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炭素、土壌、生命

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


本書で私が水の章をわざわざ炭素の章の前に置いたのは、生命の基礎となる非常に重要なこれら2つの物質を考えるとき、優先順位を逆転する必要があるかもしれないということを示すためです。とはいえ、炭素はガイアの器官の健全性を見るのに重要な窓も与えてくれます。突き詰めていくと、炭素は水が与えてくれたのと同じ理解に私たちを導いてくれます。つまり、私たちの注意を生態系や土壌、生物多様性に向ける必要があるということです。

温室効果ガスについての論点の多くは、化石燃料からの排出ガスと、どのように代替エネルギー源に転換するか、転換をじゅうぶん早く行うことが可能かどうかということです。これは良く踏みならされた道ですが、私はこの論争に加わるつもりはありません。筋違いの議論にこれ以上の注目を集めたいとは望まないからです。あらゆるレベルで生態系を回復させることなしに、排出ガスを削減しようがしまいが、気候の乱れは悪化し続けます。

炭素の眼鏡を通して生態系パラダイムへと入っていくとき、化石燃料排出ガスよりずっと不確かな炭素収支のひとつの要素に注目する必要があります。それは「土地利用の変化」(生態系破壊の婉曲表現)による炭素の放出です。そして同じくらい不確かなのは、手付かずの生態系がもつ炭素を吸収隔離する能力です。

この両方が大幅に過小評価されてきたと確信している研究者もいて[1]、文献は全般的に、陸上の二酸化炭素の流れをますます高く推計するようになってきています。たとえば最近の研究では、1950年以降で227万平方キロメートルの熱帯林破壊により約50ギガトンの炭素が大気中に放出され、その排出速度は年々高まっていると結論しました[2]。この研究によると、熱帯林破壊による排出ガスは現在合計で毎年2.3ギガトンあり、人為的な排出ガスの20%以上で、従来の推計よりずっと多いのです[3]。同様の傾向が他の生物群系にも当てはまります。

おそらくは、森林破壊、土壌流出、生物多様性の喪失、低湿地と泥炭湿原の干拓、マングローブの干拓、その他の土地利用の変化の影響があまりに深刻なので、(水ではなく)炭素の枠組みにおいてさえも、気候変動は化石燃料を燃やすだけが原因ではなく、このような人間の活動でも起きるということを、理路整然と主張できるでしょう。生態系の荒廃でどのみち起きる不安定性を、化石燃料の燃焼が増大させるのです。

私は最近、気候変動懐疑論のブログで、1750年から1875年まで大気中の二酸化炭素は人為起源排出ガスの合計よりもずっと速い速度で増加し、後者が前者に追いついたのは1960年のことだったという主張を読みました[4]。二酸化炭素は気温上昇の(原因ではなく)結果として増加したのだとブログの筆者は主張しますが、これは懐疑論者に共通する立場です。でも別の可能性があります。ここで問題となっている期間は、ヨーロッパと北米で大規模森林破壊が起き、これとともに農地が大幅に拡大した時代でもありました。これらを源とする二酸化炭素のせいで化石燃料による排出ガスが小さく見えている可能性があります。

前章では、森林破壊や従来型農業など土地の酷使が、露出して浸食された土壌から炭素と大気に放出する過程を説明しました。ここでは、絡み合う諸要素の他の側面として2、3の例を挙げましょう。それは手付かずの生態系がもつ炭素を吸収し地下に貯蔵する能力です。

湿地帯

悲しい知らせをどこから語り始めましょうか。前世紀の間にマングローブ沼沢地の半分が地球から失われ、全湿地面積の約70%が消えたことでしょうか[5]。海の藻場が毎年7%ずつ減少していることでしょうか[6]。米国の建国以来、湿地総面積の減少は50%に達し、21世紀に入ってからは20世紀に比べ加速したことでしょうか[7]。湿地喪失の多くは農業への転換、都市化、沿岸開発によるものですが、その一方で手付かずの湿地帯は水質汚染と塩水の浸入で荒廃が進んでいます。沿岸湿地帯は海面上昇に伴って内陸へ移動するので普通なら問題となりませんが、現在は堤防が湿地帯の拡大を阻み、成長に必要な堆積物もダムによって奪われています。

生物多様性の観点から見ると、湿地帯の荒廃は壊滅的ですが、炭素についてはどうでしょうか。湿地帯は他のどの生態系よりも多くの炭素を土中に蓄積し、海藻の場合は毎年1ヘクタールあたり20トンにもなります[8]。ある推計によると、マングローブと塩性沼沢を合わせて、湿地帯は全世界の生物的炭素捕獲の半分を占めます[9]。泥炭地も大きな炭素吸収源で、地球上全ての生きたバイオマスと同じ量の炭素を土中に含んでいて、泥炭地を干拓したり森林被覆を破壊したり直接燃やしたりすれば、その炭素は大気中に加わることになります。

