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岸田総理への手紙 ~国民一人一人を幸福にする経済財政政策について~ 

 これは私が2022年の11月に岸田総理の公式ホームページから投稿した内容です。 
 総理ご本人はおそらく目を通されていないでしょうし、長すぎる(本1冊分ぐらい)ので岸田総理の事務所のスタッフさんにも最後まで読んでいただけなかったかもしれません。

 国民一人一人を幸福にする経済財政政策への転換を願って書いたのですが、現状を見ると何の効果も無かったようです(予想してましたが)。

 TVはもちろんのこと、ネットでもあまり見かけないような独特の考えやアイデアがいくつかあり、このまま埋もれさせるのは少しもったいない気がしましたので、公開することにしました(普通の記事の体裁にするために文章を改め直すのも大変なので、そのままにしています)。

 簡潔さを優先したため論理展開が雑になっている部分があったり、文才があまりないのでわかりにくかったり、また細かい間違いもあるかと思います。しかし大筋では間違っていないと思います。

 日本における「国の借金」問題や経済財政政策などについて考えるヒントになり、少しでも国民一人一人の幸福に繋がれば幸いです。
 もし何か質問がありましても、事情により基本的にお答えできないと思います。申し訳ありません。

ここから投稿内容

 大変お忙しいところ、時間を取らせてすみません。
 この投稿は「問い合わせ」ではなく「意見」です。非常識なほど長くて本当に申し訳ありません。

 私は現在病気療養中で無職の者です。以前10年ほど勤めていた会社では、業務を自動化して生産性を向上させたり、電気関係の設計の仕事をしていました。経済について書いていますが経済学部卒というわけではありません。全て本やネットで得た知識や実体験が元になっています。

 岸田総理の著書「岸田ビジョン」(講談社 2020年出版)を読みました。13ページの「中間層を生み支える政策、社会全体の富の再分配を促す政策が必要です。経済政策は一部の人だけが受益するものであってはならず、まして社会格差を広げる方向に作用するのは絶対に避けなければなりません。」というところや、28-30ページの「資本主義のあり方の見直し」「人材の重視」「集中から分散」「分断から協調」「技術・テクノロジーの重視」といった様々な政策について、大賛成です。
 ただ一つ残念なのが、PB(プライマリーバランス)黒字化を目指すことが重要なことだと認識されている点です。そもそも日本はPB黒字化を目指してはいけないし、PBを気にすること自体が間違いだ、というのが私の考えです。

 おそらく岸田総理の元にはPB黒字化を目指すことは間違いだ、という意見は沢山届いているのではないかと思います。私もそのことについて説明していますが、それはこの投稿の一部に過ぎませんので、この時点で読むのをやめたりしないでください。
 TV番組やネットなどでの経済政策の議論を見ていると、「国民一人一人を幸福にするにはどうすればいいか」という視点を欠いているとしか思えないものをよく見かけますので、PBを気にする必要がないことをご理解していただけたとしても、国民の幸福に結びつかない政策や、むしろ国民を不幸にする政策が行われる可能性が高いと感じています。そこで、国民一人一人を幸福にする経済政策についても書くべきだと判断したため、だいたい本1冊分という非常に長いものになってしまいました。
 これほど長い文章を送るのは非常識なことと承知していますが、このままではそう遠くない将来に日本は亡びるか、日本が日本でなくなり、多くの国民がこれまで以上に不幸になる、という強い危機感があるため、大変失礼ですが送らせていただきました。お許しください。

 この投稿は、岸田総理に考えを変えていただき、PB黒字化目標を無くし、国民一人一人を幸福にするための経済財政政策が行われるようになることを目的としています。
 財政に対する考えが岸田総理とはほぼ真逆で、所々これまでの常識とはかけ離れた部分がありますので、非常に不快感を感じるところがあると思いますが、そこはご容赦ください。
 また、基本中の基本と思う部分を伝えるため、あえて細かい部分は省略して簡潔にまとめたりしていますので、少し乱暴な議論に感じたり、「必ずしもそうとは限らない」と感じる点は色々出てくると思いますが、「根本部分が正しいのかどうか」という点を重視して読んでいただけると助かります。

 この文章は、岸田総理が所得倍増や新自由主義からの転換を掲げて自民党総裁になられた翌日(2021/9/30)から書き始めました(まさか1年以上かかるとは思いませんでした)。その頃と比べて現在は、所得倍増は資産所得倍増という言葉は似ていますが中身は別物になり、新自由主義からの転換は行われず継続されているようです。
 結果的に国民を欺いたことになると思います。最初から欺くつもりだったかどうかはわかりません。しかし「所得倍増や新自由主義からの転換、そして「岸田ビジョン」を実現したい」という気持ちは今でも残っていると信じたいです。
 もしPB黒字化を目指すことは間違いだと理解していただければ、財源確保のために費やす時間を大幅に減らすことができ、他のことに時間を費やせるようになります。大変な激務で日々お疲れのところ、このような長文をゆっくり読んでいる暇など無いと思いますが、人の話を聞くことが特技である総理ご本人に読んでいただければ幸いです。また最後まで読んでいただければ、10年以内に所得の中央値を倍増させることも大して難しいことではないと感じていただけると思います。

 非常に長いので少しでも読みやすくするために章や節に分けています。以下に各章の内容について簡単に記します。

第1章:国民一人一人を幸福にするには、移民を入れずに高圧経済にする必要がある
第2章:円の価値は日本の供給能力によって支えられている
第3章:国内外の投資家の信用を失って円や国債が暴落することはあり得ない
第4章:真の財源はデフレギャップ(供給能力の余力)
第5章:認知的不協和を乗り越えるために
第6章:税は財源の確保ではなく国民一人一人を幸福にするためにある
第7章:実質賃金を上昇させ続ける方法
第8章:高圧経済を維持し続ける方法と可処分時間を増やし続ける方法
第9章:実質可処分所得を増やす方法について
第10章:安全・安心な生活を送れる国にするために
第11章:具体的な政策を検討する前に必要なこと
第12章:個別具体的な政策の提案
第13章:最後のまとめ

第1章 国民を幸福にするには、移民を入れずに高圧経済にすることが最も重要


1-1 日本政府の最大の目的は、日本国民の欲求を満たして幸福にすること

 日本の政治家が一番目指すべきことは、自分の理想の国家を作ることなどではなく、日本国民一人一人を幸福にする(より正確な表現は「幸福度を向上させる」ですが、便宜上「幸福にする」とします)ことだと思います。例えばその政治家の理想が、日本人が全員英語ペラペラになることや、大量の移民を受け入れて多様性のある共生社会を作ること等であれば、それが実行されるとほとんどの日本国民は不幸になると思います。理想を国民に伝え、国民の多くがそれを望めば構いませんが、望んでいなければたとえ選挙で勝ったり首相に選ばれたとしても理想の押しつけになってしまうので、やはり日本国民一人一人を幸福にすることを第一に考えるべきだと思います。

 人はどういう状態が幸福かといえば、基本的にはあらゆる欲求(個人的なものだけでなく社会全体に対することも含む)が満たされた状態だと思います。ということは、「日本の政治家が一番目指すべきことは日本国民一人一人の欲求を満たすこと」となります。
 しかし国民の中には色んな人がいますので、欲求の中には相反するもの(例えば原発の再稼働賛成派と反対派)があったり、顕在化された欲求と真の欲求が違っている場合(例えば待機児童の解消のため保育園を増やして欲しいと言っているが、本当は働かずに育児に専念できるようにして欲しいと思っている。こういう人も結構いるのではないかと思います)もありますので欲求の見極めも重要です。

 「岸田ビジョン」の219ページに「最も大切にしていることは、「いま、国民が求めているものは何か」を問い続ける徹底した現実主義です。」とありますので、この部分は同意していただけると思います。

1-2 お金を使う必要がある欲求と使う必要がない欲求がある

 欲求を満たすためにお金(現預金)を使う必要がある場合とない場合があります。
 お金を使う必要がない場合とは、例えば以下のような場合があります。
・散歩する、思索する、寝る、など
・AさんがBさんに何かをしてあげて、そのお返しにBさんがAさんに何かをしてあげる(これは家庭などで当たり前に行われています)、といった少人数で行うもの

 お金を必要としない場合では規模が小さく、技術革新も期待できず、満たせる欲求も限定的です。しかし、お金を介在させるとこれらのデメリットが解消され、より多くの欲求を満たすことができるようになります。
 但し、単にお金を介在させるだけでは国民一人一人を幸福にできるとは限りません。政府がうまくコントロールする必要があります。

 お金を使う必要がない場合については本題ではないので話はここまでにします。ここから先はお金を使う必要がある欲求(以後「潜在需要」とする)について話を進めます。

1-3 言葉の定義

 言葉の使い方で多少独特な部分がありますので、いくつか最初に定義しておきます。


 供給能力が発揮されることで生み出される有形財(モノ)と無形財(サービス)を合わせたもの。
 厳密に線引きできるものではないが、大きく分けて、必要な財(人々の幸福に資する財)と、不要な財(人々の幸福に資さない財)がある。

潜在需要
 内心で思っているだけで顕在化していない欲求。お金を支払い財を得ることで満たすことができる欲求。大きく分けると個人、企業、政府の欲求がある。
 潜在需要の例
・個人:この商品が欲しい、等の欲求
・企業:製品の材料を仕入れたい、最新の設備を導入したい、新店舗を作りたい、等の欲求
・政府:ここに橋を作りたい、防衛力を強化したい、等の欲求

需要
 財を購入しようとする行為。潜在需要が顕在化したもの。
 需要の例
・個人:お店のレジに商品を持って行く、注文住宅の契約をする、等の行為
・企業:製品の材料を購入する、最新設備を購入する、新店舗の建設を発注する、等の行為
・政府:公共事業を発注する、等の行為

供給能力
 財を生産して供給する能力。短時間で多くの財を生み出せるほど供給能力が高い。生産性を高めたり働き手を増やしたりすることで供給能力は高まる。これまで生産できなかった財を生産できるようになること(供給能力の獲得)も便宜上供給能力が高まることに含める。

供給
 財を提供して需要に応じる行為。

生産性
 アウトプット/インプット。少ないインプットからより多くのアウトプットが得られるほど生産性が高い。投資などによって高めることができる。生産性向上するとより低い価格で財を販売しても利益を出せるようになる。つまり価格競争力を高めることができる。
 資本生産性(=付加価値額/資本ストック)、付加価値労働生産性(=付加価値額/労働量)、物的労働生産性(=生産量/労働量)、全要素生産性がある。経済全体で見ればお金儲けよりも財の生産の方が重要と考えるので、文中の「生産性」とは基本的に物的労働生産性のことを指す。

デフレギャップ
 供給能力の余力。国全体の供給能力を最大限発揮した場合のGDPと実際のGDPとの差。

高圧経済
 供給能力を最大限発揮しても対応できないほどの需要が存在して人手不足の状態にあり、人手不足解消のため生産性向上の投資が活発に行われている経済。

実質賃金
 賃金から物価変動の影響を除いたもの。

移民
 一般的な日本人を雇うのと同程度、またはそれ以下の賃金で雇える外国人。技能実習生、留学生なども含む。

1-4 経済は需要と供給と潜在需要と供給能力を中心に考えるべきで、お金は経済をコントロールするための道具に過ぎない

 四季の巡りや潮の満ち引きなどの自然現象をコントロールすることはほぼ不可能です。これに対して様々な経済現象(GDPの増減、物価の変動、賃金の増減など)は人々の活動の結果であるため、政策などで人々の行動をコントロールすることでこれらをコントロールできます。
 すると、長年にわたって日本のGDPが他国と違ってほぼ横ばいだったり、実質賃金が下がり続けていたり、格差が拡大しているのは、自然現象や運命などではなく、そうなるような経済政策が採られ続けているから、ということになります。

 経済の本質は、必要な財を生産して分配することだと考えます。本来お金は必ずしも必要ではありません。
 しかし多くの人の経済活動の基本は、働いてお金を稼いで欲しいものを買う、というものだと思います。これは以下のことを意味しています。
 まず最初に潜在需要があり、これを満たすには財を得る必要があり、財を得るにはお金を支払う必要があり、お金を得るには供給能力を発揮して、他の人の潜在需要を満たせる財を生み出す必要がある。
 ここで得たお金は新たに生み出されたものではなく、もともと世の中にあったお金が移動しただけです。生み出されたのは財のみです。
 つまり、お金というのは潜在需要を満たす過程で必要になる道具であり、お金よりも重要なのは需要と供給であると考えることができます。また、お金の使い方次第でどういう需要を生み出すかをコントロールし、それによって供給能力もコントロールできることがわかります。

 私がこれから書く事は全て以下2つの考えを基本に置いています。
1.経済現象は人々の行動の結果であり、自然現象とは違う。このため人々に働きかけることで適切にコントロールすることができる。
2.経済について考えるときは需要と供給と潜在需要と供給能力を中心に考えるべきで、お金は経済をコントロールするための道具に過ぎない。

 経済現象を人智の及ばない制御不能の自然現象と考えたり、お金を中心に経済を考えていると、私が書いていることはかなり理解が困難になると思います。しかし上記2点を意識していれば理解しやすくなると思います。

1-5 国全体の供給能力を高めることと実質賃金を上昇させることが国民を幸福にする

 個人、企業、政府の潜在需要を満たすには、国全体の供給能力を高めて多くの財を生み出し、国民一人一人の実質賃金を上昇させることが重要です。
 国民一人一人の実質賃金が上昇すれば、あとは各自が効率よく自分の潜在需要を満たしますので、実質賃金を上昇させるほど個人の潜在需要を多く満たせるようになります。
 すると企業は利益が増えますので企業の潜在需要を多く満たせるようになります。
 すると国全体の供給能力が高まりますので政府はデフレギャップ(供給能力の余力)に気を付けながらより多くのお金を使うことができるようになり、政府の潜在需要をより多く満たせるようになります。

1-6 国全体の供給能力を高めてより多くの需要を満たせるようにするには高圧経済を維持することが重要

 まず供給能力を高める方法について説明します。
 企業経営者達は、今後需要が自社の供給能力を上回ると判断すると対策を行い供給能力を高めます。一時的に上回るだけと判断すれば残業時間を増やしたり、期間限定で人を雇うなどして対応します。上回る状態が持続すると判断すれば設備投資、技術投資、人材投資などの投資を行い生産性を向上させます。どちらでも供給能力は高まりますが、後者の方がより良いと思います。
 企業経営者に限らず誰でもそうだと思いますが、今のやり方では仕事をこなせなくなるほど忙しくなると分かれば色々と対策を考えますよね。
 これが日本全国で行われれば、日本の供給能力は飛躍的に高まります。
 要するに常に高圧経済を維持すればいいわけです。需要不足の時は政府が財政出動して需要を作り出すことで高圧経済に出来ます。

1-7 人手不足のときに生産性向上すると実質賃金は上昇する

 次に実質賃金を上昇させる方法について説明します。
 財の価格は基本的に需要と供給の関係で決まります。需要が多く供給が少なければ価格は上昇し、逆なら価格は下落します。賃金も基本的にこれと同じで、人手不足なら賃金は上昇し、人余りなら賃金は下落します。

 実質賃金を上昇させる方法を一言で言うと、需要を増やして人手不足の状態にし、移民を入れないことです。
 そうすると、企業経営者は高い賃金を払ってでも人が欲しくなるため賃金が上昇します。また生産性向上の投資も普段以上に行われます。結果として以下が起こります。

1.賃金が上昇しても物価はそれほど上がらないため実質賃金が上昇
2.働き手が増えることと生産性の向上により供給能力が高まる
3.実質賃金上昇によってさらに多くの潜在需要が顕在化し、これが満たされることで国民一人一人が幸福になる
4.需要が増えることでさらに供給能力が逼迫する
 もし4番で人手不足にならなければ政府が需要を増やすなどして人手不足状態にすることで、さらに実質賃金、生産性、供給能力が向上し、多くの潜在需要を満たして国民を幸福にできます。

1-8 移民によって人手不足を解消すれば実質賃金は下落する

 もし人手不足の状態を移民を入れることで解消した場合はどうなるでしょうか。
 生産性の向上を行わなくても移民を入れれば供給能力は高まります。しかも移民は基本的に日本より貧しい国から来て低賃金でも働きますので、企業経営者から見れば一人一人の賃金を上げる必要がありません。また、賃金は基本的に雇う側と雇われる側が合意する水準に決まります。低賃金でも働く移民が世界中に控えている状態(常に人余りの状態が維持されているようなもの)なわけですから、賃金は上がらないどころか下落します。そもそも安い労働力が欲しくて移民を入れるわけですから当然の結果です。
 また、仮に賃金の下落分を販売価格に転嫁して価格を下げたとしても、賃金よりも販売価格の方が下落率が高くなることはまずあり得ないので、全体として見た結果以下が起こります。

1.賃金が下落しても物価はそれほど下がらないため実質賃金が下落
2.働き手が増えるため供給能力は高まるが、生産性の向上は起きない
3.実質賃金下落によって潜在需要をあまり顕在化できなくなり、国民は不幸になる
4.移民と地域住民との摩擦、治安悪化などの移民問題などを引き起こして社会的コストが上昇する(企業はこのコストを支払わない)。

 つまり企業は儲かりますが、国民一人一人で見れば不幸になり、国全体としても大きな問題を抱えることになります。

1-9 人余りの状態で生産性向上すると実質賃金が下がる

 生産年齢人口の減少により全体で見れば人手不足となっていますが、すべての職業で人手不足になっているわけではなく、有効求人倍率が1以下の、いわば人余りのような所もあります。
 このような所で生産性の向上が行われればその分だけ人が不要になり、人余りが加速することになります。これにより賃金は下落します。前節でも書きましたが、賃金の下落分を販売価格に転嫁して価格を下げたとしても実質賃金は下落することになります。

 1-7節で、人手不足の時に生産性向上をすると実質賃金上昇に結び付くことを説明しましたが、人余りの時に生産性向上をすると実質賃金が下落することになります。
 これを解消するには、生産性の向上をさせないことではなく、移民を入れずに高圧経済にして人手不足にすることです。
 生産性の向上は企業に利益をもたらしますが、国民一人一人の視点からすれば必ずしも良いこととは限りませんので注意が必要です。

1-10 潜在需要と供給能力がありお金がない場合は、政府がお金を使って需要を生み出し高圧経済にするべき

 潜在需要があり、それを満たす供給能力があっても、お金が無ければ需要も財も生まれません。これは非常にもったいなく、しかも国民が不幸な状況です。

 たとえば、以下の2種類の立場の人達がいるようなものです。もちろん一人で両方の立場にある人もいます。

1.欲しいものがあるがお金がないので買えない
2.より多くの物を作れるがあまり売れないからあまり作らない、または少し値段は高くなる代わりにもっと良い物を作れるが売れないから作らない

 こういった状況はGDPがほぼ横ばいになった20年以上前から日本全国いたるところにある思います。またコロナ禍により急速に深刻化したと思います。そしてこのデッドロックの状況は個人や企業まかせでは解決できません。これを解決できるのは政府だけです。

 たとえばここで政府が国債を発行してお金を調達して国民全員にお金を配ると、1番の人は欲しいものが買え、2番の人はたくさん物が売れて両者にとってうれしい状態になります。しかも高圧経済に出来ます。
 または公共事業をして2番の人達の供給能力を発揮させて代金を支払い、それが賃金として1番の人達に支払われることで、1番の人達は欲しいものが買えます。しかも高圧経済に出来ます。

 こうすることは何か問題があるのでしょうか?何も問題ないと思います。供給能力はあるのにお金が無くて経済が回らなければ、お金を注入して経済を回してやればよいのです。政府は国債発行することで簡単にできます。しかも政府がやらなければいつまでも経済は止まったままで、供給能力は段々と毀損していきます。

 現在の日本でPB黒字化を目指して財政拡大しないということは、このデッドロックの状況を深刻化させることになります。

 おそらく岸田総理は財政赤字が拡大するのが問題だと考えると思いますが、もし財政赤字を拡大しても問題なければこれほどいいことはないですよね。

1-11 国民一人一人が不幸になる構造から国民一人一人が幸福になる構造への転換が必要

 今の日本は、インフラ整備、防災、防衛力の強化、社会保障の充実、貧困対策など政府の潜在需要は多く、国全体の供給能力もそれなりにありますが、お金が足りないため潜在需要をあまり顕在化できず、そのため供給能力を十分に発揮できず、結果として潜在需要をあまり満たせていない状態にあると思います。

 また、ミクロで見れば3Kのような人気のない仕事は人手不足になって移民で解消し、事務職のような人気のある仕事は人余りになっている状態のようです。どちらも実質賃金下落の圧力になっています。
 財政出動をして需要を増やさなくても生産年齢人口が減って人手不足になり、自動的に高圧経済になり実質賃金、生産性、供給能力が向上する状況にあるのに、わざわざ移民を入れてこのチャンスを潰しています。
 さらに2019年から5年間で最大約35万人の外国人労働者を受け入れることを決めるなどの移民拡大政策をして、国民を幸福にする高圧経済の実現を妨害し、移民問題を大きくするという愚かなことをやっています。ヨーロッパの状況から何も学んでいないようです。

 経済界の目的は金儲けです。国民の幸福ではありません。以下のグラフが示す通り、過去20年の実績を見ればわかります。売上高はあまり変わらないのに経常利益と配当金は何倍にもなり、その一方で賃金と設備投資は下がっています。経済界の言うことを聞いていても国民を幸福にすることはできません。

 日本の資本金10億円以上の企業の売上高、給与、配当金、設備投資等の推移(97年=100)
 http://mtdata.jp/data_65.html#houjin

 経済界はPB黒字化、消費税増税、法人税減税、移民受け入れ、規制緩和、自由貿易などを要求し、高圧経済になるのを防ぎつつ利益を上げているようです。要するに現在は国民が不幸になることで企業が利益を上げる構造(国民が搾取される構造)になっています。
 国民を搾取して利益を上げれば国民は貧しくなり、すると企業は貧しい人を相手に商売することになり、企業は儲からなくなります。そうすると今度は輸出を増やしたり外国人観光客を相手に稼ごうとしますが、稼ぐほど円高になり儲けるのが難しくなっていきます。
 この愚かな構造を、企業が利益を上げるほど国民が幸福になる構造に変える必要があります。その構造こそが、高圧経済と移民を入れないことです。今の構造が続いていけばこの国はいずれ亡びると思います。

第2章 お金の価値はどれだけの需要を満たせるかであり、それは供給能力によって支えられている


2-1 需要を満たせないならお金に価値は無い

 「無人島に何か一つだけ持って行けるとしたら何を持っていくか」という質問で「お金」と答える人はまずいないと思います。なぜなら何も買えないからです。お金というのは、それを使って需要を満たすことができるから価値があるわけで、満たすことができないなら価値が無いわけです。お金で何の需要も満たせないのなら、紙幣はただの紙切れ、硬貨はただの金属板、預金はただの数字でしかありません。

2-2 お金の価値の高さは供給能力によって支えられている

 基本的に、お金を払って財を得ることで需要は満たされます。財は供給能力を発揮することで生み出されます。つまり供給能力がお金に価値を与えています。また、納税の義務を果たすことにもお金は使えますので税もお金に価値を与えています。

 またお金は数量で表すことができ、少ない量で多くの需要を満たせるほど価値が高いと言えます。たとえば100円でパンを1個買える場合と、同じパンを500円で1個買える場合では前者の方がお金の価値が高いわけです。つまり財の価格がお金の価値を表していると言えます。
 普通は「財の価格は財の価値を表す」と考えると思いますが、経済について考える時は、そもそも財あってのお金なので「財の価格はお金の価値を表す」という視点もあった方がいいと思います。

 財の価格は基本的に需要と供給の関係で決まります。具体的にどのようにして決められるかといいますと、基本的に以下のようなものだと思います。
 最初に売り手(供給側)が価格を決めます。買い手(需要側)がその価格でも欲しいと思えば売買が成立します。供給側は供給能力に余力がある限り、需要が増えても価格は上げず(上げると価格競争力が低下する為)、生産量を増やして利益を増やします。需要が増えすぎて余力がなくなり供給が追い付かなくなった時に価格を上げます。つまり供給能力に余力がある限り価格は上がらないことになります。
 すなわち、日本のデフレギャップ(供給能力の余力)が大きいほど日本の物価は上がらないことになります。言い換えるとお金の価値は下がらないことになります。

 しかし実際は輸入物価上昇による仕入れコストの上昇や生産性向上によるコストの低下や税金など様々な要素が価格に影響しますので、必ずしも上記の通りにはなりませんが、基本的に需要と供給の関係によって価格が決まることから、お金の価値の高さを支えている最も重要な要素は供給能力と考えてよいと思います。

 誤解の無いように付け加えておきますと、お金の価値が高ければ良くて低ければ悪いという単純なものではなく、時間あたりの実質所得が高まるかどうかが重要です。物価が上がってもそれ以上に所得が上がっていれば良く、逆に物価が下がってもそれ以上に所得が下がっていれば悪いわけです。

2-3 円と外貨との相対的な価値(為替レート)は国内の供給能力が支えている

 外貨と比較した時の円の価値(つまり為替レート)は、外貨と比べて円の需要がどのくらいあるかで決まります。要するに物価や賃金と同じく為替レートも需要と供給の関係で決まります。
 円の需要には投機や為替介入などがあり、これによって大きく変動することもありますが、根源的な影響を与えているのは外需だと考えます。なぜなら、外需を何一つ満たせないのであれば外貨を円に交換する必要は無く、投機や為替介入で円が買われることもないと思うからです。

 輸出の際、代金として外貨を受け取る場合は、日本国内の従業員の給料の支払い等にあてるために円に両替する必要があり、この時に円が買われて円高になります。代金として円を受け取る場合は事前に外国が円を調達する必要があり、この時に円が買われて円高になります。つまりどちらの通貨で決済しようと輸出すれば円高になります。
 また外国人が日本に来て買い物をする場合も事前に円を調達する必要があるのでその時に円が買われて円高になります。
 つまり日本の供給能力を発揮して外国の需要を満たすほど円の価値が高まることになります。
 これとは逆に、輸入や日本人の海外旅行は円の価値を下げることになります。

 外需を満たすには国内の供給能力が必要になります。つまり、外貨との相対的な円の価値も、基本的に日本の供給能力によって支えられていると考えるのが良いと思います。

 ちなみに、外貨との相対的な価値を高めること(円高にすること)が必ずしも良い事とは限りません。
 変動相場制であれば輸出に注力したところで円高になって輸出が難しくなり、逆に輸入ばかりになっても円安になって国内生産が増えて輸入が減る、というように自動的に調整機能が働きます。為替レートの急激な変動は良くありませんが、それ以外はあまり気にせず国民の潜在需要を多く満たして幸福にすることに注力する方がいいと思います。

2-4 お金の価値は世の中のお金の量で決まるわけではない

 世の中のお金の量が増えるとお金の価値が下がる、という言説があります。まるで「世の中のお金の量が2倍になればお金の価値が半分になる」という前提で議論しているような人を見かけることもあります。
 「世の中のお金の量」を「マネタリーベースやマネーストック(M2)」、「お金の価値が下がる」を「インフレ率(コアコアCPI対前年比)がプラスになる」、と定義してみるとこの言説は間違いだと言えると思います。

 以下のグラフの通り、インフレ率2%で安定させることを目的とした日銀による異次元の金融緩和でマネタリーベースは何倍にも増えました。またマネーストック(M2)も増え続け、2003年4月から2020年4月にかけて676兆円から1063兆円に増えています。この間の対前年同月比の増加率の平均値を計算してみると約2.6%でした。しかしインフレ率(コアコアCPI対前年比)はずっと0%近辺です。

 日本のマネタリーベース(右軸)とインフレ率(左軸)
 http://mtdata.jp/data_77.html#MBInf
 日本のマネーストックの推移(兆円)
 グラフ http://mtdata.jp/data_72.html#MS2008
 データ https://www.stat-search.boj.or.jp/ssi/mtshtml/md02_m_1.html

 グラフを見ると、2014年にインフレ率が2%を超えてすぐまた下がっていますが、これは消費税増税の影響です。

 世の中のお金の量=マネタリーベースとした場合について説明します。
 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。

 「収入が増えないため、「モノを買いたい」、「消費したい」という意欲が弱く、物価の上昇にストップをかけています。異次元の金融緩和をしても物価が上がらないのは、何かもっと根本的な原因があるに違いありません。」46-47ページ

 つまり異次元の金融緩和をしてマネタリーベースを増やしたのに物価が上がらない、その原因はよくわからない、ということのようです。以下がその答えになるかと思います。
 異次元の金融緩和の目的は貸出金利を引き下げてお金を借りやすくすることだと思います。お金を借りるのは基本的に企業です。企業がお金を借りるのは基本的に投資(設備投資など)をする時です。企業が投資をするのは投資すれば儲かる時(旺盛な需要が継続すると見込まれる時)です。今は投資しても儲からないので、異次元の金融緩和により元々低かった金利を多少下げたところで企業は投資をしません。つまり(投資による)需要が増えません。すると収入も増えませんし物価も上がりません。政府が十分な財政出動をして需要を増やせば物価は上がります。

 次に世の中のお金の量=マネーストック(M2)とした場合について説明します。
 基本的に財の価格は売り手が決めます。普通に考えて、販売価格を決めるときにマネタリーベースやマネーストック(M2)の要素を入れる人なんていないと思います。ということは、世の中のお金の量は直接的には物価に影響しないということになります。しかし、念のためこのような人たちがいた場合どうなるか考えてみます。
 例えば、お金の価値がマネーストック(M2)で決まると考えている経営者達と、そう考えない経営者達がいるとします。前者の企業はマネーストック(M2)が増えるとお金の価値が下がったと判断し、自社製品の販売価格を引き上げることになります。しかし後者は価格を変えません。そうすると前者は後者にシェアを奪われて市場から追い出され、結局後者だけが残ることになります。つまりマネーストック(M2)が増えても結局は物価は上がらないわけです。逆にマネーストック(M2)が減ると前者は販売価格を下げることになります。うまくいけばシェアを奪えるかもしれませんが、採算割れして倒産する可能性もあります。いずれにせよ安定して利益を上げることが出来ず早晩市場から追い出されることになり、やはり後者が残ることになると思います。
 このことからも世の中のお金の量でお金の価値が決まるわけではないことが分かると思います。

 別の視点から考えます。例えば政府が私に1京円プレゼントしてくれたとします。上記で説明した通り世の中のお金の量で販売価格を決める売り手はいませんので、この時点ではインフレ率は変わりません。私がそのお金に手を付けなかった(需要が増えなかった)場合と、そのお金を使って日本全国のありとあらゆる物を買いまくった(需要が増えた)場合について考えます。お金を使っても単に移動するだけで消えたりしませんので前者と後者で世の中のお金の量は同じと考えます。もし世の中のお金の量でお金の価値が決まるのならば前者と後者でお金の価値は同じであり、すなわちインフレ率への影響は同じということになります。これは2-2節で説明した内容と矛盾しますし、そもそも常識的に考えてありえないですよね。
 世の中のお金の量が増えたからといって、必ずしもお金の価値が下がるわけではないことが分かります。

 世の中のお金の量が増える→お金が使われる量も増える→需要が増える→物価が上がる→お金の価値が下がる、と考えるのもわかりますが、グラフが示す通り現実はそうとは限りません。元々のデフレギャップの大きさ、生産性の向上、増えたお金が何に使われたか、など様々な要素が考慮されていないことが原因として考えられます。
 また最近の輸入物価上昇による物価高からも、この言説が間違いであることが分かります。

2-5 お金の価値は政府や日銀の財政の良し悪しで決まるわけではない

 お金の価値は政府や日銀の財政の良し悪しで決まる、という言説があるようですが、そうではないということを説明します。財政が良い=純資産が増える、財政が悪い=純資産が減る、と定義します。

 仮にこの言説を正しいとすると以下のようなおかしな点が出てきます。
1.仮想通貨には最初から国家の後ろ盾はありません。なので1仮想通貨=0円でなければおかしい、ということになると思います。しかし沢山の種類の仮想通貨が発行されて取引されています。
2.政府には通貨発行権がありますので、例えば政府が1京円玉を2枚発行して1京円を日銀にプレゼントすれば、政府と日銀の純資産が1京円ずつ増え、お金の価値が上がる(インフレ率は下がる)ことになってしまいます。
3.日本全国焼け野原になって何も生産できない状態になっても、財政さえよければお金の価値は保たれる(インフレ率は0%)ことになってしまいます。
4.「製品の価値はそれを作った会社のバランスシートの良し悪しで決まる」という考え方も可能になるかと思いますが、そのような話は聞いたことがありません。
5.売り手が商品価格を決める際に政府や日銀の財政の良し悪しを考慮していることになりますが、そのような話は聞いたことがありません。

 また以下に示すように中央銀行は債務超過になっても問題ないようです。
1.以下のウェブページによると、過去にスイスの中央銀行がスイスフラン高対策をやめたことでスイスフランが暴騰したときに、それに伴い外貨建て資産の価値が下がることで債務超過に陥ったと推定しましたが、スイスフランは高いまま推移しているということです。

 中央銀行が債務超過に陥ればどうなるのか 2015-03-07
 https://shavetail2.hateblo.jp/entries/2015/03/07
 「SNB資産が毀損しているはずの現在、超スイスフラン安などは観察されず、逆にユーロ・スイスフランは安値(フラン高)のまま推移している。」
 「経済学者、とりわけ財政学者やエコノミストの間から、中央銀行の資産価値の毀損によりハイパーインフレが起こる、といった極端な教条主義的主張をみることがありますが、現実世界では中央銀行の資産価値が毀損したからといって通貨価値に悪影響を与えるわけではないことがわかります。」

2.以下のように最近オーストラリアの中央銀行が債務超過になりましたが、豪ドルの価値が暴落するなどということは起きていません。

 豪の中央銀「債務超過」状態に 業務に影響なしと副総裁 2022/09/21
 https://nordot.app/945298737051713536?c=65699763097731077
 「中銀のブロック副総裁は「業務を遂行する能力に影響はない」と強調。「中銀の負債は政府が法的に保証しており、中銀にはお金をつくる能力がある」とし、破綻することはなく、支払い能力にも問題はないと述べた。」

3.以下動画の39:38~40:16で、前日銀副総裁の岩田規久男氏がイスラエルの中央銀行はデータが得られる1999年以降ずっと債務超過だと説明しています。

 「いま必要な経済政策は、アベノミクスの完遂」 責任ある積極財政を推進する議員連盟 第12回勉強会 講師:前日銀副総裁 岩田 規久男氏 令和4年10月19日
 https://www.youtube.com/watch?v=fGJ2DxNW0P8&t=2378s

 さらに、詳細についてはよく知りませんが以下のような事例もあります。
 昔存在した満州国では独自の通貨(不換紙幣)が発行されていました。1945年に満州国は滅びましたが、発行されたお金はその後も紙くずになることなく流通していました。国の財政がどうのこうの以前に、国が無くなってもお金に価値があったわけです。これは人々が、滅んだ国のお金を価値あるものと認識していたことを示しています。以下はWikipediaからの抜粋です。

 満州国圓
 https://ja.wikipedia.org/wiki/満州国圓
 「1945年(康徳12年)8月18日に満洲国が解散し、同年8月20日に満洲中央銀行が赤軍(ソ連軍)に接収された後も、ソ連軍発行の軍用手票(軍票)や国民政府の法幣・東北九省流通券(東北流通券)[注 3]よりも信用が高く、その後もしばらくの間、東北流通券と同価値で流通していたが、1947年(民国36年)春に、一定期間内の届出交換方式による東北流通券との等価交換が実施され、以後、満洲国幣の流通は禁止された。」

 以上より、お金の価値は政府や日銀の財政の良し悪しで決まるとはとても言えないと思います。

第3章 通貨の信認、国の信用、財政の信認などは、財政の良し悪しではなく供給能力によって支えられている


3-1 通貨の信認、国の信用、財政の信認などの危機について

 通貨の信認、国の信用、財政の信認などといった言葉を見かけますが、定義を調べてみてもいまいちよくわかりません。大抵その後に、これらを守るために財政健全化が必要、といった内容の話が続きます(以後、こういう話を財政破綻論と呼ぶことにします)。

 「財政健全化」とは財務省のウェブページで以下のように定義されていますし、岸田総理の認識もこれで合っていると思います。

 財務省 日本はどのように財政健全化を図っていくのか
 https://www.mof.go.jp/zaisei/fiscal-consolidation/index.html
 「財政健全化目標(2025年度の国・地方を合わせたPB黒字化を目指す、同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す)」

 おそらく、国債発行残高と債務対GDP比が増え続けるとある日突然以下のようなことが起き、それによって「日本経済が崩壊して日本は破滅する」というようなことを考えてるから財政健全化が必要だと言ってるのだと推測しました。
1.デフォルト(債務不履行)することで国債暴落、為替レート暴落、インフレ率暴騰する
2.投資家たちにデフォルト(債務不履行)すると思われて国債が投げ売りされて暴落する
3.人々が円の価値を疑い出して外貨への交換が活発になって為替レートが暴落する
4.人々が円の価値を疑い出して金融商品などに交換しだしてインフレ率が暴騰する

 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。
 「国として財政健全化を目指しているという姿勢を不断に示していかなければ、いつか国内外の投資家に見限られ、日本円や国債が暴落する事態が心配されます。わが国では国民の将来不安が貯蓄率を引き上げて消費が回復しないと言われています。国家としての姿勢、政権としての指針が、「財政健全化」に向かっているということを、内外に示し続ける必要があると私は考えています。」44ページ

 財政健全化を目指してるという姿勢を示していないと2,3番のようなことが起きるのではないかと心配しているようです。

 文藝春秋2021年11月号に掲載された財務省の矢野康治財務事務次官(当時)の論文(以後、矢野論文)では以下の記述があるようです。

 「このままでは国家財政は破綻する」矢野康治財務事務次官が“バラマキ政策”を徹底批判 2021/10/08
 https://bunshun.jp/articles/-/49082
 「今の日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。氷山(債務)はすでに巨大なのに、この山をさらに大きくしながら航海を続けているのです。タイタニック号は衝突直前まで氷山の存在に気づきませんでしたが、日本は債務の山の存在にはずいぶん前から気づいています。ただ、霧に包まれているせいで、いつ目の前に現れるかがわからない。」
 「先ほどのタイタニック号の喩えでいえば、衝突するまでの距離はわからないけれど、日本が氷山に向かって突進していることだけは確かなのです。」

 国債発行残高が問題であり、このままではある日突然大変なこと(具体的に何が起きるかは記載なし)が起こる、と言っているようです。

 総理と財務次官が気にかけている内容を見ると私が推測したことは大体当たっていると思います。そこで上記4つについて話を進めます。

3-2 日本がデフォルトに追い込まれるまでのプロセス

 最初に1番のデフォルトが起きるかどうかについて説明します。
 日本が発行している国債は自国通貨建てです。これは円を発行できる日銀がどれだけでも買い取れますし、異次元の金融緩和で実際に買い取っています。また日銀の目的は「物価の安定と金融システムの安定」ですので、日銀が買い取らないことでデフォルトに陥るということはまず考えられません。なぜなら日銀の存在理由を自ら否定することになるからです。

 それでも「今はいいかもしれないが、いずれ外貨建て国債を発行し始めて、それが積み上がっていつかデフォルトするかもしれない」という不安があるかもしれません。そこで、変動相場制で自国通貨建て国債しか発行していない日本がデフォルトせざるをえない状況に追い込まれるまでの、予想されるプロセスを以下に記します。

1.国内外の需要を日本の供給能力で満たせる割合が下がる
2.輸出が減り、輸入が増加する
3.為替レートが下がる
4.為替レート下落で輸入品が高くなり、インフレ率が上がる
5.国内物価安定のため保有外貨を売って自国通貨を買い、為替レートを維持(固定相場制へ移行)
6.為替レート維持のための保有外貨が無くなり、外貨建て国債を発行して外貨を調達
7.外貨建て国債の発行と借り換えを繰り返し、外貨建て国債発行残高が積み上がる
8.外貨建て国債の発行や借り換えに行き詰りデフォルトする

 この後、外貨が無くなることで固定相場制を維持できなくなって為替レートが暴落し、この段階まで来たときには供給能力もかなり無くなっているでしょうからハイパーインフレになる可能性もあると思います。
 このように、日本がデフォルトに追い込まれるまでにはかなり長い道のりがあります。信じられないかもしれませんが、変動相場制で自国通貨建て国債しか発行していない日本は、世界で5本の指に入るほどデフォルトから遠い国です。「国の借金がこれだけあるんだからいつ日本がデフォルトしてもおかしくない」などという考えは大間違いです。

 財務省はこのようなことをわかっているようで、2002年に日本国債が格下げされた時に以下のようなものを出しています。

 財務省 外国格付け会社宛意見書要旨
 https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm
 「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。」

 財務省 ムーディーズ宛返信大要
 https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140523m.htm
 「日本は変動相場制の下で、強固な対外バランスもあって国内金融政策の自由度ははるかに大きい。更に、ハイパー・インフレの懸念はゼロに等しい。」

 そして以下は財務省の個人向け国債のページですが、宣伝文句に「元本割れなし」「国が発行だから安心」といったことが書かれ、他にも「スペシャルムービー」として大量の動画を作成して個人向け国債を買うよう勧めています。もし日本がいつデフォルトしてもおかしくない状態だったり、2025年度までにPB黒字化を達成しないとデフォルトするというのであれば、これは犯罪行為だと思います。しかし裏を返せば、このようなことが堂々と行われていることが、デフォルトがあり得ないことを示していることになります。
 https://www.mof.go.jp/jgbs/individual/kojinmuke/index.html

 またデフォルトに至るプロセスの最初をみればわかりますが、供給能力さえしっかりしていればデフォルトに追い込まれることはありません。
 ここで「財政の持続可能性=この先ずっとデフォルトしない可能性」と定義します。すると、財政の持続可能性は供給能力によって支えられていることになります。
 デフォルトが心配であれば歳出削減や増税するよりも、財政拡大と減税で高圧経済にし、供給能力を高めるのが正解ということになります。デフォルトを回避するために財政健全化に取り組んでいるのだと思いますが、これこそが需要を引き下げて供給能力を毀損し、デフォルトを引き起こすことに繋がります。ここはとてつもなく重要なポイントです。

3-3 パニックはまず起きない

 次に2,3,4番です。
 日本国債のデフォルトはあり得ないため、もし2番(投資家たちがデフォルトすると思って国債を投げ売りする)が起きれば投資家たちが冷静さを失ってパニックを起こしたことが原因ということになると思います。また、お金の価値が変わっていないのに3,4番(人々が円の価値を疑い出して外貨や金融商品などと活発に交換しだす)のようなことが起きれば、これもまた人々が冷静さを失ってパニックを起こしたことが原因ということになると思います。
 つまり、2,3,4番は国債発行残高と債務対GDP比が増え続けるとある日突然人々はパニックに陥ると言っていることになります。何故陥るかというと、人々に「いつかデフォルトし、日本は亡びる」というような不安があるからだと思います。

 そもそもパニックは起きるのでしょうか。
 パニックが起きるには何らかのきっかけが必要だと思います。
 日本は国の借金でいつか財政破綻する、と20年以上言われ続けていますが私の知る限りではパニックが起きたことはありません。この間、以下に示す通り色々な事がありました。

1.PB黒字化目標の目標年度は何度か延期されましたし、撤廃されたこともあったそうです。しかしこれらをきっかけとして国債が暴落することは一度もありませんでした。

2.民主党政権から自民党政権に変わった時に為替レートは大きく下がりましたが、これをきっかけにパニックが起きてどこまでも下がり続けるということもありませんでした。

3.「国と地方の借金」が1000兆円を超えた時、債務対GDP比が200%を超えた時、リーマンショックが起きた時、東日本大震災が起きた時、安倍政権で消費税増税が先送りされた時、現在のコロナ禍でも、円の価値が疑われたり国債が投げ売りされたりしていません。

