団地の遊び 集会所

集会所

 コの字型をした建物が集会所だった。 
 集会所というものの用途が、子供の頃はわからなかった。とりあえず団地の真ん中へんにある、トイレがあって便利だ、人の気配をあまり感じない、だいたいそんな風にしか、思っていなかった。
 集会所の外では、子供の頃から、遊んでいたが、中に入ったことはなかった。ハッキリした記憶はないが、確実に、集会所の部屋に入ったのは、友人の兄が死んだ時のような気がする。それは二十三才の時になる。
 集会所は団地の人が死んだときの葬儀場になるのだった。
 これは、後年、思ったことだが、集会所で葬式をやると、なかなか厄介なところがあった。
 ーーー○○家葬儀式場ーーー
 そんなモノが、集会所の前に立てかけられてしまう。団地中央の、イヤでも目立つ場所である。
 つまり、知らなかった、では済まされなくなるのだ。死んだことをハッキリ知ってしまうわけで、そうなると、葬式に行かねばならない。
 中途半端な知り合いとかだと、実際どうしようか、ということになる。
 緊急連絡網のように、何年も話してない奴から電話がかかってきて、「あの葬式、○○君だよね」と聞かれ確認をとるために、夜中なのに電話をかけたり、かかってきたり、ということがある。
 宗教的な問題で、行かなくていい、と言われたときは、普通とどう違う葬式をするんだ?と逆に興味を持ったぐらいである。
 よって個人的には、集会所の中は、葬式という感じになる。
 あと、家賃が払えるということも
大人になってから知った。人の気配が全然感じられない建物の中に、人がちゃんといて家賃を受け取っている、そんなことを二十ニ、三才の頃、やっと知った。
 しかし、それ以外の具体的な仕事は知らない。たくさん人が住んでる団地だから、いろいろあるのだろうと、理屈では分かるのだが、人がいて、何をしてるのだ?そんなことをいまだに思ったりする。自分がバカなんだろう。
 集会所というと、やはり、子供の頃、屋根に登ったことが、一番印象的てある。一回ではなく、何回も登った。見つかると、ものすごく怒られる、と聞いたが、一度もバレたことは、記憶する限りない。
 コの字型の建物の真ん中は、中庭みたいになっている。コンクリートである。そこで、ローラースケートをしたのは、印象的だが、とりあえず屋根の話をする。 
 コンクリートの中庭の端っこのほうに、ぬり壁みたいな用途不明の壁がある。ウラに回ると一メートルも離れていない所に金網があり、つまり集会所の敷地の柵である。
 その、謎の壁は、カンタンに登れた。よって登った。すると、手を伸ばせば屋根に届いた。屋根の縁を掴む。この時、壁から足が離れブラ下がった状態になる。 
 とはいえ、メッチャ高いわけではなく、まあ、落ちたら場合によっては挫くぐらい、といえた。
 腕力だけで、屋根に這い上がる。自分の体を持ち上げられないヤツは、登れない。たまにそういう奴がいた。
 屋根は、平坦で、真ん中に溝みたいのがあった。黒く、歩くとミシミシ音がした。コの字型の建物なので、屋根もコの字で、よって歩いていると、行き止まりになり、また戻ることになる。たいして面白くはない。
 それよりも、屋根の端っこから、それ程ジャンプすることもなく、幼稚園の屋根に乗れた。コッチは急な坂になっていて、そこを下って一階に降りるほうが、はるかにおもしろかった。
 ところが、歩くと足音ですぐにバレて、すると幼稚園の先生が、メチャクチャ怒って出てくる。
 たいがいこういった場合は、走って逃げる。逃げるのは得意だった。
 しかし、この日はなぜか立ち止まり捕まった。なぜなのか、確実に思い出せない。多分、一緒にいたヤツがトロい奴だったせいだと思う。要するに一人で逃げることはできたのだが、敢えて付き合った気がする。
 幼稚園の中に連れて行かれ、つまらない説教を聞く。
 集会所の屋根だけではなく、ストアの屋根にも登れそうだったし、郵便局の屋根も行けそうだし、要するに、その気になれば、どこでも登れそうであった。
 しかし、やらなかった訳は、すぐバレそうな屋根だったからである。
 集会所の屋根はたいして面白くないと言いつつも、何度も登っている。なぜなのか、昔も今もわからない。
 最近、集会所は昔と違い、建て増しで大きくなり、居酒屋や将棋、碁、そんな所になってるそうだ。
 昭和と違い、活気ある集会所になっている令和の世であった。

#創作大賞2023
#エッセイ部門





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