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Shiny,Glory,Sunny Days #1 「出会い①」

【目次】


「ダービーも逃げて勝つ」

君がそう言ったとき、周囲の人間は君の言葉を笑い飛ばした。

まぐれだ、フロックだ。君を嘲笑う者は数知れず。

だが君は動じなかった。なぜなら、自らの力を信じていたから。

最後の直線。追いすがるライバルを置き去りにして、君は輝く光となった。

その太陽の名は、サニーブライアン。

青空の下、君の名を呼ぶ大観衆に応える姿は、まさに地上の太陽だった。


URA制作CM「ダービーウマ娘の系譜」より

「お前、そろそろ潮時なんじゃねえか」

 久しぶりに顔を合わせた師匠から開口一番そう言われたとき、俺はとうとうこのときが来たかと思った。握ったこぶしに、ほんのわずか力が入るのが自分でもわかった。
「……なにがですか」 
「なにがって、お前……」
 言葉を濁す師匠。思わず、申し訳ないという気持ちになる。
 そう、俺には師匠の言いたいことがわかっていた。わかっていてなお、「なにが」と聞かずにはいられなかった。ハイハイわかりました、と簡単に受け入れるわけにはいかなかったからだ。
 師匠は乱暴に頭をかくと、改めて俺に問いかけてきた。
「お前、ウマ娘のトレーナーになってからもう20年近くになるよな。そのあいだ、担当の子にGⅠを何回勝たせた?」
 俺はその問いかけに、まともに答えることができない。握りしめた手にこもる力が、少しずつ強まっていく。
「何回だ」
「……一度もありません。2着が1回だけです」
 かすかに震える声で、そう答える。
「それ、もう10年も前だろ。そもそもだな、お前、ここ5年ぐらいで何人の子とトレーナー契約を結べたんだ。それでその子らを、もうGⅠじゃなくてもいい、いったいレースで何回勝たせてやれた?」
「……4人で、3勝です」
 4人で3勝。自分の口から出たその言葉に、軽くめまいを覚えた。4人で3勝。なんてことだ。自分の不甲斐なさを正面から指摘されるのは、正直こたえる。俺はつい下を向いてしまう。安物の靴が目に入る。
「おい」
「うわっ」
 下向きの俺の視界に、いきなり師匠が入り込んできた。驚きのあまりひっくり返りそうになってしまうのを、なんとかこらえる。
「俺はな、お前に才能がないとはちっとも思わん。お前の力量は、そのへんにいるトレーナーもどきのド素人どもなんぞより遥かに上だ」
「……口が悪いですよ師匠センセイ。彼らは立派なトレーナーです」
 俺なんかよりも、と口にしなかったのは、俺に残ったほんのわずかのプライドのせいなのだろうか。
「事実を言って何が悪い。それに『センセイ』はやめろ。お前だって立派なセンセイだろうが。なにせ最優秀新人トレーナー様だしな」
「それこそ10年以上前のことですよ。今の俺は……」
「今の俺は、なんだ」
「……」
 今の俺は、なんなんだろう。俺は何を言っていいのか、何を言うべきかわからなくなり、黙り込んでしまう。そうだ、俺はいつでも、肝心な時に言うべきことを見つけられないのだ。そのせいで、いろいろと苦い思いをしてきたにもかかわらず、俺はこの悪癖をどうすることもできないでいた。

(ごめんなさい。トレーナーさんが何を考えているのか、私には全然わからないんです。そんな方と、これ以上一緒にやっていける自信が……私にはありません)
 脳裏に突然よみがえる情景。深い悲しみをたたえた瞳。何度も繰り返される「ごめんなさい」という言葉。優しい子だった。勝たせてやりたかった。だというのに、俺は。