4.矢野論文は、現役の財務次官が「日本はいつ財政破綻してもおかしくない状態なのに各政党が選挙公約でバラマキ合戦を始めている」と訴えた内容で、TVや新聞でも取り上げられましたがそれでも起きませんでした。もし大企業の経営者が自社についてこのようなことを述べれば確実に株価は暴落するのではないでしょうか。

5.ロシアによるウクライナ侵攻、これに対する経済制裁や米国の利上げによる円安の影響でインフレ率が上昇していますが、パニックは起きていません。

 この間、国債発行残高はずっと増え続け、債務対GDP比も上昇し続けているのに国債の金利は低いままで、どうやったらパニックが起きるのか逆に教えてほしいぐらい、何があってもパニックは起きていません。特に矢野論文の事例はパニックが起こることはまずあり得ない決定的な証拠になると思います。
 また最近ではMMT(現代貨幣理論)が知られるようになり、財政破綻論を信じる人が減ってきているようですので、なおさらパニックは起きないと思います。
 さらに政府が、お金の価値を支えているのは供給能力であることや日本はデフォルトしないことを多くの人に知らせれば、さらにパニックは起きなくなると思います。パニックを心配するのであれば、PB黒字化を目指すのではなく、また矢野論文のように不安を煽るのではなく、本当のことを伝えて安心させるべきだと思います。

3-4 国債が投げ売りされた場合

 デフォルトしないことやパニックが起きないことを説明しましたが、それでもやはり不安は残ると思いますので、パニックが起きた場合(2,3,4番)について説明します。1番のデフォルトは本当にありえないのでデフォルトした場合については説明を省きます。

 まず2番の国債が投げ売りされた場合ですが、日銀が買い支えれば済みます。日銀の目的は「物価の安定と金融システムの安定」ですので、日銀が何もせず暴落するのを見てるだけということはまず考えられません。日銀の存在理由を自ら否定することになるからです。

3-5 外貨への交換が活発になった場合

 3番の、人々が円の価値を疑い出して外貨への交換が活発になった場合について説明します。

 外貨への交換が活発になると円安になりますが、それほど急激な円安でない場合は、外国人からすれば日本製品すべてが大幅に安くなるわけですから日本からの輸出が増えます。さらに日本からすれば外国製品がどんどん高くなるわけで、だったら日本で生産した方が安上がりとなる物も出てきて輸入は減ります。円安になるほど円高圧力が高まるわけです。
 それでも外貨への交換が続いて円安が止まらなければ、外国政府は日本の輸出攻勢から自国産業を保護するため為替介入で円安を阻止すると思います。
 そして円安は止まり、パニックが収まればまた元の為替レートに戻ると思います。
 つまり供給能力さえ維持していれば、永遠に円が下がり続けて最後は紙くずになるということはあり得ず、一時的に下がった後にまた元に戻ると思います。

 急激な円安の場合は、金融市場を混乱させないために外国政府と協力して為替介入して為替レートを安定させればよいと思います。もし協力が得られなくても政府の保有外貨は潤沢にあると思いますのでそれを使えばよく、それでも足りない場合は通貨スワップ協定を使って外貨を得て円を買い支えればよいと思います。日銀はカナダ銀行、イングランド銀行、欧州中央銀行、米国連邦準備制度、スイス国民銀行と引出限度額が無制限、有効期限が無期限の通貨スワップ協定を締結していますので、外貨不足に陥ることはないと思います。

 このようなことを書くと、為替介入は市場を歪めるからよくないという批判もあるかもしれませんが、そもそも円の本質的な価値を支える供給能力が変わっていないにもかかわらず、パニックにより暴落しているわけですから、これを止めることは「錯乱して自殺しようとしている人を羽交い締めにして止める」ようなもので、正しいことだと思います。むしろ指をくわえて見ているだけの方が問題だと思います。そもそもこういう時のために通貨スワップ協定があるのだと思います。
 2020年にコロナショックによって株価が大暴落しましたが、その際日銀はETFを買って株価を支えました。コロナは実体経済に大きな影響を与えましたが、それでも買い支えました。そして経済は大きく傷ついているにもかかわらず株価はコロナ前を大きく上回りました。何ら実体を伴わないにもかかわらずパニックによって為替レートが暴落するのを介入して止めることは、これよりも正当性があると思います。

 他にも、政府が規制をかけて外貨への交換を制限するなどの方法もあると思います。
 経済現象は自然現象ではなく人為現象だと考えれば、パニックによる金融市場の混乱を強引に鎮めることに対して躊躇したり、後ろめたさを感じる必要も無い、と感じられると思います。

3-6 円を金融商品などに交換しだす場合

 4番の、人々が円の価値を疑い出して金融商品などへの交換が活発になった場合について説明します。

 円の価値を疑い出して何かに交換する場合、一番可能性が高いのは外貨だと思いますが、他は金(ゴールド)、株、土地などだと思います。さすがに貯金全額おろして食料品や日用品などを買い込んだりすることはないと思いますので、上記3つについて考えます。

・金(ゴールド)が買われた場合
 金が買われると金価格が高騰します。金は装飾品や工業製品などにも使われていますので、そういう製品の価格に影響すると思いますが、インフレ率への影響はほぼ無いと思います。またこれによって日本経済が崩壊するといった心配は全く不要と思います。
 また金は預金と違って利息は付きませんので、パニックが収まれば売られて金価格は下がると思います。

・株が買われた場合
 バブル期やアベノミクスの時に株価は大きく上がりましたが、以下のグラフの通りインフレ率は大したことありませんでした。株が買われることでインフレ率が暴騰して日本経済が崩壊するといった心配は全く不要と思います。

 1971年~2014年までのインフレ率のグラフ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:JPNCPI1971-2011.png

・土地が買われた場合
 こちらも株の場合と同じで、バブル期に地価は上がりましたが、インフレ率は大したことありませんでした。土地が買われることでインフレ率が暴騰して日本経済が崩壊するといった心配は全く不要と思います。
 また土地の場合は固定資産税を払い続ける必要があるので、パニックが収まれば金よりも早く地価は下落すると思います。
 その間、マイホームを建てづらくなったり家賃が高くなったりして国民の不満が高まるという欠点があります。

 そもそも、お金儲けのためではなく預金価値が目減りするのを防ぐためにこれらを買うわけですから、パニックが収まれば元本保証のないこれらはすぐに売られ、巨大なバブルを発生させることもないと思います。
 それに、国の借金で日本が亡ぶのではないかという不安から円の価値を疑っているわけですから、日本企業の株や日本の土地が買われることはあまりないと思います。さらに日本人は株と土地のバブルで苦い経験をしていますので、なおさらこれらにお金が向かうことはないと思います。
 逆に、持っている株や土地を売ってそのお金を外貨に換えようという流れの方が強く、株価や地価が下落するかもしれません。これで何か問題がある場合は日銀がETFを買って株価を買い支えたり、政府が土地を買い支えたりすればよいと思います。

3-7 日本は国債発行残高や債務対GDP比を気にする必要はない

 まとめますと、国債は日銀が買い取れば済みますので、今の日本はデフォルトを心配する必要は全くありません。そしてパニックが起きることもまずあり得ないし、もし起きたとしても対処法はあり、なすすべもなく日本経済が崩壊するなどということは考えられません。
 一言でいうと、国債発行残高や債務対GDP比を理由にして信認がどうのこうのといった話は、デフォルトがあり得ない日本には当てはまりません。
 あと、ドーマー条件(PB均衡しているときに、国債の名目金利<名目GDP成長率であれば債務対GDP比は拡大しないので財政破綻しない)というのがありますが、そもそも日本は債務対GDP比を気にする必要がないのでドーマー条件も気にする必要はありません。

 一言でいうと、国債発行残高や債務対GDP比を理由にして信認がどうのこうのといった話は、デフォルトがあり得ない日本には当てはまりません。

 また、財政健全化(PB黒字化)は供給能力を毀損してデフォルトリスクを高めますので必要ありません。デフォルトリスクを下げるために必要なのは供給能力を高めることです。

 ちなみに、最近では財政破綻論者たちは国債がデフォルトするとは言わなくなってきているようです。その代わりに「通貨の信認、国の信用、財政の信認などが失われてハイパーインフレになる」といったことに軸足を移しているようです。これも否定されたらまた別の理屈を持ち出してPB黒字化を正当化させようとすると思います。財政破綻論者たちはPB黒字化が第一であって国民の幸福が第一ではなく、そして過ちを認めない不誠実な人達だと思います。彼らの言い分は基本的に無視すべきだと思います。

第4章 日本政府と日銀の純資産は実質的に常に∞円。日本政府の真の財源はお金ではなくデフレギャップ(供給能力の余力)。


4-1 日銀はどれだけ負債を増やしても倒産しない

 市中銀行と日銀の、現金や預金に対する扱いについて説明します。人によって解釈の仕方に違いはあると思いますが、以下のように解釈すると理解しやすいのではないかと思います。

 個人や企業などがお金を支払うときは現金を渡したり預金を振り込んだりして、自分の資産を減らすことでお金を支払います。
 市中銀行の場合は資産を減らす以外の方法でもお金を支払えます。具体的には、支払う相手に自行に預金口座を作ってもらい、その口座の残高を増やす(銀行預金を発行する)ことで支払います。銀行預金は市中銀行にとって負債です。つまり市中銀行は資産を減らす代わりに負債を増やすことでもお金を支払うことができるわけです。ちなみに銀行預金の発行は単に口座残高を書き換えるだけで行えます。日銀も同様で、日銀の場合は日銀当座預金や政府預金を発行できます。
 例えば私たちが市中銀行にお金を預けるとき、市中銀行は私たちから現金を手に入れる代わりに銀行預金を発行します。市中銀行がお金を貸すときは、借用書を手に入れる代わりに銀行預金を発行します。自行で働く行員へ給料を支払うときも銀行預金を発行します。

 市中銀行は顧客からの銀行預金の引き出しに応じるために現金が必要です。市中銀行は銀行預金は発行できても現金は発行できないため、現金が足りない場合は、市中銀行が日銀に持っている口座(日銀当座預金口座)から日銀当座預金(日銀にとっては負債、市中銀行にとっては資産)を引き出すことで現金を手に入れることになります(逆に現金を日銀に預けた時は日銀当座預金が増えます)。また、自行にある口座の銀行預金が他行にある口座に振り込まれる場合は、銀行預金の移動に合わせて日銀当座預金も移動させ、振り込みの前後で自行と他行の純資産が変わらないようにすることになっています。
 そのため、各市中銀行は常にある程度の日銀当座預金を持っておく必要があり、その額は準備預金制度によって決められています。この制度では日銀当座預金の額と市中銀行が発行できる銀行預金の上限額が紐付けされています。

 つまり、市中銀行は預金(銀行預金)は発行できますが上限があり、現金は発行できません。そして赤字が続けば資産である日銀当座預金が減り続けるなどして発行可能な銀行預金額が減り続けます。すると、やがて事業(お金を貸して金利を得るなど)を継続できなくなり倒産することになります。

 これに対して日銀は預金(日銀当座預金や政府預金)と現金(不換紙幣)の両方を発行でき、どちらも上限がありません。そして預金の引き出しには現金の発行で応じることができます。ということは、日銀は負債を解消できずに行き詰るということが無いため、どれだけ負債を増やしても倒産することはありません。日銀にとっての負債は家計や企業にとっての負債とは違い、全く負担にならない負債と考えることができます(一応断っておきますと、ここで言っている「負債」の通貨単位はもちろん「円」です)。

 現に日銀は異次元の金融緩和で数百兆円もの日銀当座預金を発行して国債を手に入れています。現金を発行できる日銀には準備預金制度のような縛りはありませんのでこういうことが可能なわけです。
 また、過去に日銀に対して「日銀保有の日本国債を100兆円分債権放棄したら倒産するのかどうか」を問い合わせたことがあるのですが、倒産しないという回答でした。当時の日銀の純資産は2.9兆円程度でしたので、100兆円分債権放棄をすれば約97兆円の債務超過に陥ることになります。それでも倒産しないわけです。日銀は普通の企業とは全く違います。

 日銀というのは、「あらゆる支払いをツケ(預金発行)で済ませることができ、ツケの精算を求められたらお金を印刷(現金発行)して渡せば済み、その印刷にかかる費用もツケにできる」という存在だと解釈できます。このような存在なので、ツケが膨らんで債務超過に陥っても負債の解消に行き詰ることがないので倒産しないわけです。

 どれだけでも負債を増やすことができ、増やすと同時に資産(例えば国債)を得ることができるわけですから、裏を返せば無限のお金を持っていることと同じだと思います。そう考えると倒産しないのも当たり前だと感じられるのではないでしょうか。
 これを少し詳しく書くとこうなります。無限に負債を増やせる+負債を増やすと同時に資産を得ることができる=無限に資産を増やせる=無限のお金を持っている=実質的に純資産は∞円=バランスシート上で債務超過に陥っても実質的に純資産は∞円だから倒産に追い込まれることは無い。

4-2 日銀がどれだけでも国債を買い取ってくれるので日本政府の純資産は実質的に常に∞円

 通常は、借金を返すのに新たな借金をする、つまり借り換えを繰り返しているとどんどん借金は膨らみ、いずれどこもお金を貸してくれなくなって借金を返せなくなります。だから「借金を増やすのは怖い事」ということになります。
 しかし、借金がどれだけ増えても永遠にお金を貸してもらえるのなら破綻することは無いため、「借金を増やすのは怖い事」とはなりません。
 この場合、裏を返せばお金を借りる側は無限のお金を持っていることになります。借金大王のように見えて本当は大富豪という感じです。

 民間金融機関から日銀が国債を買い取ることで間接的にどれだけでもお金を貸してくれますので、日本政府はデフォルトしないどころか、純資産は実質的に常に∞円と考えてよいと思います。

 家計簿感覚からすればこんなのどう考えても反則です。しかし政府や日銀は営利企業ではありません。「政府や日銀にとってお金は経済活動をコントロールするための道具であって財産ではない」と考えれば、日銀に現金や預金の発行に上限が無かったり、その日銀が政府を支えることは、国民を幸福にするためであれば何の問題も無いと思います。むしろこういうことを「けしからん。不道徳だ」などと考えて制限し、そのために経済政策がおかしなことになり、結果として国民を不幸にすることの方が問題だと思います。

 ちなみに、あってはならないことですが、もし日銀が個人や企業に対しても同様の対応を取るなら、個人や企業でも純資産は実質的に常に∞円となります。

4-3 資産通貨発行権と負債通貨発行権

 「日銀はどれだけでも負債を増やせるから問題ない」とか、「政府は日銀が買い取ってくれるからどれだけ国債発行しても問題ない」とか、「円の価値は政府や日銀の財政の良し悪しとは関係ない」といったことを書いてきました。仮に私の説明を大筋で正しいとご理解いただけたとしても、どこまでも国債発行残高を積み上げることに不安を感じたり、道徳的でないと感じたりして、感情的に納得いかないかもしれません。政府や日銀の財政を家計簿感覚で見る癖が抜けていないと、策定される経済政策に悪影響を与える可能性が常にありますので、この感覚を払拭するために別の観点から問題ないことを説明します。

 「通貨」といえば一般的に現金と預金のことと認識されていると思います。一般の人からすれば現金も預金も資産であり、同じようなものです。しかし発行する側から見れば現金と預金は違います。発行する側から見た場合の現金(硬貨と紙幣)と預金はどういうものかについて以下に記します。

硬貨
 政府が作り、日銀に渡されることで発行されたことになり、その金額分だけ日銀のバランスシートの資産「現金」と負債「政府預金」を増やします。日銀にとってはプラスマイナスゼロですが、政府にとっては発行額から硬貨の製造コストを引いた分が政府の儲けとなり、その分の純資産が増えます。ちなみにこの儲けを通貨発行益といい、これはPBに含まれます。

紙幣
 日銀が作り、市中銀行が日銀当座預金を引き出す際に日銀が紙幣を渡すことで発行されたことになります。このとき、日銀のバランスシートの負債「日銀当座預金」が発行額分だけ減少し、負債「発行銀行券」がその分だけ増加します。金本位制の時代であれば紙幣と交換で金を渡す必要があるため発行額を負債として計上することもわかりますが、現在は不換紙幣ですので実質的には負債ではありません。バランスシート上ではプラスマイナスゼロですが、実質的には負債「日銀当座預金」が減ることで純資産が増えていると考えてよいと思います。

預金
 日銀と市中銀行が発行できる負債で、モノではなく単なる情報です。発行時に純資産が減ります。但し発行時に同じだけの資産(例えば市中銀行なら現金や借用書、日銀なら国債など)を得ていれば純資産は変わりません。

 ここで、純資産を増やす通貨(硬貨、紙幣)を発行できる権利を「資産通貨発行権」、純資産を減らす通貨(預金)を発行できる権利を「負債通貨発行権」と呼ぶことにします。
 すると、政府は資産通貨発行権を持ち、市中銀行は負債通貨発行権を持ち、日銀は両方を持っていることになります。硬貨、紙幣共に発行に上限はありませんので理論上は無限に発行できることになります。ということは政府と日銀の持っている資産通貨発行権は「純資産を無限に増やせる権利」ということになります。
 すると、この資産通貨発行権の価値はいくらになるかと考えると、∞円になると思います。

 政府と日銀のバランスシートの資産の部に「資産通貨発行権∞円」と記載することをイメージしてください。するとバランスシートの左下にある資産の合計が∞円になり、右下にある純資産が∞円になります。この3つの∞円は、他の項目の金額がいくらになっても常に固定です。
 日銀は、実質的に負債ではない「発行銀行券」をバランスシートに計上しています。であればこれとは逆に、実質的に資産であるがバランスシートに計上されていない「資産通貨発行権」が存在すると考えることもできます。

 バランスシートの記載ルールを変えるよう求めているわけではありません。ただ政府や日銀の財政を考えるときは常に、バランスシートに「資産通貨発行権∞円」、「純資産∞円」と記載されていることをイメージしてもらえばよいだけです。あくまでも政府や日銀の財政を家計簿感覚で見てしまう癖を直すための説明です。

 政府の本来の目的は国民一人一人を幸福にすることだと思います。∞円だからといって考え無しにお金を使えば、格差が拡大したり、社会が混乱したりと国民を不幸にすることにつながりますので、きちんと考えて使う必要があります。ただお金の心配をする必要は全く無いというだけです。

4-4 政府の財政と家計は違う

 国債発行残高が増えることに恐怖、不安、焦りを感じ「借金をこれ以上増やしてはいけない、PB黒字化すべきだ」と考えたり、「国債は日銀が買い取れば済む」「国債発行残高は減らす必要が無い」などという言葉に「ずるい」「不道徳だ」「そんなことがずっと続けられるはずがない」「できるだけ日銀に頼らないようにしなければ」等と考えるのは、政府の財政を家計と同一視しているのが原因と思います。同一視すれば私だってそう考えます。しかし全く別物であると理解すればこういった考えも無くなると思います。

 「岸田ビジョン」や様々な財政破綻論(矢野論文含む)から共通して受ける印象は「政府の財政を家計と同一視している」ということです。これは絶対に正す必要があります。これまでの説明で全くの別物であることをご理解いただけていればよいのですが、そうではない可能性もありますのでもう少し説明します。

 成長する企業は大抵の場合、お金を借りて投資して事業で儲けて、さらにお金を借りて投資して事業で儲ける、ということを繰り返してどんどん成長し、それにしたがって資産と負債の両方が増えていく、という感じで成長していると思います。そしてこの時の負債だけを見て「こんなに借金が増えた。大変だ」などという人もいないと思います。むしろ成長を続けていることを称賛されます。
 企業経営者が、家計と同じように考えてお金を借りずになんとかしようとしていれば、資金が貯まるまで投資できず、その間にチャンスを逃したりして、なかなか成長することはできません。
 こういうことから家計と企業の財政は違うということがわかると思います。

 そうであれば家計と政府の財政が違っていてもおかしくはないと思います。
 政府には資産通貨発行権があり、これだけでも十分なのにさらにその上日銀が国債を買い取ってくれます。なのでどれだけ負債を増やしても返済に行き詰ることはありません。もちろん家計にも企業にもこのような特権はありません。
 家計と企業の財政が違う以上に、家計と政府の財政は違います。これはもう別次元と言っていいほどの違いです。

 実際にご自身が資産通貨発行権を持っていると考えてみてください。貯金がどのくらいあるか、年収がどれくらいかなど一切気にすることは無くなり、宝くじに当たって1億円もらっても何とも思わなくなり、収入に応じて支出を考えることもなくなり、何か買うときに値段すら見なくなるでしょう。こうなるとお金は財産ではなく、資産通貨発行権こそが財産であると感じてくるのではないでしょうか。資産通貨発行権があるのと無いのでは大違いです。それでも政府の財政と家計を同一視しますか?

 負債について見れば、以下のグラフが示す通り政府債務の残高は増え続けています。上は1872年~2015年のデータで、下は1970年~2020年のデータです。
 1872年-2015年 政府債務の金額及び実質残高(2015年基準)の推移(単位:億円)
 http://mtdata.jp/data_53.html#Seifusaimu

 日本政府(中央政府・地方自治体)の長期債務残高(左軸、兆円)、インフレ率・長期金利(右軸、%)
 http://mtdata.jp/data_74.html#choki

 また以下動画の6:02ではアメリカやイギリスも長年にわたって政府債務の残高を増やし続けていることを示すグラフが表示されています。

 【藤井聡Part4】「国の借金イコール悪」は大間違い!/水道橋博士も納得!MMT(現代貨幣理論)の一番大事なトコロ/瀕死の日本にはまず点滴を【日本経済】
 https://www.youtube.com/watch?v=Xvr2ujp2OGA&t=362s

 以下の動画の4:05~4:35と4:50~5:07での説明によれば、日本政府の債務残高(2015年時点)は名目の金額で1872年の3740万倍、実質でも1885年の546倍になっています。また1970年度と比べると2020年度は166倍になっています。

 三橋貴明 vs 財務省No.1 矢野康治が犯した憲法違反
 https://www.youtube.com/watch?v=-zUi5eGdSr0&t=245s

 150年にわたって借金を増やし続け、3740万倍にするなんてことは家計では不可能だと思います。またこれだけ増やしたにもかかわらず特に何も起きていません。こういうことからも政府の財政と家計が違うことが分かると思います。そしてこのような現象は日本だけではなくアメリカやイギリスでも同様であることが分かります。

 財政破綻論者たちはよく「将来世代にツケを残すな」と言います。過去の先人たちは政府債務を増やし続けましたが、将来世代である我々はツケで苦しむどころか先人たちよりも豊かな暮らしをしています。
 今後150年でさらに数千万倍、数十年で数百倍に増えても何も起きないどころか、将来世代は我々よりも豊かな暮らしができているのではないでしょうか。

 このような現実を直視して「政府とはそういうものなんだ」と受け入れるべきだと思います。自分の信念や願望や感情やプライドを優先して現実を否定するべきではありません。現実を直視せずに政府の財政を家計と同一視し続けるのなら、狂信者と呼ばれても仕方ないと思います。
 誰だって家計にたとえられれば国の借金はなんとかしなければと思ってしまいます。私も以前はそうでしたし、今でもほとんどの国民はそうだと思いますので何ら恥じることは無いと思います。
 「岸田ビジョン」によると総理は現実主義を大切にしていますので、きっとこの現実を直視していただけると思います。

4-5 国債=借金という認識は無くすべき

 政府の財政と家計が違うとすると、では(自国通貨建て)国債とはいったいどういう存在になるのでしょうか。

 国債には償還期限があり利子を付けて償還する必要があるため、国債=借金と認識するのは普通だと思います。しかしデフォルトはあり得なく、政府の純資産は実質的に常に∞円であるためどれだけ増えても負担に感じる必要はありません。しかし借金だと思うと「増やしてはいけない。減らさなければ」と負担に感じて適切な経済政策が出来なくなることが予想されます。そのため国債=借金という認識は無くすべきです。

 では国債とは何なのかというと、以下のようなものだと考えていればよいと思います。
1.政府が支出をする際のプロセスで必要になり、その結果生まれる副産物。
2.民間金融機関に投資先の選択肢の一つとして与えるもの。
3.日銀の買いオペや売りオペに使われるもの。

 こう考えると、増えたところで問題は無く、減らす必要性を感じなくなるのではないでしょうか。
 国債とはこういったものと考え、気にしない方がいいと思います。

4-6 税=財源という認識は無くすべき

 国債=借金ではないならば、財源は全て国債発行で賄えばよく、財源確保のために増税をしたり、あるところに予算を付ける代わりに別のところの予算を削る、などということをする必要が無くなります。
 つまり支出の際に税収を気にする必要が無いわけです。

 税を財源と考えることは政府の財政を家計と同一視することに繋がり、ひいては経済政策を歪めることに繋がりますので、税=財源という認識は無くすべきです。
 また、税=財源という認識は税制をも歪めることに繋がりますので、やはりこの認識は無くす必要があります。

 税が財源でないのなら税は不要なのかというとそうではありません。税は世の中からお金を吸い上げることで経済をコントロールし、国民一人一人を幸福にするための道具として必要です。詳しくは第6章で説明します。

 「財政支出で世の中にお金を供給し、税でお金を吸収する。どのようにお金を支出するか、どのようにお金を吸い取るか、これによって経済をコントロールし、国民を幸福にする」。このように考えるのがよいと思います。そうするとますます政府にとってお金はただの道具であり、通貨発行権と徴税権こそが財産と感じられると思います。

 ちなみに、「税金の無駄遣い」というお決まりのフレーズは「政府の財政は家計と同じ」という認識を強化することにつながりますので、「供給能力の無駄遣い」と言い換えるのがよいと思います。

4-7 財源=デフレギャップ(供給能力の余力)と認識すべき

 非常に大事なことですが、「財源」とはお金ではないと考えた方がよいと思います。「財源」とは財の源と書きます。財を生み出すのに必須なのはお金ではなく供給能力です。例えば世界の超大金持ち達でさえ30年前は誰もスマホを持っていませんでした。理由はお金が足りなかったからではなく、当時はスマホを作る供給能力が無かったからです。逆にボランティアなどはお金が無くても財を生み出しています。
 お金は需要を生み出して供給能力を発揮させたりするのに使える便利な道具に過ぎません。
 政府は純資産が実質的に∞円かつ日本における最大の需要創出者(一企業や一個人とは比較にならない)なのでなおさら財源=供給能力と考えるべきです。すると日本のデフレギャップ(供給能力の余力)が大きいほど日本政府にとって多くの財源があることになります。またこう考えることでお金を使い過ぎてハイパーインフレになる心配も不要になります。
 そして、需要不足の日本はまだまだ財源が有り余っていることが理解できると思います。おそらく日本は20年以上前から世界一財源が有り余っている国だったと思います。

 財源=お金と考えるとお金の収支ばかりを気にしてお金を中心に経済を考えるようになり、「打ち出の小槌は無い」とか「そんなうまい話があるわけがない」などという考えがつい現れてしまいます。しかし、財源=デフレギャップ(供給能力の余力)という認識になると需要と供給と潜在需要と供給能力を中心に経済を考えられるようになり、これまで私が書いてきたことがより深く理解でき、「国の借金」に対する恐れが無くなると思います。

 景気が悪化する=財があまり売れなくなる、とします。すると、景気が悪化すると基本的に税収は減りますが、デフレギャップは増えることになります。
 ここで、税を財源だと考えていると支出を増やしてデフレギャップを埋めることができないので高圧経済にすることができません。
 しかしデフレギャップが財源だと考えていれば、景気が悪化すると財源が増えたことになるので、財政拡大をして景気を良くして高圧経済にすることができます。

 財源=お金と考えると「毎年こんなに借金をしている。大変だ」となりますが、財源=デフレギャップと考えると、デフレギャップを放置し続けることは「毎年こんなにお金をドブに捨てている。もったいない」となります。
 たとえばデフレギャップが50兆円あってそれを放置したとすれば、それは50兆円ドブに捨てるようなものだということです。あるいは1億円が当たった宝くじを50万枚すべて破り捨てるようなものだということです。毎年放置していれば毎年これを行っていることになります。
 デフレギャップを放置することがどれほどもったいないことかが分かると思います。そして単にもったいないだけでなく、様々な害悪をもたらすことを後で説明します。

 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。
 「やはり、国として「財政」という財布に一定の余裕を持つことが何としても大切です。そのために財政の健全化を志向することが重要だと私は考えています。」43ページ

 日本政府の財布の中身はお金ではなくデフレギャップ(供給能力の余力)と考えるべきです。そしてPB黒字化を目指すほど供給能力が毀損され、財布の中身が失われていくと考えるべきです。これは日本の存亡に関わるほど極めて重要なポイントです。この考え違いこそが、日本が抱えるあらゆる問題の元凶と言っても過言ではありません。絶対に考えを改める必要があります。

4-8 PB黒字化を目指すことは意味のない行為

 純資産が∞円であれば、100兆円の財政赤字を出した場合は∞-100兆=∞、100兆円の税収があった場合は∞+100兆=∞となり、純資産は常に∞円で何も変わりません。どれだけ歳出を増やしても、どれだけ税収を増やしても、常に∞円です。PB黒字化のために歳出を削ろうとしたり増税して税収を増やそうとすることが全く意味のない行為だとわかります。

 政府は、政府の資産を増やしたり負債を減らしたりするために存在しているわけではありません。また国民相手に商売をしているわけでもありません。国民一人一人を幸福にするために存在していると思います。ですからPB黒字化という意味のない目標など持ってはいけません。今の政府は自身の存在理由を見失った状態、あるいは営利企業と勘違いしている状態にあると思います。

4-9 PB黒字化目標は無意味どころか巨大な害悪を及ぼし、国民を不幸にして国を亡ぼす

 供給能力を上回る需要を発生させて人手不足にし、生産性向上により供給能力を高める。これを続けることによって国は発展し、国民を幸福にすることができます。
 需要が足りない時は政府が支出して需要を生み出す必要があります。これは民間任せでは無理です。理由は、人余り→実質賃金の低下→需要の低下→人余り…のループに陥るからです。PB黒字化目標があるため、これまでずっと出来るだけ政府は支出せずに民間にお金を使わせたり外国の需要を取り込もうとしてきましたが、未だに抜け出せずにいます。政府が支出を拡大して需要を十分に増やさない限り、この状態から抜け出すことはできません。これは世界大恐慌の時の先進国や、ここ20年以上の日本が実証していると思います。
 このループが続けばどこまでも国民は貧困化し、国は衰退し続けて最終的には亡びます。なので増税や歳出削減をして仮にPB黒字化できたとしても、これを何年も何十年も続けられないことは明白です。PB黒字化そのものが持続可能性が無いわけです。

 わかりやすくいうと、子供が大きくなるにしたがって食事の量を増やさないと栄養失調になってしまうように、供給能力が高まるにしたがって需要も増やしてあげないと国は衰退します(おかしな話ですが、今の社会の仕組みではこうなってしまいます。詳しくは第7章で説明しています)。
 今の日本は栄養失調に陥って点滴を打っているときに、点滴の量を減らそうとし続けた結果、成長が止まって様々な障碍が出てきている状態です。このままだといずれ死にます。言うまでも無く、PB黒字化を目指すということは点滴の量を減らして日本を衰弱死させることです。
 日本が長年経済成長していないのを「成熟国だから」と、これからも成長しないことは定められた運命かのような話をTVや新聞でよく目にしますが、これはとんでもない間違いです。栄養失調で死にかけているだけです。

4-10 PB黒字化を目指したことによって起きた害悪の具体例

 昔の日本は財政均衡主義という考えはありながらも、経済状況に応じて必要であれば国債を発行していたのが、橋本政権(1996~1998)のときに財政構造改革法(簡単にいうと「財政収支の健全化」を目的とした法律)を成立させたり消費税を3%から5%に上げたりと、この頃から経済よりも財政の方を非常に優先するようになったようです。そしてその延長線上に小泉政権でのPB黒字化目標の導入があったと考えます。そして財政均衡主義という考えは現在も継続しているようです。
 橋本政権からの緊縮路線によって起きたと思われる害悪をいくつか挙げます。

1.GDPが20年以上ほぼ横ばいのため数千兆円分の付加価値を生産できず、一人当たり数千万円の所得を得られなかった
 以下のグラフで政府支出とGDPに強い相関があることが分かります。政府が支出して需要を生み出せばGDPになるわけですから政府支出が増えればGDPも増えるのは当たり前ですね。PB黒字化を目指すと出来るだけ支出を抑えこもうとしますので、GDPはあまり伸びないどころか場合によっては減ることになることが分かります。

 主要国の2019年GDP・政府支出 対2001年比(倍)
 http://mtdata.jp/data_78.html#IMF

 そして以下のグラフでは1997年までは右肩上がりで増え続けていたGDPが、それ以降はほぼ横ばいになっていることが分かります。

 日本の名目GDPの推移(兆円)
 http://mtdata.jp/data_76.html#meimoku

 また、以下動画の8:59のグラフでは1997年~2016年で名目GDPは0.5%しか増えてないと示されています。そして日本以外の国では少なくとも数十%以上増えていて、アメリカや北欧諸国は約2倍になっていることが分かります。
 同じ動画の10:30のグラフは日本が1997年以降も他の先進国並みに経済成長していた場合のGDPのグラフです。ドイツ並みにGDPが増えていれば2019年時点で900兆円以上、日本以外のG6平均並みであれば1100兆円以上、アメリカ並みであれば1300兆円以上で、累計はそれぞれ4234兆円、6941兆円、8929兆円となっています。これを日本人の人口を1億3000万人として計算すると一人当たり約3300万円~約6900万円になります。

 「日本は成熟社会だから需要が伸びない!」えっ嘘だろ!?小野善康教授の間違い[前編](池戸万作)
 https://www.youtube.com/watch?v=20L1ba4g558&t=539s

 ちなみに、以下動画の10:00のグラフは1990年~2021年までの一人当たりGDPのランキングのグラフですが、これによると日本は2000年は世界で第2位だったのが2021年は26位になっています。PB黒字化目標がある限りこれからも下がり続けるでしょう。

 【第59回】日本だけが一人負け・・・賃金デフレを脱却せよ!(玉木雄一郎 × 森永康平)
 https://www.youtube.com/watch?v=8k0BVWEOnFU&t=600s

 また、以下動画の19:27のグラフは1991年~2020年までのG7各国の名目賃金の推移のグラフ(1991年を100として指数化)です。これを見ると一目瞭然で日本だけが横ばいで他の国は右肩上がりとなっています。

 【第70回】正気か!?投資による資産所得倍増計画?(森永康平)
 https://www.youtube.com/watch?v=TW0wstO7H-Y&t=1167s

 PB黒字化を目指さなければ普通に経済成長し、今より累計で数千兆円分も多く付加価値を生産し、一人当たり数千万円も多く所得を得られていたことになります。そしてPB黒字化を目指していれば今後もこの額は雪だるま式に増えていくことになります。

 また、GDPに占める政府支出の割合を20%とすると、累計で約800兆~1800兆円多く政府支出を行っても問題なかったどころか、支出すべきだったことになります。すると、以下のようなことも余裕で出来ていたと思います。
 ・防衛、防災、医療、エネルギー、食糧などの様々な安全保障を高める
 ・研究開発投資を行い技術力を高める
 ・大学への補助金増額
 ・地方交付税交付金の増額
 ・全国にリニア新幹線網を築く
 ・全国の高速道路網を整備する
 ・老朽化したインフラの整備
 ・電線の地中化

 さらに、以下のようなことも起きてなかったのではないかと思います。
 ・企業の海外への工場移転による技術の流出と国内の供給能力の低下
 ・企業の中国への投資が活発になり、中国の供給能力を高めて中国を発展させる
 ・中国の軍事的脅威が高まり、いつ尖閣を奪われてもおかしくない状態にある
 ・非正規雇用の割合が大きく増える
 ・コロナ対応で諸外国と違って消費税を減税しなかったり給付金を少ししか配らずあまり国民を助けない

 いくつか思いついたものを挙げましたが、実際はこの程度ではなく書き尽くせないほど無数にあると思います。
 PB黒字化を目指す国会議員や財務官僚や財政破綻論者たちはこの惨状を知っても「そんなことよりも財政再建待ったなし」としか考えないと思いますが、常識があればPB黒字化目標に対して疑いの目を向けると思います。

2.実質賃金の低下
 以下のグラフを見て分かる通り、1997年辺りから20年以上下がり続けています。需要不足が原因となり下がっていったものと思われます。

 日本の実質賃金の推移(2015年=100)
 http://mtdata.jp/data_79.html#Real

 これに関係すると思われるものとして以下があります。

 ・結婚したくてもできない人の増加と少子化
  以下の4つのグラフより、有配偶出生率は特に落ち込んでないため、少子化は結婚が減ったことが原因だと分かります。その原因は結婚願望が無くなったからではなく、男性の年収が低かったり雇用が安定していないからだと分かります。

  日本の合計特殊出生率(右軸)と有配偶率・有配偶出生率(左軸)
  http://mtdata.jp/data_66.html#yuhaigu
  未婚者(18~34歳)のうち「いずれ結婚するつもり」と答えた者の割合
  http://mtdata.jp/data_78.html#wariai
  男性の年収別有配偶率
  http://mtdata.jp/data_78.html#yuhaigu
  男性の従業上の地位・雇用形態別有配偶率
  http://mtdata.jp/data_66.html#haiguuritsu

 ・金融資産を保有していない単身世帯割合の増加
  以下動画の15:49の表(金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査」)では2007年と2017年を比べると20代は約2倍、30代は約1.2倍、40代は約1.4倍、50代は約1.5倍、60代は約1.6倍と大幅に増えています。これは刹那的、近視眼的な生き方をする人が増えることに繋がると思います。

  「日本は成熟社会だから需要が伸びない!」えっ嘘だろ!?小野善康教授の間違い[前編](池戸万作)
  https://www.youtube.com/watch?v=20L1ba4g558&t=949s

3.自殺者と自殺未遂者の増加
 以下資料の4ページの「補表1 年次別自殺者数」によりますと自殺者数は平成9年(1997年)から平成10年(1998年)にかけて男性は約1.4倍、女性は約1.2倍に跳ね上がっています。
 また8ページの「補表7 原因・動機別自殺者数の推移」で動機別でみると一番大きく増えているのは「経済生活問題」で約1.7倍となっています。

 警察庁 平成18年中における自殺の概要資料
 https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H18/H18_jisatunogaiyou.pdf

 以下ウェブページの「図表6 失業率と自殺死亡率の推移」は1989年から2019年までの失業率と自殺率のグラフですが、相関が強いことが分かります。
 また「図表5 自殺者数の推移」では自殺者数は1997年から2009年まで高止まりし、それ以降はなだらかに下がっていることが分かります。

 自殺の影響は広範囲にわたる
 https://www.works-i.com/column/hataraku-ronten/detail006.html

 この急激な自殺者の増加は、橋本政権から緊縮路線に転換したことで景気が悪化して失業が増えたことが原因ではないかと思います。またその後も小泉政権でPB黒字化目標を導入するなど緊縮路線を続けたために自殺者数は高止まりしたのではないかと思います。

 もしこのような緊縮路線に舵を切らず、自殺者数が2万5000人で横ばいだったと仮定し、以下資料の15ページの「自殺者の年次推移」の表を元に計算すると、2万5000人を超えていた平成10年(1998年)から平成26年(2014年)までで累計で7万2555人多く自殺したことになります。また本当は自殺なのに遺書が無かったために自殺と判断されなかったケースもあるでしょうから実際はもっと多いことになります。

 厚生労働省、警察庁 令和3年中における自殺の状況
 https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R04/R3jisatsunojoukyou.pdf

 さらに以下によると自殺未遂者は自殺者の少なくとも10倍以上はあるようです。

 自殺未遂50万人の衝撃…私たちの「一言」の功罪 2016.9.27
 https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/092300070/
 「「自殺未遂者は、自殺者数の10倍程度」というのが、これまでの定説だった。ところが日本財団が行った調査で、20倍近くもいることが明らかになったのである。」

 あくまでも私の推測にすぎませんが、PB黒字化目標は大量の自殺者や自殺未遂者を出したと思います。
 ただ数字だけを見ればあまり何も感じないかもしれませんが、自分が自殺するしかない状況に追い詰められ、それを決行することを想像すると胸が詰まります。そんな思いをした人が数十万人から百数十万人も増えたと推測できるわけです。想像を絶する酷さだと思います。

 探せば他にいくらでもあると思いますが、個別の問題はこのくらいにします。
 少なくとも、PB黒字化目標は国民を貧困化させ、人口を減少させ、国を衰退させます。そして軍事バランスを崩し、戦争を引き起こす(他国に攻められる)可能性を高めることが分かると思います。もし戦争になれば当然負けて滅茶苦茶にされるでしょう。つまり国家の存亡にかかわるわけです。
 忘れてならないのは、これからもPB黒字化を目指すということは、これらの害悪をさらに深刻化させ、新たな害悪も生み出すということです。

 こうして見てみると、PB黒字化目標は昔の中国の風習の纏足(てんそく)に似ていると思いました。纏足とは女児の足がそれ以上大きくならないように足首から先を布で縛るというものです(理由は、小さい足の女性は美しいと考えられていたからのようです)。これにより成長するにしたがって足の骨が変形する為、苦痛を伴います。成長するほど変形が顕著になり、苦痛も大きいと思います。日本経済はPB黒字化という布で縛られているため、生産性向上してもGDPが変わらず、内部では様々な問題が発生し深刻化していっているわけです。
 ついでに言うと、小さい足を美しいと考えるのが小さな政府主義者で、骨の変形が構造改革といったところでしょうか。

 PB黒字化目標をやめて普通に経済成長させていけば、日本が抱える問題の全てではありませんが、かなりの問題が解消されていくと思います。単なる私の印象に過ぎませんが、問題の9割以上はPB黒字化を目指したことが根本的な原因と思います。そしてこれは東日本大震災とは比較にならない程大きな人災です。
 PB黒字化目標を堅持することは、苛政、狂気の沙汰、国家的自殺に過ぎません。非人道的行為と言ってもいいと思います。これまでに何発分の原爆を落としたことに相当するのでしょうか。核廃絶に熱心な総理が核兵器以上の人的・経済的被害を及ぼすPB黒字化に固執するのは悪い冗談です。

 財政破綻論者は「将来世代にツケを残すな。PB黒字化目標を堅持すべきだ」というようなことを言いますが、日本国民は上記の通り、貧困化や安全保障の危機などの様々な形で「PB黒字化を目指したツケ」を20年以上支払い続けています。にもかかわらず多くの国民がそれに気付かず、「国の借金1200兆円。国民一人当たり1000万円の借金」といった感じの悪質なプロパガンダによって「国の借金」ばかりに気を取られ、亡国への道を正しい道だと信じ、現実主義を大切にする総理までもが正しい道だと信じて、亡国の政策を推進している絶望的な状況です。

4-11 日本はPBではなく高圧経済かどうかを基準に財政の健全性を判断するべき

 財務省設置法 第三条で財務省の任務として「健全な財政の確保」と書かれていますが、「健全な財政」が具体的にどういうものであるかは書かれていません。

 また、財務省のウェブページで「財政健全化目標」が以下のように定義されています。

 日本はどのように財政健全化を図っていくのか
 https://www.mof.go.jp/zaisei/fiscal-consolidation/index.html
 「財政健全化目標(2025年度の国・地方を合わせたPB黒字化を目指す、同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す)」

