理性的なコミュニケーションで"良い人"になる

僕が今まで気づき、心掛け、実行できるよう努力していることを言語化するための記事です。

「相手の立場や気持ちになって考えろ。」

よく耳にする言葉です。
でも、具体的にどうすればいいかを説明してくれる人は少ないですよね。この記事はこういった抽象的な言葉を少しずつ具体的にしたいという思いで書きはじめました。
つまるところ自分のための備忘録であり情報整理、僕にとっての解の一部ということです。
なので、人によっては納得できなかったり、逆効果になる場合もあります。しかし、これが役に立つ人もいるはずです。
理性的なコミュニケーションとは、言い換えれば感情が少なく合理的であり打算的、冷たい印象を感じるかもしれません。
こんなことしてまで・・・と思う人もいると思います。
それでも、これが自然にできるようになれば、それは個性と混ざり、ただの打算的な思考から自然なコミュニケーションへと変化すると思います。

ありがとうをたくさん言う

ありがとうで嫌な気持ちになる人は少ない。

何かしてもらって嬉しい時は、「ありがとう」を言う。
「ごめんなさい」や「すみません」の代わりに「ありがとう」。
センシティブな人にとって、申し訳ないという気持ちは自責の念にも繋がるので、感謝に変換すると軽くなる。
自分のためにも「ありがとう」を増やす。

合わない人がいても嫌いと考えない

嫌いな人が少ない人になる。

「嫌い」ではなく、「好きじゃない」と考えてみる。
嫌いな人が少なく、好きな人と、好きじゃない人しかいない世界は居心地が良い。
考え方次第で「嫌いな人」とのコミュニケーションが減るということ。
本当に合わないなら、そんな人に「嫌い」なんて感情を抱くことすら無駄なので、それ以上に好きな人に心理的エネルギーを注ぐべき。

不用意に詮索をしない

知りたいは自己中心的。

自分がその情報をなぜ知りたいのかを先に考える。
そして、その情報は聞き出すのではなく、相手が自分から話したいと思わない限り、聞けないものだと思って折り合いを最初からつけておく。
どうしても知りたい場合は、相手に話さなくて良いと言う選択肢を必ず与える。

笑えない身の上話をしない

ネガティブな経験をただネガティブな事柄として話すことに意味はない。

相手のことを知りたい、自分を知ってもらいたいという感情から、自分の話をすることがある。そこで相手が笑えない話をしない。
もちろん、相手が知りたいなら話して良いけれど、相手の想像を超える重い話は様子を見て話す。

自分にとって面白いと思う自虐が、他人にとって面白いとは限らないのは当然の話。苦笑いをされるくらいなら話すか迷う姿を見せるのすらやめる。長い付き合いでもなければ、わざわざ笑えない話を聞きたい物好きなんてそうはいない。
ネガティブな経験はジョークとして相手が素直に笑えるようすべきだし、ジョークにできない様な経験はそもそも話すべきではない。

「ウソ!?」ではなく「ホント!?」と言う

共感してくれる人になる。

これは本当に効果的。これだけで印象が良くなる可能性を秘めている。
なにかポジティブな話に驚いた時、「ウソ!?」と言わず「ホント!?」と言うだけ。
伝えたい内容は変わらないし、「ウソ!?」と言う驚きが真に疑っているわけではないと言うのは、大抵の人にはわかるはず。ただ、「ホント!?」という言葉には喜びを分かち合う気持ちが含まれていて、これが相手に伝わる可能性を秘めている。

"驚きを見せる(期待通りの反応)"を0とした場合の評価を考える。
ウソと言った場合起こり得ること
・内容が嘘であった -> 何もない(0), 相手のジョークを潰す (-1)
・内容が本当であった -> ウソ!?と言う疑いを真に受けない(0), 真に受ける (-1)

ホントと言った場合に起こり得ること
・内容が嘘であった -> 何もない(0), 相手のジョークを生かす (+1)
・内容が本当であった -> 何もない(0), 共感に気づいた(+1)

