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偽善

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


あなたの人生を生態系や社会の癒しに捧げるのを妨げている主な障害は何だと思いますか? 多くの人にとって、それは世界の社会資本と生態系資本を破壊しているまさにその経済の中でお金を稼ぐ必要性でしょう。突き詰めれば、そこがお金の出所なのです。お金は誰であれ新しい商品とサービスを作る人に与えられる投資信用から生まれるのです。そのような会社は目標の達成を手伝ってくれる従業員を雇います。もしあなたの目標がそれと違うなら、もしあなたの目標が自然を製品に変えコミュニティーをサービスに変えるのを助けることではないなら、あなたは仕事を探すのに苦労することになります。なぜなら、一般的に言えば、そこがお金の出所だからです。

私たちがお金をそのように作り出さなければならないという物理法則はありません。お金は、何に価値があり私たちの集団的意思をどこに注ぐかという社会的合意の表現です。私たちは生態系と社会の癒しを直接評価し支援するようなお金の作り出し方を選ぶこともできるでしょう。ある程度まで私たちはすでにこれを行っていて、準公的な機関である中央銀行が施策の資金にする政府の借金を買い上げます。しかし、それは金利の付いた借金として成長の命令に加担しています。これに代わるものは、ゼロ金利、マイナス金利、あるいは社会や環境の癒しに対する直接補助金として政府が発行する「プラス貨幣」でしょう。

金融システムを変えなければ、環境保護主義者はいつも苦戦を強いられるでしょう。企業の強欲を激しく非難するのは的外れです。企業はシステム全体の命令に従って演じているだけです。消費者の偽善を激しく非難するのも的外れです。炭鉱町の環境汚染を住民の生活スタイルの個人的選択のせいにできますか? その反対で、もし偽善があるとしたら、生態系を破壊する行動を駆り立てるシステムを維持しておきながら、生態系破壊を行動に移した人々を非難することにあります。

2007年に、エクアドルはヤスニ国立公園の熱帯雨林を保護するため世界中に援助を求めました。そこは生物学的に世界一豊かだといわれる場所です。残念ながら、そこには豊富な石油も埋蔵されていて、その価値は70億ドル以上です。そこでエクアドルのラファエル・コレア大統領は、国連が運営する基金を通して世界から埋蔵量の半分に相当する寄付金がエクアドルに集まったら、その半分は採掘しないことにすると発表しました。この構想を陳情するエクアドル政府の懸命の努力も虚しく、寄付の約束は目標の1%以下という失敗に終わりました。2013年に敗北宣言が出され、この地域の開発計画が発表されました。それを止めようとする原住民の真剣だが無益な運動の後、2016年に中国の石油会社の企業連合に開発権が与えられました。石油掘削は2017年に開始されました。

ここでは誰を責めればいいのでしょう? 熱帯雨林を守れなかったエクアドルでしょうか? それとも、一方で「生物多様性を守り気候変動を止めるため熱帯雨林を保護せよ」といいながら、もう一方では「だが森を切り倒して油田開発のために明け渡すときに限り、我々はお金を出そう」という偽善的なシステムでしょうか?

概して、私たちはみなエクアドルと同じ境遇にあります。私たちが世界を破壊する活動に参加するよう強いるシステムに実質的に組み込まれているのだとしても、世界を破壊する私たちの活動に罪の意識を感じさせられているのです。

システム全体がもつ偽善の性質を理解できなければ、あるときは化石燃料会社への投資ボイコットを呼びかけ、その後すぐ車にガソリンを給油する気候運動家を、私たちは非難することになりかねません。中央アフリカ産の紛争鉱物の流通を嘆き悲しむ一方で、まさにその鉱物が含まれている可能性が高いコンピューターを使っている自分自身を、私は非難してもいいかもしれません。これは個人の純潔さを追求するのとは違います。原因を理解することなのです。

強欲と同じように、偽善は本物の敵ではありません。 それはもう一つの症状です。私はただ病を明らかにするため、この症状に光を当てます。

偽善はダブルバインド(二重拘束)の症状です。あなた自身や他人の中にある偽善に気付くとき、憤りや価値判断で頭をいっぱいにするのではなく、偽善者がどうしようもない状況に置かれている証拠だと受け止めることもできます。ベイトソンのいう典型的な意味で、ダブルバインドは矛盾する二つの命令を人に与え、その各々は異なる抽象や意識のレベルで働きます。生態系を破壊する経済システムは私たちをダブルバインド状態に置きます。一方の命令(個人の保身)に従うことは、もう一方の命令(地球への奉仕)に従えないことを意味します。その結果として起きる不快感が、偽善の中身である偽りの行為と自己妄想を促します。私たちはそうやってダブルバインドに対処するのが普通ですが、その前提をひっくり返す以外に抜け出る道はありません。

偽善の下にあるダブルバインドを明らかにする手段として、偽善に光を当てるのは有益なことです。盟友を思いやる心で「このジレンマについて一緒に何かしよう」と言うのです。 でも人々や企業の偽善を攻撃したところで何も良いことはありません。下にあるジレンマが解消されなければ、せいぜい偽善を取り繕うため表面的な変更を加えるぐらいでしょう。

ですから強欲と偽善はどちらも、環境正義の格好の標的ではありますが、私たちの経済システムに共通の根源を持っています。もし強欲が自然を食い潰すよう駆り立てるなら、もし偽善がそれを続けるのを許すなら、私たちは別の種類の経済システムに移行しなければなりません。それは、人間と自然の関係性という本物の富から私たちを切り離して強欲を作り出すことがなく、私たちをどうしようもないジレンマにさらして偽善を煽ることがない経済システムです。

マクロ経済学でこの偽善に相当するものが、先に述べた「グリーン成長」と「持続可能な開発」の概念の中に存在します。ここにもう一つのダブルバインドがあります。私たちのシステムが機能するには成長が必要ですが、有限の地球で無限の成長は不可能です。私たちはこのジレンマの前提をひっくり返し、成長を強いる貨幣制度を変えなければなりません。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/hypocrisy/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸

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