 おそらく財務省は「健全な財政の確保」のために、PB黒字化と債務対GDP比の引き下げが必要、と考えているのだと思います。

 だとするとこれは極めて不適切だと思います。
 繰り返しになりますが、政府の純資産は実質的に常に∞円です。政府にとってお金は財産ではなく、政策実現のために自由に生み出せるただの道具です。たくさんお金を持ってるから財政が健全とか借金が多いから不健全とかいうことではありません。政府の財政と家計は違います。資産や負債の額や推移を見て財政が健全かどうかを考えること自体が無意味です。そしてこの考えが、亡びるまで国を衰退させ続け、国民をどこまでも不幸にしていきます(既に20年以上続けています)。常識的に考えて、無意味どころか巨大な害悪をもたらし、供給能力を毀損して財政の持続可能性を低下させる財政健全化目標は、「健全な財政」と真っ向から対立するものだと思います。「財政健全化目標」ではなく「財政不健全化目標」と呼ぶのがふさわしいと思います。すぐにでも目標を変えるべきです。

 ではどうすればいいのかというと、まず「健全な財政」の定義を「自国通貨建て国債しか発行してなく、変動相場制であり、高圧経済の状態」であれば健全で、そうでなければ不健全と、とりあえずそう定義するのがよいと思います。この定義であれば人手不足を解消するために生産性向上が行われ、継続的に実質賃金を上昇させ、国民一人一人を幸福にできると思います。また供給能力も高まりますので財政の持続可能性も高まります。
 簡単にいえば、変動相場制で自国通貨建て国債しか発行していない日本は、PBを基準に財政の健全性を見るのではなく、高圧経済かどうかを基準に財政の健全性を見るべきだということです。
 すると、今はとても高圧経済とはいえないので財政は健全ではないことになります。財政を健全化するには財政赤字を拡大して需要を増やす必要があります。つまり財政健全化目標を、PB黒字化ではなくPB赤字拡大に変える必要があります。

4-12 政府にとってはお金よりも供給能力を高めて国民を幸福にすることの方が重要

 矢野論文の中で「まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」と書かれていますが、まさその通りで無尽蔵にお金があるんです。純資産は実質的に∞円です。
 ∞円ですので負債を気にする必要は無く、財源を税に求める必要も無く、PB黒字化を目指す必要もありません。それどころか日本の財政はもっともっと支出をして構わない(というかしなければならない)というおそらく世界一幸運な状況にあります。世界最悪の財政状況だと思っていたら真逆だったわけです。

 財は供給能力を発揮することで生み出せます。しかし供給能力を高めるのは簡単ではありません。例えば、核融合の原発を作ったり、1日100個の製品を生産できる企業が1日500個生産できるようにするのは簡単ではありません。
 また、普通の人が働いて世の中に財を生み出して給料を得て1億円稼ごうとすれば数十年働く必要があります。これに対し、政府や日銀は簡単にお金を生み出せます。なので国民全員に1億円ずつ配ることも簡単です。お金は簡単に生み出せますがそれに相当する財を生み出すのは簡単ではありません。政府や日銀にとってお金は経済をコントロールするために大事なものですが、それとは比較にならないほど大事なのが国の供給能力です。
 その供給能力こそが円の価値を支え、日本を自国通貨建て国債しか発行していない変動相場制の国にし、デフォルトを回避しています。さらにあらゆる安全保障を高めて国を守ったり、国民の潜在需要を満たしたりしています。

 国の供給能力を支えているのは技術、設備、インフラなどありますが、元をたどれば全て国民一人一人の労働に行きつきます。PB黒字化目標はその国民を苦しめ、供給能力を毀損させ、国を衰退させていっています。
 将来世代に残すべきはお金ではなく豊かな国です。しかし実際は「将来世代にツケを残すな」と言ってPB黒字化を目指し、衰退してボロボロになった国を残そうとしています。
 この愚かなことを20年以上も続けています。
 政府の財政を家計と同一視するというたった一つの間違いが、結果的に国民を苦しめ続け、国を亡ぼそうとしているのです。

 重要なことは、できるだけお金を集めることではなく、またできるだけお金を使わないことでもありません。無尽蔵にあるお金を、国民一人一人を幸福にするためにどのように使うかです。

 あくまでも私の考えですが、事実を基に論理的に考えれば誰でも同じような結論になるのではないかと思います。

第5章 認知的不協和を乗り越えるために


5-1 認知的不協和を乗り越えるには謙虚さが必要

 岸田総理は長年財政健全化(PB黒字化)に熱心だったようですので、それを否定するどころか国を亡ぼす巨大な害悪だと言っている私の意見は、総理を認知的不協和に陥らせる可能性があります。

 ちなみに認知的不協和とはWikipediaで「人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語」と説明されています。
 申し訳ありませんが、この章では総理が認知的不協和に陥っていることを前提として話を進めさせていただきます。

 認知的不協和は非常に厄介で、これを乗り越えるにはまず認知的不協和について知ることが大事だと思いますので、社会心理学者のキャロル・タヴリスが認知的不協和について書いた本「なぜあの人はあやまちを認めないのか 言い訳と自己正当化の心理学」(河出書房新社 2009年出版)から特に重要と感じた部分を以下に抜粋しました。

 「人間というものは正しくないとわかっている事柄でも信じることができ、やがてその間違いが露見すると、厚かましくも事実の方を捻じ曲げて自分を正しく見せようとする。頭の中では、この作業を何万回でも繰り返せる。「待った」の声がかかるのは、間違った意見と厳然たる事実が衝突する時、大抵は修羅場で正面衝突する時だけである。(ジョージ・オーウェル 1946年)」6ページ

 「新しい情報がそれまでの自分の意見と一致していると、私たちはそれを真正で有益な情報だと判断する。「ほら、言ったとおりだ!」。しかし不協和が生まれた場合には、新しい情報は偏っていたり内容のないものだと考える。「なんてくだらない主張だ!」。調和の欲求はこれほどまでに強力なため、人は不協和を生じさせる証拠を突きつけられると、それまでの意見を保持し、ときにはさらに強化できるように、この証拠を批判し曲解し放棄しようとする。こうした心理的な捻じ曲げを、心理学では「確証バイアス」という。」29ページ

 「人間は、取り返しがつかなければつかないほど、おこなってしまった事柄が正しかったと思い込むのである。」34ページ

 「自己正当化の世界では、私たちは善良な人間であり、したがってそうした私たちがわざと他人に苦痛を与えているとすれば、相手がそうされて当然なのであり、よって私たちは邪悪などなしておらず、それどころか善をなしている、と論は進む。こうした論法に頼って不協和の解消をしない、あるいはできない比較的少数の人々は、罪の意識や苦悶、不安、悪夢、眠れない夜など大きな心理的代償を支払うことになる。自分が実行してしまった、しかし道徳的に許容できない恐ろしい出来事の記憶を胸に抱えたまま生きていくことは地獄であり、だからこそ多くの者は何でもいい、手近な自己正当化に手を伸ばして不協和をなだめようとする。(中略)自己欺瞞の恐るべき算術では、私たちが人に与えた痛みが大きいほど、自分はきちんとした人間であるとか価値のある人間だとかいう気持ちを保つために、痛みを正当化する必要性が大きくなる。こちらが苦しめてやった人間はああされて当然だったのだから、私たちは苦痛を与えた。今ではさらに相手が憎くなっていて、だからますます苦痛を与えたくなってしまう。」259ページ

 「人が悔い改めたり、別の人格に生まれ変わったり、突然に翻意したり、急に目覚めたりして、すっくと背を伸ばしたかと思うと、過ちを認め、正しい行いをした――などという奇跡が起きるのをいらいらしながら待っても無駄だ、というのが、おそらく不協和理論が教えてくれる最大の教訓だろう。大抵の人間や組織は、あやまちを正当化し、それまで通りにやっていける便利な方法で不協和を減らせるなら何でもしようとする。」293ページ

 「不協和あるいは協和を生じさせる情報を処理中の被験者の脳をMRIで調べたところ、不協和的な情報が入ってくると脳の思考領域が実際に動きを止めてしまい、協和が復活すると感情回路が嬉しそうに輝いたという。人がひとたび意見を固めると翻意させるのが難しいということの根底には、こうした神経科学的なメカニズムがある。」31ページ

 「私たちに必要なのは、それは間違っていると言ってくれる数人の信頼できる人物であり、保身のために自分を正当化する泡のような戯言を批判し吹き飛ばし、私たちが現実から遠く離れてしまったら引き戻してくれる人物である。権力の座にある人々にとっては、こうした存在はとりわけ重要になる。」89ページ

 「自分がどう考え、なぜそのように考えるのかを深く理解することが、自己正当化という習慣を断ち切る第一歩だ。」54ページ

 「自分は今、不協和を感じているのだと意識できると、自動的に動き出す自己防衛システムが都合のいいようにその不協和を解消するのに任せてしまわずに、もっと鋭敏で賢明で意識的な選択ができるはずだ。」297ページ

 「最終的にはこの謙虚さこそが核心だ。人間の心がどれほど協和状態を求め、信条や決断や好みに疑念を起こさせる情報を拒否しようとするかが理解できれば、自分が間違うかもしれないという事実に心を開くことができる。常に正しくありたいとの欲求からも脱却できる。」299ページ

 「間違いとは拒絶したり正当化すべき欠点の証ではなく、成長し向上する手助けとなる、人生での避けがたい出来事だ」308ページ

 「最終的に、国家の品性は、そして人間個人の品格は、あやまちをどれだけおかさなかったかで決まるわけではない。決めるのは、あやまちのあとで何をしたか、である。詩人で翻訳も手がけるスティーヴン・ミッチェルは老子経に想を得て次のように記している。
 偉大な国家というものは、偉大な人間に似ている。
 あやまちをおかしたときには、それに気づく。
 気づいた時には、それを認める。
 認めた時には、それを正す。
 あやまちを指摘してくれた者を、彼は最善の師と考える。」310ページ

 岸田総理は人の話をよく聞くことが特技だそうですので、非常に謙虚な方だと思います。この本によれば「謙虚さこそが核心だ」とありますので、認知的不協和を乗り越えられる素質はあると思います。

5-2 認知的不協和に陥ると思考力が低下し、理性よりも感情を優先しがちになる

 認知的不協和に関する本は他にも何冊か読みましたが、それによると認知的不協和に陥ると思考力が低下して不協和を感じなくしたり、自己正当化できる理屈に飛びついたりしやすくなるそうです。つまり理性より感情が優先されやすくなります。また思考力が低下しているので論理的に矛盾している点を指摘されてもなかなか間違っていることに気付けません。例えば、詐欺師に騙されている人を周囲の人が説得しようとしても難しいことや、被害が大きいほど説得が難しくなるのは認知的不協和が邪魔しているためです。
 ということは、私がこれまで長々と書いてきたことも、総理周辺の財務省関係者が「PB黒字化目標を堅持しなければ財政の信認が無くなって大変なことになる」といった一言を耳元で囁くだけで全て吹き飛んでしまうわけです。
 しかもこの認知的不協和は岸田総理にとってはとてつもなく巨大であることは想像に難くないため、どれだけ謙虚であっても財政破綻論が間違っていると理解していただくのは非常に難しいと思います。しかし、少しでもそれに近付いていただくために、これから主に財政破綻論にまつわるおかしな点を指摘していきます。

 その前に、少しでも理性を優先できるようにするために以下のことを指摘しておきます。

1.人は間違う生き物で、これまで一度も間違ったことが無い人はいません。人は小さな間違いも大きな間違いもします。間違いを認めるという行為は称賛されます。もちろん間違いによってもたらされた害について非難される可能性はあります。

2.記憶違いや、新興宗教の教義などを思い浮かべればわかりますが、正しいと確信することと本当に正しいことはイコールではありません。強く確信しているから正しい、と考えているならそれは間違いです。確信の度合いと正しさの度合いが比例するとは限りません。

3.PB黒字化目標は日本や日本人に対してとてつもなく大きな影響があります。岸田総理やその周辺の財務省関係者のプライドよりも国民一人一人の幸福や日本の将来の方が大事です。

4.認知的不協和に陥ると思考力が低下し、理性よりも感情を優先しがちになります。

5.これから先の文章を読んで明確な反論ができずにイライラする場合は「自分は今不協和を感じている」と認識することでイライラを軽減でき、より理性的でいられます。

 あと、ここまで読んで私の書いている内容が全く頭に入って来なくて全然理解ができず、デタラメばかりだと感じた場合、それは認知的不協和が原因の可能性がありますので、総理の信頼できる人達の中でPB黒字化を目指すことは間違いだと主張している方がいらっしゃれば、その方にこの文章を見せてみてください。おそらくその方には(小さな異論はあると思いますが)大筋は正しいと理解していただけると思います。そうすれば全くのデタラメではないことが分かっていただけるかと思います。

 また、ここまでの内容で総理を不快にさせることが多々あったと思います。そしてここからは先はこの章の目的からいってこれまで以上に不快な内容ばかりになってしまいますが、そこはご容赦ください。大変申し訳なく思っております。

5-3 日本を高圧経済にさせないための3つの仕掛け

 日本を高圧経済にするには財政拡大して需要を増やす必要があるのですが、それを阻むものとして次の3つが挙げられます。

1.PB黒字化目標
 これまで繰り返し指摘しましたが、PB黒字化目標があると財政拡大は困難です。

2.平均概念の潜在GDPを元にした需給ギャップの算出
 高圧経済にするには供給能力を超える需要が必要になります。であれば現在の供給能力が最大でどれぐらいあるかがわからなければ、どの程度の需要が必要かがわかりません。

 以下ウェブページからの抜粋部分が示す通り、内閣府が出している潜在GDPは供給能力を最大限発揮した場合のGDPよりも小さく出るため、仮にPB黒字化目標を撤廃して内閣府の出すGDPギャップを埋めるための支出をしても、需要が足りないため高圧経済にするのは困難です。

 GDPギャップは経済対策規模の尺度として適切か? 星野 卓也
 https://www.dlri.co.jp/report/macro/162194.html
 「潜在GDPはそもそも潜在的に実現可能なGDPの最大値を推計したものではない、という点が挙げられる。潜在GDPの概念には付加価値を供給する能力という意味合いでの「最大概念」と過去トレンドを示す「平均概念」が存在する。過去には日本でも「最大概念」が用いられていた時期もあったが、現在は内閣府・日本銀行ともに「平均概念」を用いている 。公表されている潜在GDPの値はむしろ「これまでのGDPの平均・トレンド」を示したものという方が実態に近い。

  そのため、公表値のGDPギャップゼロにする、ということは、「GDPをこれまでの平均・トレンド並みに戻す」という意味合いになる。「最大概念」の潜在GDPが「平均概念」よりも大きいことは明らかなので、本当に総需要と総供給の一致(実際GDPを最大概念の潜在GDPに達するようにすること)を目指すのであれば、平均概念で推計されたGDPギャップ額の需要増では足りないということになる。」

 ちなみに、平均概念の潜在GDPではGDPが増加傾向にある時は、供給能力を最大限発揮していないにもかかわらず実際のGDPが潜在GDPを超えてしまうというおかしな現象が起きることになります。
 平均概念の潜在GDPを使うことのおかしさがよくわかるのではないかと思います。

3.マクロ経済モデルが発展途上国型(IMFモデル)
 マクロ経済モデルが発展途上国型(IMFモデル)だと、少し財政を拡大しただけですぐにインフレ率が上昇してしまうため、財政拡大してもあまり意味がない、という結論が出ることになるそうです。

 また、以下動画の17:50のグラフ(内閣府による名目GDPの予測と実績)は、このモデルを使ったシミュレーションが間違った結論を出し続けていることを示しています。このモデルを使ってはいけないことがよくわかると思います。

 【打倒!!緊縮財政】国民民主党の影の代表 前原誠司と岸田総理の無知を暴く「増税は勘弁して下さい」(池戸万作)
 https://www.youtube.com/watch?v=Y2VNIF9A-9U&t=1070s

 このように財政拡大を阻むものが3重に仕掛けられてるので高圧経済にするのはまず不可能でしょうし、事実その通りになっています。そして、PB黒字化目標の導入、最大概念の潜在GDPから平均概念の潜在GDPへ変更、マクロ経済モデルを発展途上国型へ変更したのは竹中平蔵氏だそうです。
 以下動画の10:30~14:14、15:56~19:34で経済評論家の三橋貴明氏が竹中氏が関係していることと、これらの影響について説明しています。

 2001年 小泉内閣に竹中平蔵を送り込んだのは「誰」なのか? [三橋TV第455回]三橋貴明・高家望愛
 https://www.youtube.com/watch?v=pho2XM3U5u8&t=630s

 三橋氏は以下のような本も出版していますのでおそらく事実だと思います。
 「竹中平蔵教授の「反日」経済学」
 https://in.38news.jp/38hezo_980_af

 これが事実かどうかは当時の政府の資料を調べれば分かると思います。その際にこれらを正当化する記述を見つけるかもしれません。しかし、それはその後日本に起きた(4-10節に記したような)巨大な害悪を正当化できるようなものなのでしょうか?現実主義を大切にするのであれば、そこに何が書かれていようと、この3つは破棄すべきであることが理解できると思います。

 ちなみにPB黒字化目標の導入については以下動画の18:41~18:45で竹中氏本人が認めていますので、これは事実で間違いないと思います。

 【東京ホンマもん教室】ウクライナ侵攻と尖閣~“他人事”を決め込む日本人の危ない現状認識~ ゲスト:竹中平蔵 2022/03/26
 https://www.youtube.com/watch?v=fZiaVetk-HM&t=1121s

5-4 竹中氏は財政均衡論は間違いであると認めた

 PB黒字化目標以外の2つについても竹中氏が行ったのは事実であると仮定して話を進めます。

 竹中氏は2020年11月の「朝まで生テレビ」で財政均衡論は間違いであると認めたそうです。以下のウェブページに文字起こしされていましたので該当箇所を抜粋しました。

 【朝まで生テレビ】竹中平蔵がMMTを認めた箇所すべて文字起こし
 https://so-t.biz/2020/12/02/【朝まで生テレビ】竹中平蔵がmmtを認めた箇所す/
 森永卓郎「(略)いままでね財政均衡主義者っていうのは財政をバランスさせないといけないって、収入の範囲内で財政をやんなきゃいけないって、まあ、財務省も含めてみんな言ってきた(略)」
 竹中平蔵「(略)財政均衡論者が言っていたこと、これは間違いです。ただ、それは間違いだってことは今、明らかになってますから。(略)」

 これはPB黒字化目標を導入した本人が、PB黒字化目標は間違いだと認めたも同然です。

 ところで、MMT(現代貨幣理論)が広まるにつれて財政破綻論者たちが間違っていたことが広まって段々と苦しい立場に追い込まれているようです(その原因はMMTが間違っていると証明できないためだと思います。ちなみに私はネットで得た大まかな知識しかありませんが、MMTはおおよそ正しいと思います)。しかし彼らの中で財政均衡を目指すことが間違いであると認めた人はおそらくいないと思います。いたとしてもごくわずかでしょう。その理由は認知的不協和に陥っているからだと思います。
 MMTを巡る議論を見ていて気付くことは、元々経済学の知識がない素人ほどMMTを理解でき、一方で経済学部の教授などがMMTを理解できずに的外れな批判をして簡単に論破されていることです。なぜ大学教授ほどの頭のいい人たちが中高生でも理解できそうな簡単なことを理解できないのかというと、やはり認知的不協和に陥って思考力が低下しているからではないかと思います。

 ここで奇妙に感じることがあります。竹中氏はPB黒字化目標を導入した張本人であるため、本来なら認知的不協和により絶対に間違いを認めることができないはずです。なんとしてでも自己正当化を図るのが普通です。財政破綻論者たちが間違いを認めても竹中氏だけは最後まで頑として認めないというのが普通だと思われますが、現実は逆で2020年11月の時点で間違いを認めています。財政破綻論者たちは未だに認めることができないでいるのに。
 なぜ竹中氏が間違いを認めることができたかというと、私の推測ですが、竹中氏は認知的不協和に陥らなかったからです。つまりPB黒字化目標は間違いだと分かっていて導入したからです。正しいと思っていたら認知的不協和に陥りますが、最初から間違いだと分かっていれば陥ることはありません。だから間違いだと認めることができたのだと思います。

 もっとも、竹中氏が認知的不協和を乗り越えることができるすごく謙虚な人という可能性もありますが、以下の理由によりおそらくそれは無いと思います。
 竹中氏といえば「構造改革」「規制緩和」「民営化」といった新自由主義者のイメージが強いです。日本経済が順調に発展して人々が豊かになっていれば、あえてあれこれと変える必要は無いので、こういう状況ではそういった様々な改革は非常にやりにくいと思います。しかし経済が悪化して何か対策を打たなければいけない状況になると、これらは非常に捗ると思います。つまり竹中氏がやりたいことを実行するにはまず下準備として日本経済を常に悪い状態にしておく必要があったわけです。だからPB黒字化目標の導入、最大概念の潜在GDPから平均概念の潜在GDPへ変更、マクロ経済モデルを発展途上国型へ変更、を行ったのだと思います。
 なぜ構造改革などをやりたかったのかというと、勿論日本経済をよくするためではなく、国民一人一人を幸福にするためでもなく、単に自分や自分の仲間たちがビジネスで儲けるためだと思います。現実を見ればこの推測は大体当たっているのではないかと思います。

 あと、PB黒字化目標の導入だけであれば「当時は政府の財政を家計と同一視していたから導入した。今は間違っていたことに気付いた」という言い訳もできますが、平均概念の潜在GDPや発展途上国型モデルへの変更は普通に考えておかしいです。しかも3つとも高圧経済にするのを阻害するという点で共通しています。こういうことからも最初からわかっていたと推測できます。

5-5 それでも騙され続けますか?

 竹中氏が日本経済を悪化させるためにPB黒字化目標を導入したのは事実であると仮定して話を続けます。

 総理ご自身が認知的不協和によってPB黒字化目標は間違いだったと認められなければ認められないほど、間違いを認めた竹中氏の異様さがよくわかり、竹中氏が最初からわかって騙していたということを強く裏付けることになると思います。

 簡単にいうと、PB黒字化を目指すことが正しいと本心から思っている人は、竹中氏の私利私欲のために作られた新興宗教「PB黒字化教」に洗脳されているわけです。そして教祖竹中氏はその教義は嘘だと告白までしているわけです。つまり「私はあなた方を騙したんですよ」と言っているわけです。
 それに対して「そんなことはない。あなたは騙していない」とか「あなたはそんな悪い人じゃない。何かの間違いだ」とか「だからといってPB黒字化をあきらめては財政の信認が」などと考えて自己正当化を図るのでしょうか。そして「PB黒字化目標は絶対に正しい」と無理やり信じ込んで生きていくのでしょうか。こうなるともう狂信者以下です。それはあまりにも愚かで情けなくないですか?
 一個人としてなら勝手にすればいいですが、国民の命や国の将来を預かる総理大臣であれば、絶対に乗り越える必要があると思います。

5-6 「国の借金」を過大に印象付けようとする

 次に、「国の借金」問題にまつわるおかしな点を挙げます。

1.よく「国の借金○○兆円」などと聞きますが、政府の資産がどれぐらいあるのかはまず聞きません。普通は資産と負債の両方を見るのではないでしょうか。
 たとえばある人が1億円の借金を抱えていたとします。周囲の人は大丈夫だろうかと心配します。しかしこの人が同時に100億円の資産を持っていることを知れば誰も心配しなくなるでしょう。負債ばかり重視するのはおかしいです。

2.政府と日銀を合わせた統合政府で考えれば、日銀が保有している数百兆円分の国債はカウントする必要がありません。本当に借金が大変なら少しでも借金を少なく見せるために統合政府の立場をとるのではないでしょうか。

3.以下のグラフのように債務対GDP比を他国と比べる時、自国通貨建て国債の国と共通通貨ユーロ建て国債の国の区別がありません。自国通貨建てかどうかというのは非常に重要なポイントですが、なぜかこの区別をしていません。このことに気付かれたくないからでしょうか。

 財務省 日本の借金の状況
 https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/situation-comparison.html

4.上記のグラフでもそうですが、債務対GDP比で見るときは必ずといっていいほど他国と比較しますが、総額や一人当たりの金額で見るときは他国と比較しません。総額で見るとアメリカや中国の方が上であることを知られて「世界一の借金大国」というイメージが崩れてしまうのを防ぐためではないでしょうか。

5.もし総額よりも債務対GDP比の方が重要なのであれば、なぜ総額や一人当たりの金額の方を強くアピールするのでしょうか。債務対GDP比の方を強くアピールすると、債務を減らすのではなく債務を増やして(国債発行して)支出してGDPを増やせば債務対GDP比が小さくなるということに気付かれやすくなるので、それを避けるためではないでしょうか。

6.以下動画の20:17のグラフは世界各国の一般政府総債務の推移(2001年を1とする)を表したものですが、日本はドイツと並んで最も増えていません。なぜこういうグラフを使って日本は放漫財政ではないとアピールしないのでしょうか。

 【第94回】15,000人登録記念!ムギタローさんとお金と経済の勉強をしよう(ムギタロー×森永康平)
 https://www.youtube.com/watch?v=5PPiykfwwi8&t=1217s

7.政府にとって都合の悪い事実というのはなるべく小さく見せたり隠そうとする傾向があると思いますが、なぜ「国の借金」についてはなるべく大きく、そして全国民に知れ渡るようにしているのでしょうか。
 森友学園問題では文書を改竄してまで隠蔽し、それがバレた後でも全容解明に後ろ向きな姿勢を取り続けていることと比べるとあまりに異様です。「国の借金」を過大に印象付けると増税や歳出削減がしやすくなって政府にとって都合がいいからではないでしょうか。

8.もし、マスコミが勝手に借金を大きく見せようとしているだけで政府は関係ないというのであれば、なぜ過剰に不安を煽るなと注意しないのでしょうか。

 色々とおかしな点を挙げましたが、国内外の投資家に見限られて円や国債が暴落する事態を本気で心配しているとは到底思えません。言っていることとやっていることが矛盾していると思います。これらに対して普通の人が納得するような整合性の取れた説明ができるのでしょうか。木で鼻をくくったような説明しかできないのではないかと思います。

 GDPを増やすことや政府の資産に目が向かないようにし、「日本の借金がこんなにあって大変だ。一人当たりこんなにある。債務対GDP比はG7で断トツ一位だ。ずっと増え続けてるぞ。どうやって返すんだ。将来世代にツケを残すな。」と脅かされれば、大抵の人は借金の総額も世界一と勘違いするし、借金をゼロにするためにいつか何百万円も税金で取られるのではないかと将来不安を抱いてしまうことでしょう。そういう心理状態にした上で、PB黒字化目標は正しいことでそのためには消費税増税もやむなしと思い込ませ、そして増税して国民からお金を奪う。やっていることは詐欺師やカルト宗教と何が違うのでしょうか。

5-7 PB黒字化目標にまつわるおかしな点

 PB黒字化目標に関してもおかしな点がありますので以下に列挙します。

1.PB黒字化目標を正当化する理由として、以前は財政破綻(デフォルト)を避けるためというものが主流だったと思いますが、MMTが広まってからは財政の信認を無くさないようにするため、というようなものが主流になっているようです。ここで気付くことは、理由は変わっても「PB黒字化しなければならない」という結論は同じであるということです。
 普通なら理由が間違っていれば結論も間違いとなります。結論が同じということも無くは無いですが、滅多にないことだと思います。そして代わりに出てきた理由も曖昧で説得力がありません。私は第3章で「信認」などについても間違いだと指摘しました。もしこの指摘を受け入れたとしてもまた別の理由を持ち出してPB黒字化という結論を変えないだろうことは容易に想像できます(この場合、滅多にないことが続けて起きたことになります)。
 また、財政破綻すると言っていた人たちは間違っていたことを認めることなく、「財政の信認」に変更しているようです。
 つまり、彼らはMMTの登場によって認知的不協和に陥り、自分の間違いを認められず、「財政の信認」という都合のいい言葉に飛びついて自己正当化しているだけではないでしょうか。
 こういう観点からも「財政の信認」を理由にPB黒字化目標を正当化することは不適切だと分かります。

2.通貨発行益はPBに含まれますので、500円玉を大量に発行するなり、法改正して1京円玉を発行するなりして政府預金残高を増やせば簡単にPB黒字化できますし、「国の借金」をゼロにしたり今後国債を発行しなくていいようにもできます。何故そうしようとしないのでしょうか。PB黒字化にこだわることの無意味さが多くの人にバレてしまうからではないでしょうか。あるいは財務省が「国の借金」を理由にして各省の予算に対してあれこれ口出しできなくなるからではないでしょうか。本当はPB黒字化されてしまうと困るのではないでしょうか(また新たに緊縮財政のための理由を考え出さないといけなくなるので)。

3.以下動画の47:03~47:25より、野党の議員が国会図書館に「日本以外にPB規律を導入している国があるのか」を聞いたところ、「ありません」という回答だったそうです。

 【東京ホンマもん教室】 岸田首相がもくろむ「防衛増税」という悪夢~「骨太方針」を読み解く~(6月11日放送分見逃し動画)
 https://www.youtube.com/watch?v=nRE1Jro9NbE&t=2823s

 また、以下は財務省の「国の債務管理の在り方に関する懇談会 第36回」で配布された「資料④-2 諸外国の債務管理政策等について 平成27年4月17日」ですが、この資料の2ページ目の「財政健全化目標・財政規律」の項目を見ると、PB黒字化目標があるのは日本だけで、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアにはありません。
 https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/gov_debt_management/proceedings/material/d20150417-4-2.pdf.pdf

 日本以外の全ての国の「財政の信認」が無いとは到底思えませんので、PB黒字化目標が絶対に必要というわけではないことがわかります。であればなぜPB黒字化目標にこだわるのでしょうか。財政健全化目標を「債務対GDP比の引き下げ」のみにしてしまうとGDPを増やせばいいということになってしまい、歳出削減や増税がしづらくなるからではないでしょうか。

4.なぜPB黒字化を目指すことの弊害(多くの国民はどこまでも貧困化し、最終的には国が亡びる)を国民に説明しないのでしょうか。民主主義国であればきちんと説明して国民の理解を得るべきではないでしょうか。理解を得られるはずがないことが分かりきっているから説明しないわけですよね。

 これらを見ただけでもPB黒字化目標の必要性は非常に疑わしいものになりますが、財務官僚は言うに及ばずPB黒字化目標を堅持しようと必死になっている国会議員も数多くいるようです。彼らは認知的不協和に陥っているだけでなく、国家や国民そっちのけで歳出削減ゲームや増税ゲームにうつつを抜かしているのではないかと思います。そしてPB黒字化目標はそのゲームで使われている武器、というだけの存在だと思います。国家の存亡や国民の幸不幸がくだらないゲームに委ねられているとしたら非常に問題があると思います。

5-8 MMT批判についてのおかしな点

 MMTへの批判についてもおかしな点があります。

1.長年「国の借金」に頭を悩ませてきた人にとって、「インフレ率の許す限りにおいて、日本はどれだけでも借金を増やすことができる」というMMT(現代貨幣理論)は大変ありがたいもののはずです。しかしMMTに対する反応は歓迎どころか極めて冷淡で批判的です。しかもその批判はMMTの間違いを指摘するものではなく、ありえない前提を基にして「ハイパーインフレになる」といったレッテル張りや、「そんなうまい話があるわけがない」「借金を返すのは当たり前だ」「無責任だ」「不道徳だ」といった思考の放棄、という愚にもつかないものばかりです。
 たとえば、長年病気を患っていると思って悩んでいたら、実は病気ではなかったと知ったら普通は喜び安堵するのではないでしょうか。彼らがこういう異常な反応を示す理由は、彼らにとって何が正しいか、日本がどうなるか、自分の子や孫の将来がどうなるか、などは知ったことではなく、自分のプライドの方が大事、ただそれだけだからではないでしょうか。

2.MMTへの批判で最もよく見かけるのが「一旦支出を増やしだすと止められなくなってハイパーインフレになる」というのものです。
 そもそもMMTは財政支出をインフレ率によって制限するようにしているので、支出を増やし過ぎてハイパーインフレになることはありえません。
 また、日本は長年デフレで本来支出を増やすべき時に歳出削減や増税を行ってきました。なのになぜインフレで支出を減らすべき時に歳出削減や増税ができない、という話になるのでしょうか。たとえると、栄養失調で死にかけている人に食べ物を与えようとすると、「食べ物を与えると食べるのをやめられなくなって肥満になって死んでしまう。だから与えてはいけない」と言っているようなものです。
 そもそも国民も高すぎるインフレは望んでいませんし、日本人はハイパーインフレになるまで財政拡大を望むほど愚かだとも思えませんから、なおありえません。

 MMTに対する批判を見ると、経済学部の教授などの頭がいいはずの人達が子供でもおかしいと気付くような低レベルの批判をしていることがわかります。MMTの間違いを指摘することができないため認知的不協和に陥り、思考力が低下したためだと思います。そしてこのことが逆にMMTの正しさを証明していると思います。

 PB黒字化目標が正当化できるのであれば、彼らにとって国民の生活、国民の人生、国民の命がどうなろうと知ったことではないのだと思います。
 このような人たちの言うことに耳を傾けるべきではありません。

5-9 矢野論文にまつわるおかしな点

 矢野論文に関してもおかしな点がありますので以下に列挙します。

1.矢野氏は無責任な財政破綻論者たちとは違って「日本の財政は破綻に向かっている」といったメッセージを出してはならない財務次官という立場にあったのに、わざわざこのような論文を世間に発表しました。もしこれをきっかけに国債が暴落して金利が暴騰したりしたらどうするつもりだったのでしょうか。

2.「財政の信認」が無くなることを恐れているはずなのになぜこのような論文を出せたのでしょうか。国内外の投資家が論文の内容を真に受けたらパニックに陥っていたかもしれないのに。そんなことは起きないことがわかっていたから出せたのではないでしょうか。

3.このような立場にある人物が強烈なメッセージを出したにもかかわらず、なぜ金融市場は反応しなかったのでしょうか。

4.なぜ論文中で財政破綻の定義を書いてないのでしょうか。財政破綻を定義するとすれば「デフォルト(債務不履行)」ということになってしまい、それでは以下の財務省の立場と矛盾してしまうからではないでしょうか。そして矛盾を避けるためだけではなく、デフォルトと書けば嘘になる(つまりデフォルトしない)ことを分かっていたから定義を書かなかったのではないでしょうか。

 財務省 外国格付け会社宛意見書要旨
 https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm
 「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。」

 矢野氏が財政破綻論が間違いであると知っているかどうかは分かりません。
 もし財政破綻論を信じていれば信認を無くさないようにしなければならないのに、わざわざ信認を失いかねないことをしていることから行動が矛盾しています。もし財政破綻論が正しければ、矢野論文の発表は日本を亡ぼすきっかけになっていたかもしれない危険極まりない行為です。冷静な判断力を完全に失っていたことになると思います。
 逆に、もし財政破綻論が間違いだと知っていれば、金融市場が反応しないことは最初から分かっていたことになります。PB黒字化目標が必要な根拠として最後には「財政の信認」が出てきますが、これを根拠とすることは間違いであると実証することになるのではないでしょうか。矢野氏はPB黒字化に熱心なようですので、この場合でも行動が矛盾していることになり、冷静な判断力を失っていたことになると思います。

 もし総理が、矢野論文が世間に出ることを事前に知っていて許可したのであれば、矢野氏と同様に総理も冷静な判断力を失っていたことになると思います。

5-10 「信認」にまつわるおかしな点

 財政破綻論者にとって「通貨の信認」や「財政の信認」などが非常に重要な位置を占めているようですが、定義がいまいちよくわかりません。

 そこで、「岸田ビジョン」の以下の記述がこれらの信認に関係する部分と思われますので、これを参考に信認にまつわるおかしな点を列挙します。

 「国として財政健全化を目指しているという姿勢を不断に示していかなければ、いつか国内外の投資家に見限られ、日本円や国債が暴落する事態が心配されます。わが国では国民の将来不安が貯蓄率を引き上げて消費が回復しないと言われています。国家としての姿勢、政権としての指針が、「財政健全化」に向かっているということを、内外に示し続ける必要があると私は考えています。」44ページ

 つまりPB黒字化や債務対GDPを引き下げる努力をしていなければ、国内外の投資家に円や国債が投げ売られると考えているわけです。

1.PB黒字化を目指すかどうかに関係なく、日本国債は日銀が買い取るのでデフォルトすることはありえません。なのでPB黒字化を目指さないと国内外の投資家が国債を投げ売りすると考えるのはおかしいです。
 また、円の価値はどういう財をいくらで買えるか、つまり供給能力によって支えられています。PB黒字化を目指せば需要不足が続くため供給能力は低下します。なのでPB黒字化を目指すほど日本円が投げ売られる可能性が高まります。論理的に矛盾しているのではないでしょうか。

2.なぜ1番のようなおかしなことになるのかというと、政府の財政を家計と同一視しているため、「収支を黒字にして借金を返す努力を示していないと貸し手に見限られて大変なことになる」と考えているからではないでしょうか。

3.そもそも財政破綻論者たちが投げ売られるなどと言っているだけで投資家たちはそんなことは言っていないのではないでしょうか。投資家たちは「財政健全化をあきらめたら投げ売りする」といった共同声明でも出しているのでしょうか。
 あるいは国債の格付けが下げられることをきっかけとして国債を投げ売られることを恐れているのでしょうか。2002年に格下げされましたがそんなことは起きていませんし、仮に投げ売られても日銀が買い支えれば済む話です。

4.財政破綻論者たちは「変動相場制で自国通貨建て国債しか発行していない日本はデフォルトしない」ということを認める代わりに国内外の投資家の信認云々を言い出しているようです。デフォルトするのであれば国内外の投資家が日本の国債発行残高や債務対GDP比などを気にするのは当然ですが、デフォルトしないのであればこれらを気にするのはおかしいです。財政健全化が必要という結論を変えずに、そのための理由を変えたためにおかしなことになっているのではないでしょうか。

5.もし国内外の投資家が政府の財政を家計と同一視しているのなら、PB黒字化を目指すのではなく、政府の財政と家計は違うといったことを説明して理解してもらうことで、信認がなくなって投げ売られるという事態を避けられると思います。
 例えば「福島県産の魚介類は放射能汚染されている」として輸入禁止にしている国に対し、日本政府はそれが間違いであることを説明して不安を取り除こうとしていますよね。デマに迎合して、魚介類から放射能を除去するために努力している姿勢を示すことで安心させようとはしていませんよね。なぜこれと同じことをしないのでしょうか。

6.金融市場が矢野論文に反応しなかったのは、国内外の投資家は政府の財政を家計と同一視していないためではないでしょうか。つまり彼らにとって財政健全化など全くどうでもいいのではないでしょうか。むしろPB黒字化にこだわって経済を悪化させることを苦々しく思っているのではないでしょうか。

7.デフォルトしないのであれば、財政の持続可能性に対する信認とPB黒字化や債務対GDP比は関係ないのではないでしょうか。

8.2025年度のPB黒字化目標を堅持すると信認が得られて、破棄すると信認がなくなる、何故そう考えるのでしょうか。もしそうでないならなぜ2025年度にこだわるのでしょうか。目標達成できなかった場合はどうなるのでしょうか。明確に答えられますか?「目標を堅持して目標に向かって努力している姿勢を示し続けることが重要だ」といった感じの答えしか言えない時点でおかしくないですか。

9.国債を日銀が直接引き受けることはタブーとか禁じ手とか信認がなくなるなどとして、してはいけないことになっていますが、日銀保有国債の借り換えの時は直接引き受けしています。なぜこの場合は信認が無くならないのでしょうか。逆になぜ新規発行の直接引き受けの場合は信認がなくなると言えるのでしょうか。

10.そもそも「信認」などを理由にするのは非常に便利で、「PB黒字化目標を堅持し続けていると日本経済はどこまでも衰退していき、いつか国内外の投資家の信認を失って円や国債が暴落するかもしれない。だからPB黒字化目標は破棄しなければならない」というように、何とでも言えます。しかもこちらの方が説得力があるのではないでしょうか。

 あと、国内外の投資家の投げ売りではなく、財政健全化に努めていないと市場の信認が無くなり国債を発行しても買ってもらえないのではないかという意見もあるようですので、これについてもおかしな点を指摘します。
 国債を買ってもらえない可能性については、原因として以下の2つが考えられます。
1.デフォルトするかもしれないから買わない
2.もっといい投資先があるから買わない

 1番の場合はデフォルトはありえないので気にする必要は無いし、デフォルトするという誤解があるのなら誤解を解く努力をすべきです。
 2番の場合は発行する国債の金利を高くすればいいだけです。日銀が買えば済むわけですから金利を高くしたところでデフォルトすることはありません。
 どちらの場合も、「国債を買ってもらえなくなるかもしれないから財政健全化しなければいけない」ということにはなりません。

 ここである事件を紹介します。
 2020年4月に福岡県で5歳の男児が餓死する事件が起きました。
 ご存知かもしれませんがこの事件を簡単に説明しますと、男児の母親のママ友が様々な嘘によって母親をマインドコントロールし、長期間にわたって多額の金銭を詐取し、虐待を行い、母親の家族を管理し、男児を餓死させた、とされる事件です。
 このとき事件と無関係の別のママ友を「ボス」という怖い存在として捏造し、「ボスが監視カメラで見張っている」などと嘘を言って母親を従わせていました。「ボス」とされた女性は自分がそのように利用されていることを知りませんでした。
 詳細は以下で確認できます。

 篠栗男児餓死事件
 https://ja.wikipedia.org/wiki/篠栗男児餓死事件

 「福岡5歳餓死事件」に見るカルト的手口の異様 2021/03/27
 https://toyokeizai.net/articles/-/419442?page=2

 ここで、この事件の登場人物を以下のようにあてはめてみます。

 ボス     国内外の投資家
 ママ友    財務官僚、御用学者、マスコミ
 母親     PB黒字化を正しいと信じて取り組む議員や財務省以外の官僚
 餓死した男児 その他大多数の日本国民

 財務官僚、御用学者、マスコミたちが何かにつけて「そんなことをすれば国内外の投資家の信認を失う」という財政破綻論で議員たちを脅して操って多くの国民を不幸にする、という構図はこの事件とそっくりだと思います。
 ママ友=歴代財務次官、母親=歴代総理大臣と歴代財務大臣、とするともっと腑に落ちるかも知れません。

 岸田総理はずいぶん前から母親のポジションにいるのではないでしょうか。
 「信認」がどうのと言っている財政破綻論は、私から見ればカルト宗教です。「そんなことをすれば地獄に落ちるぞ」と脅して恐怖で思考停止に陥らせて服従させるのと同じです。「信認」を理由にして何か言われると逆らえなくなっていませんか?もしそうであればおそらくマインドコントロールされています。

5-11 「国の借金」が問題ないことを理解している著名人や組織

 「国の借金」が問題ないことを理解している、特にインパクトが大きいと思われる著名人や組織を、参考までに紹介します。

1. 浜田宏一氏 経済学者。東京大学名誉教授、イェール大学名誉教授。Econometric Society終身フェロー。元内閣官房参与。

 浜田宏一/「矢野論文」大論争!  国の借金はまだまだできる「GDP比1000%でも大丈夫です」――文藝春秋特選記事【全文公開】2021/11/10
 https://news.yahoo.co.jp/articles/9f3f89eedd514f741ae9d4656caa160aacc4abf1
 「日本が瀕死の借金国で、タイタニック号の運命にある、というのは単なるたとえ話であって事実と認めることはできません。」
 「論じられた内容についていえば、ほぼ100%、私は賛成できません。」

 「MMTに改宗した浜田宏一氏が語る、財務省は頭の中を変えるべき 財務省・矢野次官の「ばらまき批判」に対する経済学者の回答」2021.11.12
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67685
 「矢野さんの論文にはいくつか間違いがあります。日本は「大借金国」ではありませんし、日本政府は自国通貨を発行しているので破産することはありません。」
 「財政均衡という考え方は、今や学説的にも古くなりつつあります。」
 「極端なインフレにならない程度に、困っている人や将来、労働者になるような若い人を積極的に財政支援すること。そして、インフレによる弊害に歯止めをかけながら、財政や金融を必要以上には引き締めないこと。それが、これから必要な知恵だと思います。」

2. 宮内義彦氏 オリックス社長、会長、グループCEOを歴任

 オリックス・宮内義彦氏「国民すべてに現金支給を」「コロナ禍の今こそベーシックインカム」2021.04.20
 https://www.asahi.com/sdgs/article/14365539
 「近年、経済学に現代貨幣理論(MMT)が出てきましたが、私はその考えは正しいと考えています。江戸時代の貨幣改鋳、戦前の高橋是清(蔵相)の金本位制離脱、積極財政は一種のMMTではないかと考えています」
 「日本を『失われた30年』にしたのは、財政均衡論です。経済が伸びようとするには貨幣の量を増やさなければいけません。今、500兆円を超える国債を日銀が保有していますが、政府と日銀を一体の統合政府として見れば、返済に汲々とする必要はありません。むしろ国債を発行して給付し、市中のお金を多くすることで消費を増やせばいいのです」

 白髪になったオオカミ少年
 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12707016930.html
 「財務省や官庁エコノミストは長年にわたり財政健全化を主張し、政府の借金が増えれば国債価格が急落して財政が破綻し、日本経済が大混乱するとの見方を示しています。
 しかし20年余りこうしたことが起きる兆候は全くなく、国債の信用力は維持されています。しかもどのようなメカニズムでこうなるのか、しっかり説明された記憶もありません。イソップ物語の「オオカミ少年」のように、「今に国債価格が暴落するぞ」と脅し続け、もう何十年もたってしまいました。そんな「少年」ももはや白髪です。
 財務省のいう「財政健全化至上主義」が財政出動を最低限に抑え、政治がこれに従ったことは残念でなりません。国債は永久債に替えることもできるし、直接財政ファイナンスも行えるようにすることも選択肢です。国民に若干過剰な貨幣が行きわたってはじめてインフレ気味となり消費が活発化し、需要増が供給力を刺激し、企業が前向きに投資もするのです。江戸時代の小判改鋳や高橋是清の金輸出再禁止も同じ発想だったのでしょう。」
 「経済政策は長年、なし崩し的に継続されてきましたが、これ以上不毛の政策を続けることは許されません。抜本的な検討がなされることを求めたい。」

3. 藤原正彦氏 数学者。お茶の水女子大学名誉教授。「国家の品格」の著者

 「財務省の問題」がクローズアップされた意義
 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12709493547.html
 「お金の要ることばかりだから財務省が反発するだろう。我が国の借金残高は千二百兆円、対GDP比で二六〇%とギリシアより悪く世界ワーストと喧伝し、財政破綻を言い続け、緊縮財政を主導してきたからだ。しかし二十年ほど前、国債残高の大きさから日本の格付けが下げられた時、「先進国が自国通貨建て国債で破綻することはない」と財務省自身が正しく反論している。通貨発行権があるから、政府の子会社ともいえる日銀がお札さえ刷れば国債利払いも償還もすんでしまう。絶対に破綻しないのである。借金がふくらめば破綻する企業や家庭とは全く違うのだ。」

4. 21世紀政策研究所 経団連のシンクタンク

 中間層復活に向けた経済財政運営の大転換 2022年6月
 http://www.21ppi.org/pdf/thesis/220602.pdf
 「わが国のように、自国通貨建て国債を発行する国において、財政破綻の可能性は極めて低く、需要不足の状況の中ではむしろ十分な規模で財政出動をしなければならない。」
 「今こそ、財政政策の運営方法の新しい考え方が必要になってきている。」
 「財政政策と金融政策は経済活動を活発化させ、物価や雇用をどう安定させるかが重要であり、何が何でも政府債務残高対GDP 比を下げなければいけない、という議論は間違いである。」
 「日本政府は家計や企業と違って通貨発行権を持ち、自国通貨を発行して債務を返済できる。ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要超過となって高インフレとなる。そうなると、政府はインフレが行き過ぎないようにするために財政支出を抑制しなければならず、中央銀行も金融を引き締めなければならない。つまり、政府の財政支出の制約となるのは、政府債務残高ではなくインフレ率である。」
 「グローバル・スタンダードでは積み上がった国の債務をどう返していくのかという問いそのものが存在せず、利払いを続けながら債務残高を経済状況も安定させながらどう維持していくのかという問いのみ存在する。その理由は、政府の負債の反対側には、同額の民間の資産が発生し、国債の発行は貨幣と同じようなものとみなされるからだ。」
 「国債は国の負債であるが、国民の資産であり、政府の過度な支出が景気過熱やインフレ高騰につながらない限り悪いものではないという考え方が正しい。」
 「統合政府論はすでにクルーグマン、スティグリッツ、サマーズ、バーナンキといった海外の主流派経済学者の間で支持されている。」
 「わが国において財政破綻の懸念はない。したがって、パイ(GDP)の拡大を目指すだけであれば、財政支出や減税等の政府債務拡大(つまり政府以外の資産の拡大)で事足りる。これまでわが国の経済政策運営は、GDP の拡大という意味で「経済成長」を目指してきたが、それ自体は容易に達成できるのである。」
 「すでに本報告書で何度も論じているように、政府に財源問題はない。真に限界があるのは実物資源なのである。」

5-12 信念の再確認(PB黒字化を目指すことは本当に正しいことなのか)

 総理は、PB黒字化を目指すことは正しいことだという強固な信念があると思います。それが本当に正しいのかを再確認していただくためにいくつか質問を用意しました。もし自信をもって答えられないことばかりでしたら、その信念は間違いの可能性が高いものになると思います。総理に対してかなり失礼なことだと承知していますが、認知的不協和を乗り越えるには最終的には自分の頭で考え、納得する必要があると思いますのであえて書きました。お許しください。

1.PB黒字化を目指す理由の非常に重要な部分が、信認とか信用などの人の心理という曖昧なものになっているのは何故でしょうか?もっとしっかりとした理由はないのでしょうか?不思議ではありませんか?

