れてしまうなど、武芸者失格だな。野分に笑われてしまうわ」

肩で息をしながら飯綱はそう言い、薄い笑みを浮かべる。「情け無い」

「……人としては正しいよ。アンタと野分は餓鬼の頃から同じ釜の飯を食ってきた仲じゃあないか」
「……正に、正にだ姐御。その、その仲間を、同じ釜の飯を食った仲間を、き、彼奴(きゃつ)は、小賢しくも呪(まじな)いで吹き飛ばしたのだ! 剣を交えることもなく……」
「飯綱」
「いや――すまない姉御。わかっている、わかっているよ」

飯綱の口元には薄い笑みが張り付いたまま、だが瞳には永久(とわ)に消えぬ炎が揺らめいていた。報仇の炎――憎き仇の血をもってしか、消せぬ炎だ。

「やれやれ、その言い草、殺し合わんばかりにいがみ合っていた相手のこととは思えないね」
「ふん、あ奴には……野分には、負けるわけにはいかなかっただけのこと」

――そうだ。

美留禰子流の門人となった日も同じならば、みなし児という出自も同じ。実に気に食わぬが、兄弟同然の存在だったと言えよう。なればこそ、奴には、奴にだけは、負けるわけにはいかなかった――否。

ただただ、奴には負けたくはなかったのだ。そしてそれは、野分の奴めも同じだったはず。

そんな男を、俺に断りもなく吹き飛ばしおった……そんな輩を、赦して置けるはずがなかろう?

飯綱の口元が、更に歪んでいく。暁月――許すまじ。

「……都に赴くべきだな」
残雪が唐突に口を開いた。

「都? いきなりなんだい」
「先刻も告げたとおり、これは都の陰陽師共の仕業。そやつらしか仕込めぬ秘術と言って良い。なれば、暁月もそやつらと連なっておるとみて間違いなかろう」

残雪は遠くを――都の方角を眺めながら言う。

「幸い、陰陽師には個人的な伝手(つて)がある。そこから当たってみるとしよう」
「……まあ、他に当てはないしね。あたしは賛成だよ」
「わかりました」
「……奴を討つためならば、地の果てへでも」
「決まったな」

残雪は皆の方を振り向き、僅かに口角を上げて言った。
「とはいえ、今すぐ立つ必要もない……今日はここで休むとしよう。幸い、寝る場所は山ほどあるからな」

◇ ◇ ◇ ◇

同日、夜。都は祭りの熱狂の中にあった。

新しい帝の誕生を祝う祝祭は今日より七日の間、絶えることなく執り行われる。その初日の終わりを告げる無数の花火が、都の夜空を美しく彩っていた。大輪の華が咲くたびに、通りに詰めかけた人々から歓声が上がる。

その都の片隅で、静かに情交を結ぶ男女の姿があった。

女の白い首筋に舌を這わせつつ、男は動きを徐々に早めていく。そのたびに、女の口から艶めかしい声があがる。

やがて女は、その夜何度目かの高みに達する。少し遅れて男も果て、女の中に種を注ぎ込んだ。

二人は余韻に浸るようにしばし抱き合っていた。そのうち男が立ち上がり、暗い部屋の窓から探るように外を眺める。

女のほうも軽く体を起こすと、外を見る男の背をつくづく眺めた。

鍛え上げられたその背中は、武芸のことなど微塵も分からぬ女ですら見惚れさせるほどのものであった。真っ赤な髪の色と相まって、高名な画師の描いた逸品であるかのようにすら覚えた。

男は暫く黙って外を眺めていたが、不意に女に優しく――少なくとも、女にはそう感じられる声で――語りかけた。
「お前の札、随分と役に立ってくれた。改めて礼を言っておく」
「まあ、いややわ暁月はん。そんな他人行儀な。うちとあんたの仲やないの」

男は外を眺めたまま、女の言葉には応えない。そのままわずかな時間が流れた。花火の最後の一発が、派手に夜空に光り散っていく。

「……手掛かりは残してきた。残雪ならば、それに気づくだろう。気づいたならばおそらく都を――お前を訪ねて来るに違いない」
「あらあら、残雪はん? また懐かしいお名前やねえ」

女はするりと立ち上がり、男の――暁月の背に後ろから抱きついた。前に回した両の手で、鋼のような胸板を弄り始める。

「どないしょましょ……うち、残雪はんと逢うたら、焼けぼっくいに火がついてしまうかもしれへんわあ」
背中に唇を押し付けつつ、からかうような口調で女は囁く。

「そしたら暁月はん、妬いてくれますのん?」
「さあな」
「あら、いけず」

暁月は背にしなだれかかってくる女の存在を心から消し去りつつ、追手たちのことに心を馳せ始めた。

ここまでは、狙い通りに事が進んでいる。追手は五人。いやもう四人か。どちらにせよ事前に予測した顔ぶれであった。いずれも美留禰子流が誇る強者たちであり……

己が剣の高みに昇り詰めるための、贄となる連中だ。

暁月は笑みを浮かべ、もはや華やぎの失せた夜空を眺めていた。半端な高さの位置に、白い半月が静かに浮かんでいた。

【続く】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