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Shiny,Glory,Sunny Days #2 「出会い②」

【前回】  【目次

「へえ、聞いたことない子だな。その子がお前さんのイチオシってわけか」
「い、いえ。そういうわけでは」
 俺は慌てて否定する。イチオシどころか、今の今まで名前すら知らなかった子だ。
 サニーブライアンの各データを見てみた。トレーニング時のタイムは悪くない……が、決して突出していいというわけでもない。記載されている情報を隅から隅まで確かめてみたが、やはりどこまでいっても平凡なウマ娘としか言えなかった。
「おい、レースが始まっちまうぞ」
 師匠の言葉で我に返ると、俺はスタート地点に目を凝らした。スターティングゲートにおさまったサニーブライアンは、遠目には落ち着いて見える。
 心地よい音とともにゲートが開く。スタートだ。
 サニーブライアンのスタートは、正直あまり上手くはなかった。不器用なタイプなのだろうか。8人中、5番手ほどの位置につける。長いポニーテールを後方へとなびかせながら走る。美しく、かつ力強いフォーム。悪くない走りだ。
 いや、違う。
 確かに悪くはないが、どうも窮屈そうに走っているような感じを受ける。たぶん、位置取りが良くないのだ。あのフォーム、あの走りならば――。
 レースは終盤戦。ウマ娘たちが最終コーナーを曲がり、直線へと入ってくる。サニーブライアンは周りを囲まれ、身動きができない様子だ。ああ、やっぱり。彼女はおそらく、一瞬の切れ味で勝負するようなタイプではない。あんな後方からでは、決して先頭には届かないだろう。
 ウマ娘たちが最終直線を駆け抜けていく。サニーブライアンは他の子達に囲まれて懸命に、もがくように走っている。表情が歪む。
 だが、その目は、金色の瞳だけは、決して力を、光を失っていなかった。
 ああ、なんて目をして走るんだ。
 あの目の輝きは意志の表れだ。苦しい状況の中、決して勝ちを諦めない意志の炎だ。だがおそらく、今の走りでは勝てないだろう。なんだかひどくもどかしかった。誰かが、彼女にひとこと言ってあげるだけでいいのに。そうすれば彼女は――。
 誰かが?
 心臓が、ドクンとひとつ音を立てた。

 先頭の子がゴール板を駆け抜けた。続けて2着、3着の子たち。サニーブライアンは、結局6着でのゴールとなった。
「お前さんご贔屓の子は6着か。悪くない走りだが……」
 師匠はその先を言わなかったが、言いたいことはわかる。俺が気づいたことを、師匠が気づかないはずがない。
 そうだ。誰かが、誰かが彼女を導いてあげなければならない。では誰が、それをやる?
 俺は目をつぶり、ゆっくりと三つ数えた。脳裏に浮かんでくるのは、何人ものウマ娘の姿。俺が勝たせられなかった、泣かせてしまった子たちの姿だ。心音が高まる。
「おい、どうすんだ」
 俺は答えず、もういちど三つ数えた。自分の心に問いかける。
 お前は、どうしたいんだ?
 心音がおさまってくる。どうしたいか? そんなものは決まっている。
「……行ってきます」
 師匠の「そうか、がんばれよ」という声を背に受けながら、俺は駆け出した。サニーブライアンはレース終了後、こつぜんと姿を消していた。まずは彼女を探し出し、ひとこと伝えてあげなければ。
 その後は? 伝えてその後、俺はどうするんだ。
 その問いの答えは思いつかなかった。

 トレセン学園は広い。それはもう、半端なく広い。
 ここには、ウマ娘たちに必要な施設が全て揃っている。本番同様のレース場、各種練習施設、寮から食堂からライブ用のステージにいたるまで、必要なもの全てだ。反面、人探しをする場所としてはこれ以上難しいところもないだろう。まして探す手がかりもないと来ては。
 考えろ俺。なにかヒントはないか。

 そうだ。あの瞳だ。なによりも強い印象を与えた金色の目。勝ちたい、誰よりも速く走りたいという意思を秘めた太陽の瞳。

 そんな思いを秘めたウマ娘が、模擬レースとはいえ全くいいところ無く負けてしまった。その場合どうするか。
 ひらめくものがあった。幸い、その場所はここから離れていない。俺は疲労を感じる足に鞭打って再び走り始めた。