2.個人や企業であれば負債がどのくらいあるか気にするのは分かりますが、何故デフォルトがあり得ない国の国債発行残高を気にするのでしょうか?国内外の投資家の信認云々は根拠として無理がありませんか?

3.「国内外の投資家は日本政府が財政健全化に努めているかを常に注視していて、もし健全化を諦めようものなら即座に円と国債が売られて暴落してしまうから、たとえ国の借金が問題なかったとしてもPB黒字化目標を堅持しなければならない」と思い込むことで自己正当化を図っているだけではないでしょうか?

4.国内外の投資家の大多数は日本の財政健全化など気にしていないと考えるのが合理的ではないでしょうか?

5.PB黒字化目標を導入した竹中平蔵氏は財政均衡論は間違いであると認めました。にもかかわらずPB黒字化目標を堅持するのは正しいことなのでしょうか?

6.なぜ日本以外の国はPB黒字化目標が無いのでしょうか?

7.PB黒字化目標がない国は「財政の信認」があるのでしょうか?それともないのでしょうか?またその理由は何でしょうか?

8.「財政の信認」や「通貨の信認」などの信認を支えている根本が一体何かを、ご自身の頭でとことん突き詰めて考えたことがありますか?

9.政府の財政を家計と同じように考えているわけですよね。そう考えることは適切なのでしょうか?適切であるときちんと説明できますか?(説明できないのならこの考え自体を疑うべきです)。そもそも適切かどうか今まで考えたことはありましたか?無意識のうちに家計と同じと思い込んでいるのではないでしょうか?厳密には違うものを無意識のうちに同じものと考えることは日常的によくあることです。

10.「将来世代にツケを先送りするな」という言葉の前提には国債はツケであり、これは将来すべて返済しないといけない、という考えがあります。すべて返済した国はあるのでしょうか?返済どころか増やし続けているのが現状です。そして、それによって破綻するどころか経済的に豊かになっています。ツケだと考えることは間違いではありませんか?

11.いつまで経ってもデフォルトしない、円が暴落しない、国債の金利が低い。これはなぜでしょうか?これまで考えたことはありましたか?

12.「国の借金」は問題無いと考える国会議員は増えていっているようですが、それでも彼らは間違っていて自分は正しいと断言できますか?その根拠は何でしょうか?

13.「PB黒字化目標を堅持すべき」という結論は変わらず、その根拠を否定されても都合よく新たな理由が出てくるのはなぜでしょうか?間違いを認められず自己正当化しているだけではないでしょうか?

14.以前は「銀行券ルール」というものがあり、日銀が紙幣発行額以上の国債を買い取るとハイパーインフレになるという話もあったようですが、ご存じの通り異次元の金融緩和でそれを大きく上回る数百兆円もの国債を買い取りましたがハイパーインフレになっていません。「財政の信認がなくなるとハイパーインフレになる」も同じじゃないですか?

15.財政破綻論者はよくハイパーインフレになると言いますが、そこに至るまでの詳細かつ納得できるプロセスを聞いたことがありますか?私は聞いたことがありません。何故彼らは専門家なのに詳しい説明をしないのでしょうか?しないのではなく出来ないからではないでしょうか?

16.万が一パニックが起きても対処できるのに、どのようなプロセスでハイパーインフレになるのでしょうか?詳細なプロセスをご自身で考えたことはありますか?

17.PB黒字化目標の弊害がどれほどあるか調べ上げたことがありますか?

18.PB黒字化目標がこれまでにもたらした人的・経済的被害は広島に落とされた原爆の何発分にもなり、この目標を堅持し続けることはこれからも原爆を落とし続けるようなものだと思いますが、それでもPB黒字化目標は堅持すべきですか?

19.PB黒字化を達成し、それを維持し続けると日本経済がどうなるか考えたことがありますか?

20.財政破綻論者たちはこれらの質問に対し、どれだけ明確に答えられると思いますか?

21.エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」(改訳・新装版。紀伊國屋書店 2020年出版)に次の一文があります。
 「根拠の無い信念は、ある権威、あるいは多数の人々がそう言っているからというだけの理由で、何かを真理として受け入れることだ。それに対して、理にかなった信念は、大多数の意見とは無関係な、自身の生産的な観察と思考に基づいた、他の一切から独立した確信に根差している。」182-183ページ

 総理の財政健全化に対する信念は「根拠の無い信念」ではないですか?

5-13 「国の借金」問題を巡る争いは、天動説と地動説の争いと同じ

 第1章からこれまで書いてきたことをまとめると、大体以下になります。

・経済の本質は、必要な財を生産して分配すること。
・経済は需要と供給と潜在需要と供給能力を中心に考えるべきで、お金は経済をコントロールするための道具に過ぎない。
・高圧経済が国民一人一人を幸福にするが、経済界は高圧経済になるのを防ぎつつ利益を上げている。
・お金の価値は供給能力によって支えられている。政府や日銀の財政の良し悪しではない。
・財政の持続可能性も供給能力によって支えられている。
・日本がデフォルトすることは考えられない。これは財務省も認めている。
・PB黒字化目標を破棄することで投資家がパニックに陥って国債、円、株などを投げ売りするようなことはまず起きないし、起きたとしても対処可能。
・日本は国債発行残高や債務対GDP比を気にする必要はない。
・日本政府と日銀の純資産は実質的に常に∞円。
・財源=デフレギャップ(供給能力の余力)。
・PB黒字化目標は無意味どころか巨大な害悪をもたらし、国民を不幸にして国を亡ぼす。累計で数千兆円分の付加価値を生み出せなかった。また中国の脅威を高めてしまった。
・認知的不協和を乗り越えるには謙虚さが必要。
・認知的不協和に陥ると思考力が低下し、理性よりも感情を優先しがちになる。
・竹中平蔵氏によって日本を高圧経済にさせないための3つの仕掛けが施された。そのうちの一つがPB黒字化目標。竹中氏は財政均衡論は間違いだと認めた。
・財政破綻論にまつわるおかしな点が多数ある。
・PB黒字化を目指すことが間違いだと理解した人達が増えている。

 以上のようなことを説明しましたが、それでもPB黒字化目標を堅持するべきなのでしょうか?これからも害悪をまき散らし、国民を苦しめ続けなければならないのでしょうか?
 PB黒字化目標がある限り国民が不幸になり国が衰退して亡びることは確実です。まず起こり得ないようなことを心配してPB黒字化目標を堅持することは極めて愚かです。

 PB黒字化目標を正当化する理屈は財務官僚や御用学者たちがいくらでも考えてくれますので、自己正当化するのは簡単だと思います。しかし彼らはPB黒字化目標を絶対正義として後から理屈を生み出し、おかしな点を指摘されても間違いを認めることなく、また新たな理屈を生み出し続けているだけの存在に過ぎないと思います。
 いつまで狼少年に騙され続けるのでしょうか?多分彼らのほとんどは認知的不協和を乗り越えることができず、現実から目をそらして死ぬまでデタラメを言い続け、社会に害を与え続けます。総理もその同類になりたいのでしょうか?そのような人生を送りたいのでしょうか?

 この問題は天動説と地動説の争いのようなもので、価値観や考え方の違いが原因で起きているのではなく、現実をそのまま直視するか目を背けるかの違いで起きている問題です。しかも天動説と違って財政破綻論は国を亡ぼすほどの実害があるのではるかに深刻です。
 私は岸田総理を大変謙虚な方だと思っています。それに「岸田ビジョン」によると現実主義を大切にしていますし、本気で日本の将来を憂えていると思っています。なので財務官僚や御用学者たちと違って岸田総理は認知的不協和を乗り越え、これまでの政策を転換できる可能性がわずかですがあると思います。だからこそ長期間に渡ってこの文章を書いています。他の人が総理であればこんなに長い文章を書く気力も湧かなかったと思います。

 政府の財政=家計、PB黒字化=財政健全化という信念が日本を衰退させ、亡ぼそうとしています。
 岸田総理以上に財政健全化に熱心で権力のある政治家はいないと思います。これは裏を返せば岸田総理がPB黒字化目標は間違いだったと認めれば、状況は一気に変わる可能性が高いということです。大げさでもなんでもなく、岸田総理が間違いだったと認められるかどうかに国の将来、多くの国民の命がかかっていると思います。

5-14 総理周辺の財務省関係者からの影響を一時的に排除する必要がある

 これまでは認知的不協和を乗り越えることについて的を絞って書いてきましたが、岸田総理にはもう一つ大きな問題があると考えています。それは、総理の周辺に多くいる財務省関係者の存在です。

 以下のウェブページには、2022年10月26日に、総合経済対策の総額についてまだ自民党で検討中であるにもかかわらず、25.1兆円に決まったと、財務省が総理を騙して利用し、既成事実化を図ろうとしたが書かれています。総理は当事者なので勿論ご存じだと思います。

 財政民主主義を破壊する行為だ 2022-10-31
 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12772081280.html

 また、以下の記事を見ると財務省は昔からこういうことをやっていたようです。

 岸田総理、支持率暴落でも「消費税減税」は絶対ナシ…「ザイム真理教」のヤバすぎる洗脳 2022.10.17
 https://gendai.media/articles/-/100920?page=6
 「ザイム真理教――。

幾多の政治家を使い潰し、税率を上げることに血道をあげ、さらにそれを心底から正義と信じてやまない。その異常性を、ある自民党ベテラン議員はこう形容した。

財務省の歴史は「増税」の二文字に貫かれている。竹下登氏、村山富市氏、橋本龍太郎氏、野田佳彦氏ら歴代総理を、平成期を通じて籠絡。'89年に3%で導入させた消費税を5%、8%、10%と引き上げた。それがバブル崩壊、デフレ慢性化の一因となり、日本経済は瀕死に陥ったが、彼らは全く意に介さなかった。

「私が財務省の言いなりにならなければ……悔やんでも悔やみきれない」

'97年に消費税引き上げを実施した橋本総理は、'06年に死去するまでそう言い続けていた。」

 また以下の記事のように安倍元総理も騙されました。

 安倍元総理も「ダマされた!」と激怒…財務省のヤバすぎる「政権乗っ取り」の手口 2022.10.17
 https://gendai.media/articles/100921?page=2
 「'15年に閣議決定した『骨太の方針』に、財務省が小さな但し書きで『社会保障関係費は過去3年間の増加が1.5兆円となっていることを踏まえ、その基調を継続させる』『国の一般歳出は過去3年間の増加が1.6兆円となっていることを踏まえ、その基調を継続させる』という二つの項目を書いていた。

要するに『予算1.6兆円引く社会保障関係費1.5兆円で、社会保障費以外は3年間に1000億円しか予算は増やしませんよ』という理屈をまぎれ込ませていたのです。

安倍さんはこれに気付かず閣議決定してしまった。亡くなる直前の会議でも『私は知らぬ間に財務省に財政規律を閣議決定させられた。もちろん責任は私にあるが、誰も気付かないような書き方をして、財務省はあまりに不誠実だ』と憤っていました。この制約は、岸田政権の『骨太の方針』でもまだ生きています」」

 「財務官僚は一緒に財政健全化を目指す心強い味方」だと考えていたかもしれませんが、彼らにとっては財政健全化に熱心な岸田総理でさえ、騙して利用する対象でしかなかったと実感できたのではないかと思います。

 次に、多少大げさで刺激的に書いている部分もあるかと思いますが、この記事の続きからは総理周辺には財務省関係者が多く存在し、しかもその影響力が大きいことがわかります。それに謙虚さが原因なのか少し舐められている感じさえします。

 週刊現代 安倍元総理も「ダマされた!」と激怒…財務省のヤバすぎる「政権乗っ取り」の手口 2022.10.17
 https://gendai.media/articles/100921?page=2
 「今の岸田総理を取り囲む顔ぶれは、財務官僚とそのOBばかり。

「官邸をもっぱら牛耳っているのが、茶谷栄治財務事務次官です。主計局次長から首相秘書官に入った宇波弘貴や、同じく秘書官の中山光輝と密に連絡を取り合っている。また政治家サイドで言えば、木原誠二官房副長官、岸田派幹部で自民党税調会長の宮沢洋一さんと、旧大蔵省出身者が経済政策を一手に引き受けている」(官邸スタッフ)」

 https://gendai.media/articles/100921?page=3
 「「岸田総理は同郷の宮沢さんに頼り切りだし、木原さんも大先輩には何も言えない。宮沢さんがこの夏の参院選で改選された後、財務官僚は宮沢詣でに行列を作っていました。宮沢さんも議員を次々に呼んで『税制は政治の要だぞ』などとしきりに講釈している。財政に関することは全部オレを通せ、というわけです」(自民党岸田派所属議員)

また岸田総理のライバル・林芳正外相も、父・義郎氏が大蔵大臣を務めた、親子二代にわたる財務省一派。宮沢氏や林氏を通じて、財務省は事実上、岸田総理をコントロールしているのだ。

「総理は経済の知識がないから、財務省との折衝を宮沢さんと林さんに任せているんです。今回打ち出したNISA恒久化やガソリン補助金は一見、税収が減って支出が増える財務省が嫌がりそうな政策ですが、財源が予備費なので痛くも痒くもない。岸田さんは『オレは財務省の言いなりじゃないぞ』と思っているかもしれませんが、実態は全部財務省に振り付けられて、適度に独自色が出るような形で踊らされているわけです。」

 https://gendai.media/articles/100921?page=4
 「財務官僚は『岸田ほどやりやすい奴はいない』と言っている。抵抗してばかりの安倍さんや菅(義偉前総理)さんがようやく消えた。岸田総理は生かさず殺さずでいこう、と」(前出・岸田派所属議員)

国民から見放され、役人にはカモにされる。岸田総理とて、そんなふうになるために総裁選に出たのではないだろう。

ここが勝負の時だ。未来永劫「財務省の操り人形」と言われて石を投げられるか。それとも、国難に際して「減税」で民を救った大宰相となるか――今、岸田総理はその瀬戸際に立たされている。」

 次に、物理学者であり癌研究者であり科学ジャーナリストでもあるデヴィッド・ロバート・グライムス著の「まどわされない思考」(角川書店 2020年出版)より、特に重要と感じた部分を以下に抜粋しました。

 「間違った話を何度も聞くと、人は答えが分かっていない問題だけでなく、正確な答えを自分で知っている場合でも作り話の方を信じてしまうことが、研究を通じて明らかにされている。」21ページ

 以下の「カハンの実験」とはイェール大学のダン・カハン教授(心理学)の認知的不協和に関する実験のことです。
 「カハンの実験は、科学や技術、あるいはポリシーやエビデンスに関係する問題で見解の食い違いが生じるのは情報が不足しているからだと考えるのは間違っていると教えてくれている。理性的に考える能力を歪めるのは、情報不足ではなく、むしろイデオロギーからくる動機なのだ。では、なぜそうなのだろうか?カハンの仮説によると、人が「アイデンティティ保護的認知」に頼る傾向を持っているからだ。「価値を認められたグループから不協和音として阻害されるのを防ぐために、個人はそのグループを特徴づける価値を脅かす事実情報に無意識のうちに抵抗する」。私たちは信念を自分自身から切り離そうとしない――ある意味、信念が私たちを定義しているからだ。自分を自分たらしめている考えを、さらには同じ考えと世界観を持つ人々との関係を守ることは、私たちの精神にとって絶対的に重要なのである。」181-182ページ

 「人は自分と同じ意見やイデオロギーを持つ人たちに囲まれて生きることを好む。特に感情的な分野、例えば宗教や政治あるいは信念においてその度合いが強い。そこでは特定の見解に賛同する人が増えれば増えるほどそのアイデアが強化され、最後は疑う余地のない"正統教義"に昇華する。このアイデアから逸脱すると、社会的にあるいは個人的に多大な犠牲を払うことになる。もちろん、グループからも追放されてしまう。ある信念に疑問を投げかけることは、多くの場合でその信念に対する裏切りとみなされ、グループからつまはじきにされるリスクをともなっている。」182ページ

 「人間は社会的な生き物であり、身のまわりの人々の意見や立場に多大な影響を受けるという事実を忘れてはならない。人は同じ世界観を持つ人々と群れをなす――たとえ、その世界観がとんでもなく見当違いだとしても。」440-441ページ

 「同じ考えをもつ人に囲まれているので、信念はさらに強くなり、批判を受け付けなくなる。その環境のなかでは、信念が人々を統一する教義になる。教義に疑問を呈すれば、群れから追放されるかもしれない。(中略)嘆かわしいことに、現実をまったく受け入れようとしないほど、ある信念にガチガチに傾倒している集団が常に存在する。」442ページ

 「自分の考えを変えるぐらいなら現実を無視してやろう、あるいは間違いを認めるよりもでたらめを広める方がいい、などと考えるほど自分の宗教あるいは政治的な固定観念にどっぷりと浸かっている人は、今後も存在し続けるだろう。見ようとしない者は盲目に等しい。そのような者と議論するのは無駄なことだ。」442-443ページ

 もし認知的不協和を克服できたとしても、総理周辺の財務省関係者による政治的・心理的な影響が大きいようですので、この問題も解決しなければ、総理がPB黒字化目標が間違いだったと公に認めることはできないと思います。
 仮に総合経済対策の総額の一件で彼らから完全に心が離れたとしても、時間とともにまた元に戻る可能性はあると思います。そもそもこんな目に遭っても心が離れない可能性もあります。
 その場合の解決方法としては、総理周辺の財務省関係者と関わらないようにすることですが、それは現実的に難しいと思いますので、彼らから可能な限り距離を置いたり、できるだけ彼らと経済や財政についての話をしないことだと思います。彼ら全員を説得するという方法もありますが、(大変失礼なたとえ話で申し訳ありませんが、)それは洗脳が解けてカルト宗教から脱会したばかりの元信者が幹部信者全員を説得しようとするようなもので、逆にまた洗脳されるだけなのでやらない方がいいと思います。
 そして自民党の西田昌司参議院議員のように、「国の借金」問題など存在しないということをはっきりと理解している人達と経済や財政についての話をするといいと思います。

 もし心理的に彼らと縁を切れないのであれば、彼らと距離を置くことについて、「日本の発展や国民の幸福を優先して彼らと永久に縁を切る」と考えるのではなく、「国の借金」が問題ないことを行動で示して彼らに理解してもらうまでの間、ちょっと距離を置かせていただくと考えるのがよいかと思います。

5-15 世界は大転換が始まりました。日本もいい加減現実を直視すべきです。

 PB黒字化目標が間違いだったと認めると当然批判はされますが、それは最初のうちだけで、あとは称賛の方が大きいと思います。少なくとも、「国の借金」が問題ないことをわかっている人達からは最初から最後まで称賛の嵐だと思います。そして20年以上に渡って停滞していた日本経済を再び力強く成長をさせた総理として、確実に良い意味で日本の歴史に残ると思います。これは憲政史上最長の在任期間を誇る安倍総理ですらできなかったことです。

 現在、欧米各国では「国の借金」は問題なく高圧経済が正しいとの理解が進み積極財政に転換しているそうです。だからこそ欧米では日本よりもかなりインフレ率が高くなっているのだと思います。そしてこれは新自由主義を捨てて、小さな政府から大きな政府への転換を進めていることを意味していると思います。またロシアによるウクライナ侵攻で安全保障環境が大きく変わってきています。このような状況で相変わらず頑なにPB黒字化目標を堅持し、歳出削減と増税をしてPB黒字化達成に向けて着実に前進することは、総理や総理周辺の人達にとっては大変満足かもしれませんが、結果として国民を無駄に苦しめ、無意味に日本経済を奈落の底に突き落とすことになり、悪い意味で歴史に残ると思います。

 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。

 「現実を直視し、現実に合わせて経済政策も変えていく、徹底した現実主義に基づく政策判断こそ、宏池会の理念です。
 宏池会の伝統を受け継ぎながら、いま、国民にとって何が必要か――それを考え抜いていきます。」76ページ

 また「岸田ビジョン」の新書版(講談社 2021年出版)では「はじめに」が改稿され、そこには、2020年の自民党総裁選で菅義偉氏に敗れてからのことが書かれています。

 「総裁選に敗れてからの一年間、東京や地元だけでなくコロナ禍で許される範囲で多くの地に足を運び、政治について、自民党について、そして私自身に対するご意見を聞いてきました、それをノートに書き留め、頭に刻み、自分自身を変える努力を重ねてきたつもりです。
 小さなところでは話し方や、椅子に座って人の話を聞く時の姿勢まで、家族の意見も参考にしながら、一つ一つ改めていきました。」5ページ

 謙虚さがあり、現実主義を大切にし、挫折を味わい自分を変える努力をして勝利を収めた経験がある総理は、様々な困難を乗り越えることができるのではないかと思います。
 私は、総理は本心から日本の将来や子孫のことを心配して、財政破綻を回避するために財政健全化に取り組んでいるのだと思います。決して、「財務省を味方につけておいた方が有利だから」といった打算で行っているわけではないと思います。また、財政破綻のリスクを高めるつもりも、国を亡ぼすつもりも全くないと思います。しかしこれまで私が説明してきたように、PB黒字化目標こそが供給能力を毀損し、財政破綻のリスクを高めるなど様々な害悪をもたらし、国を亡ぼすことになります。
 現実主義を大切にする総理ならば、非現実世界の理屈を振り回す財政破綻論者たちの脅しに屈することなく、財政に対する見方を改め、「「国の借金」は問題ない、PB黒字化目標は間違いである」と認め、PB黒字化目標を破棄し、欧米に続いて日本も政策転換できるのではないかと思います。
 もし間違いを認めることよりも自己正当化や財務省関係者を優先し、これからもPB黒字化目標を堅持するのであれば、日本や日本国民の将来のためにも、1日も早く総理大臣を辞めていただきたいと思います。

5-16 不協和を乗り越えずに経済財政政策を転換する方法

 誰でも間違うことはあるし騙されることもあります。私も以前は「日本は将来デフォルトする。なんとかして国の借金を減らさなければいけない」と思っていました。しかしあるとき、通貨発行権というものがあることと日本国債は自国通貨建てであることを知り、日本はデフォルトしないことがはっきりと分かりました。私の場合は周囲の人に啓蒙するなどの具体的な行動を起こしていなかったので、自分が間違っていたことを知っても認知的不協和に苦しむことなく「あっそうなんだ」とすんなり受け入れられました。
 しかし岸田総理は長年PB黒字化のために活動してきたようですので、認知的不協和は非常に大きいと思います。大きすぎて何も感じなくなっている、つまりPB黒字化目標は間違いだという意見を聞く時だけ完全に思考が停止してしまい、全く頭に入ってこないのではないか、またそれだけではなく、その意見のアラを見つけた時だけそれを根拠にその意見を全否定するために脳が活性化し、さらに自分の信念を強固なものにする、という状態ではないかという懸念があります。それに総理周辺に財務省関係者が多くいるという問題もあります。
 正直なところ、岸田総理にPB黒字化目標は間違いだと理解していただき、そして公に認めることを求めるのは、常人には不可能なことをお願いしているのではないかと感じています。

 そのため、PB黒字化目標は間違いであることを認めていただくために、できる限りのことを書いてきましたが、それでも認めていただけない可能性は非常に高いと思っています。ただ、間違いだと認めることはできなくても、積極的にPB黒字化を目指すこともできない、という考えになっている可能性もあるのではないかと思います。
 そこで、そういう場合でも経済財政政策を転換できる方法を以下に記します。

 それは、PB黒字化を目指すことは間違いであると考える国会議員たちに経済財政政策を任せ、できるだけそれを手助けすることです。

 子供も含めてほとんどの国民が「国の借金」は良くないことで、いつか必ず返さないといけないと考えているにもかかわらず、高市早苗衆議院議員は堂々と、「国の借金」は問題ないというようなことを言っています。高市氏は子供でも分かっているようなことすら分からないバカなんでしょうか?そんなはずはないですよね。もしそうなら政調会長や大臣にバカを任命したことになっていしまいますからね。
 また、高市氏と同じように「国の借金」は問題ないと考えている国会議員は与野党問わず増えてきているようです。たとえば自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」のメンバー、立憲民主党の「日本の未来を創る勉強会」(代表:原口一博衆議院議員)のメンバー、れいわ新選組などです。選挙のことを考えれば多くの国民に迎合して「財政赤字を減らして将来世代にツケを残さない」とでも言っておいた方が有利なのに、落選するリスクが高まるにも拘らずあえて真逆のことを言っているのです。彼らは全員バカなんでしょうか?それは考えにくいですよね。
 また、彼らの多くも以前は日本は借金で大変だと考えていたと思います。それが経済や財政に対する理解が深まることで、借金が問題ないことや積極財政をしなければならないことを理解したからこそ、勇気を出して訴えているのだと思います。
 この状況を冷静に見れば、彼らの方が正しい可能性は十分あるのではないでしょうか。

 総理は国の将来を憂いて財政破綻を回避しようと頑張って来られたのだと思います。しかし、彼らも国の将来を憂いている点では同じだと思います。彼らは「国の借金」は問題ないと理解しているからこそ、様々なことに予算を付けて実行しようとしているのであり、将来のことなんてどうでもいいと考えて放漫財政を行おうとしているわけではないと思います。総理もそれはわかると思います。

 「岸田ビジョン」に次の一文があります。

 「リーダーは自らが光り輝くためにあるのではありません。逆です。リーダーはリーダー以外の全員を輝かせるためにこそあるのです。」250ページ

 彼らだって国民から選ばれた代表です。彼らに任せることは決して悪いことではないと思います。

第6章 税は財源の確保ではなく国民一人一人を幸福にするためにある


6-1 税の役割

 税は財源ではなく、世の中からお金を吸い上げることで経済をコントロールし、国民一人一人を幸福にするための道具と考えるべきです。

 税には具体的には以下の役割があります。

1.格差の是正
 高所得者や富裕層から多く税金を取り、低所得者や貧困層からはあまり税金を取らないことで格差を是正し、国民の一体感を損なわないようにします。一体感が損なわれると国民が分断して国民同士の争いが起き、結局多くの国民が不幸になります。
 また大金持ちが金の力を使って金持ち優遇政策を行わせることも防ぎます。

2.景気の調節
 景気が過熱しているときは多く税金を取って需要を減らして景気を冷やし、景気が冷え込み過ぎたときは税金をあまりとらないようにして需要を増やして景気を良くします。このようにして景気を程よく安定させることで国民を幸福にします。

3.個別の行動をコントロールする
 例えばタバコ税はタバコに税金をかけることで喫煙を減らし国民の健康を守ります。関税は輸入を減らして国内産業を保護・育成することに繋げます。こういう感じで個別の行動を制御することで国民全体を幸福にします。

4.通貨を流通させ、お金を使った統治ができるようになる
 円で税金を取るようにすれば、国民は税金を払うために円が必要になります。すると円を日本全国に流通させることができます。すると国民を幸福にするための政策を日本全国に行き渡らせることが容易になります。デメリットとして国民を不幸にするための政策も容易に行き渡らせることができるようになってしまいます。

 こうして見ると、税金とはとにかく沢山取ればいいというものではなく、状況に応じて取る量を増やしたり減らしたりすることが大事だと分かります。また累進課税であれば状況に応じていちいち税率を変更しなくても最初から状況に応じた税率が決められていますから、累進課税は優れた課税方式であるといえます。

6-2 消費税は悪税、廃止一択

 消費税は表向きは社会保障費の財源ということになっているようですが、お金が必要であれば国債を発行すればいいわけで、税金を集める必要はありません。
 先ほどの税の役割の観点から消費税を見てみると、消費税は以下のような税だと分かります。

1.格差拡大
 所得のうち消費に向けられる割合である消費性向は、高所得者の方が低く低所得者の方が高いので、所得から支払われる消費税の割合は低所得者の方が高くなります。簡単にいうと所得税の逆累進課税(所得が低いほど税率が高い)という感じです。ですので消費税は格差拡大の圧力を高めます。格差拡大は国民の分断を招き社会を不安定化させ、国民を不幸にします。

2.景気を不安定化させる
 税率が景気に左右されず、所得税の累進課税による景気安定の効果と逆の効果があるため、景気が悪化すればするほどさらに悪化させる力が強まり、景気が過熱すればするほど景気を冷やす力が弱まります。

3.消費全般を抑制して国民一人一人を不幸にする
 消費税はあらゆる消費を抑制します。言い換えると国民の潜在需要があまり満たされなくなります。つまり国民一人一人を幸福にすることを妨げて不幸にします。
 タバコ税などとは違って抑制する必要のないものまで含めてすべて抑制します。例えば勉強して何かの資格を取得する際の費用や、出産や育児にかかる費用にも消費税はかかるので、これらを抑制することになります。結果として「消費税は国民一人一人を不幸にするのが目的」となっています。
 あと当然ですがGDPの増加(経済成長)を抑制する効果も大きいです。
 また需要を減らすので景気を冷やします。景気が過熱しているわけでもない時に増税すれば景気を悪化させます。
 景気を悪化させるということは、雇用の不安定化、賃金の減少、結婚したくてもできない人の増加、少子化、自殺者の増加、犯罪の増加など、国民一人一人を不幸にすることに繋がります。
 すると、「消費税増税によって景気を悪化させる」ということは、「国民一人一人を不幸にすることによって、さらに国民一人一人を不幸にする」、ということになります。

 また税率を上げるほどこれらの効果は増大します。前にPB黒字化目標による被害を原爆にたとえましたが、消費税の税率を上げることは放射能の濃度を上げるようなものだと思います。
 また消費税はあらゆるものにかかりますので、徴税コストも膨大だと思います。国民一人一人を不幸にするために膨大なコストをかけているわけですから、愚かにもほどがあると思います。

 財務省設置法の第三条に財務省の任務が書かれていますが、そこに「適正かつ公平な課税の実現」とあります。常識的に考えて消費税はこれに完全に反しています。消費税は悪税としか言いようがないです。

 また、「岸田ビジョン」の新書版には以下の記述があります。

 「私の基本的な考えは、労働者は、消費者でもあるということです。消費者を痛めつけてしまえば、モノが売れず、物価も上がらず、企業収益が落ち込み、ますます給与が下がる悪循環に陥ってしまいます。」9ページ

 この悪循環をもたらしている大きな原因となっているのが消費税だと思います。

 以上のことを踏まえれば、消費税は廃止以外の選択肢はないと思います。

6-3 インボイス制度は延期、その間に消費税を廃止

 インボイス制度が2023年10月1日から始まります。これにより事務作業の負担がかなり増えることが予想されています。事務作業に時間を取られるため生産性が低下し供給能力を引き下げることに繋がります。またこの制度は実質的に免税事業者を追い込んで彼らからも消費税を取ろうとするものでもあります。その結果廃業が相次げばそれだけ供給能力が消滅することになります。

 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。

 「日本経済の財産である中小企業・小規模事業者への取り組みについて話をしましょう。中小企業・小規模事業者への対策を打ち出していくことが成長戦略の一丁目一番地と言えます。将来への不安を取り除く政策を打ち出し、生産性向上に努めたいと考えます。」49ページ

 「行員生活は5年で、その半分は四国での赴任生活でした。永田町に入る前、長銀の行員として社会経験を積めたことは大きな財産となりました。倒産や夜逃げの現場など世間の厳しさ、経済の激しい実態を肌で感じることができたことは政治家としての血肉となりました。」166ページ

 インボイス制度は、日本経済の財産である小規模事業者を苦しめ、倒産や夜逃げを増やすことになると思います。そして日本全体で見れば景気を悪化させ、生産性を低下させ、供給能力を低下させ、将来不安を高めることに繋がると思います。

 消費税は景気の影響を受けにくい安定財源で良いことだと考え、消費税を上げるために苦労してきたと思います。今も防衛費の増額にかこつけて消費税を上げようと努力していると思いますが、上げるのではなく廃止してください。
 これまでの苦労が水の泡となりますが、苦労したかどうかに関係なく間違っていることを正すのは当然のことだと思います。

 すぐに全品目を軽減税率0%にしたり廃止したりするのは政治的に難しいと思いますが、少なくともインボイス制度は延期すべきです。そして延期している間に消費税を廃止すべきです。

 また、「税は財源ではない」という考えを基にして他の全ての税についても見直し、国民一人一人を幸福にするための税制を構築すべきだと思います。消費税の他にも廃止したり、累進課税に変えたりした方がいいものがあるのではないかと思います。

6-4 不測の事態で供給能力が低下しないようにすることが安定財源を確保することになる

 税を財源と認識してはいけないということと、税は状況に応じて変える必要があるということを書いてきました。
 なので税に安定財源を求めることは二重の意味で間違っていることになります。税に安定財源を求めてはいけません。

 真の財源はデフレギャップ(供給能力の余力)なので、本当に安定した財源を求めるのであれば、災害などの不測の事態による供給能力の低下に備えることです。そのためには様々な安全保障を高めたり、普段の労働時間を短くしておいていざというときに労働時間を増やして供給能力を高められるようにしておくことなどが重要です。

第7章 実質賃金を上昇させ続ける方法


7-1 国民一人一人を幸福にするには自由に使えるお金と時間を増やし、安全・安心な生活を送れるようにすること

 第1章で、私の経済に対する基本的な考えは以下であることを記しました。
・経済現象は自然現象と違って人の力の及ばないものではなく、適切にコントロールすることが可能
・経済の本質は必要な財を生産して分配することであり、お金は必ずしも必要ではない
・経済を考えるときは需要と供給と潜在需要と供給能力を中心に考えるべきで、お金は経済をコントロールするための道具に過ぎない

 そして、政府は国民一人一人を幸福にすることを最大の目的とするべきで、それには国民一人一人の欲求を満たす必要があり、そのうちのお金を使う必要がある欲求(潜在需要)を満たすためには、生産性の向上で国全体の供給能力を高めることと実質賃金を上昇させることが必要で、そのためには移民を入れずに高圧経済にする必要がある、と書きました。
 これが基本なのですが、これだけでは不十分ですので第7章~第10章ではこれにいくつか付け加え、より詳しく説明していきます。

 使えるお金が多いほど多くの潜在需要を満たして幸福にできます。使えるお金を増やすには実質賃金上昇だけでなく給付金の支給、減税、社会保険料の減免などでも増やすことができます。
 また、たくさんお金があっても使う時間がなければ意味がありませんので、お金を使って潜在需要を満たす時間が必要です。
 また、安全・安心な生活を送れる国にすることも重要です。

 そこで、国民一人一人を幸福にするには次の3つを実現する必要があると考えます。
1.実質可処分所得(自由に使えるお金)を増やし続ける
2.可処分時間(自由に使える時間)を増やし続ける
3.安全・安心な生活を送れる国にする

 これら3つを満たすために最も重要なものが「高圧経済」になります。

7-2 経済の本質は必要な財の生産と分配

 国民一人一人を幸福にするには、必要な財(人々の幸福に資する財)をみんなで生産し合って分配することです。本来お金は必ずしも必要ではありません。しかし今の社会では、財を生産するには生産した人に報酬としてお金を支払う必要があり、財を分配するには対価としてお金を受け取る必要があります。つまり生産する能力があってもお金がなければ生産されず、分配しようと思えば分配できるのにお金がなければ分配されないようになっています。もちろんボランティアなどの例外はありますが基本的にはこうです。
 これを悪いことだと言っているわけではありません。ただ、基本的にお金というのは生産と分配を効率よく実現するための便利な道具である、と考えるべきだと思います。そしてお金を上手に使うことで国民一人一人を幸福にできる一方で、使い方を誤ると国民一人一人を不幸にしてしまうため、扱いにも慎重さが必要です。

 本来、必要な財をより多く生産すれば、より多く分配して国民一人一人をより幸福にすることが可能になります。少ししか生産できなければ少ししか分配できません。すごく簡単で当たり前のことです。このことは、どれだけみんなが大金持ちでも、どれだけみんなが貧乏でも、インフレ率が高かろうと低かろうと、円高だろうと円安だろうと、同じことが言えます。
 ということは、必要な財をより多く生産して分配することの方が、こういったことよりも重要だということになります。これは絶対に忘れてはならない基本中の基本です。

 すると、生産する能力が足りないから生産されないのではなく、潜在需要はあるのにお金がないから需要として顕在化せず、だから生産したくても生産できない、だから分配もされない、だから国民一人一人を幸福にできない、というのは非常にもったいない状況(つまりデフレギャップがある状況)です。このような状況に陥らないようにするために政府はお金を使い、必要な財が生産されて分配されるようにする必要があります。
 日本政府は20年以上にわたってこれを怠っているために、累計で数千兆円分の付加価値が生産されず、当然分配もされませんでした。
 お金の方ばかりに目がいき、政府は収支を黒字化することばかりを考え、また企業は人を安く使って利益を上げることばかりを考えている今の日本は、経済の本質を完全に忘れてお金に振り回され、長年にわたって亡国への道をひたすら歩み続けていると思います。お金よりも大事なことは、必要な財をより多く生産してより多く分配することです。
 そして、必要な財をより多く生産するためには生産性向上の投資をして供給能力を高める必要があり、より多く分配するためには実質可処分所得を増やす必要があります。どちらが欠けても国民一人一人を幸福にすることはできません。

 あと当たり前のことですが、不要な財(人々の幸福に資さない財)は生産する必要もないし分配する必要もありません。しかし今の社会では誰かの金儲けのためにいたるところでこういうことが起きています。これは供給能力の無駄遣いで国民一人一人を不幸にすることなので、できるだけこういうことは起きないようにする必要があります。

 また、マネーゲームでお金を儲け、そのお金で財を得ることは、財を生産せずに分配のみがなされることを意味します。多くの人がマネーゲームに労力を費やすほど財の生産は減るので全体で見れば不幸になります。政府は「貯蓄から投資へ」を掲げてNISAの拡充などを実施するようですが、これは全体で見れば人々を不幸にする政策だと思います。マネーゲームよりも必要な財の生産に労力を振り向ける政策を採るべきだと思います。

 お金を稼ぐことはもちろん大事なことですが、それは人々の幸福に資することをした結果、それ相応の分だけ頂くようになっていなければならないと思います。不相応に少ししかお金を得られなかったり、人々を幸福にしない、あるいは不幸にすることでたくさんお金を稼げるような状況は、なるべく改善すべきだと思います。

