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会わない読書会#03「美の構成学ーバウハウスからフラクタルまで」

SHOT4

こんにちは、SHOT4です。
今回は主催するミテラボで実施した、「会わない読書会#03 『美の構成学ーバウハウスからフラクタルまで』」の書評記事を書いていきます。

「会わない読書会」とは?

こちらのブログで提案されていた、Scrapboxを用いた読書会の方法を参考にしています。「テキストベース・非同期」のやりとりのみで行われていて、

1. 本を読む
2. 感想文を書く
3. 公開する
4. コメントし合う

という流れで実施しています。

ミテラボで実施しているバージョンも、本家に則りScrapboxを利用していて、コミュニケーションにはDiscordを使いながらやり取りしています。今回で第三回目。

1回目は、本田由紀「教育は何を評価してきたのか」。
2回目は東浩之「動物化するポストモダン」。

そして今回3回目に選んだのが、三井 秀樹「美の構成学ーバウハウスからフラクタルまで」です。

ちなみにこの読書会で書いてもらった感想文は、Scrapboxで集約をしていて、そこは非公開にしています。ぼくのようにnoteやブログに書いて、そのリンクだけScrapboxに貼る人もいれば、直接文章をScrapboxに載せて、一般公開はしない人もいます。

この形式の特徴はまた折を見てまとめておきたいと思うので、今回はそろそろ内容に入っていきましょう。

三井秀樹「美の構成学ーバウハウスからフラクタルまで」

まずは本書の概要からまとめていきます。

「美の構成学ーバウハウスからフラクタルまで」は、1996年に発売された新書で、2013年から電子書籍も出ています。著者は日本の美学者、造形評論家である三井秀樹さん。この本はかなり古いですが、一番新しい本だと『ハンディクラフトのデザイン学』を2013年に出版しているようです。

次に本書の目次はこんな感じ。

序章  構成学の背景
第1章 構成学とデザイン
第2章 構成学と造形
第3章 造形の秩序
第4章 くらしの中の構成学
第5章 新しい構成学

ざっくりと中身を説明すると。序章では、著者が構成学と出会ったきっかけや「アーツ・アンド・クラフツ運動」について、また構成学とはなんぞやということについて簡単に説明されています。

そもそも「構成」とは?
「構成」の名称はドイツ語のゲシュタルト(Gestaltung)あるいは英語のコンストラクション(Construction)の日本語訳である。舞台構成、文章の構成、工学的な構造、のようなイメージをもち、構成学をわかりにくい学問としているようである。また構成は、基礎デザインとかベーシック・デザインともよばれ、この名称をいっそうわかりにくいものにしている。

構成学の理念は今から七〇年以上も前にドイツのワイマールで開学した造形学校、バウハウスで体系化された。バウハウスでは造形の原理として形や色彩に加えてさまざまな材料体験とテクスチャの実習が行われ、これに新しい色材として光や、当時の最先端テクノロジーとして写真による映像実験が試みられた。

※三井秀樹. 美の構成学 バウハウスからフラクタルまで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.20-27). Kindle 版.

次に1章では、主にバウハウスという教育機関に焦点をあて、そこで行われていた取り組みの解説、その後2章と3章はそれぞれ構成学における材料や色、配置の考え方の解説です。

4章は「くらしの中の構成学」という題の通り、構成学の考え方をファッションやインテリアなど、日常で使う方法について書いています。

最後の5章は1996年という時代もあり、恐らくテクノロジーが一気に発展していた時期なので、そこにおける今後の構成学の在り方に触れて、本書を閉じる、という構成です。

身近になったデザイン、その基礎としての構成学

ではいよいよ感想に入ります。

まず大前提として、この本が1996年に書かれた本だとは特に意識せずに本書を読んでいたため、感想がどうしても今から見た本書という形になってしまいました。

というのも、1996年はぼくはまだ1歳。当時における構成学の考え方と、今の考え方は恐らく大きく異なります。そのためここで紹介されている、例えば色彩についての考え方や、シンメトリー、黄金比などの使われ方については、あまり新鮮味がなく、知っていることが改めて書かれているように思えていました。

またそれはぼく自身、今の仕事が映像教材の制作であり、その関係上周囲にデザイナーやデザインを専攻している方が複数名いることも関係しているかもしれません。さらにいえば、現代ほどデザインという言葉が広義で使われている時代も恐らく他になく、本屋に行けば必ずデザインの基礎本が置いてある、という時代性もあいまっているのだろうと思います。

しかし逆に言えば、これだけ当たり前にデザインの基礎がある現代社会において、その基礎づくりをしてきたのがこの「構成学」という学問なのだろうと思うと、それはそれでとても興味深く感じます。本書はどちらかというと、「構成学の中身」に多くページを割いていますが、その歴史に注目した本のほうが、もしかしたら面白く読めるかもしれません。

バウハウスと職人教育

上で書いた内容の一方で、序章から第一章にかけて説明されている、産業革命からバウハウスがうまれ、そして最終的にイリノイ工科大学やマサチューセッツ工科大学に併合されていく流れはとても興味深く読むことができました。

ちなみにバウハウスとは?
バウハウス(ドイツ語: Bauhaus)は、1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関であり、活動の結果として現代社会の「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げた。デザインの合理性から、幅広い分野にバウハウスの影響が波及しており、特に理由がない限り標準的なデザインとして採用されている。(Wikipedia

まず本書では、バウハウスの意義をこのように説明しています。

人間は古代から美しい形やプロポーションに憧れ、造形における美の調和を求めてきた。それゆえ西欧では王号分割やシンメトリーが建築や装飾などさまざまな生活空間に多用され、美の原理として受け継がれてきた。
・・・中略・・・
バウハウスは、これらを教育システムとして、はじめてカリキュラム化したところに意義がある。
※三井秀樹. 美の構成学 バウハウスからフラクタルまで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.33-34). Kindle 版.