幼い頃、母から「驚くときウソというな。」と叱られたが、大人になってからこの真意に気づいた。

相手の意見にはまず同意する

肯定は会話を広げ、否定は会話を閉ざす。

まず、「なるほど」と言ってみる。「あ〜」とか「わかるー」なんでもいい。とりあえず同意する。
コミュ障は「いや」とか「でも」で会話を始めると揶揄される。
残念ながら、これはかなり的を射ている。
相手が話していることをまず受け入れる。反論があっても自分の意見は後回しにして、相手に同調を示すことを最優先にする。

極端な例を言えば、
「山行きたいな〜」
に対して
「いや、海の方が良いなー山登る体力ないなー。」
より、
「わかる!山良いよねーあの空気感が好きすぎる。けど、今山登ったら多分体力なくて途中で死ぬから、海も行きたいなー。」
みたいな方がいい。

海""ということで同列で会話していることを意識させ、海の話題も広がるようにする。
また、「けど、」の前に相手が「だよね!」のように話を繋いできたら、一旦自分の意見は押し殺して相手への同調を続けるようにすると良い。

人の好きなものを否定しない

その人の好きなものは、あなたの嫌いなものではない。

せっかく相手が好きなものを教えてくれたのに、それをわざわざ否定する必要はない。
なぜ嫌いかを説明するのではなく、なぜ好きなのかを聞きだしたほうが良い。
どうしても否定したかったら、議論という形に持ち込み、感情論を排除して論理的な会話を行う。

相手がわからないハイコンテクストな話をしない

自分の知っていることを相手が知っているとは限らない。

例えば、シューティングゲームをプレイしていて強い拳銃を見つけたとする。

この時に、
「重力子放射線射出装置かよw」
「東亜重工製だこれ!」
なんて言わない。
「ウィングマンじゃん!」
「50BMG入ってる?」
とかも言わない。

共通知識がない相手からの返答は「えっ?」でしかない。
相手が弐瓶勉ファンだったり、Apexプレイヤーなり、銃オタクであるなら効果的だけれど、そうでもないなら言わない方が良い。
「弐瓶勉のBLAME!って漫画に出てくるめちゃくちゃ強い銃があって、なんでも貫通するハンドガンなんだよね。」なんて説明しても「へ〜」にしかならない。この先は絶望。

相手が知らず興味のない話を、嫌味なく且つ面白く説明するのは本当に難しい。解説を面白くできる自信がないなら無難な事を言った方が良い。
「この銃強すぎでしょ!これ多分銃刀法違反だよ。」
なんて言った方がよっぽど面白い。

知ったかぶりをしない

知らないことを知らないと言える人は知的に見える。

ソクラテスの「無知の知」とはよく言ったもの。
知っているフリは、本当に知っている人にすぐバレる。
話相手がそれを知らず関心されても、いつか真実を知った時、それが口から出まかせだったとバレてしまう。
知ったかぶりにはデメリットしかない。

以前こんなことがあった。

18歳でLinux OS(WindowsやmacOSのようなパソコンのOS)を使っているとても変わった子と出会った。
僕は仕事でいくつかLinux OSを触っていたので、その子の話がとても面白かった。
あるソフトウェアはどういった経緯で開発されたとか、この機能は海外でこういう議論があった。とか、僕が全然知らない知識をたくさん教えてくれる。
僕もその子が知らないような仕事で陥ったトラブルや、開発でよく使うOSの話で盛り上がった。なぜならその子は知らないことを知らないとはっきり言える子だったから。
そこに20代くらいの男性が会話に入ってきた。Linuxを知っているようで、色々話をしてくれる。
僕たちの話す内容に話を合わせてきた上、僕の話にも少年の話にも合わせてくるので、「この人は色々知ってるのか!」と思い、わかりそうな話題を振るが明らかに会話が成り立たなかった。
その男性は無理矢理会話を合わせようと知ったかぶりをしていた。
中途半端な知識をさも知っているかのように語るため、徐々にどこまで話を振って良いのかわからなくなってしまった。
僕も少年もとても困った。
僕の目には不安定な知識を無理矢理ねじ込む20代の男性より、「知らない」「知ってる」がはっきりしている18歳の少年の方が何十倍も知的に見えた。
もしこの男性が、知らないことを知らないとはっきり言ってくれたら、きっともっと楽しく会話ができただろうと思う。