 トレセン学園、中庭。ここにある学園名物が目的地だ。
 俺が中庭にたどり着いたとき、その学園名物――中が空洞になっている大きな切り株である。この切り株の穴は、日夜ウマ娘や学園職員たちが様々な思いを込めて喚き散らす、一種のストレス解消スポットになっているのだ――の前には、穴の縁に手をかけている一人のウマ娘がいた。彼女だろうか。
「――悔しい!」
 ウマ娘が、穴に向かって叫んだ。
「また、また勝てなかった! あんなに練習したのにどうして、どうして勝てないの!」
 体操服姿。体格は同じくらい。だがポニーテールではない。彼女の後ろに立っているせいで、顔は見えなかった。頼む、こっちを向いてくれ。目だ。目を見れば、彼女かどうかすぐに分かる。
「?」
 俺の気配に気づいたのか、彼女がこちらを振り向いた
 ……嘘だろ。
 彼女の顔は長い前髪に覆われて、俺からは鼻と口元だけしか見えなかった。
「わわわ、いつの間に後ろにいたんですか!?」
 柔らかな声だ。レース場でたった一言しか聞けなかった声と同じかどうかは、正直わからない。
 俺は疲労と落胆で、膝に手を付き下を向いてしまう。
「えっと……具合が悪そうですけれど、大丈夫ですか? 誰か人を呼びましょうか?」
 彼女が駆け寄ってくる。必要ないと言おうとして、俺は顔を上げた。
 風が吹いた。彼女の髪を揺らす。
 金色の瞳――雲間から覗く太陽のような瞳が、そこにはあった。
「きゃっ!?」
 俺は彼女の、サニーブライアンの両肩を掴んでいた。
「な、何をするんですか!?」
「……逃げるんだ」
「……え?」
 俺はサニーブライアンの瞳を覗き込みながら、頭の中で必死に言葉を探していた。
「い、言われなくても逃げます! だから離してください!」
「君のレースを見ていた」
「離して……え? わたしの……レースを?」
「ああ。あれじゃ勝てない」
 俺の言葉を聞いた途端、彼女の目が曇る。
「勝てない……やっぱりそうなんですね……やっぱりわたしなんかじゃ……」
「違う」
 違う、違うんだ。自分を卑下する必要なんてないんだ。
「君は勝てる」
「え……でも、さっきは『勝てない』って……」
「違う」
 サニーブライアンが首をひねる。頭の上にたくさんの疑問符が浮かび上がっているようだ。くそ、もどかしい。
「違う。『今のままじゃ』勝てないんだ」
「……どういうことですか」
「さっきのレース。君はスタートに失敗した」
「……その、とおりです」
「あそこから勝つためには、バ群を抜け出す圧倒的なパワーか、切れ味鋭い末脚が必要だ」
「そうですね……だけど」
「そのどちらも、君には備わってない」
 俺の言葉に、今度はサニーブライアンが下を向いてしまう。金の瞳が髪で隠れる。
「……そのとおりです。わたし、スタートが下手くそで、レースではどうしてもあんな位置取りになっちゃうんです。だからいつも、いつも勝てないんです……どうしても……勝てない……勝ちたいのに……」
 サニーブライアンの声が小さくなっていく。違う違う違う、違うんだ。
「勝てる!」
「ひゃあ!?」
 俺の出した大声に、彼女の体がビクリと震えた。ああまったく、何をやっているんだ俺は。
「勝つために、逃げるんだ」
「わわわ……え?」
「多少スタートに失敗しても構わないから、全速力で先頭ハナを奪うんだ」
「全速力で……ハナを……」
「そうだ」
 彼女が俺の目を見つめてくる。俺も彼女の目を見つめ返す。
「逃げの戦法なんて、今まで一度も試したことありません。本当に、本当にそれで、私は勝てるんですか」
「勝てる」
「どうして、そう言い切れるんですか」
「さっきのレース、君の走りを見てわかった」
「……なにがですか!?」
 くそ、本当にもどかしい。俺は自分のとぼしい会話能力を、限界まで振り絞ろうとする。
「確かに、君にはパワーも、切れる脚もない」
「……」
「だが、いい脚を長く使えるスタミナと根性がある」
 その言葉を聞いたとたん、彼女の目がパッと輝いた……ように見えた。
「本当……ですか?」
「本当だ。君の走りを見て、すぐにわかった。だから逃げるんだ」
 彼女に必死に訴える俺の頭の中で、もうひとりの俺がからかうような声をかけてくる。おいおい、さっきから偉そうにアドバイスなんぞしちゃあいるが、お前さん自分がどういうやつか忘れちまったのか? ついさっき、師匠になんて答えたんだったっけ? そんなやつが、トレーナー面してアドバイスとはねえ。
「逃げれば、わたしは勝てるんですか」
 俺は頭の中の声を振り払うと、力を込めてうなずいた。
「勝てる。信じてくれ」
 彼女は、俺から目をそらさない。まるでその金の瞳で、俺の心の中を透かしてみているようだった。
「……わかりました」
「え」
「あなたを信じます。次のレースでは、スタートから先頭に立ってみせます」
「そうか……」
 全身の力が抜けるのを感じた。半年分は一気に喋ってしまった気がする。俺はそこで初めて、彼女の肩を掴んだままだったことに気づいた。慌てて手を話す。
「アドバイスありがとうございました。ええと……それはそうと、どちらさまでしたでしょうか?」
「あ!」
 俺はポケットからヨレヨレの名刺を取り出し、彼女に差し出した。
「トレーナーさん……だったんですね」
「一応ね」
「そうか……トレーナーさんか……」
 まずい。胸の中に、危険信号が灯る。
「あの……もし、もしよければ、私とトレーナー契約を」
「すまない。それはできない」
 彼女のお願いをさえぎるように、俺は答えた。
「え……」
「本当にすまない。だがそれは、それだけはできないんだ」
「あの、どうして。どうしてですか」
 そうだ。どうして俺は断ったんだ。せっかく向こうからトレーナー契約を結びたいと言ってくれているのに。こんな機会、二度とないかもしれないjじゃないか。

