電車の線路 最近、鉄道関係のことで、いろいろ問題が起きてるが、今回の話は、あくまでも昭和の時代の事なので。 子供の頃、電車が、ストライキで全線停まったことが、記憶する限り三回あった。 で、どうするかというと、線路を歩くのである。滅多に歩けるものではない。 これは、すさまじく楽しかった。とことんおもしろかった。線路の上を歩けるのである。 線路の上は、歩きにくい。まず、当たり前だが、線路がある。そして、たくさんの石が敷き詰められている。 どこを歩いても、歩きづらかっ
大予言 ノストラダムスの大予言のことである。 ーーー1999年七の月、空から恐怖の大王が降りてくるーーー これを知った時は、小学校何年の時か、多分、六年生のときと思う。驚いて軽いパニックに陥った。 恐怖の大王が、なんだかわからないが、要するに、1999年に人類は滅ぶのである。 だが、そのうち冷静になってきた。その時、1975年頃である。まだ、二十年以上ある。充分、生きられるではないか。果たして、その頃、自分は何をやっているのだろうか?だいたい生きてるか、どうかもわ
大阪の女 いつも行く団地の公園である。小四か小五か、そのへんの時だと思う。 何人か、いつものメンバーがいた。誰だったか、よく覚えていない。ところが、知らない女が一人いた。黒縁メガネをかけた髪の長い女の子が、ベンチに座っていた。 「こんにちは」そのコが、思いきり大阪訛で言った。 この時、自分が大阪弁というものを知っていたのか知らないのか、定かではない。記憶としては、ないのだが、テレビとかで関西漫才師など見ていたから、多少の知識はあっただろう。 誰かがこのコを紹介する。
夜の捜索 夕食後、電話がかかってきた。八時を過ぎていた。学級委員R(仮名)からだった。 クラスメイトの日村達史(仮名)が、行方不明だという。そこで、みんなで捜すので、来てくれないか?というものであった。 夏休み、暑い季節だった。自治会長の高橋さんが、招集をかけた。クラスメイト高橋の母親である。高橋さんは「あたしの名前出しな」で、ほぼなんでも解決してしまうスゴい方であった。 この時、警察もいたのか、その辺のことは覚えていない。 団地中央グラウンドに集まった。みんなな
冬の夜の悪知恵と警官 多分、小学五年生だったと思う。 なんかイヤなことがあって、夜、家を出た。真冬である。シャツの上にセーターを着ただけの服装だった。 おそらく、何かして、怒られる可能性でもあったのだろう。そのへんは覚えていない。 お気に入りのミニカーを一つ持って出た。 とはいえ、小学生に、夜行く場所などない。友達の家なんかに行くと、連絡があり、すぐバレる。 なので、とりあえず、団地の中をブラブラした。大変、寒かった。 見つからない場所はどこか?と考え、広い駐
病院徒然 子供の頃から実に病院にはよく行った。頭も悪いし体も悪い。まさに箸にも棒にも、というやつである。 昭和の病院は、開業医の話だが、家と一緒という所が多かった。少なくとも、自分の回りでは、そういう感じだった。 学級委員Rがいつも行っていた病院の話は、少し驚いた。ウチの号棟と学級委員Rの家は、同じ団地とはいえ、少し離れていた。 よって、よく行く内科医院も違っていた。その病院は、保険証をいつも預かっていたという。病院に行って、受付で名前を言うと、受付のおばさんが箱に
電気の洞窟 昔、秋葉原は、電気街、そういう所だった。それが、1990年代後半あたりから、オタクの街に変化していった。メイド喫茶、アイドル、アニメ、オタクの聖地とまで、言われるようになってからは、ほとんど行っていない。 自分の知ってる秋葉原は、昔の電気関係の街、そういう所であった。 電気の洞窟というのは、本当の洞窟のことではなく、まるでわからない電気部品とかを売ってる、小さい店がたくさん並んだ、建物の中の細い路地みたいな通路のことを言っている。つまりラジオストアーのこと
K先生 小四、小五、小六と三年間、クラス替えがなかった。普通は、あるのだが、何かの事情で、こうなった。先生も変わらなかった。 K先生という、確か二十八歳ぐらいの男の人であった。いつもジャージを着ていた。 結論から先に言えば、大変良い先生であった。この人ほど、いい先生というのは、いなかった。 この三年間、クラスが同じだった児童たちの何人もが、K先生を結婚式に呼んでいる。こういう先生は、あまりいないのではないか? それほど皆に慕われていた。 もちろん、人間なので、欠