「知らない」「教えて」と言ってくれる人の方が、会話をしたくなる。
知らないことは恥ずかしいことではない。
相手が自分より知っていると思ったら、無理に同じ土俵に立とうとしなくて良い。どうせ立てないから。それより上手く引っ張り上げてもらう。

第三者に対する批判的を意見を言わない

批判は不信を植え付ける。

要するに陰口をいうな。ということ。
個人を標的とした批判をよく言ってくる人が、あなたが居ないところで、あなたのことを悪く言ってるんじゃないか?と思ったことがあると思う。

例えば、あなたに対し
「Aさんは〜なとこがよくないよね。〜なとこもたまにイラっとこない?w」
というような話をしてくる人がいる。当然その会話にAさんはいない。
では、この人がAさんと会話している時、あなたのことを悪く言っていない保証はあるだろうか?信頼できるだろうか?
少なくとも僕はこの人を信用することは難しい。
考えすぎと一蹴されるかもしれないけれど、この小さな疑念はだんだんと大きくなっていく。

批判をしたければ本人に伝えるべきだし、批判をすることで得られる満足感は自分本意なものにしかならない。

個人に対する好意的を意見を言いまくる

賞賛は信頼の種を蒔く。

これは本当に本当に効果的。そして非常に簡単。
話相手も第三者の友達も、とにかく褒める。
すると一つ上で書いたことの正反対のことが起きる。

例えば、あなたがAさんと会話していたとする。
あなたは
「Cさんは絵がうまくて、すごい努力してる。本当に尊敬してる。」
「Gさんは可愛くて、めちゃモテてる。あんなふうになりたい。」
とか。もっとシンプルに
「Fさんはホントいい人だよ。」
「Nさん色々知っててすごい。」
みたいな話をする。
Aさんがこれらの人を心底嫌いでもない限り、大抵不快に思うことはない。そしてAさんは考える。
「もしかしてこの人は、自分がいないところで自分のことを褒めてくれてるんじゃないか?」
あなたはこれを真実にする。
FさんにもGさんにもNさんにも、Aさんの良いところを話す。
いつかこれがAさんの耳に入るかもしれない
N「そう言えば、(あなた)さんがAさんのことめっちゃ褒めてたよ。」
この時、Aさんに蒔いた信頼の種が芽吹くことになる。

純粋な気持ちで人のいいところを見つけ、それを純粋に褒めるのはとてもいいこと。これが自然にできると、多くの人から信頼される人になれる。
人のいいところを見つけ、好きな人を増やすこともできる。

相手が求めていないことまでしない

小さな親切大きなお世話。

人を助けることはいいことだが、助けを求めていない人を無理矢理助けるのは自己中心的で、恩着せがましい行為に他ならない。
何かしてあげたいならすればいい。ただし、相手が必要とした時に提供できるようにするだけに留めておく。最初から捨てる覚悟で行う。
これに関しては自分もたまにあるので自戒。
「小さな親切大きなお世話。」
中学生の頃そろばん教室のおじいちゃん先生が、何でもかんでも助けようとしたり、教えようとしたりする僕にさらっと言い放った一言。
言われた時は少し納得いかず、恥をかかされたような気持ちになったが、すぐに意味がわかった。
ずっと心に残っている良い言葉。

話すのではなく、会話をする

演説が聞きたいわけじゃない。

会話はよくキャッチボールを例えに説明されることが多いけれど、僕にとって会話は編み物と考えている。ただのやりとりではなく、お互いの情報をお互いのタイミングをもって編み込んでいくのが会話だと思う。

経験上、この人はよく話すけど会話が下手だな。と感じる人の共通点は、
・相手の話をすぐに自分の話に切り替えてしまう。
・問いかけが少なく、自分が喋りたいがための問いかけを利用する。