ここでいう「カリキュラム化」というところが個人的にはとてもおもしろいのですが、もう少し中身を見ていきましょう。

産業革命と生産様式の変化

鍵になる出来事はやはり「産業革命」で、それ以前と以降では生産に関する考え方が根本から変わってしまいます。

産業革命以前、様々な生活用品があったわけですが、これらの道具は職人によって作られたもので、代々伝えられてきたパターンを受け継いでいます。そしてこのパターン(様式)が受け継がれる中で改良を重ねていき、今日に至っている、と考えることができます。

ここでポイントは、産業革命を通じて、これまで職人が作っていた道具たちが工場生産に変わっていったことです。著者の言葉を借りれば、

産業革命は、それまで営々と人間の手でつくりあげてきた「もの」を機械の労働におきかえる生産システムの変革であったといえる。
※三井秀樹. 美の構成学 バウハウスからフラクタルまで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.202-203). Kindle 版.

もちろんその反動として、「職人の手のぬくもりや肌ざわりが消えて」しまい、この反発の運動として「アーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)」などが巻き起こります。ここまでは、機械に対抗する職人という構図で運動が展開されています。

そしてここから、「ドイツ工作連盟(DWB)」が結成されたあたりから、話が少し変わってきます。「機械生産」を前提にしながらの製品の質を向上させようという運動が起きてくるのです。

暗黙知と形式知、教育の必要性

ここで何が変わるかというと、これまで職人の中にあった実践知、パターン、様式は、暗黙的に恐らく徒弟制度などを介して伝わってきていました。しかし当たり前ですが、機械にそれを理解することはできません。となると、これまで蓄積してきた暗黙知を、形式知に変え、機械の仕様にそれを組み込む必要が出てきます。つまり一段回抽象度が上がるわけです。

伝統や職人の手づくり生産システムから、まったく一八〇度転換した機械による生産システムに移行したとき、ムテジウスははじめてデザインの概念の中にプロポーションやシンメトリーなどの造形の数理性やバランス、統一感といった造形美をつくる要素の重要性を再認識したのだ。
※三井秀樹. 美の構成学 バウハウスからフラクタルまで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.305-308). Kindle 版.

ここで初めて、「教育」を明示的に行う必要が出てきます。これまでは作りながら、徒弟的に学んでいくことが可能だった「生産」が「学校」で行われる必要が出てきたわけです。そして明示的に教育を行うためには、ある程度体系だった「カリキュラム」が必要となりました。またこれまでの暗黙知を形式知に変換していく過程で、様々な実験的な取り組みが生まれ、それが新しい表現方法を模索する運動にはずみをつけることになります。

寿司職人に下積みは必要か?

ここまで実は序章の内容なのですが、ここが一番面白いポイントでした。この話で思い浮かべたのは、随分前に話題になった「寿司職人に下積みは必要か?」という話。

きっかけは「寿司アカデミー」という職人養成校ができたことで、これを機に「寿司職人は修行してなるものだ」「学校で習うようなものじゃない」という批判が相次いだ中、ホリエモンさんなどが「下積みなんていらない」と反論をしたことで話題になった、という話でした。

ではなぜ、「寿司職人は修行してなるもの」だったんでしょうか。それは「状況に埋め込まれた学習ー正統的周辺参加」という本を参考にすれば、「寿司職人コミュニティ」に参加していく過程こそが学習だったからで、その学習を通して「寿司職人になる」ことができたから、と考えることができます。

つまり確かに技術や知識は外に出して、学校で習うことができるのだけれど、それは「寿司職人になる」こととは違うわけです。これはもちろん、そもそも「寿司職人ってなんだ?」とか、「学校卒業後にやってれば寿司職人になる」とか、そういう批判に真っ向から答えられるものではありませんが、一つの考え方としてコミュニティに参加する過程を学習と捉えることができる、という話として理解してください。

一方、寿司の技術を習う学校ができるということは、「見て学べ」というスタンスだった職人技術が形式知化することを意味し、また一度形式知になったものはさらなる発展の対象となります。必ずしも悪いことばかりではないということ、その片方で何か「味気なさ」を感じるとすると、恐らくそれは正統的周辺参加という概念を経由することがヒントになるのではないか、ということがここでぼくが言いたいことです。

話を戻して、この例から考えると、バウハウスが成立したのはまず何よりも「職人コミュニティ」が産業革命で崩壊したこと。その中でも生産を続けるためには、「学校」が必要であった、というのがまずひとつの側面と考えられます。

またもう一方で、バウハウスが研究機関としての側面を持っており、暗黙知を形式知化するだけでなく、社会に応じた「構成」を探求し続けたこと、さらにそれをまた教育に適応させてきたこと、が今でも語り継がれる所以なのではないか、と思いました。

相変わらず長くなりましたが、今回はここまで。書評の内容はほとんどが序章で完結しますが、いかがでしょうか。

この記事を書いている現在、ちょうど東京ではバウハウス展もやっています。興味がある方はぜひ足を運ばれるといいかもしれません



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