「まったく……」
 あきれるような師匠の声に、俺の意識は引きずり戻される。
「無口で無愛想っつったって、限度ってものがあるだろうに」
「……」
「お前さんに人並みのコミュニケーション能力さえ備わっていれば、間違いなくモノになってたはずなのに。俺はつくづくそう思っちまうよ。ま、いいさ、ないものねだりしてもしょうがねえ。スプリンターが春の盾天皇賞目指すようなもんだ」
 それは、『もう無理だから、いさぎよくあきらめろ』という意味だろうか。
「ま、お前の人生、決めるのはお前だ。これからどうするのか、どうしたいのか……納得いくまで、じっくり考えるこったな。おっと、もうこんな時間じゃねえか」
 師匠は年季の入ったジャケットを肩に引っ掛けると、俺を置いて部屋を出ていこうとする。
「なにしてる。お前も行くんだろ」
「……どこに?」
 慌てて尋ねた俺の顔を、師匠は心底あきれたように見返した。
「それを忘れちまうようじゃあ、トレーナーじゃねえよ。やっぱり潮時じゃねえのか」
 師匠はそう言い残して、頭をかきながら足早に部屋を出ていった。取り残された俺は、ほんの数秒考えこみ……自分がやらかしたことの重大さに気づいて、顔を青くする。
 そうだ。トレーナーなら忘れるはずもない。師匠とのやりとりに我を忘れていたなんて言い訳はきかない。俺は部屋を飛び出し、定年寸前とは思えぬほどの速度で歩く師匠に追いついた。
 師匠は歩みを止めることなく、俺のほうを見ることもなく、だがほんの少しだけ嬉しそうな声で「まだトレーナーだったか」とだけつぶやいた。俺はやはり何も言わず、師匠と並び歩いた。

 歩きながら俺は、さっきの師匠の言葉を思い返していた。これからどうするのか、どうしたいのか……。

 そんなもの決まっている。俺はトレーナーで有り続けたい。というより、他の道など考えられない。今さら違う生き方を選ぶくらいならば、最初からこの道を歩くことなどなかっただろう。
 だが。頭の中に涙を流すウマ娘の姿が浮かぶ。俺の意志はそうだ。だが、それでいいのか。これ以上俺がトレーナーを続けるならば、またあんな子が生まれるだけではないのか。頭の中でぐるぐると回り続ける疑問に、俺は答えを出すことができないでいた。

 屋外に出る。薄曇りの空の下、まだ少し寒さの残る中を俺と師匠は歩き続ける。無言で歩く俺たちを、陽気な声を上げる集団が追い抜いていった。話していた内容からして、俺達と目的地は同じらしい。
 広すぎる敷地をひたすら歩き続けると、やがて俺たちの前方から歓声のようなものが聞こえ始めた。
「おう、盛り上がってるな」
 師匠が笑う。俺はほんの少し体を震わし、唇をなめた。目に入るのは一面の緑。一周2000メートルと少しのトラックをいろどる、鮮やかな芝の緑だ。
 これぞ「日本ウマ娘トレーニングセンター学園」、通称トレセン学園の誇る、本物さながらの練習用コース。そして今日、ここでウマ娘たちによる「選抜レース」が開催されるのである。
 選抜レース。デビュー前のウマ娘たちが行う模擬レースであり、スカウトの場である。ここで実力を示したウマ娘たちは、それぞれのトレーナーと専属契約を結び、夢の舞台「トゥインクル・シリーズ」での勝利を目指すこととなる。言わば、夢の舞台への第一歩というところだ。そういう大事な機会を、一瞬とはいえ忘れていたわけだ。トレーナー失格の烙印を押されるのも当然だ。
「さて、今年の子らはどうなんだろうな。走れそうな子はいるのかねえ。おい、お前なんか知ってるか」
 師匠がそう言って水を向けてくる。俺は苦笑いで応えた。そんなこと、師匠が知らないはずがない。要するにこれは、俺へのテストというわけだ。
「そうですね……たとえば」
 俺は前評判の高い子たちの名前をあげていく。彼女らはトレーニングの時点で非凡な走りを見せていた子であったり、名門が送り出した秘蔵っ子であったり、様々な理由で注目を浴びるにふさわしい子たちであった。
「なるほどね……で、お前さんのイチオシはどの子なんだ?」
 師匠の問いかけに俺が答えようとした、そのとき。

 上空に重くのしかかる厚い雲の切れ間から、ほんの一瞬、光が指した。一刹那だけ顔をのぞかせた太陽は、レース開始を待ちのぞむウマ娘たちを美しく照らし出し――ある一人のウマ娘の姿を、俺の目に焼き付けたのだった。

 そのウマ娘は、太陽の瞳を持っていた。美しさと力強さを秘めた、黄金の瞳を。
 小柄な子であった。身にまとう雰囲気に、なにか特別なものがあったわけでもない。どちらかといえば地味だと言えるようなウマ娘である。ただその瞳の輝きだけが、俺をどうしても惹きつけて放さなかったのだ。
 彼女は入念なストレッチを終えると、「よし」と小さくつぶやいてスタート地点へ向かった。どうやら、ちょうど選抜レースに出走するところだったらしい。持参したタブレットで、出走者の名簿を確認する。
 ゼッケン8番――。

「サニー……ブライアン……」

【続く】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