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JCO臨海事故を憶えていますか

以下は、東京新聞 東京Webの記事引用です。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/19329

<JCO臨界事故> 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で、濃縮ウラン溶液を本来の用途と異なる「沈殿槽」に大量投入したところ臨界が発生作業員3人が大量被ばくし、うち2人が死亡した。』

JCOの作業員3人が直接被爆し、内2人が死亡した放射線事故です。

JCO臨界事故が起きた当日、あれはお昼ごろでした。
テレビのドラマか、映画で見た空襲警報のようなサイレンが鳴り響きました。その後、「屋内退避してください。家から出ないでください」という
役場の放送が何度となく繰り返され、サイレンは鳴り止みませんでした。
放射線を大量に被爆しながら、JCO職員による決死の鎮火?作業が行われ
なんとか臨海状態は止まったようです。
周辺住民に大量の放射線被爆者を出すという、大事故だったのです。

あの事故直後も、「原子力発電所では何重にも安全防御策がとられているので、重大事故は絶対に起きない」という安全神話は健在でした。
だが、しかし、その10数年後、あの東日本大震災が起き、福島で原子炉のメルトダウンが起きました。
そして、東海原子力発電所の近くには、周辺住民の原子力発電反対の立て看板が立っています。
広島・長崎に原子爆弾を落とされました。臨海事故が起きました。原子炉がメルトダウンしました。でも、原子力の火は消しませんよという、この国はいったい、なんなんでしょう。

みんなのフォトギャラリーから、kosuketsubotaさんの写真を使わせて頂きました。ありがとうございました。




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