 今年になって急激に円安が進み、インフレ率も高くなってきましたので、お金の方ばかりに目が奪われがちになると思いますが、これらよりも重要なことは、必要な財をより多く生産して分配することであることを忘れないでください。

7-3 企業は人手不足の時は人々を幸福にし、人余りの時は人々を不幸にする装置

以下のグラフを見ると、今の日本の企業は売上高はあまり変わらないのに配当金、経常利益、役員給与を増やすことに力を入れ、その一方で設備投資、従業員給与を減らしています。配当金や経常利益を減らして従業員給与を上げることもできるのにそうはせず、配当金を増やすことに一番力を入れています。今の企業はそういう存在である、ということで話を進めます。

 日本の資本金10億円以上の企業の売上高、給与、配当金、設備投資等の推移(97年=100)
 http://mtdata.jp/data_65.html#houjin

 企業は、需要が供給能力を上回る時(景気が良い時)は多くの需要を満たしてより多くの利益を上げるために人を雇ったり、生産性向上の投資をしたりして供給能力を高め、利益を最大化しようとします。
 逆に需要が供給能力を下回る時(景気が悪い時)は人を解雇したり、派遣社員に切り替えて人件費を削ったり、投資を減らすことで利益を最大化しようとします。このとき供給能力は下がります。

 第1章でも少し説明しましたが、品不足になると物価が上がるのと同様に、人手不足になると実質賃金が上がります。逆も同様で人余りだと実質賃金が下がります。
 また景気が悪い状態がずっと続いていると人材はあまり育たず、また生産性も高まらないため、外国企業との競争で勝てなくなっていきます。すると企業の存続自体が危うくなります。
 ちなみに配当金を受け取っている株主からすれば、儲からなくなれば株を売って別の企業の株主になれば済む話なので、その企業が衰退して倒産しようとどうでもいいことです。自分が株主でいる間だけ大きな利益を上げてくれればいいわけですから。

 つまり企業とは景気が良いときは人々を幸福にすると同時に供給能力を高めて企業自身も存続し続けることができ、景気が悪い時は人々を不幸にすると同時に供給能力を低下させ企業自身の存続も危うくする、そのような装置だと言えます。
 もっとも、人材派遣会社のように人余りになるほど儲かる企業もありますので全ての企業がそうだとは限りませんが、一般的にはこうなると思います。

7-4 実質賃金を上昇させ続けるためのメカニズム

 実質賃金を上昇させるには人手不足にして生産性向上させることだと、これまで何度か書いてきました。
 非常に単純化した説明で申し訳ないのですが、実質賃金を上昇させ続ける方法について第1章のときよりも詳しく説明します。実際は様々な要素があるのでこんな単純なものでないことは承知していますが、実質賃金上昇の核となる部分はこれで理解していただけると思います。

 企業の売上高=企業利益+人件費+それ以外(税、原材料費等)とします。
 企業利益=株の配当金や内部留保などへ回して株主と企業の資産を増やすお金、とします。
 従業員数と財の販売価格は変えないものとします。ですのでこの説明における人件費上昇=賃金上昇=実質賃金上昇と考えてください。

 「企業利益+人件費」が20とすると、それぞれどのような配分にするかは企業次第です。10と10でもいいし13と7でもいいです。ただし従業員が働き続ける水準以上である必要があります。
 企業は人件費を抑えて企業利益を最大化したいため、どのような配分に決まるかはどの程度人手不足かによります(賃金が低すぎると従業員は別の企業に移ってしまいますので)。人手不足であればあるほど人件費が高くなり、人余りであればあるほど企業利益が高くなります。しかしどちらも上限は19です。それ以上だとどちらかが0以下、つまりどちらかが全くメリットがないわけですから事業が継続されないことになります。
 つまり、いくら人手不足で賃金を上げるにしても上限があります。

 企業利益10、人件費10のときに人手不足になれば、事業継続に必要な従業員を確保するために賃金を上げるので、企業利益8、人件費12のように企業利益が減って人件費が増えます。逆に人余りになれば人が安く買い叩かれて賃金が下がるので企業利益13、人件費7のように企業利益が増えて人件費が減ります。
 つまり賃金の変動は生産性向上とは関係なく、人手不足の度合いで決まります。

 ここで、生産性向上によって売上高を増やしたり、「それ以外」の部分を減らしたりしたとします。すると「企業利益+人件費」が増加します。
 元々の「企業利益+人件費」を20とし、生産性向上によりこれが25になったとします。
 すると元々の人件費の上限は19でしたが、生産性向上によって24に増えました。
 つまり生産性向上は賃金の上限を高めます(当然企業利益の上限も高めます)。しかし上限が高まったからといって必ずしも賃金が上がるとは限りません。

 元々の企業利益が10、人件費が10のとき、生産性向上しても人手不足でなければ企業利益15、人件費10になり、企業利益だけが増えて賃金が増えないことは十分あり得ます。
 たとえばある人がお店を経営していて10人のアルバイトを雇っていたとします。ある時アルバイト達に生産性向上のためのアイデアを出してもらって実行してもらい、アルバイト9人でも店が回るようになったので1人クビにしたとします。1人分の賃金が浮くことになりますが、これを9等分して残りのアルバイトの賃金に上乗せするでしょうか?経営者にもよりますが、しない場合が多いと思います。この場合、生産性向上したことで賃金を上げようと思えば上げられる(賃金の上限が上がった)にもかかわらず上乗せしなかったため結局賃金は上がらず店の利益が増えたことになります。
 さらに話を続けます。クビになった人Aが行き場が無くてまた戻ってきて、「もっと安い賃金でいいから雇ってください」と言ってきたので、Aを雇って別の人Bをクビにします。すると今度はBが戻ってきてAと同じことを言ってきたので、Bを雇ってCをクビにします。人余りの状況だとこうしたことが続き、人が生存できるぎりぎりの水準に向かって賃金は下落し続け、その反対側で店の利益は増え続けます。
 これはあくまでもたとえ話ですが、日本全体で見れば実質的にこれと同じことが、20年以上にわたって続いていると考えた方がいいと思います。

 まとめると以下になります。
1.賃金水準は人手不足の度合いで決まる
2.賃金を上げるにも上限がある
3.生産性向上は賃金の上限を引き上げる

 以上より、賃金を上げ続けるには常に人手不足の状態を維持して賃金上昇圧力をかけ続け、そして生産性向上し続けることで賃金の上限を上げ続ける必要があります。移民を入れて人手不足を解消したり、生産性向上の投資をしなかったりと、どちらかが欠けていれば賃金を上げ続けることはできません。

 ちなみに、企業に対する減税も賃金の上限を引き上げることになります。しかし減税には最大で0%という限度があり、そもそも税にはそれぞれの目的があるので、それを外れて賃金の上限を引き上げるために減税するというのはよくないやり方だと思います(但し消費税のような悪税はこういう使い方をしてもいいと思います)。
 また給付金などのように企業にお金を配ることも賃金の上限を引き上げることに繋がりますが、それで賃金を上げるほどなら直接個人に配った方が中抜きされることも無いのでこちらの方が優れていると思います。

7-5 従業員を増やすだけでも企業利益は増えるが、長期的に見れば生産性向上の方が優れている

 生産性向上をせず従業員を増やした場合はどうでしょうか。人手不足の度合いは変わらないものとします。
 企業利益10、人件費10のときに従業員数を2倍にし、「企業利益+人件費」が2倍の40になったとします。人手不足の度合いが変わらないので賃金も変わらず、また従業員数が2倍のため人件費は20となります。すると残りの企業利益は20になります。
 つまり生産性向上をしなくても従業員を増やすだけで企業利益を増やせます。
 企業からすれば企業利益を増やせるのなら生産性向上でも従業員増加でもどちらでもいいのですが、先が見通せない状況では生産性向上の投資というリスクを負わずに従業員増加という方法を選択しがちになるのではないかと思います。これが経済界が移民受け入れを望む要因の一つになっていると思います。

 このやり方では企業利益は上がりますが賃金が上がりません。しかもこれは永遠に投資をすることなく世界中から低賃金労働者を入れ続けることに繋がり、そうなれば日本人の賃金は世界最低水準に向かって下がり続けることになります。それに企業自身も投資を怠ってこんなことを続けていれば、いずれ外国企業との競争に勝てなくなり存続が危うくなります。さらに移民にとってもこんな国で生活することは不幸です。株主と人材派遣会社にとってはメリットがあるかもしれませんが、国の存続自体を危うくします。長い目で見れば持続可能性が無く、未来がありません。

 繰り返しになりますが、これはあくまで単純化した説明です。単に従業員を増やすよりも生産性向上の方が長期的に見れば色んな面で良い結果をもたらすことを理解していただければ幸いです。

7-6 人手不足は成長と分配の好循環を実現させるための最も重要な条件

 人手不足の効果として主に以下が考えられます。また人余りは以下とは逆の効果があると考えられます。

1.賃金の上昇
2.非正規雇用が減り正規雇用が増えるため雇用が安定化する
3.ブラック企業が減る
4.正規雇用になれば会社への忠誠心が高まり、雇用期間も長期化するため人が育ちやすくなり、生産性が高まる
5.自分に合わない会社にしがみつくことが無くなり、自分に適した仕事を見つけやすくなり、生産性が高まる
6.賃金上昇と雇用の安定により結婚が増え、出生率が上がる
7.企業に生産性向上の投資を促す
8.生産性向上の果実を実質賃金上昇という形でもたらし、成長と分配の好循環を実現させる
9.格差が縮小する
10.国が発展する
11.賃金上昇により企業利益が減る可能性がある
12.非正規雇用が減ることで人材派遣会社が儲からなくなる

 成長と分配の好循環を実現させる最初のスタート地点であり絶対に外せない条件が人手不足です。
 しかし今の政府は移民を入れて人手不足を解消し、その一方で賃金を上げるために経済界へ賃上げをお願いしたり賃上げ税制を実施しています。「一体何がしたいんだ?」という感想しか浮かびません。政府がやるべきことは賃上げをお願いするのではなく、人手不足を維持して賃上げせざるをえない状況を作ることです。

 人手不足は良くないことだというイメージがあるかもしれませんが、人が足りないということは人が大切にされるということです。ということは人を幸せにすることに繋がります。逆に人余りは人が大切にされないということで、人を不幸にすることに繋がります。
 移民を入れて人手不足を解消するのは、人を幸せにするチャンスを台無しにすることです。

 企業にとっては、人手不足は人件費高騰を招いて企業利益を圧迫するので嫌なものかも知れませんが、長期的に見れば企業の競争力を高めて長く存続させることに繋がります。
 経済界が望むように企業利益の最大化に手を貸すということは、子供が欲しがるお菓子を与え続けて結局虫歯にしてしまうようなものです。

 政府は、企業は国民一人一人を幸福にするための装置だと割り切り、うまく企業を活用して、企業利益の最大化ではなく実質賃金の最大化を目指すべきです。
 一言で言うと、政府の役割は人手不足の維持と企業が生産性向上の投資をしやすい環境を整備すること、企業の役割は生産性の向上と賃金を上げること、こう考えるのがいいと思います。

7-7 生産性向上は人手不足とセットでないと人々を不幸にする

 生産性向上の効果として主に以下が考えられます。

1.賃金の上限を引き上げる
2.人余りを加速させ、失業率を高め、賃金下落圧力を高める
3.物価下落圧力を高める
4.企業の供給能力と競争力を高め、企業を長く存続させ続けることになる
5.少ない生産年齢人口で高齢世代人口を支えられるようになる

 5番について少し詳しく説明します。この議論では大抵の場合、高齢者1人に対する現役世代の割合が今後どうなるかを見て「高齢者を支える負担がこんなに増えて大変だ。だから増税、移民が必要だ」という方向に議論を持っていく印象があるのですが、そもそも最初の考え方からして間違っていると思います。
 現役世代が支えているのは高齢者だけでなく自分たちや子供たちも含めた全員なので、現役世代の負担を見る場合は全人口に占める現役世代の割合を見る必要があると思います。以下ウェブページの(1)のExcelのデータを見ますと、生産年齢人口率は2025年は58.7%で2040年は53.9%になっています。つまり現役世代の1人当たりの負担は2025年から2040年の15年間で1/0.587から1/0.539になります。(1/0.539)/(1/0.587)=0.587/0.539≒1.089となり、15年間で約9%負担が増えることになります。1.089の15乗根は約1.0057なので毎年生産性を0.6%向上するだけで対処可能だということになります。また2040年以降の現役世代の減少率は緩やかになっていますので、2040年以降は0.6%も生産性向上しなくて大丈夫だということになります。

 国土交通白書 2016 第1節 我が国経済とこれを取り巻く環境
 https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h27/hakusho/h28/html/n1111000.html

 高圧経済であれば0.6%程度は余裕で超えることができると思います。つまり移民を入れなくても高齢化社会に対応できます。それどころか超えた分だけ実質的な負担は軽くなることになります。また言うまでもなく税は財源ではないので財源確保を理由とした増税も不要です。

 この件に限らず、生産性向上という視点が欠けている議論(例えば、日本は人口が減っているから成長しない、人口が減っているから移民を入れるしかないなど)は他にもたくさんあるのではないかと思います。

 話を戻します。注意が必要なのは、生産性向上は人余りを加速させるということです。その結果失業率を高め、賃金下落圧力を高め、格差を拡大することになります。生産性向上は人手不足とセットでないと人々を不幸にします。少し極端ですが、イギリスの産業革命期のラッダイト運動が有名な例だと思います。生産性向上は人手不足かどうかで善にも悪にもなるということです。

 あと、「日本人の賃金が低いのは生産性が低いからだ。だから賃金を上げるには生産性を向上する必要がある」と考えて人余りを放置して生産性向上を推進すると、余計に賃金が低くなるので注意が必要です。企業にとっては企業利益が増えるので喜ばしいかもしれませんが、これはやってはいけません。

7-8 高圧経済は国を発展させ、デフレは国を亡ぼす

 需要が供給能力を上回って人手不足となり、人手不足解消のため生産性向上の投資が活発に行われている経済、つまり高圧経済になれば経済界への賃上げ要請や賃上げ税制をしなくても勝手に賃金は上がり、また非正規雇用の正規化が進むことになると思います。
 また投資が活発化するのでわざわざ海外からの投資を呼び込む必要も無くなります。それに、企業は国内で儲けることができるので、利益を求めてわざわざ海外に出ていく必要も無くなります。

 高圧経済で国民一人一人を幸福にすることが国全体の供給能力を高め、それが通貨の価値を支え、財政の持続可能性を高め、国が繁栄することに繋がります。逆に需要が不足している時は人余りになるため、企業は賃金を下げて国民一人一人を不幸にし、需要不足が国の供給能力を低下させ、通貨の価値を毀損し、財政の持続可能性を低下させ、国が亡びることに繋がります。

 結局実質賃金を上げる政策(高圧経済政策)を行い続ければ国は発展し続けることになります。そして企業利益を上げることばかり考えると、実質賃金が下がって国は衰退してしまう場合があるということです。経済界の言うことを聞き続けて国民の生活を軽んじてきた結果が今の日本だと思います。
 インフレ率が高かろうと低かろうと、円高だろうと円安だろうと基本的には関係ありません。どの状態でも高圧経済にすべきです。生産性を高めてより多くの財を分配すれば豊かになることに変わりはありません。

 あえて極端な言い方をすると、デフレギャップを放置していれば国が亡び、高圧経済にすればデフレギャップは解消され国が発展するということです。だからこそ、高圧経済を維持し続けることが大事なのです。

 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。

 「一方、中国を見てください。一帯一路構想で膨大なインフラ予算を組み、AIや5Gなどの先端技術開発にこれでもかと国費を投入し、月への有人飛行など宇宙開発の予算も増やし続けています。中国だけではありません。アメリカ、欧州、インド、ASEANなど、世界中が競争力向上にしのぎを削っています。
 その状態で、日本だけが「財政にゆとりがないから、指をくわえて見ている」というわけにはいきません。」42ページ

 おそらく日本は世界一財政にゆとりがあります。今の日本のデフレギャップは数十兆円あると思います。毎年それだけ分の供給能力が使われる事無く無駄になっているのを有効活用することで、思う存分世界を相手にしのぎを削ることができ、しかも高圧経済に出来ます。

第8章 高圧経済を維持し続ける方法


8-1 高圧経済を実現させる2つの方法と可処分時間を増やし続ける方法

 現状では高圧経済を維持するには需要を増やし続ける必要があります。高圧経済だと生産性向上によって指数関数的に供給能力が高まるので、どこまでも需要も増やし続けることになります。最初のうちはインフラ整備、安全保障の強化、減税や給付金による民需の喚起など色々とやることがありますが、いずれ段々とやることが無くなっていき、不必要な需要(必要以上に規制を強化して無駄なことをさせる、要らない建物を作るなど、人々の幸福につながらない需要)を生み出したり、輸出に力を入れて貿易相手国の産業を衰退させて貿易摩擦を引き起こして互いに嫌な思いをしたりと、色んな問題を起こすことが予想されます。だからといって需要を減らして高圧経済で無くしてしまえば人余りになり実質賃金が下がり格差が拡大したりと、今のような状態に逆戻りしてしまいます。
 要するに、本来なら必要な財を生産して分配するだけでいいのに、不要な財を生産せざるを得なくなり、供給能力を高めるほど不要な財の生産が増えることになります。これは、何の価値もない仕事や人々を不幸にする仕事、いわゆるブルシット・ジョブを大量に生み出すことに繋がります。こういう仕事は今でもたくさんあると思いますが、供給能力を高めてもこれが増えるばかりとなれば人々は不幸です。

 こういう事態を回避しつつ高圧経済を維持するには、生産性を向上しつつ、国全体での実質賃金の総額はそのままで、労働時間の総計を減らすことを目指す必要があります。要するに単位時間当たりの実質賃金を増やし、同時に可処分時間を増やすわけです。もちろん労働時間を減らしても普通の生活ができるようにしておく必要があります。
 つまり生産性向上しても供給能力が高まらないようにすることで、需要を増やさずに高圧経済を維持するわけです。

 生産性の向上は基本的に、需要を増やして高圧経済を維持する場合は実質賃金を上昇させ、供給能力を高めずに高圧経済を維持する場合は可処分時間を増やすことになります。ちなみに後者を行い続けるのが可処分時間を増やし続ける方法となります。

 実際は需要を増やすか労働時間を減らすかのどちらか一方ではなく、両方を意識しながら状況に合わせた政策を考えるのが良いと思います。

8-2 国全体での労働時間の総計を減らす2つの方法

 高圧経済を維持し続けようとすると将来どうしても国全体での労働時間の総計を減らす必要が出てきます。
 企業側としては需要がたくさんあるのだから多くの人を雇ってたくさん働いてもらいたいが、労働者側としては実質賃金が高いのでそんなに働かなくても生活していけるのであんまり働かない、となって特に何もしなくても自然と労働時間が減っていくかもしれません。
 しかし日本人は貯蓄が好きで働くことも好きな人が多いと思いますので、普通に生活していくには十分過ぎる賃金があっても多くの人は労働時間を減らすことなく働き続け、お金を貯め続ける可能性も十分あると思います。

 なので自然に労働時間が減らない場合は、高圧経済を維持するために国全体での労働時間の総計を削減する政策が必要になります。
 労働時間を減らす方法として、労働者数を減らす方法と一人一人の労働時間を減らす方法があります。例えば共働きを減らすとか定年年齢を引き下げるとか、あるいは週休3日にするなど休日を増やしたり1日の労働時間を6時間に減らすなどです。

 また、労働者数を減らすのではなく一人一人の労働時間を削減した場合は、供給能力を高めないというよりは枷をはめられて供給能力を最大限発揮できなくする感じになるので、緊急時にはその枷を外すことで一気に供給能力を高めることができます。
 例えば普段4時間しか働いていない時に、緊急時に8時間働くようにすれば供給能力が2倍になるわけです。現在のように8時間労働だといきなり16時間労働にするのは無理がありますが、普段少ししか働いていなければ増やすのは容易だと思います。
 しかし、仮に1日4時間労働を実現したとしても、実際はこんな簡単に2倍にできるとは限りません。例えばある工場が1日6交代で4時間勤務だとすると、1日24時間しかないのでこれを1日6交代の8時間勤務にはでません。だからといって3交代で8時間勤務にしても供給能力は変わりません。共同で使用している場所やモノがあればそれがネックになります。そのため労働時間を減らしても緊急時にすぐに供給能力を増やせる体制を確立していなければ、いざという時にどの程度効果を発揮するかはわかりません。

 しかし労働者数を減らすより労働時間を減らす方が、緊急時の国全体としての強靭性が高いことは分かると思います。労働時間を減らす場合は誰もが何らかのスキルを身に付けているわけですから。
 国としては労働時間を減らす方を推進したくなると思いますが、一番大事なのは国民一人一人の幸福なので、国民一人一人がどのような働き方をするかをなるべく自由に選べるようにするのがいいと思います。例えば共働きで1日8時間週休4日、あるいは共働きで1日4時間週休2日、あるいは片働きで1日8時間週休2日などです。
 国全体での労働時間の総計を減らす方法は、労働者数の削減と一人一人の労働時間の削減のどちらか一方ではなく、両方を織り交ぜた方法にするのがいいと思います。具体的にどういう政策にした方がいいかは私より官僚の方たちが遥かに詳しいと思いますので省略します。

 また高圧経済を維持する為でなくても、今後技術が発達することで自動化が進み、将来様々な仕事が無くなっていくと言われていますので、国全体での労働時間の総計を削減する政策は考えておく必要があると思います(すでに考えているとは思いますが)。

8-3 高圧経済かどうかを判断する指標について

 私は経済関係のデータ分析について詳しいわけではないので、もっと良い指標などがあるかもしれませんが、高圧経済かどうかは大体以下の指標を見て総合的に判断するのが良いと思います。

・デフレギャップ(最大概念の潜在GDPを元に算出)
・GDPに占める政府と企業の投資額の割合
・実質賃金上昇率
・労働時間減少率

 ちなみにインフレ率は以下のような理由により、高圧経済かどうかの判断指標としてはあまり向いていないと思います。

・輸入物価の変動の影響を受ける
・日本は長期にわたって物価を上げてこなかったので値上げしづらいマインドがある
・一旦値上げをし出すと一気に値上げをし、さらには便乗値上げまで起きる

 高圧経済かどうかを判断する条件を決めてそれをクリアしたらそれでよしするべきではありません。そもそも高圧経済にする目的は生産性向上によって実質賃金を上昇させたり労働時間を減らすことですから、これが最も増える条件を探ることが重要です。しかもこの条件は時代によって変わるでしょうから、常に探り続ける必要があります。

8-4 企業が投資しやすい環境を作る必要がある

 高圧経済の条件として企業による生産性向上の投資があります。
 人手不足にすれば自然と投資は増えるでしょうが、投資を促進するような政策を行い、生産性向上を後押しすることも重要です。
 基本的な考え方としては、投資にはリスクが付きものですからそのリスクを低減させるのがよいと思います。

 具体的には以下のようなことを行うのがよいと思います。
1.高圧経済にすることを宣言する
2.先を見通しやすいように、国の長期的なビジョンを明確にして計画を立て、どういう需要をどのくらい生み出すかを約束し実行する
3.移民を入れないようにする
4.投資減税などで企業の財政負担を下げる
5.インフレ率を安定させる
6.高速道路網の整備や電力の安定供給など様々なインフラを整備し、企業の生産性向上を助ける
7.常に企業間で適度な競争が起きている状態にする

 7番について少し詳しく説明します。人手不足にしても独占や寡占状態で競争原理が働いていなければ賃金を上げた分だけ価格に転嫁され、生産性向上は起きない可能性があります。
 また、官は効率が悪いから民営化すべきという意見をよく聞きますが、供給される財が人々の生活に必須のものであり、そして競争原理が働かなければ、仮に民間に任せたとしてもサービスの質は上がらず、それどころ足元を見てどこまでも価格を吊り上げだし、単に搾取の手段を与えるだけになる恐れがあります。これでは民間企業に徴税権を持たせるようなものです。こうなると高圧経済にして所得を増やしても、その分値上げされて全て奪われることになりかねません。
 水道民営化は海外の事例を見るとこの危険性が高いと思います。

 また企業の投資を促すだけでなく政府自身も人材投資、研究開発投資、設備投資、公共投資といった生産性向上の投資が必要です。

8-5 企業が低賃金労働者を求めて海外へ出ていかないようにするために

 高圧経済にすると企業は生産性向上の投資をしたり、人手確保のために賃上げ競争をすることになります。経営者の中には「賃金を上げてやりたいが経営が厳しいので上げられない」という人たちもいると思いますので、そういう人たちにとって高圧経済は追い風になります。
 しかも企業をこういう状況に置くことが、従業員を幸福にし、企業を長く存続させることに繋がります。投資を減らして賃金を引き下げて利益を上げている日本企業と、きちんと投資を行って利益を上げている外国企業とでは、長期的に見れば日本企業が負けるのは誰の目にも明らかですから。
 人を安く使って搾取する国から、企業を鍛える国に変わる感じです。

 しかしこうなると賃金水準の低い外国に魅力を感じて、外国に生産拠点を移そうとする企業が出てこないとも限りません。もしそうなると国の供給能力が低下してしまうので、それを防ぐ必要があります。
 理想としては世界中の国を高圧経済にできれば企業は低賃金労働者を求めて外国に出て行きにくくなるし、世界の多くの人たちを幸福にできるので良いと思うのですが、現実的にはそれは難しいでしょうから以下のような対策をするしかないと思います。

1.賃上げ競争を緩和させ、企業利益を増やす
 人手不足を緩和させたり、日本で事業を行った方が儲かるような政策を実施するなどすれば、外国には出て行きにくくなると思います。

2.関税をかける
 関税をかけると「外国で生産して日本に輸出して儲ける」ことが難しくなります。
 また外国製品との価格競争で有利になり、生き延びるために海外に出ていかざるを得ない企業を減らすことにもなります。

3.円安にする
 円安にすれば外国人の賃金は日本人と比べて相対的に高くなりますから、外国に出ていってもあまり儲からなくなります。
 また円安にするということは、全ての輸入品に一律で関税をかけ、全ての輸出品に補助金を付けるようなもので、国内企業にとって有利となるため、こういう点からも海外へ出ていく企業は減ると思います。
 ちなみに円安にするには輸出を減らして輸入を増やすのがいいと思います。輸出とは日本人が財を生産して外国人に分配して外国人を幸福にすることです。輸出せずに日本人に財を分配すれば日本人を幸福にできます。そして輸入とは日本人は財を生産することなく外国人に財を分配してもらうことで、これまた日本人を幸福にできます。なので輸出を減らして輸入を増やすのがいいと思います。注意すべきは輸入を増やすことで国内の産業を衰退(供給能力を低下)させないようにすることです。
 具体的には減税や給付金で可処分所得を増やしたり労働時間を減らしたりするのがいいと思います。
 為替介入による円安はこれらの機会を潰す代わりに外貨を得て、海外から不評を買う行為です。
 また、円安にすると日本の土地や企業が買われやすくなりますので、安全保障に影響しないような対策が別途必要だと思います。

 他には、すでに外国に生産拠点を移した企業を補助金などを使って日本に戻すこともやるべきだと思います。外国企業に日本への投資を呼びかけるよりもこちらの方を優先すべきだと思います。

第9章 実質可処分所得を増やす方法について


9-1 所得の中核を担うべきは給与所得

 必要な公共事業などをしても需要が足りず高圧経済に出来ない時、減税や給付金の支給で民間需要を増やすことで高圧経済にする方法と、労働時間を減らすことで高圧経済にする方法がありますが、どちらを優先するかはその時多くの国民が、実質可処分所得が増えることと可処分時間が増えることのどちらを望んでいるかに従うのがよいと思います。
 この章では給付金を配ることについて書いていきます。

 財を生産して世の中に供給して賃金を得て、そのお金を使って自分に必要な財を世の中から得る、というのが今の経済社会を成り立たせている基本だと思います。そして生産性の向上と実質賃金の上昇が国民一人一人をより幸福にしていく基本であるべきだと思います。なので所得の中核を担うべきは給与所得だと思います。そのため実質可処分所得を増やし続ける方法は、実質賃金を上昇させ続ける方法と同じです。また「所得の中核を担うべきは給与所得」という価値観は日本社会で広く共有されていると思います。

 また、実質可処分所得が多いほど国民一人一人をより幸福にできますので、所得は給与所得だけに限るべきではなく、国民一人一人になるべく多く給付金を配り、実質可処分所得を増やすべきだと思います。言ってみれば政府からのお小遣いといった感じです。

9-2 政府が国債を発行して財政出動すれば国民の所得が増える

 以下動画は国債発行のプロセスに関する、自民党参議院議員の西田昌司氏と日本銀行企画局長の清水誠一氏によるやりとりです。

 参議院 2022年03月15日 財政金融委員会 #02 西田昌司(自由民主党・国民の声)
 https://www.youtube.com/watch?v=4d722ze-j2w&t=264s

 この動画から一部を文字起こししたのが以下です。
4:24~4:43 清水氏
 「政府が国債発行で調達した資金を実際に使いますと、その資金は家計や企業の預金口座に流入し、預金がそれだけ増加いたします。このように銀行の国債購入分だけ民間の預金が増えている、という意味で貸し出しの場合と同様、信用創造が行われているということになります。」
5:03~5:34 西田氏
 「まず国債を政府が発行します。そうすると日銀にある政府預金がその分増えます。そして政府側は国債という負債を発生させることになります。銀行側では国債を買う代金として日銀当座預金を支払う。」
8:53~9:44 清水氏
 「銀行が国債を購入する際には貸し出しの場合とは異なり即座に預金が発生するわけではないため、一旦何らかの手段で購入資金を用意する必要がございます。すなわち、日銀当座預金などの手元資金を潤沢に保有している場合には銀行はそれを使って国債を購入するという風に考えられます。一方手元資金が不足する場合には短期金融市場等から必要な資金を調達することになります。その後、政府が国債発行により調達した資金を実際に使えば、その資金は家計や企業の預金口座に流入する為、日銀当座預金を復元させたり市場から調達した資金を返済したりすることが可能になります。その結果、全体のプロセスを通しますと銀行の国債購入と財政支出による預金増加が見合うことになります。」

 つまり、政府が国債を発行する→市中銀行が国債を購入する→市中銀行の日銀当座預金口座から国債購入代金が政府預金口座に移る→政府が支出する、という流れになります。
 そして政府支出の例として、たとえば公共事業を発注しA社に代金を支払う場合は、B銀行にあるA社の口座残高とB銀行の日銀当座預金残高を代金分だけ増やし、政府預金から代金分だけ減らす→A社が従業員に賃金を支払う、という流れで国民の所得が増えます。
 つまり国債を発行して支出すればマネーストックが増え、国民の所得も増えるということです。
 また、市中銀行が国債を買う時に日銀当座預金の総額が減りますが、政府が支出する時に増えるので結局変わらないことになります。
 この後日銀が市中銀行から国債を買い取れば日銀当座預金の総額が増えます。ちなみに徴税は銀行預金を減らしてその分の日銀当座預金を政府預金に移すので、マネーストックと日銀当座預金を減らします。

 これらの事実は、理論的にはデフォルトすることなく国債発行残高を∞円まで増やせることと、債務対GDP比を∞にできることを示しています。国債発行残高や債務対GDP比を気にすることの無意味さや、財政健全化目標のおかしさが改めてよく分かります。

 もしも市中銀行に積み上がった国債が売られて金利が高くなるのが嫌な場合は、日銀が買い支えれば済みます。そして日銀当座預金が増えることで市中銀行の貸し出しが増えすぎるのが嫌な場合は、預金準備率を引き上げれば済みます。

 上記の、政府が公共事業を発注した例だと、新たな財(政府の資産)が生まれ、国民の所得が増えています。「国の借金」が問題ないわけですから、国債発行でデフレギャップ(供給能力の余力)を活用することはいいことづくめです。

 また、これは複雑なプロセスを経ていますが、市中銀行が銀行預金という負債を発行して資産(借用書や現金)を得るのと似ています。政府は銀行預金の代わりに国債を発行しているだけです。そう考えると、政府が国債発行残高が増えることを心配するのは、市中銀行が銀行預金残高が増えるのを心配することと同じで、おかしなことだと思えるのではないでしょうか。
 誤解の無いように付け加えますと、政府は実質的に純資産が∞円なので、例えば給付金を配る時のように、国債発行して支出した結果、その引き換えとして何の資産を得なくても問題ありません。

 わかりやすく言うと、財政赤字を増やせば増やすほど国民の所得は増えるということです。すると国民は自らの潜在需要を多く満たすことができ、幸福になるわけです。逆に、PB黒字化するために税金をたくさん取れば国民は貧乏になり、不幸になるということです。
 財政赤字は敵だと思っていたら実は国民を幸福にする味方で、財政黒字の方が敵だった、という感じです。さらに言えば、財務省は日本の将来を守っている味方だと思っていたら、実は日本国民を不幸にし、日本の将来を台無しにしている敵だった、となると思います。

 ちなみに、「今はまだ銀行預金の総額が国債発行残高を上回っているからいいが、将来高齢者が銀行預金を取り崩しだすと国債を買うお金が無くなって大変なことになる」といった言説があるようですが、これは全くのデタラメです。まず高齢者が銀行預金を取り崩して消費のためにお金を使っても世の中全体から見ればそのお金は無くならず、単に移動するだけで別の誰かの銀行預金になります。また国債は国民の銀行預金を使って買っているわけではなく、民間金融機関の日銀当座預金で買っています。しかも政府が国債を発行して支出すると一連のプロセスを経て国民の銀行預金が増えます。

9-3 「少ないお金で大きな効果」ではなく「少ない供給能力の利用で大きな効果」を目指すべき

 当たり前ですが政府は営利企業ではありません。政府の純資産は実質的に常に∞円なので黒字の最大化を目指す必要がありません。
 ですので、少ない投資(財政出動)で大きな利益(税収)を追求、不採算部門は売り払う(民営化)、などといった発想は政府としてふさわしくありません。経済界と同じ目線でものを考えてはいけません。
 政府が少ししかお金を使わなければ国民の所得は少ししか増えませんし、財源確保のために税収を増やすことを考える必要はありませんし、不採算部門とは赤字を出しているということであり、つまりそれは国民にとっては黒字であるわけです。

 上記のような価値観だと常に財政をケチるため、結果として本来やるべき政策が行われなかったり、選挙対策や支持率を意識して国民を欺くために「やってる感」を出すことを目的とした実質的にあまり意味のない政策だったり、しょぼい政策やおかしな政策ばかりになったりして、その結果供給能力を無駄遣いし、国民を不幸にすることに繋がります。さらには政策立案に携わった人達の精神を腐らせるのではないかと思います。

 例えば2020年のコロナ対応において、自粛要請に従った企業には粗利補償をして、従業員の解雇を行わず賃金も普段通り支払うようにさせれば、普通にみんな自粛するし、それでいて企業が倒産することも無く、失業者や自殺者が増えることも無く、他の様々な問題が起きることも無く、国全体での供給能力が維持できたわけです。
 しかし財政支出をケチったため、1回きりの全国民への10万円給付、子育て世帯への給付、住民税非課税世帯等への給付、企業への実質無利子・無担保融資、コロナ終息していないのに経済を回すためと言ってGOTOトラベルやGOTOイートを実施、など本来粗利補償していればする必要もないことを次々とやる羽目になっているわけです。しかしそれでも不十分なため、コロナが無ければ潰れることもなかった企業や失業者や自殺者が出ているわけです。そして潰れなかった企業もこれから融資の返済に苦労することになるわけです。

 政府にとってはお金よりも国全体の供給能力の方が大事だということが理解できていないから、お金を大事にして供給能力を毀損させるという、ダイヤを投げ捨てて小石を拾うような、とんでもない人災を招くのです。しかも多くの人がこのことに気付いてないことがさらに悲劇的です。

 これまでの経済財政政策は「政府の財政は家計と同じである」という大前提を基にして作られていると思いますが、これからは以下を大前提にして考える必要があります。

・政府の純資産は実質的に常に∞円である
・政府の財源はデフレギャップ(供給能力の余力)である
・政府が国債を発行して支出するほど国民の所得は増える

 これからは「少ないお金で大きな効果」ではなく「少ない供給能力の利用で大きな効果」を目指すべきです。
 国民一人一人を幸福にするためにデフレギャップ(供給能力の余力)という財源をいかに無駄なく有効に使うかを考えるべきです。
 ここで一つ注意が必要なのは、純資産が実質的に常に∞円だからといってお金の使い道に無頓着になると、供給能力の無駄遣いになる恐れがあるということです。

9-4 出来るだけ少ない財政赤字から、出来るだけ多い財政赤字へ

 実質可処分所得が多いほど多くの潜在需要を満たせますので国民一人一人をより幸福にできます。
 政府が財政赤字を出すほど国民の所得が増えます。ならば政府は財政赤字をできるだけ多く出さなければいけないことになります。しかし財政赤字を出し過ぎると、激しいインフレなどで物価の制御が困難になって物価が不安定になり、先が見通せなくなって企業による生産性向上の投資が減って実質賃金があまり上がらなくなったり、社会が混乱したりする恐れがあるので限度はあります。

 限度を測る基準は、使い勝手や国民生活への影響などを考えると、現実的にはインフレ率を重視するのがいいのではないかと思います。
 8-3節で高圧経済かどうかを判断する指標としてはインフレ率はあまり向いていないと書きましたが、財政支出の限度としてはインフレ率も見た方がいいということになります。重要度は、高圧経済であること>インフレ率が安定していること>インフレ率があまり高くないこと、という感じで、例えばインフレ率が2%までとか4%までとかいう風に数値ばかりにこだわらない方がいいと思います。高圧経済でインフレ率が安定している限り、できるだけ財政赤字を多く出すのがいいと思います。
 また、輸入物価上昇に伴うインフレ率上昇に惑わされないように注意する必要もあります。

 どの程度支出をするかは、デフレギャップや乗数効果を考慮して決めるようにすれば、無駄にインフレ率を高めて物価を不安定にさせてしまうことなく、高圧経済を維持し続けることができると思います。
 ご存じだと思いますが念のため書いておきます。政府の財源はデフレギャップと書きましたが、例えばデフレギャップが50兆円だったからといって50兆円までなら財政赤字を出してOKでそれを超えたらNGというわけではありません。乗数効果を考慮する必要があります。乗数効果次第で50兆円を超えても問題ない場合もあれば、超えなくても問題が出る場合がありますので、単にデフレギャップの金額だけで判断してはいけません。デフレギャップはあくまでも目安であり、重要なのは高圧経済にすること、と考えた方がよいと思います。

 財政支出の内容によってインフレ率に与える影響は違います。なるべくインフレ率を高めないような支出は結果として多くの財政赤字を出すことができますので、それだけ国民の所得を増やせます。
 なるべくインフレ率を高めないような支出とは乗数効果が低い支出(あまり需要を生まない支出)です。公共事業のように支出がそのまま需要になるようなものは乗数効果が高く、国民への給付金のように一部が貯蓄に回って政府支出の一部しか需要にならないものは乗数効果が低いです。乗数効果が低いほどデフレギャップは埋まりにくいので、それだけたくさん支出することができます。つまり公共事業より国民への給付金の方が、より国民の所得を増やすことができます。

 「公共事業にお金を使うほどなら直接国民にお金を配れ」と言っているわけではありません。必要な公共事業は当然行うべきです。ただ、景気対策を目的として大して必要でない公共事業を行うほどなら、直接国民にお金を配った方がいいということです。

 ちなみに、企業が借り入れを増やして支出することでも所得は増え、そしてインフレ圧力を高めます。財政赤字の最大化を優先するあまり企業が借り入れをしにくくするような政策を採ってしまうと、それは本来の目的を見失っていることになるので、そうならないように注意が必要です(大丈夫だとは思いますが)。

9-5 消費税廃止や一律給付は公共事業よりも効率的に国民一人一人の実質可処分所得を増やせる

 国民一人一人を幸福にするには国民一人一人の実質可処分所得を増やす必要があります。

 公共事業などへの支出は、いくつかの企業にお金が流れて、そこから株主や従業員などに流れて、それらの人が店で買い物するなどしてお金を使うことでさらに世の中に広がっていく、という風に、どうしても時間がかかるし、中抜きされたりして誰がどのくらいお金を受け取るかにも偏りが出ます。また特定の地域に偏ってお金を使えばその地域だけが潤うことになりますし、企業の内部留保や外国人株主への配当金などに使われて国民へ回ってこないこともあります。これでは恩恵にあずかれない人達に不公平感を感じさせたり、格差を拡大させてしまう可能性があります。

 消費税はあらゆるものを対象としていますので、消費税を廃止すれば全国一斉にあらゆるものの値段が下がり、それによって全国民の実質可処分所得が一気に増えることになります。
 あるいは、コロナ禍で全国民に10万円を1回配りましたが、こういう風に全国民にお金を配ることも、実質可処分所得を一気に増やすことになります。
 全国民一律だとシンプルなので行政コストもあまりかからず、不公平感もあまり出ないと思います。また素早く行き渡ります。

 国民全体という観点だけでなく、国民一人一人という観点から見ても、消費税廃止や一律給付の方が公共事業などよりも、実質可処分所得を増やすという点で断然優れていることが分かります。

 一番重要なのは国民一人一人を幸福にすること、それは国民一人一人の欲求を満たすこと、経済的な面から見れば潜在需要を満たすことです。国民一人一人の潜在需要は千差万別でいちいち対応していられませんが、お金を配れば各自が最も効率よく各自の潜在需要を満たしてくれます。消費税廃止や一律給付ほど簡単に国民一人一人を幸福にする方法は他に無いのではないかと思います。

9-6 給付金の目的と効果

 ここでいう給付金は「民間需要を増やして高圧経済を維持するために、多くの国民に定期的に一律給付を行う」ことを目的としています。ベーシックインカムに似ていますが、最低限の生活保障をするわけでもなく、永遠に配り続けることを考えているわけでもありません。
 実際のイメージとしては、毎月数万円給付し経済状況に応じて1年毎に金額を少しずつ増減させていく、という感じです。

 給付金は高圧経済の維持を目的としていますが、これに付随して以下のような様々な効果が期待できます。

・より多くの潜在需要を満たせる
・貯蓄が増え、貯蓄ゼロの世帯が減る
・貧困の解消(生活保護は捕捉率が2割程度なので、生活保護から漏れた人も救える)
・所得格差の是正
・東京よりも地方の方が物価が安いので実質で見れば地方の方が得することになり、東京一極集中が少し緩和する
・インフレによる預金価値の目減りを軽減することで、インフレに対する恐れを軽減する
・賃金の上がり方は人によってタイムラグやばらつきがあるので、それを緩和することで高圧経済への不満へ高めずに済む
・多くの国民が給付金を受け取るので、企業は値上げをしやすくなり、価格転嫁できずに廃業する企業が減る。またステルス値上げが無くなる。
・主婦や年金生活者や学生が、パートやアルバイトで家計を支える必要性が薄れ、その人たちの労働時間が減る。その結果さらに高圧経済になる。
・消費税の逆進性の影響を緩和する

 あとお金には、使わなくてもある程度持っているだけで人に安心感を与えて幸せにする効果があります。さらに、貯蓄が増えることで心に余裕ができ、長期的なことも考えられるようになると思います。これは、財が分配されなくても人を幸せにする効果があるということです。ということはその分の財を生産する供給能力を使わなくて済んだと考えることができます。インフレ率を上げることも無く、財を生産する必要も無く、無限にあるお金をちょっと配るだけで多くの国民を幸福にできるということです。
 「お金を配っても多くが貯金に回されるから意味がない」といった批判がありますが、これはむしろ喜ぶべきことです。なぜなら、国民の資産が増えても需要はあまり増ないということなので、まだまだ多く配って国民の資産を増やして幸福にできることになるからです。

