文字の「型破り」と「型崩れ」

今回は、文字の「型破り」と「形崩れ」についてご紹介したいと思います。

武道やスポーツなどで、よく「型破り」という言葉を聞くことがあると思います。


1. 文字の「型破り」と「型崩れ」

 「型破り」という言葉を辞書で調べると『一般的、常識的な型や方法にはまらないこと。また、そのようなやり方であるさま。「型破りな新人」「型破りの祝辞」』という説明が記載されています。

 「常識的な型や方法にはまらない」ということは、一見とても素晴らしいことのように見えますが、部活動や勉強、習い事などを通して、基礎がとても大切だということは多くの人が認識しているのではないでしょうか。

 例えばスポーツだと、基礎を疎かにするとコーチに必ず指摘をされると思いますし、強い選手、強いチームほど基礎を徹底的に練習していますよね。基礎で地盤をしっかりと固めた上で、応用を身につけていく。

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井上雄彦, スラムダンク 第1巻, 195ページ、第16巻, 49ページより

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井上雄彦, スラムダンク

 文字についても、ご多分に漏れず同じことが言えます。しかし、巷で見かける文字の大半が基礎の”き”の字も理解していない文字が、なんと多いことか・・・

インスタでも型を崩してカッコよく見せている文字をよく見かけますが、「とめ」「はね」「はらい」や、「線の滑らかさ」「太さ」「墨の掠れ具合」などの基礎がグチャグチャな文字が非常に多いです。


つまり、型破りではなく、”ただ型が崩れているだけ”

創作文字を書くのは良いと思いますが、もっと基礎を勉強してから書いて欲しいな、と感じます。


 スポーツの場合は、基礎ができていないと「試合で負ける」という明確な優劣がつきますが、書道は、個人技であり、芸術であるため客観的な評価が非常に難しいです。

客観的な優劣が付きにくいがゆえ、書いた本人が「良い文字だ!!」と思ったら、それが覆ることはなかなかないですし、それを見て評価する周りの人たちも悪く言うと素人なので、基礎ができていないとは中々感じにくいと思います。また、微妙だなと思っても、「私が詳しく知らないだけで、多分こんなもんなんだろう」と思って、意見をすることはほとんどないと思います。


 かく言う私も、文字のことに関しては偉そうに言っていますが、スポーツを見たり、音楽を聞いていても、それが素人レベルなのか、プロレベルなのか、なんて判断は全くできません。


今回の記事で私が伝えたかったことは、皆さんが気づかないだけで、巷には型崩れの”なんちゃって文字”がたくさん溢れかえっているということを知って欲しかった、ということです。これは、結構重要な問題だと思っています。


2. 日本の文字は、世界に誇れるほどの歴史があり、ものすごく洗練されたもの

近年では文字を書く頻度が少なくなってきましたが、文字が私たちの身近にあるものに変わりはありません。私たちは、そんな素晴らしい文化を持っているのにも関わらず、その素晴らしさを微塵も感じさせないものばかりが周りに溢れかえってしまっています。

これはつまり

素晴らしさを感じさせない文字が使われる = 採用する人に見る目がない

素晴らしさを感じさせない文字で溢れかえっている = 見る目のない人が多い

見る目のない人が多い = 日本教育では感性を磨くことを重要視されていない


ということになると思います。

感性を磨くことを重要視していない日本の教育はに対しては、とても問題意識を持っています。「自分は何をしている時に幸せだと感じるのか」という感覚を鈍らせるので、組織や社会にとって都合の良いように扱われてしまいます。教育環境が昔からあまり変わらない原因は、そういう人がたくさんいる方が、コントロールする側は楽だからです。


3. 良い文字と、ビジネスとの関わりについて

 コロナ禍で、インバウンド需要は激減していますが、落ち着いたらおそらくある程度は復活すると思います。

「金さえ儲けられればそれで良い」「外国人は、文字の良し悪しなんてわかるはずないんだから」って考えの人も中にはいて、墨でそれっぽい文字をTシャツに書いて販売しているお店を京都でよく見かけます。


 質の低い文字が巷に溢れかえることについて、短期的に、ミクロの視点で見たら、別に大きな影響はないのかもしれませんが、長期的に、マクロな視点で見たらじわじわ影響が出てくるんじゃないのでは?と考えています。日本が好きな外国人は、たくさん日本のことを勉強しますし、日本を訪れる頻度が増えると目や感覚が肥えてきますので、おそらくどこかで見破られます。


仮に見破られなかったとしても、勉強する教材や、訪れた先で目にする文字が大したことなければ、それが海外の人にとってのスタンダードになってしまうので、それは避けたいな、とすごく思います。(半分、私の感情論です)


私のこの問題意識に対して、「うちの会社には関係ない」と思う経営者がいたら、私はその人の感性を疑います。


 社会人(ビジネスマン)として、とてつもなく未熟な私ですが、すごい経営者は共通して、些細なことにも気を配り、期待値を上回る商品やサービスを提供して、相手にどれだけ喜んでもらえるかを徹底して追求している、ということを知っています。

先にも述べたように、日本の文字は、世界に誇れる文化です。日本語を勉強している外国人もたくさんいます。日本文化を高い質で、深く触れてもらうことで、大きな感動体験をしてもらうことができれば、その分だけ根強いファンになってくれるはずです。日本の根強いファンがたくさんいるということは、日本の経済にとても良いことだというのは、誰でもわかることです。


文字は汎用性が高く、「お店のロゴ」「商品説明」「デザイン」などに反映することができるので、どんな製品であっても応用できると思います。


「日本に対するファン」「製品に対するファン」どちらにせよ、根強いファンを作れる可能性があるのに、「うちの会社には関係ない」と一蹴することは、「うちの会社はファン作りに手を抜いています」と言っていることとイコールだと思います。逆に、こういう細かいところも重要だと考え、徹底して拘っている経営者はすごい結果を出しているんだろうな、と思います。


 巷に溢れている文字の多くが型崩れしていて、レベルの低いものばかりなので、もっと良い文字で溢れかえって欲しい、というのは私の感情での話です。しかし、ビジネスのチャンスにも繋がるという文脈で見てみると、関心を持ってくれる人が少しだけ増えるんじゃないか?という期待を込めて文章を書きました。興味を持ってくれる人が少しでも増えると嬉しいです。#

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