例えば、
A「東京雪降ったね。全然積もらなかったけど。」
B「そうですねー。地元の新潟は雪がすごくて冬大変なんですよ。新潟の人は車に雪かきの道具積んでるのが普通ですね。」
A「へ〜知らなかった。大変ですね。」
のように、相手の話をすぐに自分の話に切り替えてしまう。

また、
A「東京雪降ったね。全然積もらなかったけど。」
B「東京の人って車の雪の備えってどうしてますか?」
A「東京だと何もしてないかな。毎年交通麻痺起こってるのに学んでないよねー」
B「へー新潟は雪がすごくて〜」
のように、自分の話がしたいために質問に対する解答を投げ捨ててしまう。
後者は結構見かける印象がある。

理想を言えば
A「東京雪降ったね。全然積もらなかったけど。」
B「毎年こんな感じなんですか?」
A「ですね。でも今年は去年より降ったかも。」
B「へ〜僕新潟出身なんですけど、逆に新鮮です。車の雪の備えってどうしてるんですか?」
A「東京だと何もしてないかな。毎年交通麻痺起こってるのに学んでないよねー」
B「あー確かに、なんだかんだ毎年ニュースになってますよね。数センチでも大パニックみたいな」
A「新潟ってどうなんですか?」
B「めっちゃ積もるんで冗談抜きでみんな車に雪かき道具つんでるんですよ。やばくないですか?w」
のように、全て一度に話さずお互いに持っている情報を使って少しずつ、必要な箇所に編み込んでいく感覚。

正直これは難しい・・・。
僕も頑張ってるけど話しすぎてしまう。
話しすぎてしまったら、
「やば、自分のことばかり言ってました。〜さんはどうなんですか?」
ととりあえず自分の話はぶった斬る。
相手が優しければ、
「そんなことないですよ。」「おもしろかったですよ。」
と言ってくれるが、ここで調子に乗らない。(自戒)

詭弁を知り、使わない

詭弁は人を陥れる卑劣な行為。

誤謬と詭弁という言葉がある。
誤謬とは間違った論理で物事を語ることで、詭弁とはこの誤謬をわざと使い人を言いくるめる行為。

例えば、

「Aさんはいつも善いことをするから悪い人じゃない。けど、Bさんは善いことをしないから悪い人だと思う。」
「Aさんが悪いことしてないとは限らないじゃん。」

のような会話。

多分わかったと思うが、この会話には大きな間違いがある。
まず、Bさんが善行をしていないからといって悪人とは限らないこと。
Bさんが善行をする人でないという事から述べられる論理は「Bさんは善行をする人ではない」ということで、それ以上でも以下でもない。
また、これに対する反論として、Aさんが悪いことをしていないとは限らないという、証明不可能な仮説で反論することも間違い。

語るべきは現在わかっている事実からのみで、証明不可能な仮説から生まれる議論には意味がない。
このような論調を無意識におこなってしまうのが「誤謬」、意図して行うのが「詭弁」となる。

悲しいことに、TwitterのようなSNSではこれらをよく見かける。
自分でも無意識に論理を組み立ててしまい話すこともある。人間の性かもしれない。
そんな時はすぐに「今のは詭弁だった」と付け加えるようにしている。
詭弁の種類を知っていれば、軌道修正して正しい論理に近づけることができる。

詭弁には多くの種類があるが、会話で好ましくないのを以下に抜粋。

前件否定の虚偽

XであればYという定義に対し、Xを否定することでYをも否定すること
A「自分がされて嫌なことは、人にすべきではない」
B「じゃあ自分がされて嫌でなければ、人にしても良いってこと?」
という論法

後件肯定の虚偽

XであればYという定義に対し、YであればXであると言うこと
A「お金を持っている人はいいパソコンを持っている。」
B「つまり、いいパソコンを持っている人は、お金を持っているということ?」
と言う論法。
もしかしたらいいパソコンを買った人は、パソコンを買ったためにお金がないかもしれない。