9-7 ベーシックインカムにした場合

 高圧経済の維持を目的とした給付金は、景気が過熱しすぎると民間需要を減らすために給付額が0円になる可能性があります。しかしベーシックインカムであれば、制度設計次第ですが基本的には給付額は変わらず、別の方法(官需を減らすなど)で景気を冷やすことになると思います。またベーシックインカムであれば前節の給付金の効果に加えて、貧困をより確実に解消できますし、また技術が発展することで自動化が進み様々な仕事が無くなる問題への対処としても有効だと思います。こうしてみるとベーシックインカムの方が優れているように見えます。

 ただベーシックインカムにすると「所得の中核を担うべきは給与所得」という経済社会の根幹にある価値観の転換につながり、それが長期的に見ると社会全体に対して何か大きな問題を引き起こすのではないかと、個人的に懸念しています。それにこれも制度設計次第ですが、個人と政府との結びつきが強くなることで家族の絆が弱まり、それが問題を起こすのではないかという懸念もあります。
 昔から社会の基本単位は家族であり、家族を経済的に支えるのは労働で得たお金、というのが基本であり、今もそうだと思います。もしこれが変われば、大げさかもしれませんが今の社会は徐々に変質して別の社会になっていくと思います。そしてその社会が人々にとって幸せな社会であるとは限りません。
 また個人に対する政府の干渉が強まることも懸念されます。

 またベーシックインカムだと景気が過熱した場合は公共事業の削減や増税ということになりますが、高圧経済を維持するための政府からのお小遣いという体裁の給付金だと「景気が過熱しているから給付金減らしますね」ということで比較的容易に対応できると思います。

 高圧経済&ベーシックインカムほどではありませんが、高圧経済&給付金でもかなりの問題が解決あるいは軽減されると思いますので、まずは高圧経済の維持を目的とした給付金から始めるのがよいと思います。その後残った問題に対して、個別に対応した方がいいのか、ベーシックインカムを導入した方がいいのか、といったことを検討するのがよいのではないかと思います。

9-8 ただでお金を配ることに対する批判への反論

 ただでお金を配ることに対して予想される批判に対する反論をまとめました。

1.国民を甘やかしてはいけない
 需要が供給能力を上回ってインフレで苦しんでいる状態であれば、自分たちが生産した財よりも多くの財の分配を求めているようなものなので、その批判は分かりますが、日本は需要不足に苦しんでいます。デフレギャップが数十兆円あります。
 国民が努力して自分たちの需要を上回るほど供給能力を高めたのに、甘やかすなと言って絶対に楽をさせようとはせずまだまだ働かせようとすることは、いたずらに国民を苦しめるだけです。国民は働きすぎるほど働いて、その結果人余りとなり実質賃金が低下して苦しんでいるのです。このことは、賃金は下がっているのに配当金や内部留保が増えていることからも分かります。
 給付金を配るのは過酷な状況に置かれている国民を助けるためであって、甘やかすのとは全く違います。
 そもそもこの状況を招いたのは長年の政府の政策が間違っていたからです。政府にはこの状況を改善する責任があります。

2.ただ配るのはもったいない、成長する分野に使うべきだ
 そもそも成長する分野とは何かというと、需要が拡大する分野ということになると思います。そして何のために成長を目指すのかといえば「国民の需要を満たして幸福にするため」ということになると思います。
 日本は全体的に需要が不足していますので、まずは給付金を配って需要を増やして国民一人一人を幸福にし、そして特に需要が大きく増えた分野を成長する分野と判断し、必要であれば政府がそこに投資するのがいいと思います。
 供給能力が足りないことが原因でインフレに苦しんでるのなら、配るのではなく成長する分野に使うべきという考えは一理ありますが、需要が不足しているのならまずはただ配るだけの方がより効率的に国民一人一人を幸福にできると思います。
 あと、「これから成長するのはどの分野か?」というのは企業の発想であって、政府は「国民一人一人を幸福にするにはどの分野を成長させるべきか?」と考えるのが正しいと思います。政府は無限にあるお金を使ってどの分野を成長させるかを決めれます。もし企業と同じ発想をしているのであれば改める必要があると思います。

3.ただ配るのはもったいない、魅力的な財を生み出して経済を活性化させるためにお金を使うべきだ
 これは今までになかった魅力的な財を生み出して需要を喚起し、それを取り込んで大儲けできる分野に投資すべき、という意味です。需要を喚起するということは、元々そんな需要など存在していないところに、強引に需要を生み出してそれを満たすということになります。これは「わざわざ欲求不満の状態を作り出してその欲求を満たして幸福にする」というマッチポンプのようなことで、お金を稼ぐ必要がある営利企業がこういうことをやるのは理解できますが、政府はこんなことに力を入れるよりも普通にお金を配って元々持っている欲求を満たせるようにしてあげる方が、よほど国民一人一人を幸福にできると思います。
 しかも魅力的な財を必ず生み出せるとは限らないので、単にお金を配るだけの方が賢いお金の使い方だと思います。

4.ただ配るのはもったいない、魅力的な財を生み出して外需を取り込んで外貨を稼ぐためにお金を使うべきだ
 4番とほぼ同じですが目的が外貨の場合です。
 固定相場制であれば為替レートを維持するために外貨を稼ぐことは重要ですが、日本は変動相場制ですので輸出が減ったり輸入が増えた結果円安になれば、日本の価格競争力が高まり自然と輸出が増えて輸入が減って調整されますから、外貨を稼ぐことは特に重要ではありません。それに変動相場制なので外貨を稼ぐほど円高になって価格競争力が落ちて稼ぐのが段々難しくなります。逆に円安になれば価格競争力が上がって外需が増えますので外貨を稼ぎやすくなります。
 しかも外需を満たすということは外国人を幸福にするということです。外需を満たして外貨を稼ぐことに力を入れるよりも、国民にお金を配って内需を満たして国民を幸福にすることを優先すべきです。その結果輸入が増えて円安になって外需が増えれば外需も満たしてあげればいいわけです。
 例えば「観光立国」などと言って外国人観光客を増やすこと力を入れていますが、これは日本人が働いて外国人の観光需要を満たして外国人を幸福にし、円高圧力を高めて日本の価格競争力を低下させる行為です。しかもインバウンドはGDP全体のごくわずかであり、観光公害も引き起こしています。日本人の観光需要を満たして日本人を幸福にすることに力を入れるべきだと思います。
 またこれも3番と同様で、魅力的な財を必ず生み出せるとは限らないので、単にお金を配るだけの方が賢いお金の使い方だと思います。

9-9 ただでお金をもらうことへの抵抗感を緩和するために

 ただでお金をもらうことに対して抵抗感を持つ日本人は多いと思います。抵抗感を緩和するために国民に対して以下のような説明をするのもいいかと思います。

1.国民一人一人を幸福にするには高圧経済にする必要があります。しかし給付金を配らずに高圧経済にしようとすれば、無駄な公共事業で需要を増やしたり、輸出に力を入れて外国人を幸福にして貿易摩擦を引き起こしたり円高で苦しんだり、まだ賃金が十分上がっていない状態で労働時間を無理に削減して貧困層を増やしたりすることになります。給付金を配って需要を増やせばこういう事態に陥ることなく高圧経済に出来ます。

2.給付金を使って得られる財を生産するのも結局は国民ということになります。国民全体で見れば別に甘やかされるわけではありません。単に経済を回すために給付金を配る必要があるから配るだけです。経済状況次第では減らしたりゼロにする場合もあります。

 給付金の具体的な配り方については第12章にそのアイデアを書いています。

第10章 安全・安心な生活を送れる国にするには安全保障、国民意識、信用できる政府、この3つが重要


10-1 安全保障の基本は自給自足であり、採算性を求めてはいけない

 今の日本を安全・安心な生活を送れる国にするために重要なことは、様々な安全保障を高めることと、民主主義を維持する事だと思います。そして民主主義を維持するには国民意識が共有されていることと、政府が信用できることが不可欠だと思います。

 まず安全保障についてですが、ここで言っている安全保障とは防衛だけでなく、防災、食糧、エネルギー、医療など様々な面で国民の安全な生活を保障するもの全てです。
 安全保障の基本は自給自足だと思います。他国との協調も大事ですが、永遠に協調できるとは限りませんし、またロシアによるウクライナ侵攻で小麦や天然ガスの供給が厳しくなるなど他国にも何が起こるかわかりませんので、なるべく他国に依存せず自立することが大事です。
 また安全保障は非常時への備えですので、採算性を求めるべきではありません。消防署に採算性を求めないのと同じです。外国との競争で勝てない食糧分野などは関税や補助金や様々な規制で守ったり投資をするなどして外国依存度を下げるべきです。

 あと、「全ての関税や規制をなくして貿易を活発にして競争することは素晴らしいことだ」といった考えがあるようですが、これは安全保障の低下につながる非常に危険な考えだと思います。自由競争に任せても構わないものとそうでないものをきちんと見分ける必要があります。これを見誤ると他国への依存を深めることで弱い立場に立たされることになります。日本は食糧やエネルギーで既にそうなっていると思います。

 私は安全保障について特に詳しいわけでもなく、独特の考えやアイデアがあるわけでもないのでこれ以上は基本的に書かないことにします。

10-2 民主主義を維持するには国民意識の共有が不可欠

 国民一人一人が政治に参加でき、たとえ自分は反対だったとしても決まったことには従う。これができていない国は民主主義国とは言えないと思います。
 そしてこれを成立させる核になる部分が国民意識だと思います。
 国民一人一人の意識の奥に「この国に何が起きても結局はこの国と運命を共にすることになるんだろうな」という国との結びつきや、「同じ日本人同士」という連帯感や同胞意識といった、国民同士の結びつきの意識が最低限必要だと思います。そしてこの意識を生み出して維持するには、常識を共有していること、格差が小さいこと、利害を共にしていること、この国で一生を終えることを前提として生きていること、などが必要だと思います。
 例えば「上級国民」や「親ガチャ」などという言葉が人々に受け入れられていることは、格差の拡大や固定化が進んで「同じ日本人同士」という意識が薄れていることの表れで、結構危険な事だと思います。
 念のため書いておきますと、「普段どういう意識があるかが重要」と言っているのであり、実際に何かが起きた時にどういう行動をとるべきかを論じているわけではありません。

 この意識があれば、物事を判断する時に長期的な事や自分だけでなく国を良くすることも考えるようになると思います。また何か争いがあっても「同じ日本人同士なんだから」とか「多少自分が損しても、それで多くの人がいい思いができるのなら我慢するよ」という風に、自分の幸福も大事だけど全体の幸福も大事だと考え、ある程度のところで収まると思います。
 しかしこの最低限の意識すら無ければ、「いざとなったら外国に逃げればいい」「彼らと自分たちは違う」「相手が損するのはいいが、自分が損するのだけは絶対に許せない」となり、この国がどうなろうと知ったことではなくなり、自分や自分の周囲の人の利益ばかりを考えるようになり、その結果他人がどれだけ苦しんでも平気になり、また争いはどこまでもエスカレートすると思います。
 そのような人ばかりになれば、社会から他者への信頼感や寛容さが失われて、「万人の万人に対する闘争」という状態になってしまい、安心して生活できなくなり、常識という不文のルールをいちいち無理やり明文化することになり、法律でがんじがらめになった窮屈な社会になり、いずれ民主主義を維持できなくなると思います。これでは日本の良さがどんどんなくなっていき、確実に国民は不幸になります。

 ちなみに、普通に日本史を学ぶだけでも全然違うと思いますが、特に近現代史における日本と世界との関わりを学ぶことが、運命共同体であることや利害を共にしていることを強く意識させ、日本人としての連帯感や同胞意識を強くすると思います。

10-3 移民には日本人としての国民意識がないので結果として国民を不幸にする

 移民の問題点として、高圧経済の必須条件である人手不足を解消してしまうことを挙げてきましたが、安全・安心な生活という観点から見ても移民を入れることには問題があります。
 移民は外国人であり、基本的にお金を稼ぐために日本に来ていると思いますので、当然ですが日本人としての国民意識はないことになります。例えばベトナム人であればベトナム人としての国民意識はありますが、日本人としての国民意識はありません。
 何も起きなければ日本に留まりたがるかもしれませんが、日本が大災害や戦争に巻き込まれれば、ほとんどの移民は祖国に帰るか別の国に行くと思います。
 自分が移民の立場だとして考えればこれは普通のことだと思います。例えば(今は韓国の方が日本よりも給料がいいらしいので)金を稼ぐために韓国に働きに行ったとします。そこで国籍は日本のままなのに、現地の韓国人に対して「同じ韓国人同士」という意識を持ったり、「この国に何が起きても結局はこの国と運命を共にすることになるんだろうな」という意識を持つはずがないですよね。それに何か起きればすぐ日本に逃げ帰ると思います。
 これを悪いことだと非難しているわけではありません。自然なことだと思います。ただ、移民とはそういう存在だと認識する必要があります。

 そして、移民を増やすということは国民意識を共有しない人たちを増やすということです。外国人に選挙権はありませんが政治活動は制限されてはいないようですし、彼らのために活動する日本人やマスコミがいますので、実質的に移民は日本の政治に影響を及ぼすことになり、日本社会を変容(おそらく悪い方向へ)させることになります。ヨーロッパの移民問題を見ればわかりますが、移民の受け入れは治安悪化、社会不安、移民と国民の対立、国民の分断(移民賛成派と反対派)、秩序の崩壊、それに伴う社会・行政・経済コストの肥大化等、実に様々かつ深刻な災いを生み出し、人々を不幸にします。最終的には民主主義を崩壊させることに繋がると思います。
 また外国人に選挙権を与えるということは、国民意識を共有していない人達の政治参加に拍車をかけることであり、民主主義の崩壊を加速させます。

 移民の一人一人は受け入れ国の秩序を乱したりその国の国民を不幸にするつもりが無くても、国民意識を共有していないために結果としてそうなってしまうわけです。

10-4 移民との共生は双方にとって不幸

 「多文化共生」という言葉をマスコミがよく使いますが、移民を日本に同化させず、集住を許し、そして彼らが日本で暮らしやすいように日本人は彼らに対して様々な便宜を図り、もっと多くの移民に来てもらうために移民に選ばれる国になるべきだ、といったことを主張するのによく使われている印象があります。
 これは国民と移民の双方にとって幸せなことなのでしょうか。

 誰でも「一緒にいるだけでストレスになる人」というのは一人ぐらいは思い当たると思います。別にどちらが悪いわけでもなく、単に「合わない」だけです。合わない理由は大抵の場合、自分にとっての常識や価値観が相手とかなり違うからだと思います。
 日本人と外国人とでは、同じ日本人同士の場合と比べて常識や価値観がかなり違うと思います。別にどちらが悪いわけでもありません。ただ、これはお互いにとってストレスになります。つまりお互いにとって不幸だということです。もちろん100%全てが不幸だと言っているわけではなく、違うことが刺激となって良い影響を与え合うこともあると思います。しかし移民が集住しようとすることや、自分が移民の立場だったらやはり周りが外国人だらけのところで暮らすよりも、日本人ばかりで暮らす方が居心地がいいし、何かと便利だろうから集住したがると思います。そして集住すれば同化は進まないので「お互いにとってストレス」という状態はずっと続くことになります。
 このように、移民を入れるということは総合的に見るとやはり双方にとって不幸だと分かります。交ざり合って暮らしたほうが幸せなら集住などしないでしょうし、移民問題などこの世に存在しないでしょうから。
 ちょっと考えれば簡単なことで、「常識や価値観の違う人と一緒に暮らすのは嫌」という素朴な感情に着目すれば、当たり前の結論だと思います。

 「違いを認めるべきだ」「違いを乗り越えるべきだ」といった意見もあると思いますが、そもそも移民を入れなければそんな苦労をする必要も無いわけです。さらに、彼らを同化させないのであれば、この苦労は永遠に続きます。する必要も無いことをわざわざやってその結果苦労し続けるというのはあまりにもバカげています。

 あと「共生」というと美しい印象を受けますが、現実はお互いがお互いのために苦労している、あるいは片方がもう片方に一方的に苦労させられている場合が多いのではないでしょうか。そしてそのストレスはふとしたきっかけで爆発する危険があります。とても美しい関係とは言えません。
 国民意識を共有していない人たちと共生するというのは非常に難しいと思います。常識や価値観が違うので摩擦や対立が起きやすく、またこれまで考えもしなかった様々な問題を引き起こし、しかもエスカレートしやすいと思います。

 また外国人が多く居住している地域は、日本人と共生するというより単に棲み分けているだけで、地域によっては警察の介入も難しく治外法権のようになっているところもあるそうです。
 この問題を解決するには、同化してもらうか祖国に帰ってもらうかの、どちらかしかないと思います。同化するつもりはなく金を稼ぐためやいい暮らしをするために来た移民にとってはどちらも酷な話ですが、他に方法はないと思います。そして移民が増えるほどこれら実行するのが困難になっていきます。

 また、移民の一世は自分の意思で来たわけですからいいかもしれませんが、二世以降は自分の意思で来たわけでもないのに、祖国で生きるよりもストレスの多い環境で生きることになると思います。特に十分な教育を受けていなかったり、日本語をあまり話せなかったりすれば、辛い人生を送ることになることは容易に想像がつきます。

 移民一世にとってはお金が稼げるというメリットがあり、企業にとっては安くこき使えるというメリットがありますが、もっと大きな視点で長い目で見ると国民と移民の双方にとって不幸であり、また既に説明したようにこれは企業の存続をも危うくするので企業にとっても不幸です。こんな愚かなことは即刻やめるべきです。

 独自の歴史、伝統、文化を持っている国や地域が世界中にあるから多様性があり、自国が大切にしているものを守り、他国が大切にしているものを尊重し、それらの国や地域と共存共栄していくことが本当の意味での多文化共生だと思います。そしてこちらの多文化共生こそが世界平和を実現し、世界中の人々の幸福に繋がると思います。「多文化共生」という素晴らしい言葉を、「不幸」の代名詞にしないためにも移民は入れてはならないと思います。

10-5 「技能実習」「特定技能」は将来世代にツケを残すから廃止すべき

 「日本は人口減少国で人手不足だから外国人労働者に頼らなければやっていけない」といったことをTVや新聞などで見かけることがあります。
 企業利益は増え続け、その一方で実質賃金は下がり続け、デフレギャップは数十兆円あるといった状態での「人手不足」とは、基本的には低賃金労働者の不足、だと思います。つまりこれは、旺盛な需要に対応するために賃金を引き上げてでも人を雇いたくなるほどの人手不足、というわけではなく、企業利益を最大化するにはもっとたくさんの低賃金労働者が欲しい、という意味での人手不足だと思います。もちろんこれは全体で見た場合の話で、ミクロで見れば事業継続に支障をきたすほどの人手不足の企業もあると思いますが、これについては次節で述べます。
 まあとにかく人手不足だというのであれば、生産性向上の投資をするなり、賃金を上げて日本人を雇うなりするべきで、移民を入れるべきではありません。移民を入れればこれらのチャンスを潰すことになります。

 2018年(平成30年)に出入国管理及び難民認定法が改正されて「特定技能」という在留資格が創設されました。

 出入国管理及び難民認定法
 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=326CO0000000319

 この「特定技能」は「人材を確保することが困難な状況にあるため外国人により不足する人材の確保を図るべき産業上の分野」の業務に従事する活動を行う者となっていて、要するに人手不足になっている分野を外国人労働者で埋めるのが目的となっています。そしてその仕事は以下ウェブページに示されているように日本人でもできるようなものです。つまり賃金が低くて日本人が集まらないから外国人にやってもらおう、ということだと思います。

 【2022年】特定技能14業種を徹底解説!職種一覧・受け入れ状況まとめ
 https://global-saponet.mgl.mynavi.jp/visa/2459

 また2022年の骨太の方針に以下の記述があり、受け入れ分野をさらに拡大することを考えているようです。人手不足を移民で解消していては賃金も生産性も上がりません。

 経済財政運営と改革の基本方針 2022(骨太方針2022)
 https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2022/2022_basicpolicies_ja.pdf
 「特定技能制度の受入分野追加は、分野を所管する行政機関が人手不足状況が深刻であること等を具体的に示し、法務省を中心に適切な検討を行う。」30ページ

 数年前に出来たばかりの在留資格ですが、これは高圧経済になるのを阻害し、移民問題を引き起こし、総合的に見て大きな不幸を招くことになるので廃止するべきです。
 少なくとも、在留期間の無期限更新が可能で家族を日本に呼び寄せることが可能な「特定技能2号」は無くすべきです。
 そもそも大して議論される事も無く「特定技能」が創設されたようですので、この点だけを見ても将来問題を起こす可能性が高いことは分かると思います。
 また「技能実習」も低賃金労働者の確保という側面が強く、様々な問題を起こしていますし「奴隷制」だとみなす人たちもいます。将来、慰安婦問題や徴用工問題のようになる可能性が高いと思います。「技能実習」も廃止した方がいいと思います。

 この人手不足は単に賃金を上げたり投資をすれば解決できる問題だと思います。そしてそのお金はあります。移民によって引き起こされる様々な問題に比べたら圧倒的に簡単に解決できます。お金をケチって楽をして、そして後で大変な目に遭うことがわかっているのに移民を入れるのはあまりにも無責任です。これこそが「将来世代にツケを残す」ことになります。
 配当金を増やし続け、内部留保を増やし続け、そして賃金は上げたくないから、「人手不足だから移民を入れろ。だけどそれに伴う社会的コストは負担しないからな」という経済界の自己中心的かつ近視眼的なふざけた要求に、もうこれ以上耳を貸すべきではありません。

 そもそも移民だって自分の国で豊かで幸せな暮らしができるのであれば、わざわざ日本に来たりしないわけです。こういう人たちを安く働かせようとすることは、相手の弱みに付け込んでいると見ることもできます。
 政府はこんな恥ずべきことに手を貸して移民を増やし、そして最終的に移民・国民・企業の全てを不幸にするのではなく、わざわざ外国に働きに行かなくても自国で豊かに暮らせるように各国を支援することに力を入れるべきです。

 ちなみに、移民は高圧経済になるのを阻害すると言っても、移民の受け入れが間に合わないぐらい急激に需要を増やせば高圧経済になり、実質賃金が上がることになります。しかし緩やかに需要を増やすのであれば移民増加で需要がカバーされて高圧経済にはなりません。
 どちらの場合も移民が増えるのでよくないことですが 後者の場合は特に最悪で、財政拡大をすればするほど移民が増えるだけで国民一人一人の賃金は上がらず、移民問題だけが大きくなる可能性があります。しかもこれこそが経済界が狙っていることでもあると思いますので、こうなる可能性は低くないと思います。そう思う理由は以下の2つです。

・何年も前から就業者数は増加傾向にあるにもかかわらず、実質賃金は低下傾向が続いている
・5-11節で取り上げた21世紀政策研究所(経団連のシンクタンク)が発表した文書では、「国の借金」は問題ない、高圧経済にする必要がある、ということを強調しているが、移民については僅かに触れているだけで、しかも少し論点を提示するだけで、移民を制限すべきだというようなことは書かれていない

 本当は高圧経済にさせるつもりなどなく、高圧経済を目指すことを理由に緩やかに財政拡大させて、より多くの移民を入れて企業利益を増やしたいだけではないか、という疑念が拭えないわけです。
 そしてこうなると国民からすれば、高圧経済にするための国債発行で国の借金が増えた→移民が入ってくるから賃金が上がらない→でも企業利益は増えた→騙された、となり、高圧経済政策は国民から支持されなくなる危険があります。確実に高圧経済にするためにも移民を入れないことは必須だと思います。
 また、移民を入れなければ、入れる場合に比べて少ない財政支出で高圧経済に出来ます。

10-6 保護すべき産業はきちんと保護する

 ミクロで見れば、外国からの安い輸入品に対抗するために、ほとんど利益が無い状態で頑張っていて、賃金を上げる余裕がなく、移民を使わなければ事業を継続できない企業もあると思います。それでも需要が増えて売り上げが増えれば、賃金を上げる余裕も出てきて移民を使わなくてもやっていける企業もあると思いますが、全てがそうなるとは限らないと思います。もしこれが安全保障に関わる分野(例えば農業など)だったり、放置しておけば産業ごと消滅してしまうような状態であれば、技能実習と特定技能の廃止と並行して、競合する輸入品に関税をかけることで、価格を引き上げてその分を賃金に転嫁できるようにしたり、補助金などで所得を増やしたりして、日本人の就労者を増やして保護する必要があると思います。また生産性向上の投資を促進することで人手不足を解消するのもいいと思います。
 もし貿易協定などで保護すべき産業が保護できないのであれば、改定したり脱退したりするべきです。国の存立を危うくするルールにはできるだけ縛られないようにするのは当たり前だと思います。ルールというのは一部の人達の利益の為ではなく、多くの人々の幸福に結びつくものでなければならないと思います。

 また保育士、看護師、介護職員などの人手不足は公定価格を引き上げることで解消することができると思います。

 ちなみに、自国の産業を守ることは職業選択の幅が広がることにも繋がり、これは国民の幸福にも繋がります。国際分業によって自国の産業が潰れていっては職業選択の幅が狭まりますし、一見安全保障に関係無さそうでも将来何があるかわからないので、完全に消滅させてしまうのは防いだ方がいいと思います。

10-7 信用できる政府になるにはマスコミの改革が必要

 最後に「信用できる政府」についてです。
 当然ですが、国民を騙して不幸にする政府は信用できないので安心した生活は送れません。

 20年以上前から様々な改革を行い続けましたが、GDPは横ばいで、非正規雇用は増加し、実質賃金は下がり続け、少子化問題はいつまでも解決せず、安全保障の脅威は高まり続け、最近では節電要請が必要なほど電気の安定供給ができなくなっている始末です。改革を良いことのように見せかけて、一部の人達に利益誘導して国民を不幸にする政府は信用できません。
 また、種子法廃止、水道民営化など国民を不幸にすることをこっそり行う政府も信用できません。他にも私が知らないことがたくさんあるでしょうし、これからも行い続けるのはわかりきっていることなので、安心した生活は送れません。
 勿論良いこともしてきていると思いますが、結果を見ると20年以上にわたって、日本政府は日本国民一人一人を幸福にするよりも不幸にすることに力を入れてきたことになるのではないでしょうか。だとすると「今の日本政府は日本国民の敵である」とすら言えてしまうのではないかと思います。これは政府だけでなく経済界やマスコミにも言えることです。

 こうなった原因は、国民意識の無い議員が増えたことが直接的な原因だと思いますが、それを作り出したのはマスコミにあると思います。なぜならマスコミはどのような情報を流すかを決めることができ、そして国民の多くはTVや新聞から得る情報を元に投票するからです。

 例えば「国の借金」が問題ないと主張する著名人は何人かいますが、そのような人たちの意見がTVや新聞で流されることはまずありません。逆の意見ばかりが流されます。そしてそれはPB黒字化目標の堅持や消費税増税を支持する人を増やすことになることは、容易に想像が付きます。
 また先ほど挙げた種子法廃止は私の印象ではあまり報道されることも無く、あまり問題視されることもありませんでした。もし大きく取り上げられて多くの国民が関心を示せば、廃止されずに済んだ可能性もあります。種子法というのは食糧安全保障にとって非常に重要な法律だったと思うのですが、これが大した議論も無く簡単に廃止されてしまいました。

 有権者一人一人が偏った情報や誤った情報を元に考えて投票し、その結果選ばれた議員たちが国を動かし、また選挙で選ばれたわけでもない「民間議員」なるものが政府の中枢に入り込んで、(全員とは言いませんが)利益誘導を行ったり、選挙で選ばれたわけでもない財務官僚が、選挙で選ばれた議員をマインドコントロールして亡国の政策を推し進めたりと、今の日本は一応選挙は実施していますが、とても民主主義国とは言えない状況にあると思います。

 もしマスコミが偏りなく正しい情報を報道し、民間議員の利益誘導を問題視する報道をし、「国の借金」問題など存在しないことを周知させていれば、多くの国民は今よりも幸せな人生を送っていたと思います。本来このようなことを行うのがマスコミの社会的責務だと思いますが、それを果たしているとは到底言えないのが現状です。

 その結果として、いかに国民を騙して選挙に勝つか、いかに国民を騙して税金をむしり取るか、いかに国民を騙して企業を優遇するか、いかに国民を騙して外国を優遇するか、いかに国民を騙して政権を維持するか、こういうことが当たり前になってきているのではないかと思います。
 「国民はバカだから簡単に騙せる」と考えたり、さらには国民を騙すことが仕事だと考えている官僚や議員やマスコミ関係者も結構いるのではないかと思います。言ってみれば詐欺師が国を運営しているようなものです。国民が幸せになれるはずがありません。客観的に見てこんな国は亡びますし、むしろ早く亡んだ方が国民のためになるのではないか、という気さえしてきます。
 まあさすがにこれは悲観的すぎる考えで、官僚や議員やマスコミの中にも心ある人はいて、まだ希望があることは知っています。
 しかし選挙の立候補者が「国の借金問題など存在しない。消費税は廃止すべきだ。もっと国債を発行してインフラを整備すべきだ」などと至極当たり前のことを主張するのに大変な勇気が必要なことも事実だと思います。なぜなら対立候補に「打ち出の小槌など無い。バラマキだ。将来世代にツケを残すな」などと主張されれば落選するかもしれないからです。
 マスコミを今のままにしていれば、状況を改善させることはかなり難しいと思います。何か対策が必要ですが、その際に表現の自由や報道の自由をできるだけ制限することのないよう注意が必要です。その一方で、「人を騙す自由など絶対に認めない」という当たり前の感覚も必要です。

 民主主義がきちんと機能するには、選挙が行われてさえいればいいというものではなく、それ以前に国民に正しい情報が伝わっている必要があります。また国民の気付かないところで国民を不幸にする政策が実行されないようにする必要もあります。
 騙されてあやまった選択をして被害を被って、「それは自己責任です」と言われて納得する人はいません。それが許される社会は、騙される多くの国民にとって不幸です。
 信用できる政府になるにはマスコミの改革が必要だと思います。そしてこれはマスコミの中の心ある人を幸福にすることにも繋がると思います。

 実現するのは非常に困難だと思いますが、第12章にそのアイデアを書いています。

第11章 具体的な政策を検討する前に


11-1 政策検討時の基本的な姿勢

 第7章から第10章にわたって、実質可処分所得と可処分時間を増やすこと、安全・安心な生活を送れる国にすることについて書いてきましたが、具体的な政策を検討する前に押さえておいてほしいこと、整えておいた方がいいと思う仕組みを書きます。

 国民一人一人を幸福にするには高圧経済にする必要がありますが、その方法は簡単にいえば移民を入れずに需要を増やしたり労働時間を減らしたりして人手不足にして生産性向上をさせるだけなので、そのための具体的な政策は無数に考えられます。例えば穴を掘って埋めるだけの仕事を大量に作るだけでも高圧経済に出来ます。また将来巨大な害を及ぼし「これだったら穴を掘って埋めるだけの方がまだましだった」というような政策でも高圧経済には出来ます。

 ですので具体的にどういう政策を実施するかについても価値基準は必要です。
 まず国家とは国民の幸福ために存在するべきで、そういう国家を実現して維持するために国民が努力するのが、国民と国家のあるべき姿だと思います。国家のために国民が存在している状態は国民にとって不幸だと思います。例えばPB黒字化、企業利益の最大化、株価上昇などを第一に考える国の国民が幸せになれるとは到底思えません。
 なので全ての政策は「国民一人一人の幸福」を中心に据えて検討されなければならないと思います。そうでないと常に国民を欺くことになります。
 要するに特定の誰かや組織にとっての理想国家実現や、特定の企業や外国の金儲けのための政策を行って高圧経済にするのではなく、国民一人一人を幸福にする政策を行うことで高圧経済にし、それによってより幸福にするべきだということです。

 私はこれはごく当たり前のことだと思うのですが、国民一人一人の幸福という点を常に意識して政策を考えている政治家や官僚は、1割もいないのではないかという気がします。もしそうであれば国民一人一人が幸福になるかどうかは運次第ということになります。当然不幸になる確率も断然高くなります。
 それに現在は、人件費を削ることばかり考えている経済界や、新自由主義に染まった経産省や、歳出削減と増税ばかり考えている財務省が主導する政府によって政策が決められているように見えますので、まず最初にここを変えることから始める必要があると思います。

 前章で安全・安心な生活を送れる国ということで安全保障、国民意識、信用できる政府ということを書きましたが、これはおそらく全ての国において共通していると思います。
 世界には多くの民族があり、そして幸せの形は民族によって違いがあると思います。すると上記3つだけではまだ不十分で、「日本人にとっての幸福」という視点でも政策を考える必要があります。そのためには以下のようなことにも配慮する必要があると思います。

1.日本人が昔から大切にしてきた価値観や考え方に反しない政策であるかどうかを常に確認すること
 日本には、日本人の意思に反して欧米に変えられてきた歴史があります。具体的にはペリーの黒船来航で無理やり開国させられ、植民地にされないために明治維新を行って無理に欧米に合わせ、第二次大戦後はGHQによって滅茶苦茶にされてアメリカの属国のようにされ、冷戦後にはグローバリズムによってアメリカ化が進められ、今も続いています。
 例えば譲り合いの精神や和を大切にする心など、日本人の価値観や考え方は欧米人とは違うところがありますので、欧米に合わせていくほど日本人にとって生きづらい社会になります。また日本の個性が失われていくので、世界から多様性が失われていくことにもなります。
 日本人を幸福にするには、盲目的な欧米崇拝や追従は絶対に避けるべきで、「日本人と欧米人は違う。日本人には日本人なりの幸せの形がある」という意識を持ち、日本人が昔から大切にしてきた価値観や考え方に反しない政策であるかどうかを常に確認するようにした方がいいと思います。
 そしてこうすることによって段々と軸が定まり、外国の価値観や考え方に引きずられて国民を不幸にすることも減ると思います。また政策もよりよいものになっていき、さらに日本を発展させ、国民を幸福にすることができると思います。
 また軸が定まれば、大衆迎合主義に陥って国を滅茶苦茶にするリスクも下がります。

2.将来の日本人が今よりも豊かに暮らせるようにすること
 今の日本人が昔の日本人と比べて豊かな生活が送れているのは、昔の日本人の様々な投資(設備投資、公共投資、技術投資、人材投資)の積み重ねがあったからです。であれば今の私たちも将来の日本人のために投資をする責務があると思います。
 今の日本はPB黒字化目標のためにあまり投資していませんのでもっと投資をする必要があります。

3.過去から受け継いできた大切なものを未来へ引き継ぐこと
 人を幸福にするには物質的な豊かさだけではなく精神的な豊かさも必要で、それには伝統や文化など昔から伝わってきたものが重要な役割を果たすと思います。私たちには過去から受け継いできたこれらのものを、未来へ伝えていく責務があると思います。
 なんでもかんでもコストパフォーマンスで測って切り捨てていけば、これらはすぐに廃れてしまうと思います。一見して価値がなさそうに見えても、何百年と残ってきたものには理性では測れない何か大切な価値があると思います。

4.日本と外国との関係でどちらかが犠牲になることのないようにすること
 言うまでも無く、日本人さえ幸福なら他国の人はどうなってもいいというわけではありません。そういう考えを持つこと自体がかえって日本人を不幸にするのではないかと思います。逆に外国人にばかり慮って日本人に冷たい、というのもよくありません。
 世界には日本を敵視して攻撃してくる国、軍事力を背景に無理を通そうとする国、約束を守らない国、国益最優先で日本などどうでもいいという国など様々ありますので、外国との対応は相手国に合わせて変えるのがいいと思います。
 ただどのような国が相手でも、将来的には日本人と相手国の国民の双方を幸福にすることを根本に据えて、その国との付き合い方を深く深く考えるのがいいと思います。

 人は過去や未来と繋がっていて、そして今を生きる他の人達とも繋がっています。もしこういう繋がりを意識しなくなれば、視野狭窄した設計主義に陥って暴走し、その先には地獄が待っていると思います。ここに挙げたことはいずれもその繋がりを意識させ、繋がりを断ち切らないようにするためのものでもあります。
 そしてこのような繋がりを感じられる社会は日本人を幸福にすると思います。

11-2 間違いを素早く修正できる体制を整える

 人は誰でも間違います。時間の経過に伴い色んな間違いをします。ですので間違いは都度修正していかなければ色んなところに害を与え続け、それが積もり積もって最終的には破局を迎えることになると思います。
 構造改革と称してこれまで様々な改革を行ってきましたが、良い改革もあれば悪い改革もあったと思います。経済財政政策を転換して高圧経済を目指す場合、これまでの悪い改革を修正していく必要があり、また新たに策定される様々な政策にも間違いはどうしても出てきますので、その場合も修正が必要となります。

 官僚は「絶対に間違ってはならない」というプレッシャーが特に強く、間違いを認められないから嘘をついたり、書類を隠蔽したり改竄したりすることもあるようです。
 こういうことが起こらないようにする必要があり、それには、間違いを減らすことと、間違っても速やかに修正できるようにすることが必要だと思います。

 そのための方法として思いついたものをいくつか挙げます。私は官僚のことはよく知らないのでほとんど想像で書いているため的外れな部分もあると思いますが、少しでも参考になれば幸いです。

1.官僚は激務であることを時々耳にします。仕事が忙しければミスが増えますし、間違いに気付いてもできることなら見て見ぬ振りをしたくなります。またその場しのぎの対応で済ませがちになり、恒久的な対応を考える余裕も無くなります。
 無駄な仕事を減らしたり(例えば消費税を廃止すれば消費税関係の仕事は無くなると思います)、効率化を図ったり、人を多く雇うなどして基本的に定時で仕事が終わることを目指して負担を減らすのがいいと思います。また人を多く雇うということは優秀な人材を多く育てることにも繋がるのではないかと思います。

2.公務員を採用する際に「私益と公益のどちらをどのくらい優先するか」といった評価項目が無いのであれば、こういった評価項目を追加した方がいいと思います。私益を優先する人ばかりだと誰も責任を取ろうとはせず、間違いはなかなか認められないと思います。公益を優先し、進んで損な役回りを引き受けてくれるような人が多いと、早く修正が出来ると思います(公益を優先する人には申し訳ないですが)。

3.「官僚は間違えない」ということを前提にシステムが作られているのであれば、それは現実を無視したシステムということになります。「官僚だって間違う」ということを前提にしたシステムに改める必要があります。ちょっとしたミスの場合の修正手順は当然あると思いますが、大きな間違いの場合も修正手順を定めておくと、修正しやすくなると思います。その場合、間違いを認めたときのデメリットをなるべく小さくし、必要であれば少しメリットが得られるぐらいにすれば、早く修正出来ると思います。修正されない限り害を与え続けることを考えれば、こういった配慮もあった方がいいかと思います。

4.誰を出世させるかは上の人間が決めます。当然上の人間がこれまでやってきたことを否定しない人を出世させることになります。すると、上の人間がやってきたことが間違いだったとしても、間違いが認められることはないため、当然修正されることもなくなります。
 間違いがすぐに判明するような場合は修正しやすいですが、判明するまでに年月が経つほどそれは修正が困難になり、自浄作用は働かなくなります。例えば財務省が自ら進んで「PB黒字化を目指すことは間違いでした」などと言い出すことは考えられません。
 こうなると大臣クラスが大ナタを振るうしかないと思います。そのためにはどういう間違いが放置されているかを大臣クラスが知る必要があります。もし内部通報制度のようなシステムが無いのであれば取り入れた方がいいかと思います。

11-3 無駄な政策を減らすためにきちんと検証を行う

 政策には様々なものがあり、その中には以下のような論外な政策もあると思います。

・ほとんど成果を上げられないことが最初から分かっている政策
・後で大きな問題を引き起こすことが最初から分かっている政策
・「やってる感」を出すための政策
・何かから国民の注意をそらすための政策
・天下りポストを作るための政策
・特定の人物や企業を儲けさせるための政策

 こういう政策は供給能力の無駄遣いです。またこういう政策を考える人の精神を腐敗させると思います。なので減らす必要があります。そのためにはきちんとした結果の検証とフィードバックが必要です。もちろん全くやっていないわけではないと思いますが、印象としてはかなり強化する必要があるのではないかと思います。
 もちろん基礎研究などすぐに成果が現れないけど必須なものもありますので、こういうものに対してまですぐに結果を求めるようなことは慎む必要があります。

11-4 高圧経済政策へ転換する際は、まずはマインドの切り替えや国民生活を守ることを優先した方がいい

 高圧経済にする政策に転換した場合、以下が予想されます。

1.たとえ「国の借金」が問題ないことを国民に説明していても理解が不十分なため、需要創出のための財政赤字拡大が批判される

2.賃金が上昇する前に物価が上昇することで国民の生活を苦しめ、批判される。特に現在は輸入物価上昇によるインフレで苦しんでいるためこの批判は特に大きいと思います。

3.政策を考える人たちのマインドが十分に切り替わってないため、財政拡大により新自由主義的な政策や政府を営利企業と勘違いしたような政策が今まで以上に行われてしまう

4.これまでの政策を大転換することになるので、想定外の問題が起こり、それが国民の生活を苦しめ、批判される

 特に3番については強く懸念しています。
 日本全体を見据え、世界を見据え、そして将来にわたって国民一人一人を幸福にしていくための大きな戦略を立て、様々な政策を立案して実行する、という能力が今の政治家や官僚にあるのか、かなり疑問です。戦後ずっとアメリカの支配下にあり、そして新自由主義的な考え(小さな政府や民営化は善)に染まり、長年にわたってPBに縛られて金をケチることばかりに注力してきたため、巨大プロジェクトに携わった経験があまりなく、大きなことを考えて実行する能力はほとんど無くなっているのではないかと思います。
 もしそうであれば、より多くのお金が使えるようになったとしても、国民一人一人の幸福に結びつくお金の使い方があまりできず、予算を使い切れなかったり、供給能力の無駄遣いに終わったり、逆に国民を不幸にしたり(例:移民受け入れ推進、不安定電源(太陽光発電)への依存など)と、こういう結果になる可能性が高いのではないかと思います。前にも書きましたが、ここ20年以上にわたって日本政府はトータルで見れば、国民を幸福にするよりも不幸にすることに力を入れてきたのではないかと思います。PBという枷が外れることでより不幸になる速度が増すのではないかという懸念があります。高圧経済にするために国民一人一人を不幸にする政策を行うことになれば目も当てられません。

 日本全体の生産性を向上させるインフラ整備(道路網や鉄道網など)や、安全保障を強化する政策は当然急いでやるべきですが、上記の理由により、これ以外の需要を増やす政策(例:インバウンド、攻めの農業など)は抑制気味にして、消費税の廃止、社会保険料の減免、国民への一律給付などで国民一人一人の実質可処分所得を増やし、それによって需要を増やす方法を採るべきだと思います。そうすれば上に挙げた4つの問題は軽減あるいは解消され、高圧経済政策は支持されやすくなると思います。
 そしてこの状況を維持している間に、実質賃金は上昇し続け、社会の様々な問題が解消し始めるようになると思います(但し財政赤字拡大への批判は減らないかもしれません。この対策についてのアイデアを第12章に書いています)。
 またこの間に政策を考える人たちのマインドを徹底的に切り替え、まずは「国の借金」が問題ないこと、財源はデフレギャップであること、国民一人一人を幸福にする鍵は移民を入れずに高圧経済にすること、これに11-1節~11-3節で書いたことを踏まえて、国民一人一人を幸福にするための長期的な戦略を立てたり、仕組みを整えるべきだと思います。
 次に、これまで行われてきたことに対して、長期的な戦略に沿っているのか、手段の目的化になっていないか、イデオロギーにとらわれて国を衰退させたり国民を不幸にするような政策になっていないかなど全てチェックし、必要に応じて修正や廃止や新しい政策を考えるべきだと思います。
 「国の借金」以外にもおかしな言説が見受けられ、無意識のうちにそれに影響されて政策に反映される危険があります。例えば「日本はもう成長しない」「移民に頼らなければ日本はもうやっていけない」「外に打って出て稼がなければ」などです。妙な考えに影響された政策を行っても、国民を幸福にできる可能性は低く、供給能力の無駄遣いに終わると思いますので注意が必要です。