 ――また、泣かせてしまうかもしれないな。
 もう一人の俺が、そう囁いてきた。

「俺は、トレーナー失格の男なんだ」
「トレーナー……失格……」
「そうだ。俺は、本当は君にアドバイスなんてするべきじゃなかった」
「そんな」
 俺は再び下を向いた。
「そうだ。俺は失格だ。失格なんだ」
 自分の担当を勝たせられないやつが、トレーナーなんて名乗ってはいけない。自分で言いながら情けなくなってくる。担当を勝たせられない、トレーナー失格の男。最低だ。ああ、俺はやはり、ここへ来るべきではなかったのかもしれない。
「……そんなことは、ないです」
「……え?」
 その言葉に、俺は顔を上げて、サニーブライアンの顔を見た。前髪の隙間から覗く金の瞳が、まっすぐ俺を見つめていた。俺は突然気づく。さっきから彼女は、一時も目をそらしはしなかったのだということに。
「そんなことはありません。くわしい事情は知りませんが、あなたは立派なトレーナーさんだと思います」
「どうして」
「理由ですか? 実はよくわかりません」
 にっこり笑いながら、彼女はそう言った。あぶなくギャグ漫画のようにずっこけるところだった。
「わかりませんが、これだけはわかります。私は次のレースで逃げて先頭に立ち、そして必ず勝ちます」
「それは」
「そうです。あなたのアドバイスのおかげで、私は初勝利を上げるのです」
 彼女の瞳が輝きを増していく。ちょうどそのとき、空を覆っていた雲が晴れ、陽の光が指してきたからだ……いや、本当に、本当にそれだけか?
「……なんで、そう言い切れるんだ」
「わたしが、あなたを信じたからです。必ず勝つと言ってくれた、あなたの言葉を」
 ――人生には、一生忘れられない瞬間というものが何度かあるものだ。その何度めかの瞬間が、まさにこのときだった。
「お願いします。私のトレーナーになってください。そして私を、あなたが必ず勝つと言ってくれたわたしを信じて、わたしを……勝たせてください」
 俺はそのとき、俺が他ならぬトレーナーであるということを改めて実感していた。そしてトレーナーであるならば、自分を信じると言ってくれる子になんと答えるべきか、そんなものは決まっているのだ。
「わかった。君と契約しよう。よろしく頼む……サニーブライアン」
「はい!」

【続く】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