早まった一般化

一部だけを見て、それを全体に当てはめること。
「今まで会った男の人はみんな私にひどいことをした。だから男はひどい奴しかいない。」
「ネットで見るヴィーガンは過激なことをして人に迷惑をかけている。だからヴィーガンはみんな悪いやつだ。」
というような論法。
優しい男の人もいるし、穏健派なヴィーガンももちろんいる。
これはSNSでよく見かける。
一部のインフルエンサーなどが何かしらの悪事を大々的に取り上げた時など、この詭弁に扇動されている人が多い。

未知論証

「地球上に宇宙人がいない証明はできないから、地球上に宇宙人はいる。」
という具合で、証明されないこと理由に物事を肯定する行為。
先程の、
「Aさんが悪いことをしていないことは証明できないから、Aさんは善い人でない」
というような論法
これもTwitterのトレンドトピックのリプ欄などででよく見かける。

論点のすりかえ

「日本では女性の月間平均賃金が低く不平等が存在する。日本では女性の権利が守られていないから、改善すべき。」
という論に対し、
「そんなに日本が嫌なら海外行けばいいじゃん。」
というような論法。
本来主張していることに対して、全く別の論点を持ってきて意見を述べる。
先の例では、日本における女性の権利を改善したいという話をしているのに対し、アメリカやドイツなどの収入格差が日本より低い国への移住を呈すのは論点がずれている。

対人論証

ある意見をその発信者を理由に否定すること。
A「子供のために、いろんな本を買った方がいい。」
B「Aは過去に犯罪を犯したことがあるから、Aの意見は間違っている。」
というような、Aの論じた内容をAが発言したということを理由に否定する。Aと論は切り分けて考えるべき。

連座の誤謬

ある自分の好きではない人が行った行為があった際、その行為を行った第三者をも否定する行為。
「Aという作家がいるが、その人の考え方は間違っていると思う。だからAの作品を読む人は間違っている。」
と言う論法。
最近のキャンセルカルチャーでよく見かける。

ストローマン論法

他者の発言内容を自分の都合の良いように改変し、それを相手の発言として論じる方法。
これは本気で嫌われる。嫌いな人が少ない僕でも、この論法で人を攻撃する人間は大嫌いだし、できることなら関わりたくない。
例えば、
A「雨は嫌いだなー」
B「雨が降らないと困る地域もあるんだ。Aは雨なんか降らない方がいいと言うが、そんなことあっていいわけない。」
とか
A「外国人はちょっと怖い」
B「そんな差別的な考えはしちゃいけない。外国人が日本に来てはいけない理由なんてないし、そんな矮小な考えだとグローバル社会で生きていけない。」
と言うように、要は「誰もそこまで言ってないだろ」という論法をぶつける方法。
Aはただ個人の感想を言っているのに、Bがその意見をすり替え、まるでAが発言したかのように仕立て上げた上で反論する。


まとめ

とりあえず、今思いつくものを書いてみました。
言語化できなくて書いていないものもあります。
最後の方は堅苦しい話になってしまいましたが、なんとなく流し見していただけていれば幸いです。

コミュニケーションというのは楽しんで行うべきものです。
しかしそれは、自分だけが楽しむという意味だけではなく、相手を楽しませるものでもあると考えています。
"良い人"というのは自己評価でなれず、他人に評価してもらって初めてなれます。やはりそのためには他人のことを考え続けるしかありません。

ここに書いた内容だけでも、全て実践するのは難しいです。
僕もいくつも抜けてしまい、今の会話はよくなかった。と反省することが多々あります。

なので、とりあえず簡単にできるものを最後に書いておきます。

・ありがとうをたくさん言う
・「ウソ!?」ではなく「ホント!?」と言う
・相手の意見にはまず同意する
・個人に対する好意的を意見を言いまくる

これだけで、"良い人"と評価してもらえる可能性がグッと上がります。
〜をしない。というのは難しいので、〜をする。から始めるのがオススメです。


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