 PBという枷が外れることで色々とやりたいことは出てくると思いますが、まずはマインドの切り替えと戦略の立て直し、インフラ整備と安全保障の強化、政策転換による一時的な悪影響から国民生活を守ること、これらを優先するべきだと思います。
 その後に、戦略に沿った政策を行いつつ、「実質可処分所得の増加」と「労働時間の削減」をバランス良く進めていくべきだと思います。長年にわたって財政健全化(PB黒字化)という自殺行為を続け、やるべきことをやってこなかったので、最初のうちは労働時間の削減は難しいかもしれませんが、これをしないと不要な財を生産せざるを得なくなり、人々を不幸にしてしまうので非常に重要です。
 あと、官僚のなかには認知的不協和に陥りどうしてもマインドの切り替えができない人が出てくると思います。こういう人たちが政策に悪い影響を与えないような仕組みも必要と思います。

 念のため書いておきますが、国民は幸福にすべき対象であって、政治家の理想実現のための道具でもなければ、官僚の出世のための道具でもなければ、経済界に捧げる奴隷でもなければ、いじめ殺して楽しむ対象でもありません。政策を考える人たちがこういった認識をもたないようにする必要もあると思います。

11-5 GDPを増やすことそのものを目的にしてはいけない

 政府が何かの事業を行うことに対して、「○○億円の経済効果」などという言葉をときどき目にします。それだけGDPが増えるということは所得が増えるということで良いことなのですが、その事業そのものがあまり価値のないものであれば、単に給付金を配って所得を増やしたほうが無駄が少なくて済みます。
 重要なのは国民一人一人の実質可処分所得を増やして潜在需要を満たして幸福にすることです。その結果GDPは増えますが、GDPを増やすことそのものを目的にしてはいけません。
 極端な話、GDPを増やすだけでいいなら、政府が支出して穴を掘って埋めるだけの仕事を大量に作るだけでもいい、ということになります。
 また、自分で家事や育児を行う場合はGDPは増えませんが、これを家政婦さんやベビーシッターに任せるとお金のやり取りが発生してGDPが増えることになります。やっていることは同じでもGDPは違うわけです。
 また、輸入品を買った場合と国産品を買った場合でもどちらも需要を満たして幸福にすることに変わりはありませんが、GDPに与える影響は違います。

 お金を稼ぐことを第一に考えれば、GDPの増加を目的とすることは正しいですが、国民一人一人の幸福を第一に考えれば、GDPの増加を目的とすることは適切ではなく、GDPの増加は単なる結果に過ぎないと考えるべきだと思います。

11-6 今の日本でゾンビ企業が一掃されれば日本経済はますます悪化する

 苦境にある企業に対して「ゾンビ企業が一掃されれば新陳代謝が起きて日本経済は筋肉質になる」などといった考えがあるようですが、これは今の日本においては間違いです。
 企業が存在するということは、たとえ業績が悪くても供給能力があるということです。それが倒産すれば供給能力は無くなります。
 高圧経済という環境で、安全保障に悪影響を及ぼさないのであれば、競争に敗れて倒産しても職を失った人はすぐに別の競争力の高い(生産性の高い)企業に吸収されて、日本全体の供給能力を以前よりも高めることになるので、こういう場合はこの考えは一理あると思います。しかしそうではない環境(例えば消費税増税、コロナ禍、コストプッシュインフレなどによる需要減)での倒産は更なる需要減を招いて新たなゾンビ企業を生み出し、日本全体の供給能力を低下させるだけで、筋肉質どころかやせ細るだけに終わる可能性が高いです。
 そもそも現在業績の悪い企業だって高圧経済になれば業績が回復する可能性は十分あるわけですから、今の日本において上記のような考えは害しかありません。このような考えに惑わされないよう注意が必要です。

 ちなみに、政治家や財務官僚でこのような考えを持つ人がいたとすれば、それは自分の医療ミスによって瀕死の状態になっている患者に対して、「自己責任だ。早く死ね」と考えているのと同じだと思います。

11-7 普通ならインフレ率が上昇しても預金金利も上昇するので、預金価値はあまり変わらない

 高圧経済にするとインフレ率が上がります。実質賃金が上がっても、インフレによってそれ以上に金融資産の価値が目減りしてしまっては国民にとって不幸です。
 以下動画の7:20のグラフより、日本の家計の金融資産2000兆円のうち現預金は半分の1000兆円ぐらいで、あとは主に「株式等・投資信託受益証券」や「保険・年金・定額保証」などとなっています。

 【第70回】正気か!?投資による資産所得倍増計画?(森永康平)2022/05/25
 https://www.youtube.com/watch?v=TW0wstO7H-Y&t=440s

 高圧経済になればインフレ率以上に株価が上がるでしょうから「株式等・投資信託受益証券」は目減りの心配はないと思います。
 「保険・年金・定額保証」は種類によっては目減りする可能性がありますが、全体で見れば割合は小さい方です。
 最も重要なのは金融資産の半分を占める現預金です。預金金利が上がらなければ預金価値も目減りすることになります。
 これからインフレ率と預金金利の関係について説明します。

 インフレ率が上がると預金の価値が目減りする、と考える人が結構いると思いますが、実際はそうとは限りません。
 以下は郵便貯金の通常貯金の金利(1915年~2018年)と定期貯金の金利(1961年~2018年)のグラフと、1971年~2014年までのインフレ率のグラフです。銀行預金の金利も郵便貯金の金利とほぼ同じと考えてよいと思います。

 100年以上にわたる郵便貯金の金利推移をさぐる
 https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20180816-00092752

 1971年~2014年までのインフレ率のグラフ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:JPNCPI1971-2011.png

 オイルショックの時はインフレ率が非常に高いですが、それ以外の時は大体同じような動きをし、金利の方が高い時もあればインフレ率の方が高い時もあるといった感じになっています。

 また以下の記事でも同様のことが書かれています。

 銀行預金はインフレに対応できる? 2020/9/10
 https://media.rakuten-sec.net/articles/-/28514
 「「銀行預金はインフレになったら、実質的に目減りしてしまうので、インフレ時に強い投資商品を持つべきだ」という営業トークがあります。預金金利がインフレ率に負けてしまうので、銀行預金の実質的な価値が目減りしてしまうという話です。

 実は、この説明は、過去の実証研究では、必ずしも正しくありません。ここでは、詳しい説明を抜きに結論だけ書きますが、過去の定期預金金利とインフレ率を比較すると、おおむね定期預金金利はインフレ率を上回っています。つまり、銀行預金は、インフレで目減りすることはなく、対応できていることになります。

 ただ「おおむね」という言葉を付けたように、完全にインフレに対応できるわけではありません。インフレ率が跳ね上がる状況では、銀行預金はインフレについて行けないケースがあります。例えば、過去、消費税率引き上げのタイミングでは、預金金利はインフレ率に負けています。経済危機が来て、インフレ率が急に上がるような局面が来たら、預金金利がインフレ率を上回ることは難しいと思われます。

 従って、平時では、銀行預金はインフレに対応できる一方、非常時では、インフレ対応は難しいと考えられます。」

 このように、過去のデータを見るとインフレ率の上昇がそのまま預金価値の目減りにつながることは基本的に無いようです。当然これは単に市場に任せた結果というだけでなく、金融政策の影響もあると思います。

11-8 今の日本で高圧経済にすると、インフレ率が上昇しても預金金利は上昇しない可能性が高い

 市中銀行にとって自行の日銀当座預金残高が多いほど、多くのお金を貸して金利を得たり、国債の売買をして儲けたりすることができます。そして(自行の)日銀当座預金残高は、4-1節でも書きましたが、現金を日銀に預けたり他行の銀行預金が自行に振り込まれたりすると増えます。
 以上より預金金利は、市中銀行が一般の人々などから現預金を集めて日銀当座預金を増やすために設定されている、と考えられます。
 他行との競争がありますので、高く設定しなければ多くの現預金を集めることができません。しかし支払う金利分以上のリターンが見込める投資先(企業への貸付や国債の購入など)がなければ逆に損することになります。結果として、市中銀行の投資先からのリターンが高いときは預金金利は高く設定され、低いときは預金金利は低く設定されることになります。

 ところで、今の日本は以前とは違い、以下のような状況になっています。

1.企業の内部留保が積み上がっているので、投資する場合は内部留保を使い、市中銀行からはあまりお金を借りない可能性がある

2.異次元の金融緩和によって日銀当座預金が何倍にも増えているので、企業による借り入れが増えたとしても人々から現預金を集める必要性がほとんど無い

 このため市場に任せているだけでは高圧経済にしても預金金利は上がらず、インフレ率上昇により預金価値が目減りする可能性が高いのではないかと思います。

 預金価値の目減りが大きいと高圧経済への世間の風当たりも強くなると思います。また資産防衛のため預金を株、土地、住宅などに変え出して価格が高騰し、高すぎて家を買えない人が増えたり、バブルを引き起こす危険があります。
 また「保険・年金・定額保証」はほぼ目減りすることが分かっているため、最初からこれらと預金価値の目減りについての対策を織り込んで高圧経済にする政策を立てるのがいいと思います。そうすれば高圧経済への風当たりをかなり軽減できると思います。
 対策としては、金融政策で預金金利を上げる方法があると思いますが、副作用が大きくて現実的でない場合は目減り分を補填するような財政政策を行うのがいいのではないかと思います。いずれにせよ何らかの対策をしなければ、マスコミが「インフレ税」などと騒ぎ立て、高圧経済政策への風当たりが強まると思います。

 私の気にし過ぎだったり、あるいは何か勘違いをしていて、こんな心配をする必要は無いのかもしれませんが、少し気になったので書きました。

第12章 個別具体的な政策の提案


12-1 専門家に意見を聞く時は、「国の借金」問題など存在しないことを理解している人に聞くべき

 この章ではいくつかの個別具体的な政策などを提案します。
 といっても多くの専門家が語っているような、様々な安全保障やインフラ整備などについての具体的な政策については書きません。当然これらは重要ですが、私の浅い知識でありきたりなことを書いても仕方がないからです。
 ただ一つ言えることは、政策を検討する際に専門家の意見を聞く場合、なるべくなら「国の借金」問題など存在しないことを理解している人に聞くべきだということです。なぜなら、その専門家が「国の借金」問題を信じていれば、「日本は財政が厳しいから」などとお金のことを気にして、良い案が出てこない可能性が高いと思うからです。

 これから提案する個別の政策は、これまで私が書いてきたことと関係することで、あまり誰も語っていないようなことが中心になります。

12-2 PB黒字化目標は間違いだったと国民に説明し、責任を取る

 PB黒字化目標は間違いだったと理解して高圧経済を目指すとしても、これまでのことを総括して国民へきちんと説明し、何らかの責任を取る必要があると思います。
 もし有耶無耶にしたままでは国民は相変わらず政府の財政を家計簿感覚で見て、それが投票行動に影響します。またマスコミによる「国の借金」のプロパガンダも無くならないと思います。そうなると一時的な財政拡大に終わってまた日本経済はダメになります。

 「民主主義国だからその責任を負うのは有権者」「自己責任だから政府は何もしません」「そもそも何の法律にも違反してないし」、といった態度で責任逃れをすることもできると思います。
 しかし、PB黒字化目標による被害は甚大なため、そういう次元で済ましてはならないと思います。多くの国民を不幸にし、国を衰退させ続けておいてそれは通らないし、通してはならないと思います。きちんと説明して責任を取らなければ、また同じようなことが繰り返されることになります。

 責任の取り方としては、以下が良いのではないかと思います。

1.国を亡ぼす嘘(財政破綻論)を日本から一掃する
2.今後、嘘(財政破綻論に限らない)が日本に蔓延して甚大な被害を及ぼすことが無いような仕組みを整える
3.特に大きな被害を受けたと思われる就職氷河期以降に社会人になった世代への補償

 3番について補足します。就職氷河期はPB黒字化目標が出来る前から始まっていましたが、この目標が出来る前から財政支出が不十分で、そのために就職氷河期世代を生み出したと思いますので、この世代以降に社会人になった世代へ補償するのが妥当だと思います。また一時金ではなく生涯にわたって補償すべきだと思います。そうすると財政均衡主義による被害者の存在が常に意識されるため、財政均衡主義が広まるのを防止し、「政府の財政と家計は違う」「PB黒字化を目指してはならない」という認識が、日本に完全に定着することに繋がると思います。

 長年財政健全化に取り組んできた岸田総理は、嘘を吹き込まれた被害者であり、同時に国民に対する加害者でもあると思います。そして現在責任を取るのに最も適した立場にあると思います。
 旧統一教会の被害者を救済する一方で、これとは比較にならないほどの被害を出した「PB黒字化教」の被害者を救済しないのであれば、行動が矛盾していることになると思います。

12-3-1 「国の借金」が問題ないことを国民に理解してもらうために行動で示す必要がある

 きちんと国民に説明し、そして国民が理解し、そして政策を転換するのが理想ですが、しかし現実はかなり厳しいと思います。

 仮に総理が「国の借金」が問題ないと理解されたとしても、政治的な理由で「PB黒字化目標は間違いだった」と国民に説明できない可能性は高いと思います。もし説明できたとしても、多くの国民は長年にわたる報道などで日本は借金で大変だと刷り込まれていますので、ただ説明するだけではなかなか理解されず、その結果、国債を発行して必要な政策を次々に実施しようとしても「将来世代にツケを残すな」となかなか支持されず、実施するのが困難な事が予想されます。
 一部の国民が誤解している程度であればいいのですが、ほぼ全ての国民、おそらく1億人以上が刷り込まれてしまっていますので、これを放置したままにするわけにはいかないと思います。

 本来であれば言論でもって「国の借金」問題など存在しないことを多くの国民に理解してもらうのが、民主主義国としての正しい在り方だと思いますが、現実的にはそれは非常に難しいと思います。なぜならこれまで嘘を流布してきたマスコミが全力で妨害することが明らかだからです。少し大げさかもしれませんが、執拗かつ強力な妨害を受けながら1億人の洗脳を解くようなもので、ほぼ不可能だと思います。

 たとえ1億人が理解しなくても、高圧経済を維持するために多くの財政赤字を出し続けることが選挙によって支持されれば、高圧経済を維持し続けることが可能だと思います。その場合、日本の有権者が1億人で投票率を50%とすると、少なくともその過半数の2500万人以上に支持される必要があると思います。やはりこの場合でも言論だけではかなり難しいと思います。

 仮に言論だけで国民の認識を変えていけたとしても何年もかかり、その間の被害は日本にとって致命的なものになると思います。また徐々に理解する国民が増えていく一方で認知的不協和に陥る人が増え、彼らはあれこれ屁理屈を生み出して段々と引き返せなくなり、これが国民の分断につながる恐れもあります。自民党内で積極財政派と緊縮財政派が対立しているのを見ると、それが国民全体に広がりかねないという気がします。

 そこで「国の借金」が問題ないことを言論だけではなく行動で示すことで、国民に理解してもらう方法を取った方がよいと思います。百聞は一見に如かずで、対立が大きくなる前に実際に問題がないことを示してスパッと終わらせる方がいいということです。予防接種の注射を嫌がって泣き喚く子供に、ウイルスや免疫やワクチンのことを理解して納得してもらうまで延々と説明したりせずにさっさと注射を打ってしまうようなもので、こっちの方が両者にとっていいと思います。

 政府の財政を家計と同一視しているために、「借金は悪いこと」「借金は税収で返さないといけない」「支出は税収の範囲内でなければならない」と考えてしまうことがそもそもの原因なので、政府の財政と家計は違うことを行動で示す必要があります。
 様々な方法が考えられますが、私は政治や法律について特に詳しいわけではないので、各方法を実行する難易度がどの程度のものかよくわかりません。ですので思いついたものを一通り紹介します。

12-3-2 「国の借金」が問題ないことを行動で示す様々な方法

 具体的には以下の方法が考えられます。

1.政府貨幣の大量発行(現500円貨幣)
 例えば原価約19.9円の500円玉を1兆枚発行すれば、約480兆円の通貨発行益を得ることができます。これを国債の償還に充てる方法です。
 製造と保管に結構コストがかかりますが、PB黒字化を目指して累計でおそらく一千兆円以上もの政府支出をし損ない、それがこれからも増え続けることを考えれば、これで「国の借金」問題を払拭できるなら安いものです。

2.政府貨幣の大量発行(新500円貨幣)
 政府が発行できる貨幣の額面は法律で定められていますが、形状や材質等は法律ではなく政令で定めることになっています。そこで政令で一時的に500円貨幣を小さい紙切れ(切手をイメージしてください)に変え、例えば1兆枚発行して通貨発行益を得て、また元の500円玉に戻す方法です。
 例えば1cm四方で厚さ0.1mmとすると、1億枚で1mの立方体となり、1兆枚だと50m四方で高さ4mのサイズになります。
 製造と保管のコストは1番より少なくて済みます。
 紙切れの500円貨幣が社会に流通すると破損、紛失しやすいなど色々と問題を起こすことが予想されますので、流通しないように日銀が永久に保管します。

3.政府貨幣の大量発行(1万円記念貨幣)
 記念貨幣は額面1万円まで可能で、形状や材質等は法律ではなく政令で定めることになっています。1万円の記念貨幣を2番と同様に小さい紙切れとして数百億枚発行して数百兆円の通貨発行益を得て国債の償還に充てる方法です。
 この記念貨幣も2番と同様の理由で日銀が永久に保管します。

4.高額の政府貨幣の発行
 法律を改正して1京円玉などの高額貨幣を発行して通貨発行益を得て、これで国債を償還する方法です。

5.日銀によるモノの高額買い取り
 4番との違いは、貨幣ではなくモノであるということです。例えば政府所有の普通のボールペン1本を1京円で日銀に買い取ってもらう、あるいはこの世に一つしかない希少性の高いモノ(例えば総理お手製の「国の借金」問題払拭祈願のお守りなど)を作って日銀に1京円で買い取ってもらう、といった形で日銀の資産と政府預金口座の残高を増やし、これで国債を償還する方法です。
 おそらく法改正が必要だと思います。

6.日銀から政府への寄付
 日銀にある政府預金口座の残高を例えば数百兆円ぐらい増やしてもらい、これで国債を償還する方法です。

7.日銀保有国債の債権放棄
 日銀が保有している国債を債権放棄してもらい、国債発行残高を大幅に減らす方法です。
 売りオペ用としてある程度残しておき、それ以外は市場の様子を見ながら複数回に分けるなり、あるいは一度に行うなりして債権放棄してもらえばよいと思います。

8.日銀保有国債の債務不履行
 日銀が保有している国債をデフォルトし、国債発行残高を大幅に減らす方法です。
 政府と同様に日銀も純資産は実質∞円なので、デフォルトされるのを嫌がってその前に日銀が保有国債を投げ売りするなどということは考えられません。こんな愚かなことはしないと思います。
 償還期限が来る度にデフォルトしていくと、その都度国債発行残高は減り、債務対GDP比は小さくなっていきます。つまり財務省的な考えに従えば財政は健全化していくことになり、これによって財政の信認は無くなるどころかむしろデフォルトするほど信認が高まることになると思います。
 ただし、間違っても民間保有国債をデフォルトしてはいけません。

 また、長年外し続けてきた財政破綻論者たちの「日本は財政破綻する」という予言(願望?)を実現させてあげることになりますので、彼らを幸福にできます。
 しかし「デフォルトはしないがハイパーインフレになる」と転向した財政破綻論者にとっては、「デフォルトしたのにハイパーインフレにならない」と逆の事が起きてしまうので、気の毒な状況になります。

9.国債の大量発行で政府預金を積み上げる
 短期間(例えば半年とか1年)で1千兆円ぐらい国債を発行して政府預金の残高を積み上げ(国債金利があまり上昇しないように適宜日銀に買い取ってもらう)、短期間で借金が大幅に増えても何も起きないことを示す方法です。いきなり国債発行残高が2倍になっても特に何も起きなければ、多くの国民は「国の借金」が問題ないことを理解すると思います。
 その後は毎年必要な分だけ政府預金の残高を取り崩していきます。

10.日銀向け国債の大量発行で政府預金を積み上げる
 個人向け国債ならぬ日銀向け国債です。9番の方法は一旦市場を通して日銀が国債を買い取りますが、こちらは日銀の直接引き受けです。こちらの方が手間はかからなくて済みますが、直接引き受けは法律で禁止されていますので法改正が必要です。
 直接引き受けであれば国債を∞円分発行することで日銀保有国債、政府預金、国債発行残高を全て∞円にし、今後は国債発行は不要とすることができます。また債務対GDP比も∞になりますが、これによってデフォルトすることもないしハイパーインフレになることもありません。

11.法律で政府預金残高は常に∞円だと決める
 法律で政府預金残高を常に∞円とし、これで国債を償還する方法です。こうすれば全ての国債を償還できますし、今後国債発行は不要となります。売りオペ用として日銀が国債を必要とした場合はただで支給してあげればいいと思います。

12.支出は日銀、徴税は政府
 政府が支出するときは通常は政府預金を減らしてその分だけ日銀当座預金を増やしますが、政府預金を減らさずに日銀当座預金を増やすようにします。こうすれば国債発行して政府預金を増やす必要が無くなります。
 また税収は政府預金を増やすので、これで発行済みの国債を償還します。
 これは税収を充てて国債発行残高を減らす方法ですが、これによって支出が制限されることはありません。
 一見デタラメにもほどがあるように見えますが、国債の日銀直接引き受け→政府支出→日銀保有国債の債権放棄、をした場合と同じ結果です。統合政府の視点で考え、統合政府内の国債のやり取りを省いただけです。
 あと法改正は必須だと思います。

 1~4番の政府貨幣発行による通貨発行益を利用する方法は、実質的に∞円である純資産のうちの一部を目に見える形で表しただけと考えれば、特に問題ないことが分かると思います。
 また政府貨幣を保管するのが嫌なら廃棄しても構いません。その場合は日銀が債務超過になりますが、これまで通りの業務を行えると思いますので特に問題ないと思います。
 そもそも政府貨幣を製造しなくても、例えば1番の場合なら書類上で、「政府が日銀に500円玉1枚を預金する→日銀が500円玉を1枚捨てる→それを政府が拾う、ということを1兆回繰り返した」ということにできれば、保管だけでなく製造コストも不要となります(この場合、500円玉を1兆回でなく1円玉を500兆回でも構いません)。また2~4番のように新しい貨幣をデザインする必要もありません。この場合も日銀が債務超過になります。

 6,7,8,11,12番は日銀が債務超過になります。
 
 9,10番は政府貨幣を発行せず、日銀が債務超過にならず、政府の負債が増えても問題ないことを示すことができます。ただし、中途半端に国債発行残高を増やしてしまうと逆効果になる恐れがあります。

 11番は実質的に純資産が∞円であることを目に見える形で示します。

 1~8,11番は税収を充てることなく国債発行残高を大幅に減らすことができます。12番は税収を充てますが徐々に減らしていくことができます。これらは非常に説得力がある方法だと思います。

 1~6,11,12番は今後も国債発行してもいいですが、基本的には不要となります。逆に7~10番は今後も国債発行は必要です。

 私が思いついたのは以上ですが、他にも様々な方法があると思います。

 政府の財政=家計、と考えればこれらの方法は全て滅茶苦茶です。しかし政府も日銀も純資産が常に実質的に∞円であると理解していれば、特に問題ないことが分かると思います。
 それにこれらを行うと経済にどのような影響を与えるのでしょうか。需要と供給への影響という観点から見れば簡単にわかることですが、ほとんど、あるいは全く直接的な影響を及ぼさないことが分かると思います。比較的影響が大きいのは「政府貨幣の大量発行」で貨幣を大量に製造することぐらいです。
 異次元の金融緩和で日銀当座預金残高を何倍にも増やし、市中銀行の貸出可能額を増やしたり金利を下げたりしましたが、これといって特に何も起きませんでした。私が挙げた方法は基本的に政府預金残高や日銀保有国債残高を変動させるだけですので、異次元の金融緩和以上に何の影響も与えないことが推測できると思います。
 もちろん人々へ心理的な影響を与え、それが間接的に経済に影響を与えることは考えられます。パニックのように一時的なものであれば、経済に悪影響を及ぼさないよう適宜対応すればいいと思います。また将来不安が取り除かれることで、消費が増えて景気に良い影響を与えることも考えられます。

 これらの方法のどれかを実行し、そして実行した結果特に何も起きないことを示すことで、多くの国民は政府の財政と家計は違うということを理解し、そして「国の借金」問題など存在しないことを理解すると思います。

12-3-3 「禁じ手」などの批判で思考停止してはならない

 私が挙げた方法は「○○は禁じ手だ」「そんなことをすると財政の信認が~」などと猛烈に批判されるのは分かっていますが、その批判の元となっている考えを突き詰めていくと、「政府の財政=家計」といった間違った考えに行きつくことになると思います。するとこれらの批判の方が間違っていることになります。
 また「ずるい」「不道徳だ」といった批判は、将棋を指している人に「取った駒を場に出すのはルール違反だ」と、チェスのルールに基づいて批判するようなものです。そもそもが違いますので的外れの批判です。「政府の財政に家計のルールを持ち込むな」と反論すれば済む話です。
 あと「これを許すと政府が財政支出しまくってハイパーインフレになるからダメ」というのもあると思います。であればインフレ率を基準にして一定の制限をかければいいわけで、無条件に禁止していい理由にはならないと思います。これは程度問題で、0か100で考えるのはあまりにも幼稚です。そもそもハイパーインフレになるまで財政拡大を望むほど国民は愚かではないと思います。それに現在でも理論的には国債を大量に発行しまくってハイパーインフレになるまで財政拡大することが可能ですが、そんなことはしていません。この理由は説得力がありません。長年インフレ率が低すぎて苦しんでいる日本が「禁じ手」と思考停止する方がよほど問題だと思います。

 説得力のある理由を示すこともできずに「禁じ手」と批判するのは、思考停止、原理主義者、狂信者、何か都合の悪いことを隠したがっている、といった印象があります。

 以前、「銀行券ルール」というものがありました。「異次元の金融緩和」はこのルールを真正面から全否定する紛れもない禁じ手です。そんなことをすればハイパーインフレになると批判されていたそうですが、現状を見れば完全に間違っていたことが分かります。そして「異次元の金融緩和」は「財政ファイナンス」という禁じ手と同じではないか、という疑念を生じさせています。財政ファイナンスを行うと通貨や財政の信認が無くなってハイパーインフレになるといったことが言われています。異次元の金融緩和を始めて10年近く経ちますが、ハイパーインフレになっていないどころかその徴候すら見当たりません。

 「禁じ手」などの言葉で思考停止しないようにする必要があります。

12-3-4 国債発行をやめると暗殺の恐れがある

 政府には通貨発行権があるのに、なぜわざわざ通貨ではなく国債を発行して民間金融機関から資金を調達するという、不自然なことをしなくてはならないのでしょうか。お金を発行できるのにそれをせずにわざわざ借金をして、「借金がこんなにあって大変だー」と騒ぐのは馬鹿げています。「そうしないと政府が支出しまくってハイパーインフレになるから」「通貨の信認が無くなって円が暴落するから」という理由は、国民はそこまで愚かではないことと、円の価値は供給能力によって支えられていることから、これらは説得力がありません。政府がまともな財政規律に基づいて通貨を発行するなら尚更こんな心配は不要となります。

 政府が通貨を発行する場合と国債を発行する場合の違いは、国債の場合は金利が付くので、それで直接または間接的に儲かる人たちがいるということです。もし政府が通貨を発行して国債を発行しなくなれば彼らは儲け損なうわけです。
 国債発行で資金調達しなければならないというのは、彼らに手数料を払わなければ財政赤字を出すことができない、あるいは財政赤字を出す度に彼らに一部を中抜きされている、ということと同じだと思います。普通に考えておかしいです。
 また、国債を日銀が直接引き受けすることが「禁じ手」とされているのも、国債が発行されても日銀に直接引き受けされてしまえば彼らが儲け損なうからだと思います。

 過去に4人のアメリカ大統領が暗殺されましたが、いずれもこのおかしなルールを終わらせようとしたことが原因だとする説があります。通貨発行権と暗殺についてネットで検索すれば色々出てきます。
 日本では何十年も前から「国の借金」が問題になっているのに、「国債を発行するのではなく通貨を発行すればいい」という子供でも思いつくようなことが真剣に議論されることも無い状況を見ると、やはり日本でも国債発行をやめれば同様のことが起きるのではないかと予想されます。

12-3-5 一番良さそうなのは日銀保有国債の債権放棄

 私が挙げた方法は全て国債発行を禁止するものではないので、国債発行を続けても構わないのですが、「国債発行してもしなくてもどっちでもいい」方法は「国債発行しなければならない」方法よりも暗殺リスクは高いと思います。そして日銀の直接引き受けの方法も除外すると以下が後者の案となります。

7.日銀保有国債の債権放棄
8.日銀保有国債の債務不履行
9.国債の大量発行で政府預金を積み上げる

 8,9番は国会で議論が必要になり実現は難しいかもしれません。7番は日銀が協力的であれば一番楽な方法ではないかと思います。

 そもそもの目的は「国の借金」問題など存在しないことを、多くの国民に理解してもらうことであって、国債発行をやめるとか国債を全て償還してしまうとかではありません。ですので想定外の問題が起きるリスクを高めないためにも、なるべく現状が維持されて容易だと思われる7番の債権放棄がよいのではないかと思います。
 また、私が挙げた方法以外にももっといい方法があるかもしれませんし、国債発行せずに政府預金を増やす1~6番の方法でも、この方法で増やした政府預金は国債の償還にしか使えないように制限する法律を作れば、今後も国債を発行せざるを得ないことになるので大丈夫かもしれません(またこれは日銀が債務超過にならずに済みます)。また、暗殺されるというのは陰謀論で、単なる私の杞憂に過ぎず、今後国債を発行しなくても暗殺されずに済むかもしれません。ただ私が思う一番無難な方法は7番の債権放棄です。

12-3-6 債権放棄は、統合政府で見れば実質的に何もせずに国債発行残高のみを減らす

 日銀が保有している国債を債権放棄する方法のメリットとしては以下が考えられます。

・統合政府で見れば、日銀が国債を買い取った時点で、実質的に「国の借金」が減っていることになります。債権放棄はこれを見かけ上も明らかにするだけです。つまり実質的に何もしてないのと同じなので、経済へ直接的な影響を及ぼすことなく国債発行残高を減らせます。

・今後も国債発行は必要なので、それにより儲けている人たちから憎まれずに済みます。

・国会で議論したり法律を作ったりする必要は多分無いと思います。

・「債務超過になったら日銀が倒産する」という言説がありますが、債務超過になっても倒産しないことを実際に示すことで、こういう言説の広まりを防げると思います。ちなみに2-5節にも書きましたが、外国の中央銀行が債務超過になりましたが何も起きていません。

・自国通貨建て国債だとか日銀当座預金だとか、こういったを知らなくても、「国の借金を減らすには日銀が買い取って債権放棄すればよく、財源確保のために増税や歳出削減などする必要が無い」と多くの国民がすぐに理解できると思います。

 日銀が債務超過になることで一時的にパニックが起きる可能性がありますが、矢野論文の時に特に何も起きなかったので可能性は低いと思います。実施する際に問題がないことをきちんと説明すれば、なおさらパニックは起きないと思います。
 あと、万が一何か問題が起きても、政府が国債発行して資金を調達して、それを日銀にタダであげればまた元の状態に戻せます。

 もし、次期日銀総裁や副総裁を誰にするかまだ決めていないのであれば、「国の借金」問題の解決に協力的な人を選ぶのがよいと思います。また少なくとも、今の日本で金利を引き上げるべきと考えている人だけは絶対に避けるべきだと思います。

12-4-1 間違った認識が社会に蔓延しないようにする仕組みが必要

 民主主義国において国民が正しい情報を偏りなく得ることは、国を存続させ国民を幸福にする上で非常に重要なことだと考えます。正しい情報が無ければ大抵結論を間違えます。すると望んでもいないのに国民は不幸になったり国が亡びたりします。
 本来はこうならないようにするのが、民主主義国におけるマスコミの役割だと思うのですが、現実は真逆で、マスコミが嘘の情報を流したり偏った情報ばかり流したりして国民に事実を誤認させたり、重要な事実を知らせなかったりしてコントロールし、国民を不幸にして国を衰退させています。
 裁判にたとえると、あるときは弁護側の証拠を見せずに検察側の証拠だけを見せて、傍聴人に被告は有罪だと思い込ませたり、別のあるときは逆のことをやって無罪だと思い込ませたり、そしてその証拠の中には捏造されたものが紛れ込んでいたりと、こういうことを自由に行っているようなものです。
 もちろんマスコミから流れてくる情報の全てが嘘だとか偏っていると言うつもりは全くありません。しかし「国の借金」問題のように嘘を流していることも事実ですから、全てが正しく公平中立でないことも確かです。
 嘘や偏った情報により事実を誤認させ、問題ないものを問題視させて改悪させたり、問題あるものを問題視させずに改善させなかったりしていることは、他にも沢山あると思いますし、この状況を放置しておけばこれからも同様のことが繰り返されると思います。
 言うまでも無く、このような状況を望んでいる国民はまずいないと思います。

 どんなに頭が良くても、最初に巧妙な嘘を吹き込まれてしまうと、それに自力で気付くのが非常に困難なのは、総理ご自身や財務官僚が長年にわたって政府の財政を家計と同様に考え続けていることからも分かると思います。これを覆すには興味を持って自分で詳しく調べたり考えたりするか、偶然事実を知るぐらいしか方法がないのではないかと思います。しかしそれを全国民に期待するのも非現実的ですし、非効率でもあります。なので何らかの対策が必要だと思います。

 対策としてすぐに思い浮かぶのは、新たにマスコミを監視する機関を設ける、放送法に罰則を設ける、などですが、これらは「表現の自由の侵害」「検閲」「言論統制」などと言って猛反発して、国民を煽ることが明らかなので、国民からの支持を得ることは難しいと思います。また実現してもどの程度効果があるのかわかりません。

 マスコミのやり方は「事実誤認させたり重要な事実を知らせないことでコントロールする」ことですから、これを解決するには、「多くの国民が事実誤認していることがあればそれを解消する」「多くの国民が重要な事実を知らなければそれを伝える」仕組みを整備するのがよいと思います。この仕組みをそれぞれ「事実誤認解消制度」「重要事実共有制度」と呼ぶことにします。

 マスコミのいいように操られたい人などいませんし、この仕組みの基となる考えは誰でも理解できる簡単な理屈であり、言論統制などでもありませんので、多くの国民から賛同を得られるのではないかと思います。また放送法4条を守っていることになっているマスコミにとっても、報道の結果多くの国民が事実誤認を引き起こしていることは不本意であるはずなので、それを解消することには賛成せざるを得ないと思います。
 もしかすると「報道しない自由の侵害だ」と言い出すかもしれませんが、これは「国民を騙す自由の侵害だ」と言っているようなもので、この言い分が国民に支持されることはないと思いますので気にする必要は無いと思います。

12-4-2 事実誤認解消制度と重要事実共有制度の具体案

 事実誤認解消制度の一つの案として、私の考えた方法を参考までに以下に記します。

手順1.多くの国民が事実誤認しているのではないか?と思われることを国民から受け付ける(誰でも投稿できる。「本当はこうである」という「事実」を証明するソースを出来るだけ提示する)。
 例:国の借金が増えるといずれ財政破綻すると多くの国民が思っているのではないか?本当はそうではないのに。

手順2.受け付けた内容を必要に応じてわかりやすく編集してネットに公開し、その内容に賛同する人を募る。同時に「事実」の信頼性についての情報も受け付ける。

手順3.一定期間内に一定数以上の賛同があり、信頼性等も考慮して問題なければ、無作為抽出した人に電話アンケートなどで調査して事実誤認している人の割合を確認する。
 一定数以上の賛同者を必要とする理由は、制度の趣旨に合わないものや、アンケートをしても一定割合を超えるとは思えず無駄になりそうなものを、国民の判断によって予め除外する為です。

手順4.アンケート結果で一定割合を超えている場合は、一定期間事実誤認を正す情報をTVの報道番組(平日の朝や昼の情報番組なども含む)で流してもらい、再度アンケートを行い是正されるまで繰り返す。
 例えば全局の全報道番組の冒頭で手順1~4までの経緯なども含めて説明する(多分数分で終わると思います)。

 またこれに関する様々な情報(受け付けた内容、編集された内容、賛同者数、信頼性に対して寄せられた情報、アンケート結果、判断のしきい値、判断結果などあらゆる情報)は、全てネットで誰でも見られるようにして透明性を高め、この仕組みに対する信頼性の確保に努めます。
 手順4でTVで流す理由は、TVが一番の元凶であるため、TVで流すことが一番効果があると思うからです。
 また、手順4の情報の流し方についてはTV局に任せ、一定期間内に是正されれば賞金を与えて、されなければ罰を与えるという方法もありますが、これは反発される可能性が高いと思います。

 この案のポイントは以下です。
1.これまでにマスコミが流してきた情報に対して、事実かどうかの検証が不要なので事実について争う必要が無い。事実かどうかを争うと裁判にもつれ込んで数年かかったりする可能性があるが、それが無い。また事実誤認が起きていることの責任の所在を突き止める必要もない。

2.全国民1億3千万人のうち誰か一人でも本当のことを知っていれば事実誤認を解消できる。逆を言えばマスコミは一人残らず騙しきらないと国民を操ることはできない。これは強烈な抑止力になる。

3.制度を実施するための機関は必要だが、解消するかどうかは可能な限り国民の判断やアンケート結果を元に機械的に決める。

4.解消する方法は、マスコミがキャンペーンを張って短期間で一気に事実誤認を引き起こすやり方を真似しているので、短期間での解消が期待できる。

5.ある程度解消されるまで繰り返すので、現在の訂正報道のように単なる形だけのものに終わらない。

6.それほど日数がかかるものではないので、場合によってはマスコミがキャンペーンを張って国民に事実誤認させている最中に打ち消すことができる。こうなるとマスコミへの信頼はガタ落ちするので非常に高い抑止力になる。

7.事実誤認が広まれば広まるほど解消の対象となる可能性が高まる。

8.短期間で解消できるのでそれだけ事実誤認による被害も小さくて済む。

9.もしも「事実」として流した情報が後から間違っているとわかった場合は、同じ仕組みを使って訂正できる。

10.報道番組で様々なニュースが報道されたり特集が組まれたりするが、なぜそれを取り上げたのかについては公開されてないし、問い合わせたところで多分答えてくれない。事実誤認解消制度では全て公開するのでマスコミより透明性が高い。

 これを応用すれば「正確なことが不明で色々な説があるにも関わらず、ある1つの説だけが事実として広まって知識が偏っている場合」に他の説を紹介してバランスを取るのにも使えるかと思います。新型コロナや地球温暖化に関する情報が結構該当するのではないかと思います。
 また全国的には事実誤認の割合は低く(多くの人が事実を知っているというのではなく、事実誤認を引き起こす以前に何も知らない状態)ても一部地域で事実誤認の割合が高い場合もありますので、各都道府県単位でやることで地域性の高い事柄にも対応できます。

 もちろん実施する場合は「軍事機密は対象外にする」などさらに詳細な検討が必要ですし、運用開始後も常に改善が必要ですが、大体このような感じです。
 また、多くの国民が事実誤認していることを解消するもっと良い方法があれば、全く違う方法でも構いません。

 新聞などのTV以外のメディアに対してはどうなのかといえば、圧倒的に影響力の大きいTVが変われば新聞なども変わらざるをえない(もし変わらなければ信頼性が無くなる)と思いますので、とりあえず何もしなくていいと思います。運用開始後に状況を見て検討すればいいと思います。

 ちなみに「重要事実共有制度」もほぼこれと同じですが、アンケートの際に「事実」を知っているかどうかだけでなく、TVで情報を流すべきかどうかを聞くことで重要度も確認し、これもTVで流すかどうかの判断基準にします。
 但し、重要かどうかは国民の価値観によって決められ、その価値観はこれまでのマスコミからの情報によってある程度作られているので、これを実施する場合は「事実誤認解消制度」の方だけ先行させて、マスコミによって作られた価値観がある程度払拭されてからにしてからがいいかもしれません。
 しかし、「安全・安心で豊かな生活」は大昔から誰もが望むものだと思いますので、最初のうちは安全保障、実質可処分所得、可処分時間に関する事実に限定して「事実誤認解消制度」と同時に実施してもいいかもしれません。

 また、この仕組みによって知りたくない事実を知らされるといったことが起きると思いますが、現在は「日本は財政破綻する」など知りたくない嘘を事実と思い込まされている状態です。現在よりはるかにましになると思います。またどうしても知りたくないのなら、メディアと接する機会を減らして各自で調節することで対処してもらうことになります。

 また、書籍の出版や講演などで世の中の嘘を正す活動や重要な事実を知らせる活動をして生計を立てている人の中には、生計の維持が困難になる人が出てくるかもしれません。そのような人に対しては、政府がシンクタンクを作ってそこに雇うなどして、何らかの支援をするのがいいと思います。

12-4-3 これらの制度で期待できる様々な効果

 これらの制度によって以下のような効果が期待できます。

1.情報を操作することで多くの国民を操ることが難しくなるので、以下のようなことがあまり行われなくなり、マスコミによる害悪を大きく減らすことができる。
 a.もともと問題ないことや大して問題ないことを、さも問題があるかのように執拗に報道し、邪な意図を含んだ解決策を提示する。
 b.本当に問題のあることはほとんど報道しないか、逆に素晴らしいことのように報道し、事態の悪化に手を貸す。
 c.出来るだけ嘘を言うことなく、偏った報道や誤解を招く報道で国民に誤った認識を植え付ける。
 d.国民に特定のイデオロギーを植え付ける。

2.マスコミ関係者の中にいる「国民を操ることに良心の呵責を感じている人たち」を助けることになる。そうでない人たちも世のため人のために仕事をするようになり、彼らの人生に良い影響を与える。

3.(私の案ならば)誰か一人でも事実を指摘すればすべてが引っくり返る可能性があり、事実誤認を解消する情報や重要な事実を流す羽目になるほどマスコミの信頼が失われていくので、そうなる前に自発的にそれとなく事実誤認を解消する情報や重要な事実を流すようになる。つまり国民に正しい認識を持ってもらうことに注力せざるを得なくなる。

4.多くの言論人などが、多くの国民に本当のことを知らせようと多大な労力(場合によっては数十年)を払っているが、これがかなり少なくて済むようになる。そしてこの労力がより有意義なことに使われるようになる。

5.現在は普通にTVを見たり新聞を読んだりしていれば、自然とマインドコントロールされてしまうため、常に疑いの目で見る必要があるが、この制度があれば逆に自然と正されていくのでそんな必要が無くなる。