五十年目の言い訳 小学校時代、運動会の記憶は、ほとんどなかった。一つだけ、はっきり覚えているものがある。 小六のリレーである。つまり、運動会の最後の最後、最上級生の六年が、対抗リレーをするという、一番盛り上がるといってもいいやつである。 自分は学年て一番足が速いと思っていた。一人、羽崎(仮名)という別のクラスの奴で速いのがいた。タメかコッチが速い、そんな感じであった。 リレーの選手に選ばれた。次は走る順番である。四人が走る。細かいことは忘れたが、太田'(仮名)にーー
ある夏の日 子供時代、夏の記憶というものが、なぜかあまりない。しかし、冬のある日、UFO写真を撮ろうとしていたのを思い出し、そうだ、夏もあったと、記憶を甦らせた。 たいした話ではありません。 夏休みであった、と思う。緑生い茂る銀杏の木の根元にいた。 芝生も緑豊かで、草たちも、あちこち生えしきっている。 近くに、どういうわけかクローバーの群生が見られた。いつからあっただろうかと思う。 銀杏の木の根元には、自分、左に女学級委員山岡、MM2(仮名)がいた。しゃがみこん
食べ物 団地暮らしの時、よく食べていたものは何か、ということをあらためて考えてみる。 朝食は、トーストが多かった。クノールのコーンポタージュスープが大好きだった。まだ、カップスープというものが、なかった、と思う。なので、小さな鍋でグツグツやる。 スープの中の小さいシイタケが、とてつもなく、おいしかった。愛しいぐらいに、美味かった。 時々、白ご飯の時がある。納豆にウズラの卵を入れたのを、まずいのを無理して食べさせられた。吐いた。湿疹が出た。 生卵が食べられないという
漫画取戻と事件 細かいことは忘れたが、漫画を自由に持ってきていいという話になった。学級文庫みたいに、教室の後ろに、クラスのみんなが持ってきた漫画本が、ズラリと並んだ。 教室で読むのは、構わない。しかし、持ち帰りは厳禁、確かそんなルールだったと思う。 自分は「バビル2世」を持っていった。自分の本も並んだ。 これは楽しかった。今まで見たことない漫画が並んだ。小四か小五の時である。 短い人生で、初めて見る漫画がズラリとあった。 多分、少女マンガというモノを、はじめて読
思い出徒然 三 いつも遊ぶ川の横には、野球のグラウンドがあった。フェンスのついた本格的なやつである。 野球で有名な高校のグラウンドであった。 当時は、まだ子供だったので、野球の強い人たち、ぐらいにしか、認識していなかった。 ネットと金網で、グラウンドの中には入れない。たくさんボールが転がってるので、一個ぐらい欲しいなあ、と思って見ていた。 夕方になると、汚いユニホームを着て、走っていた。夕日に照らされた、その集団の姿は、やけに印象深かった。 そんなわけで、話は大
塾での出来事 団地の塾にいた。四畳半の狭い所に四人もいて、そこが塾だった。 隣の部屋で電話が鳴り、女の先生が四畳半から出て行った。何やら声が聞こえる。何を言ってるのかまでは、わからない。 部屋に戻ってきた。女学級委員山岡が今日帰り一人なので駅まで迎えに行けという。山岡がウチに電話した。塾にいることを知った山岡はコッチに電話してきた。 ええっ?と素直に思った。塾まで電話する普通?と。 するともっと驚いたことを先生が言った。 「ちゃんと迎えに行ってあげなさい」なんだそ
灯油を運ぶ 昭和の冬は寒かった。東京一月の平均気温が五度なんてザラだった。 家では石油ストーブを使っていた。円筒形のアラジンストーブというやつで、この時代1970年代では、有名なストーブで、テレビドラマとかでも、よく登場した。 いったい灯油をどうやって買っていたのか、思い出せなかったのだが、学級委員Rに聞いたところ、自治会の人に金を渡して、灯油券をもらい、団地の一階に灯油を入れる容器、正式名称はなんと言うのか知らないが、あの十八リットル入るアレである、それを置いておく
ドラクエの朝 話は二十代になる。 明日は、ドラゴンクエスト3の発売日であった。本来、ローマ数字で書くのが正しいのだが、さがせばあるかもしれないが、差し当たりローマ数字が見当たらないので、算用数字つまり3で書かせて頂きます。 テレビで、既にヨドバシなどで買うための行列ができている、そう報道していた。 自分は、どうしようかと考えていたのだが、キーちゃんがウチに来るという。なぜなら明日始発で、さくらやかヨドバシに買いに行くから、ということだった。 当時、キーちゃんは埼玉