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納品の度に息苦しくなっていた昔のわたしに贈る言葉

昔の、10年位前の東京で仕事に溺れていた自分にひとこと言うならば…「背負い過ぎ!」

自営業の場合、価値と対価という本来無機質な関係に、自信と罪悪感という湿っぽい感情が絡んでくるように思う。そもそも報酬を頂くのに、罪悪感など必要ないはずなのだけれども、自己評価が低いとそうはいかない。

報酬を頂く以上は、自信を持ったサービスを提供するのが義務だと信じ、自信がないけど、それをやり切ろうとするから精神的苦悩がつきまとう。

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そして『自信があります顔』を取り繕う為には、それなりの鎧が必要になる。
その当時のわたしの鎧は、「先方の期待以上」を提供するというやり方だった。思ったより良い、思ったより親切、思ったより深堀り、思ったより沢山とか。

価値と対価のシーソーがイコールじゃなくて、与える価値がたっぷり多くなきゃ、安心出来なかった。しかも価値を決めるのは受け手側なのに、それを想像して、それ以上を設定したいのだから、どこまでいっても心配だ。

期待以上じゃないと、次の仕事がこないかもとか、社長や会社の評判、会社と社員の生活の維持、果てには、我が社を選んでくれた先方の担当者の、あちらの社内での評価にまで思いを馳せた。

背負い過ぎ、しかもネガティブぐるぐる。
そりゃ、息苦しくもなる筈だ。

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今思うと、責任という大名目をかかげ、他人の領域を侵略していた。みんながそれぞれのミッションを生きている。それぞれの人に、何かに責任を持ったり、何かを学んだり、決断したりするタイミングがある。だから他人の領域に立ち入る必要はない。別の見方をすると、ひとの領域を侵すのは図々しい。

仕事の依頼をもらったならば、予定した成果を出す為に全力を尽くせば良い。こちらの領域は約束を果たすところまでだ。仕事の出来栄えの評価は、すでに自分の領域を離れたところにある。

その仕事を我が社やわたしに任せるという選択をした人、共に働いてくれることを選んでくれた人、『それらの人々の選択』を尊重したならば、自動的に『選ばれた自分』に自信を持てるはず。あの頃それが出来ていたならば、仕事はもっと精神的に楽で楽しかったはずだ。

タンゴのダンスフロアではカベセオ(目配せ)をし合い、踊るのは双方の合意のもと。
「ミロンガでは自信を持って踊れ!誘われた時点でお前はすでに選ばれているのだから。」と、わたしのタンゴの父リカルド先生に、よく言われたものだ。あの頃は、この言葉の人生にも通じる共通点に気付けなかったなぁ。

自分と他人との領域を見極めることを覚えた今は、なんと楽なことか。
前職と現職セラピストは全然ちがうけれど、いずれにしても、他人のそれぞれのミッションを尊重する。自分がやるべき事に全力を尽くす。それだけ。



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