6.日本に蔓延している様々なおかしな考えが払拭され、それによる被害を食い止められる。

7.特定のイデオロギーを植え付けられた国民とそうでない国民との間における、分断や争いが減り世の中が平和になる。

8.多くの人がおかしいと思っていても、ポリコレによって声を上げることができずにいる問題の解決が捗る。

9.国民を騙すことが困難になるため、多くの国民を幸福にする政策が行われるようになり、政府への信頼感が高まっていく。

10.国民が空気に支配されて間違った道を歩み続け、そして国を亡ぼす可能性を低下させる。

11.戦前のようにマスコミが国民を煽って戦争に導くということが難しくなる。

12.マスコミが偏向報道によって政府や国会議員などを攻撃しても、この制度を使って反撃できる。そのためあまりマスコミを恐れる必要が無くなる。

13.「多くの人が知れば実現可能だと思うが、多くの人に知ってもらうことは困難」という理由で諦めたり妥協したりするようなことを減らせる。

14.吉田清治氏の「従軍慰安婦の強制連行」のように嘘とわかっていたことが正されずに、数十年かけて世界中に拡散するなどということを無くせる。

15.外国のマスコミもかなりひどいようなので、この制度がうまくいって外国でも採用されるようになれば、世界中の多くの問題が解決され、世界が今より平和になり、人々は幸せになる。

 期待できる効果は他にもたくさんあると思います。

12-4-4 現状を放置すればマスコミによって日本は亡ぼされる

 マスコミは、「ネット上でどう言われようと、TVや新聞が間違いを認めなければ間違いにならない」と高をくくり、報道しない自由を駆使して偏向報道を行っている印象があります。これは民主主義を破壊する行為だと思います。そして現在はマスコミの手のひらの上で踊らされているだけで、国民の幸不幸も国の将来もマスコミ次第となってしまっていると思います。この状態を放置していれば、多くの国民は操られ続けてどこまでも不幸になり、国が亡びることは免れないと思います。

 私が示した具体案は新奇な内容のためかなり抵抗を感じると思いますが、それだけではこれが間違っているという根拠にはなりません。「税金は財源ではない」「日本は国の借金が増え続けても問題無い」ということを初めて聞いた時と似ているかもしれません。それに私の案でなければならないということもありませんし、もっといい方法があればそれで構いません。

 「多くの国民が事実誤認していることがあればそれを解消する」「多くの国民が重要な事実を知らなければそれを伝える」という仕組みは、民主主義国ならあって当たり前であり、むしろ無い方がおかしいと思います。言い方は悪いですが、こういう仕組みのない民主主義は「ポンコツ民主主義」と呼んでもいいぐらいだと思います。
 そしてこの仕組みが無い(仮にあったとしても機能してない)ため、非論理的で人々の恐怖を煽る言説が幅を利かせ、国民が不幸になり、国が亡びに向かって突き進んでいます。「国の借金」の嘘を正すことで亡国を回避できても、また別の嘘によって亡国の危機に陥ると思います。それを防ぐためにもこれらの仕組みは必須だと思います。

 ざっくり言えば、今の日本は詐欺師にとって天国、正直者にとって地獄、という騙したもん勝ちの世界になってるから、そういうのは終わらせるべきだ、ということです。
 嘘に基づいて動かされてきた世の中を、真実に基づいて動かすように変えるわけで、社会に与える影響が大きいため注意深く行う必要がありますが、現在のマスコミのやりたい放題の状況を見る限り、デメリットよりもメリットの方が圧倒的に大きいと思います。
 多くの国民は事実を知ることでマスコミに対する怒りは湧くでしょうが、それは最初だけだと思います。こんなことをすれば大混乱に陥ると思うかもしれませんが、インターネットが世の中に広まった時のように、大した混乱もなくすんなり受け入れられるのではないかと思います。自然災害大国に暮らす日本人の受容力、忍耐力は世界一だと思います。本当のことを知っても暴動一つ起こさず、現実を受け止めて世の中を良くしようと努めると思います。

 多くの国民が事実誤認していることをできるだけ多く解消し、多くの国民が知らない重要な事実をできるだけ多く伝えることは、世の中を良い方向に変え、国民一人一人を幸福にすることに繋がると思います。
 これはマスコミやマスコミを支配している人達にとって都合が悪すぎる制度であり、また政治家や官僚の中にも都合が悪い人は結構いると思いますので、実現するのはかなり困難だと思いますが、国民が不幸になり続けている現状を改善するには必要なことだと思います。

12-5 立法陪審員制度の創設

 10-7節でも書きましたが、多くの国民が知らないうちに国民を不幸にする政策が行われています。だからといってこれを防ぐために国民一人一人が全ての政策をチェックするのは困難ですし、現実的ではありません。それにおかしなことが行われようとしているのに気付いたとしても、国民が不幸になることが分かっていて実施しようとしているのであれば、止めようがないと思います。
 そこで、誰が見てもおかしいと思うような政策が実施されないようにする制度が必要だと思います。とりあえずこれを「立法陪審員制度」と呼ぶことにします。

 具体的なイメージとしては、衆参両院で法案が可決された後、各法案毎に裁判員制度のように一般の国民の中からランダムで選ばれた人たち(例えば十数名とか)に時間をかけてしっかり審査してもらい、賛否を取って最終決定するというものです。
 当然専門知識のない一般国民に委ねるわけですから、選ばれた人たちに対して、法案について中立な立場の人物がレクチャーして内容をしっかり理解してもらい、またその法案に対して賛成意見や反対意見が寄せられていればそれにも目を通してもらい、常識に従って長期的視点から判断してもらうことになります。
 国会議員でも法案をよく知らないまま賛否を示すことはよくあり、その結果可決されていることもよくあると思います。また全ての国会議員が全ての法案に精通しているわけではないのは明らかなので、それを思えばそれほどおかしなアイデアではないと思います。
 この制度のいいところは、賄賂、企業献金、親族企業、組織票を持つ団体、党議拘束、党の有力者に対する忖度、政治的取引、マスコミの圧力、官僚の無謬神話維持のための圧力、外国からの圧力、弱みを握られた相手からの脅迫、一部の人だけが共有している妙なイデオロギー、などの影響を排除できることです。私の偏見かもしれませんが、これら全てと一切無縁の議員はほぼいないのではないかと思います。しかし多くの国民はこれらと一切無縁だと思います。
 要するに普通の日本人が共通して持っている「常識」というフィルターを通してみて、許容できないものは除外されるようになるということです。専門知識という点では国会議員の方が上かも知れませんが、常識的な判断ができるという点では何のしがらみもない一般国民の方が遥かに上です。国会議員では様々な事情から常識的な判断ができない場合があると思いますので、その場合に備えたものになります。

 こういう制度があれば、「民間議員」という名の営利企業の関係者を中心に作られた、一部の人だけが得をして多くの国民が被害を受けるような政策などをかなり防止できると思います。例えば種子法廃止、水道民営化、特定技能の創設などは行われずに済んだと思います。
 またこの制度があることによって、国会でもきちんと審議されるようになることが期待できます。

 ちなみにこのアイデアはダーヴィッド・ヴァン・レイブルック著の「選挙制を疑う」(法政大学出版局 2019年出版)を参考にしています。この本に書かれている制度はこれより複雑で、また詳細な内容が書かれています。

 もちろん、もっといい方法があれば全く違うやり方でも構いません。誰が見てもおかしいと思うような政策の実施を防止できればいいわけですから。

12-6 学校から財政破綻論を払拭し「国の借金」は問題ないことを教育する

 学校で「日本は国の借金で大変だ」というようなことを子供たちに教育し、将来不安を植え付けているようです。
 以下は以前の中学校の公民教科書を検証したものからの抜粋です。

 公共政策を巡るドミナント・ストーリーの中学校公民教科書における記述内容の検証
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejeep/71/1/71_39/_pdf
 「特に中学校の教科書は,すべての国民を対象としており,その内容に基づき教育が行われていることを考えると,人々の知識形成段階において与えられるその情報は,将来にわたって人々の意識に影響を及ぼし続ける可能性も考えられる.」

 「本研究で対象とする教科書は,2008 年の学習指導要領改訂を受け,2011 年 3 月に検定に合格し,2012 年 4 月から使用が開始されている中学校の公民的分野の教科書である.なお,2011 年 3 月の検定に合格した公民的分野の教科書は,東京書籍,日本文教出版,教育出版,帝国書院,育鵬社,清水書院,自由社の計 7 社が発行しており,本研究ではそれら 7 社全ての教科書についての分析,考察を行う.」

 「日本の財政に関する記述は,7 社すべての教科書において,国債の発行残高の推移グラフが掲載されており,加えて国債の発行は将来世代に対する大きな負担とする説明がなされている.」

 「「一人当たりの借金」として強調する表現や,時間当たりの国債費の算出からは,国債の巨額さを強調する以外の論理的な意味を見出し難く,日本財政に対する危機感を印象づける内容であるといえよう.こうした,「国民が膨大な借金を抱いている」と強調する表現は,いたずらに不安を助長するだけであり,日本の財政に対する正しい認知を妨げかねないとの指摘もあり,現代社会についての基礎知識を学ぶ場におけるこうした表現は,不適切なものである可能性が懸念される.」

 「国家の財政を家計に例える表現は分かりやすい表現ではあるものの,そもそも,通貨発行権を持つ国家の財政と,家計とはその性質が根本的に異なるものであり,間違った認識を与えかねない内容である.」

 「財政問題についてすべての教科書で共通するのは,日本財政の危機を懸念する内容であった.一方で国債についての説明は十分とは言えず,中には,「一人当たりの借金」や「一日当たりの国債費」という,センセーショナルにその深刻さを強調する内容もあり,必ずしも正確・公正な説明がなされているとは言い難い状況である可能性が示唆された.」

 各教科書における記述は50,51ページ(pdfファイルの12,13ページ)に「付録-2 日本財政破綻論に関連する記述内容」として掲載してあります。
 また以下pdfファイルにはこの検証結果が簡潔にまとめられています。
 
 公共政策を巡るドミナントストーリーについての中学校公民教科書における記述内容の検証
 https://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/cvilandeducation/file/6th_poster_17.pdf

 また、以下は2018年(平成30年)の高校の学習指導要領の解説からの抜粋です。現在の教科書でも似たような状況と推測されます。

 文部科学省 高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 公民編
 https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002620_04.pdf
 「財政が持続可能であるためには,歳入である租税の範囲で歳出を行うことが原則である。しかし,現代の経済社会では政府の経済活動は多様化し,税収だけでは財政活動が維持できない現状がある。そこで,国債の発行などが行われているが,財政赤字が常態化し,国債の償還ができなくなると財政破綻が発生する。そのような事態にならないために,持続可能な財政及び租税の在り方について,限られた財源をいかに配分すれば国民福祉が向上するか,また,どうすれば税収を増やすことができるかなど,持続可能な財政の在り方を多面的・多角的に考察,構想し,表現できるようにすることが求められる。
 その際,例えば,増税が必要なのか,それとも歳出の削減が必要なのか,また,税としては消費税がよいのか,累進型の所得税がよいのかなど,客観的な資料を基に考察,討論することが考えられる。また,社会生活や産業構造の変化の中で新たな財源を求めるとするとどのようなものが考えられるか,多面的・多角的に考察,構想し,表現できるようにすることなどが考えられる。」

 「今日見られる福祉国家の在り方の維持と安定を重視しつつ財政健全化を進める考え方と,今日見られる福祉国家の在り方を見直し財政健全化を進める考え方とを対照させ,歳入や歳出についての見直し,国民生活や福祉の向上,経済活動の活性化,世代間の公平性などの観点から探究できるようにする。」

 日本の将来を担う子供たちに財政破綻論に基づいた将来不安を植え付けることは、子供たちから将来への希望を失わせることで人生に悪い影響を与えて不幸にし、また「国の借金」を増やした大人世代に対する憎しみを植え付けて社会の分断を招く一因となり、結果として日本の将来にも悪い影響を与えることは容易に想像ができます。百害あって一利なしです。歴史の自虐教育よりも害は大きいと思います。
 むしろ「国の借金」は問題ないことを教えるようにすべきだと思います。そしてそれを子供が親に教えるように促せば、中高生の子供を持つ親限定ですが、財政破綻論の払拭に少しは効果があると思います。

12-7-1 英語教育に力を入れるのは日本にとって悪影響が大きい

 学習指導要領の改定で小学校3年から外国語の授業が始まり、また中学校や高校ではほぼ毎日外国語の授業があります。
 外国語学習の目標は以下にまとめてあります。一言で言えば外国語でのコミュニケーション能力の育成、ということだと思います。

 文部科学省 「外国語活動 ・ 外国語の目標」の学校段階別一覧表
 https://www.mext.go.jp/content/1407196_26_1.pdf

 またこちらのファイルの4ページ目の中学の授業時数を見ると、一番多いのが外国語(中学3年間で420。その次は国語、数学、理科の385)となっています。

 文部科学省 (参考)学校教育法施行規則に定める標準授業時数
 https://www.mext.go.jp/content/20210629-mxt_kyoiku01-000016453_4.pdf

 「外国語」といっても実質的には英語なので、以後は英語として話を進めます。

 普通に日本で暮らしていれば、大抵の人は英語でのコミュニケーションが必要な場面はほぼ無いと思います。なので苦労して勉強しても大抵の人は英語は身につかず、そして忘れてしまいます。他の科目と比べてみても大抵の人にとって最も必要ない科目だと思います。そのような科目にここまで時間と労力を費やすのはもったいないです。たとえるなら国民全員が弁護士になるわけでもないのに、全員に六法全書をマスターさせようとするようなものです。
 そして英語教育に力を入れるほど以下のようなデメリットが出てくると思います。

1.英語教育に力を入れるほど、日本語は英語よりも低級な言語だというイメージを持ってしまう子供が増えると思います。授業時数が国語よりも多く、しかも全科目の中で一番多いというのは異常ではないかと思います。例えば古文を英語並みの授業時数にして大学入試でも重要な科目扱いにすれば、現代文よりも古文の方が高級だと思ってしまうのではないでしょうか。
 またオールイングリッシュ方式の授業ではその悪影響が顕著になる思います。

2.英語ができるかどうかで相手に対して優越感や劣等感を感じるようになり、英語コンプレックスを持つ人が増えると思います。また欧米諸国の外国人に対する劣等感や国民意識の希薄化にも繋がると思います。

3.言語というのは単なる意思伝達の道具というだけでなく、人の感性や世界観に影響を及ぼすと思います。このため英語ができる人とできない人の間での分断を招く恐れがあります。

4.英語教育に力を入れれば入れるほど、英語が社会にあふれるようになってさらに英語力が必要とされ、ますます英語教育に力を入れざるを得なくなり、ますますコンプレックスを持つ人が増えたり、格差が広がり国民の分断が深まるという、悪循環に陥る可能性があります。

5.言語は民族を構成する重要な要素でもあると思います。英語が日常に入り込むほど日本人は変容していくと思います。これによって幸福になる日本人よりも不幸になる日本人の方が多いのではないかと思います。

 要するに英語教育に力を入れるのは日本にとって悪影響が大きいのではないかということです。英語は音楽や美術(中学3年間で授業時数は115)以下の扱いで十分ではないかと思います。そして翻訳や通訳など英語を必要とする仕事に就く人や、外国人と英語でコミュニケーションを取りたい人が専門学校などで勉強すればいいと思います。つまり「英語は数多くある専門スキルのうちの一つに過ぎない」といった扱いにした方が、日本にとっていいのではないかと思います。

12-7-2 翻訳ソフトを活用するという方法もある

 どうしても全国民に英語でのコミュニケーションスキルを身に付けさせる必要があると考えるのであれば、翻訳ソフトを使って誰でも簡単に英語でコミュニケーションを取れるようにする、という方法もあると思います。この場合、前節に挙げたデメリットは大体無くなると思います。この場合のメリットとデメリットは以下が考えられます。

メリット
・英語を教えたり学んだりすることにかかる教師と生徒の労力が大幅に減ります。その分を他の科目に割り当てたり、あるいは全体の授業時数を減らして教師と生徒の負担を減らすことができます。
・ソフトを英語以外の言語にも対応させることで、それらの言語でコミュニケーションを取ることも容易になります。

デメリット
・ソフトを開発する必要があります。
・ソフトを使いこなすための授業が必要になります。ただし今の英語の授業とは比較にならないほど少ない時間で済むと思います。

 他にも、ソフトの性能次第では言語の壁を大きく下げることになるので、それによる様々なメリットやデメリットが発生すると思います。

 ちなみにソフトは、正しい日本語を使えば正しく翻訳されるが、間違った日本語を使えばどの部分が間違っているかが表示されてエラーが出て翻訳されない、という風にすれば、正しい日本語の学習にも繋がりますし、誤訳も減らせると思います(簡単に作れるものではないかもしれませんが)。

 また、私はこの文章を書いている途中で何度か計算が必要な場面がありましたが、全てPCを使って計算しました。こちらの方が速くて確実だからです。電卓を使いこなすように、翻訳ソフトを使いこなす方法を教えた方が、今よりもはるかに少ない労力で、今よりもはるかに多くの人が、英語だけでなく様々な言語を使いこなせるようになるのではないかと思います。
 電卓と翻訳ソフトでは様々な面で違いがあると感じるかもしれませんが、便利な道具を活用して目的を達するという点では同じです。

12-7-3 英語教育よりも国語教育に力を入れた方がいい

 先人の努力のおかげで日本語に十分な語彙があるため、日本は普通に生活する上ではもちろんのこと、高等教育を受ける際にも英語を必要としない恵まれた国です。一番いいのは英語を勉強する必要のない社会です(それだけ時間と労力を無駄にせずに済みますので)。英語教育に力を入れて国内に英語を氾濫させれば、その結果として英語ができないと生活に困るような国に落ちぶれる恐れがあります。これは言語権(母語で教育を受け、生活する権利)の放棄を意味します。また英語ができる人とできない人の間で格差の固定化が進み、国民の分断を招く恐れがあります。今の日本はまるで自ら進んで植民地になろうとしているかのようです。

 繰り返しになりますが、英語教育が不要と言っているのではなく、授業時数が多すぎると言っているだけです。英語教育の位置付けを改めて、授業時数を大幅に減らすべきだと思います。
 そもそも非英語圏の人々が英語の勉強に多大な労力を払わないといけない状況はアンフェアであり、授業時数が多いほどアンフェアの度合いが高いと言えると思います。授業時数を減らし、なるべくフェアな状況に近付けることを考えるべきだと思います。

 また、英語教育に時間をかけて何千もの英単語を覚えさせたりするよりも、日本語の語彙をたくさん教えることに時間を使った方がいいと思います。そうすると子供たちはたくさんの概念を知ることになります。すると自分の気持ちや考えをより正確に相手に伝えられるようになりますし、より深い、より精緻な思考をできるようになります。これは争いを減らして信頼関係を築きやすくし、また創造性を高めることになると思います。
 大げさに聞こえるかもしれませんが、英語教育の強化はあまり意味が無いどころか、日本人の精神と日本社会に悪い影響を与え、国民を不幸にすると思います。

 もしこの英語教育の強化の目的が、英語教育関連ビジネスでの金儲けということであれば、なおさらこういうことはやめるべきだと思います。天然資源のほとんど無い日本にとって、資源とは人だと思います。日本と日本人の未来は教育にかかっていると言っても過言ではありません。それを壊すような真似は絶対に慎むべきです。
 私の杞憂であればいいのですが、英語教育の強化は日本人としての国民意識の薄い人を量産することに繋がると思います。そしてこのような人たちが日本のエリートとして国を動かすようになれば、民主主義の崩壊に繋がると思います。というか、大分前からそうなってきているのではないかと思います。

12-8 観光立国を目指してはいけない

 第二次安倍政権の頃からやたらと観光に力を入れていて、「観光立国」などという言葉を時々目にするようになりました。そして外国人観光客数を増やすことに力を入れています。こういうのは発展途上国がやることだと思います。外国人観光客に日本の命運を委ねるつもりでしょうか。日本人が外国人観光客のために尽くさなければ存続することができない国。なぜそんな国に作り替えなければならないのでしょうか。
 今は実感が湧かないので「大げさすぎる、過剰反応だ」と思うでしょうし、そんな国にするつもりもないと思います。しかし方向転換する予定も無いと思います。ならば数十年先にはそんな国になってしまうと考えるのは、全然大げさではないと思います。
 目指す方向が完全に間違っています。日本は技術立国を目指すべきで、観光立国など目指してはいけません。自殺行為です。いつか必ず方向転換が必要になります。早めに対処すれば傷は浅くて済みます。

12-9-1 給付金を配る方法

 給付金を配る目的は高圧経済にしてそれを維持するためです。
 給付対象や給付金額等の詳細については官僚に考えてもらうのがいいと思いますが、その際の注意点として思いついたことがありますので以下に記します。

 まず、「公平な給付」ということについてですが、言うまでも無く、ある視点から見れば公平だけど別の視点から見れば不公平、というのは普通にあることで、誰から見ても公平な給付というのは不可能です。ですので必ず不公平だという批判は出ます。そして批判に対して都度対応していると制度はどこまでも複雑になっていきます。
 給付の対象者が膨大なため、複雑にすると行政コストが膨大になったり、給付金詐取のための不正行為が多発したりすることが予想されます。この対応のためにデフレギャップが小さくなり給付金が減っては本末転倒です。多少の不公平感があってもなるべくシンプルな方がいいと思います。しかしシンプル過ぎてもそれはそれで不公平感が強くなったり問題が出てくる恐れもありますので、ある程度の複雑さは必要です。

12-9-2 給付対象者は日本在住で居住歴が18年以上の人を対象にするのがいい

 高圧経済にするための給付金を配る対象者の範囲をどうするかについてですが、高所得者にも配るのか、小さな子供にも配るのか、働いていない人にも配るのか、日本在住の外国人にも配るのか、外国に住む日本人にも配るのか、等の線引きが必要です。これらについて検討し、まとめてみました。
 これまでにも一時的にお金を配る政策は行っていますので、そちらを参考にするのもいいと思いますが、政策転換に合わせてマインドを切り替えて改めて考える必要もあると思います。

1.高所得者に配る場合
 高所得者に配ることに対して納得しない国民が多いことが予想されます。しかし高所得者は消費性向が低いので、配ってもデフレギャップはあまり消費されないことや、配った方が仕組みがシンプルで済むので行政コストがあまりかからないことから、高所得者にも配った方がいいと思います。
 また高所得者の多くはそれなりにリスクを取ったり、人一倍努力をした結果高い所得を得ていると思いますので、多くの国民から反発を受けて給付金がもらえないことになれば、別に欲しくはなくてもいい気はしないのではないかと思います。少し大げさかもしれませんが、国民の分断につながる一つの要因になるかもしれません。

2.働いていない人に配る場合
 15歳以上65歳未満で学生以外の働いていない人に対してお金を配れば、余計働かなくなるという批判が予想されます。
 しかし、もし働く人だけに配るようにすれば、被雇用者が雇用主にお金を払って週1時間だけ働かせてもらうといったビジネスが出現したり、あるいは活動実態のない個人事業主が大量発生したりすると思います。こういうことを防ぐには週○○時間以上などという条件を追加し、本当にそれだけ働いているかの確認が必要になります。また場合によっては労働時間ごとに支給額も変えるなどということになるかもしれません。複雑さが増し、不正が増え、コストも増えます。
 そもそも高圧経済にするのは実質賃金を増やしたり労働時間の総計を減らすためです。高圧経済にするために労働時間の総計を増やすのは本末転倒です。ですので働いていない人にも配るべきだと思います。

3.子供に配る場合
 子供に配るとお小遣いが数十倍に増える(例えば月の小遣いが1000円の時に給付金が5万円配られれば51倍になる)ようなものなので、親の立場が無くなって子供に軽くみられるようになったり、その結果親子の結びつきが弱まって政府と子供の結びつきを強めたり、子供の金銭感覚を麻痺させたり、子供の消費が数十倍に増えて産業構造に影響を与えたり、子供相手の詐欺等の犯罪が増えたり、「道徳的でない」といった批判が寄せられたりと、子供への給付は問題が大きいと思います。

4.日本在住の外国人に配る場合
 仮に技能実習や特定技能を廃止したとしても留学生がいますし、また難民もいますので、給付金は移民や難民の増加を後押しする恐れがあります。
 だからといって日本国籍保有という条件を追加すれば、日本人としての国民意識を持たない外国人の帰化が増える恐れがあります。
 また配った分が外貨に換えられて母国に送金されることも十分考えられます。その結果円安になって外需が増えるから結局外国人の需要が増えることに変わりはない、という反論もあると思いますが、国民感情的に納得できるのかという懸念もあります。
 そもそも移民を入れることで人手不足を解消して賃金を上げないようにしているわけですから、移民自身に悪気が無くても、彼らにまで配るのは国民感情的に納得できるのかという懸念もあります。

5.外国に住む日本人(日本国籍保有者)に配る場合
 円のまま貯蓄されて需要が増えない可能性が高いと思います。外国に住む日本人の数は140万人ぐらいで、日本人全体に占める割合は1%強ぐらいなので、外貨に交換されて円安圧力を高めたり、円安によって外需が増えたり、という効果は無視できるほど微々たるものだと思います。
 経済全体への影響は小さいため、配るかどうかは不公平感や制度のシンプルさを考慮してどちらにするか決めるのがいいと思います。
 但し、元々外国人で日本国籍取得後に外国に永住する人にも配り続けることになりますので、こういう場合については納得しない国民は多いのではないかと思います。また日本に来て偽装結婚して日本国籍取得して母国に帰って給付金を受け続ける、という行為が増えるかもしれません。

6.外国に住む外国人に配る場合
 あり得ないと思いますが念のため書いておきます。外国に住む外国人に日本円を配る場合、そのお金で日本製品を買ったり、外貨に両替して円安になって外需が増えたりすれば、その分日本に住む人がタダ働きをするのと同じことになります。なので、政府にとって円は無限に生み出せる道具にすぎないからといって、気前よく外国にお金をばらまいてはいけません。

 これらを考慮すると、日本在住で居住歴が18年以上の人を対象にするのがいいのではないかと思います。こうすれば子供を除外でき、移民や難民や帰化人の増加を防げ、しかもシンプルです。18年としたのは成人年齢が18歳ということと、大学に行く人には授業料の負担軽減につながると思うからです。もし居住歴を確認するのが大変であれば、別の基準でこれに似たものにするのがいいと思います。

12-9-3 給付金額はなるべく安定させる

 需要を増やして高圧経済にして維持するための給付金なので、給付金額は経済状況次第で月0円のときもあれば月10万円を超える可能性もあります。また全員同じ金額だとシンプルだし国民の納得も得られやすいと思います。

 経済状況次第で給付金額を変えていくことになりますが、人の心理として、金額の変動が小さく安定していれば支出に回って需要の増加につながりやすく、変動が大きく不安定であれば貯蓄にばかり回って需要はあまり増加しないと思います。あまり需要が増加しなければもっと多くの給付金を配ることができるので、国民をもっとお金持ちにできます。これは一見良いことのような気もしますが、貯蓄が増えすぎるとこれが株などの投機に回ってバブルを引き起こして実体経済に悪影響を与えることが考えられます。
 そもそも需要を増やすためにお金を配るわけですから、需要増加に繋がりやすい安定した給付にした方がいいと思います。
 また安定した給付は需要を増やすだけでなく、小遣い稼ぎや家計の補助を目的としたアルバイトなどを減らして、人手不足に拍車をかけることが予想されますので、こういう面からも高圧経済にしやすいと思います。

 給付を安定させるには、定期的に支給され、頻繁に金額が変動しないようにする必要があります。また例えば毎月5万円給付されていても、次は0円になるかもしれない場合と少なくとも3万5千円は貰える場合とでは、消費行動に与える影響は違うと思いますので、変動時の下げ幅に限度を設けた方がいいと思います。また現在のような急激な輸入物価上昇によるインフレを考えると、上げ幅の限度は設けない方がいいです。
 例えば、毎月支給、金額の見直しは年に一度、見直しによる下げ幅は3割まで(給付金額が1000円以下のときは下げ幅の制限なし)、といった感じにするのがいいかと思います。

 ちなみに、使用期限のあるお金を配ればいいというアイデアを聞くことがあるのですが、この場合確かにその分は使われて需要を増やしますが、期限付きのお金を優先的に使うようになるだけで、期限の有無で結果が変わることはないと思います。期限を設ける方が制度が複雑になるだけなのでこれはやらない方がいいと思います。

 また、国民の賛同が得られるならば、以下のように給付金額に差をつけることがあってもいいかもしれません。

・給付対象者を日本在住で居住歴が18年以上の人を対象にする場合、その人に18歳未満の子供がいれば人数に応じて割り増しする
・長年の経済財政政策の間違いによって特に被害を受けたと思われる、就職氷河期以降に社会人になった人達に対して、償いの意味で割り増しする

 あと世の中には「何もしていないのにお金を貰うのは嫌だ」という人もいると思いますので、給付金を受け取らない選択もできるようにした方がいいと思います。

12-10 デジタルコンテンツを普及させてコストを削減する

 デジタルコンテンツは一度作ってネットに上げてしまえば、あとはほとんどコストをかけることなく世界中の人の需要を満たすことができるので、作った後に関して言えば、生産性と供給能力は無限と考えることできると思います。実際のモノであれば製品を開発した後に工場で大量生産して日本各地に配送して店頭に並べたり、船に積んで世界各地の港に届けたりするなど、かなりのコストがかかりますが、それがほぼゼロと考えていいわけです。
 しかも時間の経過で劣化したり壊れたりしないので、耐用年数は永遠ということになります。またほとんど場所を取らないというメリットもあります。そしてデジタルコンテンツの消費が増えることで他の消費が減れば、日本全体でのコストの削減になり、インフレ率を押し下げたり可処分時間を増やす効果が望めます。

 なのでデジタルコンテンツが世に広まるよう後押しする政策を採るのがいいのではないかと思います。
 またこれは様々な創作物に触れる機会を増やし、それによって新しい発想が生まれやすくなり、それがまた多くの新しいものを生み出すことになるのではないかと思います。

12-11 不食の研究

 可処分時間を劇的に増やせる方法として、殆どあるいは全く飲食をしない「不食」というものがあります。何も食べなくても生きていられるようになれば、食材を買う、料理する、食べる、後片付けする、といった行為が不要になります。
 不食者が書いた本を何冊か読んだことがあるのですが、それによるとトイレに行く必要もほぼ無くなり、食べ物の消化・吸収で体が疲れることがなくなるため睡眠時間も減るそうです。合計すると毎日の可処分時間は少なくとも5時間以上は増えるのではないかと思います。フルタイムで働いている人は平日の可処分時間が倍以上に増えるようなものだと思います。
 俳優の榎木孝明氏が実践して一時話題になりましたので、参考までに紹介します。

 榎木孝明、30日間食事を取らない“不食”を実践した理由。「人にはすすめませんよ」
 https://post.tv-asahi.co.jp/post-96456/

 また可処分時間が増えるだけでなく、食事に使うお金や労力や時間を別のことに使えるようになるというメリットがあります。もちろん食事そのものにも、おいしいものを食べたり誰かと一緒に食事したりして幸福感を得るといったメリットもありますが、食べることにあまり興味がなく、「食べなくても生きていけるのならそっちの方がいい」と考える人にとっては不食の方がメリットが大きいと思います。

 ごくわずかの不食者を除き、世界中の誰もが毎日何かを食べて生きています。「誰もが不食者になるべきだ」とは全く思わないし反対ですらありますが、誰もが容易かつ安全に不食者になったり、元に戻ったりできる方法が確立されれば、可処分時間を劇的に増やして人生をより充実させ、人々をより幸福にすることに繋がると思います。
 それに食糧危機にも素早く対応できるようになりますし、飢餓から人々を救うこともできます。素人考えですが、人工透析が必要な人が透析をしなくて済むようになるかもしれません。この他にも細かいメリットは沢山あると思います。
 こういう研究にお金を使う価値はあるのではないかと思います。

第13章 最後に


13-1 どうしても理解していただきたいこと

 ここまで様々なことを書いてきましたが、その中でどうしてもこれだけは理解していただきたいと思うことは以下になります。

1.日本は国債発行残高を気にする必要は無く、世界的に見てもデフォルトから非常に遠い国
2.政府の財政と家計は全く違い、政府と日銀の純資産は実質的に∞円であり、税を財源と考えるべきではなく、真の財源はデフレギャップ(供給能力の余力)である
3.PB黒字化目標を堅持すれば、これからも巨大な害悪をもたらし、いずれ日本は亡びる
4.日本円の価値や財政の持続可能性などを支えているのは、結局のところは日本全体の供給能力
5.高圧経済が生産性を向上させて供給能力を高め、実質可処分所得と可処分時間を増やし、国民一人一人を幸福にする
6.必要な財をより多く生産すればより多く分配でき、国民一人一人をより幸福にできる(本来お金は関係ない)
7.政府は営利企業ではない
8.政府にとって大事なのはお金よりも日本全体の供給能力
9.消費税は不必要にあらゆる消費を抑制する為、国民一人一人を不幸にする悪税
10.移民を入れてはいけない
11.マスコミ改革をしなければ民主主義を維持できず、国民は不幸になる

13-2 どうしても必要だと思うこと

 やるべきだと思うことも色々と書いてきましたが、その中でも特に重要だと思うことは以下になります。
 実現可能性が低いものばかりだということは承知していますが、この国を存続させ、国民一人一人を幸福にするには必須のものばかりだと思います。

1.「国の借金」が問題ないことを国民に理解してもらう
2.財政健全化目標の抜本的な変更
3.政策検討者のマインドの転換
4.高圧経済にするためや、国民全員を助けるための給付金の一律給付
5.高圧経済を維持し、実質可処分所得と可処分時間を増やす
6.インボイス制度開始時期の延期と消費税の廃止
7.「技能実習」「特定技能」の在留資格廃止
8.様々な安全保障を高める
9.「事実誤認解消制度」と「重要事実共有制度」の創設
10.「立法陪審員制度」の創設
11.英語の授業時数を激減させる
12.「観光立国」を目指さない

13-3 比較的容易で今すぐにでも必要と思うものは、給付金の一律給付とインボイスの延期

 前節に挙げた項目の中で最も緊急性が高く、しかもすぐに対応でき、他と比べて比較的容易に実行できると思われるのが、4番の給付金の一律給付です。
 現在輸入物価上昇によりあらゆる財の価格が高くなり、多くの国民の生活が苦しくなっています。また企業も価格転嫁を十分にできず、苦しい状況にあります。このままでは廃業が相次ぎ、国民の生活はますます苦しくなります。
 さらに深刻なのは、肥料や飼料の輸入価格高騰により、食糧安全保障を担っている農畜産業も採算が取れなくなって、廃業が相次ぐことが予想されていることです。安全保障に関わる分野で、供給能力があるのに採算が取れないという理由で廃業が相次ぎ、供給能力が毀損されるのは絶対に避けるべきです。農畜産業へお金を配って助けようとすると思いますが、これまでのことを考えると多分金額は不十分だと思います。

 この問題は、「生産しようと思えば生産できるのに、お金の問題で生産されず、結果として分配されない」ということと、「やがて廃業が相次ぎ生産したくても生産できなくなる」という問題です。十分な給付金を一律給付すれば、企業は輸入物価上昇分を全て価格転嫁しても需要が減ることを恐れる必要は無くなり、また国民(消費者)も十分な給付金があれば、消費を減らしたりせずにこれまで通りの消費を行うことができます。つまり無限にあるお金の一部を使うことで、より多くの財が生産されて分配され、供給能力も維持できるということです。現在はみんなで無意味な我慢大会をやっていて、限界を迎えた人から失格→退場となって消えていくだけ、という状況にあります。みんなにお金を配れば、この馬鹿げた状況を終わらせることができます。

 価格転嫁が進むことでインフレ率が上がり、預金価値が目減りする可能性がありますが、なるべくそれを緩和できる金額にすることで、国民の不満はあまり高まらずに済むと思います。
 ちなみに消費税の廃止ならインフレ率をあまり高めずに済みますので、本来ならこちらの方がいいです。また農畜産業へ配るお金を増額したり、預金価値の目減りには別のやり方で対応するなど、個別に様々な対応ができれば、こういうことと合わせて一律給付を実施する方がいいですが、おそらく時間的余裕はあまりないのではないかと思います。一律給付というやり方だけでは不完全だと思いますが、これだけでも多くの国民を助けることができると思いますので、出来るだけ早く実施すべきだと思います。
 そしてこの給付金は、1回限りでは価格転嫁は進まないし、価格転嫁されたとしてもその後消費が冷え込むので、当分の間毎月行う必要があると思います。
 またこれによって円安に拍車がかかり、輸入物価が上昇する可能性がありますが、それもまた給付金の増額で対応できます。しかも円安により外需が増えれば高圧経済になる可能性が高まります。そしてそうなれば日銀が金利を上げても大丈夫になります。
 政府の純資産は実質∞円です。ケチる意味がありませんし、ケチるほど日本の供給能力は毀損され、財政破綻(デフォルト)は近付きます。

 そして次に緊急性が高く、しかもすぐに対応でき、他と比べて比較的容易に実行できると思われるのが、6番のインボイス制度開始時期の延期です。
 この制度は無意味に膨大なコストを発生させ、多くの小規模事業者を廃業に追い込み、日本の供給能力を毀損し、国民を不幸にする愚かな制度です。
 原爆を落として小規模事業者を大量虐殺するようなものだと思います。一体どれだけの廃業や自殺者を生み出すのでしょうか。財務省関係者はこんなことをして平気であるどころか、やりがいや生きがいや達成感を感じているのではないでしょうか。日本政府が国民を不幸にすることに力を入れていることがよくわかる一例だと思います。
 マインドを徹底的に切り替えない限り、これからもこのようなことが続き、いずれ日本が亡びるということが分かると思います。日本の国力が落ちていってるのは「成熟国だから」とか「人口減少国だから」などではありません。国民をいじめ殺して楽しむような政策を20年以上にわたって次から次へと行っているからです。

13-4 これまで通りなら「日本」は消えてなくなります

 一番最初にも書きましたが、「岸田ビジョン」の13ページの「中間層を生み支える政策、社会全体の富の再分配を促す政策が必要です。経済政策は一部の人だけが受益するものであってはならず、まして社会格差を広げる方向に作用するのは絶対に避けなければなりません。」という岸田総理の考えは、私と全く同じですし、多くの国民も同じだと思います(おそらく世界の多くの人も同じ)。これを実現するために必要と思う基本的な考え方や知識、それといくつかのアイデアを示しました。
 私が書いてきたことを理解するには、これまでの常識を非常識とし、逆にこれまでの非常識を常識とすることが必要なので、受け入れ難く、慣れるまで時間がかかると思います。また、これが原因で途中で何度も不快な思いをさせてしまったであろうことを、申し訳なく思っております。しかし、もしここまで読んで下さったのであればご理解いただけたのではないかと思いますが、このままPB黒字化目標を堅持していれば、日本が亡びるのはごく当たり前のことなのです。
 総理は憲法改正に前向きなようですが、その際にPB黒字化を憲法に入れこむことだけはやめてください。

 岸田総理は2021年の自民党総裁選の時に所得倍増を掲げて総裁になりましたが、すぐに言わなくなってしまいました。ひょっとすると元々できるとは思っていなかったのかもしれません。しかし高圧経済を維持すれば、10年もかからずに多くの国民の所得を倍増させることは、理論的には全然難しくないことだと理解していただけたのではないかと思います。
 また、真の財源はデフレギャップ(供給能力の余力)だと理解すれば、PB黒字化に気持ちが囚われていた時と比べて、「岸田ビジョン」に書かれた様々な政策の実現も、かなり容易になることを理解していただけたと思います。
 また、移民を入れて人手不足を解消すれば、分厚い中間層など作れないし、成長と分配の好循環も生まれないし、移民問題を引き起こして民主主義の維持を困難にさせて国民を不幸にすることも理解していただけたと思います。

 私がこれまで語ってきたことの中で最も重要な部分を、ものすごく簡単にまとめると以下のようになります。

 日本政府は世界でも数少ないお金の心配をする必要が無い政府。そしてお金を使って日本の供給能力をフルに発揮して、必要な財(人々の幸福に資する財)をより多く生産して分配すれば国民一人一人をより幸福にでき、しかも供給能力がさらに高まり国は発展する。逆に供給能力をあまり発揮させなければ逆のことが起きる(これが今の日本)。

 もし、「PB黒字化目標を堅持しなければ大変なことになる」といった考えがまだ残っているのであれば、5-10節で取り上げた事件(5歳男児の餓死事件)での母親のポジションにいるのではないかと、ご自身を疑ってください。

 もし、現実を直視することでPB黒字化など目指してはならないと理解されたのであれば、積極財政に転換してください。そのための口実はあります。それは骨太の方針2022の最後に「令和5年度予算において、本方針及び骨太方針 2021 に基づき、経済・財政一体改革を着実に推進する。ただし、重要な政策の選択肢をせばめることがあってはならない。」との記載があることと、安倍元総理が亡くなられた際に、岸田総理が「思いを引き継ぐ」とコメントしたことです。積極財政を訴えていた安倍元総理は、骨太の方針に「ただし、重要な政策の選択肢をせばめることがあってはならない。」という一文を付け加えたことに対して「我々の勝利だ」と語っていたそうです。その理由は「重要な政策」であればPB黒字化目標に縛られないからだと思います。

 もし、PB黒字化など目指してはならないと理解したにもかかわらず、方針転換ができないのであれば、積極財政派の人達に経済財政政策を任せてください。それも無理ならば総理を辞めてください。世界は大きく変わり始めています。これまで通りのやり方でやっていれば、確実に悪い意味で歴史に名を残すことになると思います。

 正直言って今の日本は滅茶苦茶です。
 変動相場制で自国通貨建て国債しか発行していないのにPB黒字化目標を堅持したり、外貨を稼ぐことに力を入れたり、外国企業の誘致に力を入れたり、「観光立国」を掲げたり、英語教育に異常に力を入れたり、移民受け入れに熱心だったりと、自国を発展途上国と勘違いしている、あるいは外国の植民地にしようとしている、または衰退させ亡ぼそうとしているとしか思えません。
 政治家と違って何ら責任を取ることがない財務官僚や様々な有識者会議の人達(もちろん全員ではありませんが)は、相変わらず国を亡ぼす財政再建ごっこや構造改革ごっこをして、原爆何発分もの被害を与え続けています。この狂ったことを20年以上続けています。もうこの国にはそんなことをしている余裕はありません。

 「岸田ビジョン」に以下の記述があります。
 「最も大切にしていることは、「いま、国民が求めているものは何か」を問い続ける徹底した現実主義です。」219ページ
 「私たちの未来には、想像を絶する激動と国難が待ち受けています。そのような時期だからこそ、徹底した現実主義とバランス感覚が強く求められます。それは、国民の協力なくしては実現できません。そして政治に対する信頼の回復無くして国民に協力を求めることはできません。」250ページ

 現実から目を背け、財政均衡主義を絶対のものとし、歳出削減と増税しか頭になく、そのためなら平気で人を騙す財務省は、カルト宗教とそっくりです。はっきり言って日本と日本人にとって敵でしかありません。緊縮財政によって軍事バランスが崩れて大戦争が起これば、人類の敵だとも言えます。
 安倍派に多くいる積極財政派の議員達を味方につけるなどして、積極財政に転換するべきです。

 旧統一教会問題や閣僚の不祥事などにより支持率が低下し、現在は大変厳しい状況にあると思います。しかしここを何とか乗り越え、現実主義に基づき、国民一人一人を幸福にするための政策が行われることを、切に願っています。

 岸田総理宛ということで文章を書きましたが、無名の素人が書いた長文を、大変な激務である総理大臣が目を通す可能性など無いことはわかっています。
 ただ、現実主義を大切にし、短期間とはいえ所得倍増・新自由主義からの転換を掲げた総理が、ありもしない財政破綻を恐れ、日本にとって害悪でしかない考えを正しいことだと信じ、無駄に国民を苦しめ、無自覚に現実の脅威を高めて国を亡ぼそうとしているのを、何もせずただ見ているだけ、ということができませんでした。
 もし事務所のスタッフの方に最後まで読んでいただけて、そして国民一人一人の幸福につながるような行動を起こしていただければ幸いです。
 ちなみに、必要であれば他の誰かにこの投稿を見せていただいても構いません。

 それでは失礼いたします。

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