これらの生態系が炭素を隔離する速度は、通常は土壌の蓄積速度を測ることによって求められます。この手法は、変数の分離という科学の基本的な戦略に染まっていて、システム同士の相乗作用的な繋がりを見えなくしてしまいます。たとえば、マングローブは堆積物を捕まえてくれますが、もしその先に広がるサンゴ礁に流れ込めば白化に弱くなるなど悪影響を与えます。海藻は周囲の水の酸性度を緩和し、貝の成長を早めます。貝とサンゴ礁はどちらもそれ自体で炭素を生物的に隔離します。炭素会計の基本的な方法論は、地球をいくつもの生物群系と地域に分割して各々の炭素隔離量を加算するというものですが、本質的に各要素のもつ価値を過小評価してしまいます。

草地

大型草食動物が生息する手付かずの草地には、炭素を土壌に隔離する膨大な能力があります。1ヘクタールあたり何トンの炭素を隔離できるかというデータを確定することが難しいのは、測定とモデル化を通して得られる推計には何桁もの開きがあり、地質条件、降雨量、草の種類と草刈りの有無、動物群(野生もしくは家畜)の有無によって異なるからです。さらに、隔離された炭素が土壌中に留まる期間は様々です。炭素を含む土壌有機物には1〜2年で分解するものもありますが、多くは土壌中に数十年留まり、何千年も大気に戻らないものも(ゼロとは言えないが)あります。アメリカ中西部の厚さ3メートルにもなる表土は(今日ではほとんどが流失してしまいましたが)、草地が炭素を地下に貯留する能力の証です。

炭素貯留能力が最も高いのは、多様な種類からなる野草群の中を大型草食動物群が自由に歩き回る生態系です。残念ながら、北米で丈高の草が茂るプレーリーは元々の97%が耕地や住宅地、外来種の種をまいた牧草地に転換されてしまいました。もとは7千万ヘクタールを覆っていたプレーリーは、膨大な炭素調整能力を持っていました。野生草食動物の食草行動の再現を目指す高度管理放牧法のデータが僅かながらあり、そこから判断すると、丈高の草が茂る本物のプレーリーは毎年1ヘクタールあたり8〜20トンの炭素を隔離できると考えられます。でも現在では、この土地のほとんどで作物が耕作されているので、炭素放出源になりました[10]。裸の土壌を空気と水と風に曝す耕起に基づいた農耕は、有機物(炭素)を酸化されやすい条件に置きます。同じような話が、アジアのステップ、アフリカのヴェルト、南米のパンパなどで発生してきました。FAOによると、全世界の草地の3分の1近くがすでに荒廃してしまいました[11]。炭素吸収源が排出源になるとは、何ということでしょう。

森林

あらゆる生態系の中で、一般の人々が認めているのは、森林が気候の健全性を維持するために極めて重要だということです。現在、森林は全世界の人為起源排出ガスの約40%を吸収しますが、森林破壊によりその少なくとも3分の1を放出します[12]。大気中の二酸化炭素濃度が高いほど、森林の吸収も高まりますが、限界があります。あたかも、森林が何とかして大気のバランスを保とうと果敢に立ち向かっているかのようです。私たち人間はこれを邪魔しています。ある推計によると、地球上の樹木の総数は文明の夜明け以来およそ半分まで減少し[13]、現在は毎年何十万平方キロメートルもの森林が消えています。森林の消失は一般に推計されているよりもひどい可能性があります。というのは、森林破壊の統計には細かい樹木の損失が含まれておらず、これが熱帯林でのバイオマス喪失の3分の2を占めるという研究者もいます[14]。湿地や草地と同様、森林の破壊は土地を炭素吸収源から排出源に変えてしまいます。

森林破壊ほど問題だとは一般に認められていないものに、森林の荒廃があり、これは主に伐採、昆虫の減損、山火事の結果として起きますが、この3つの要因は密接に関連し合っています。林業者の主張に反して、伐採は森林を壊滅的な火災に対し弱くすることはあっても、強くすることはありません[15]。前章で述べたように、森林荒廃は蒸散を減少させ雨水流出と浸食を増加させることで乾燥した状態を作り出します。伐採も、昆虫を抑制するはずの生態系のバランスを乱します。典型的には、荒廃によって森林は均質化し、伐採した切り株が温床となって昆虫や病気に弱くなります。その一方で、伐採で枯れた立木や古木の洞(うろ)がなくなるので、生物の重要な生息場所が消え、昆虫や病原体が大発生する危険が高まります。重機が通る道路は土壌圧密と生態系の断片化を引き起こし、さらに復元力を損ないます[16]。これらの影響のどれ一つとして炭素計量や気候モデルでは正確に取り扱えません。

さらに、森林は生物の単なる集合体ではなく、森林そのものが生命体であることをもし私たちが理解したら、別の種類の被害も見えるようになります。驚くべき複雑さをもつ菌糸のネットワークが森林内の樹木を含む全ての植物を結び合わせてできる通信ネットワークを通して、木々は情報を共有し、病害虫を警戒し合い、ときには資源の共有さえもします。道路はこの生きた織物を分断し、ばらばらの小さな断片にしてしまいます。従来型の伐採も、樹木が非常に高い樹齢に達し、自然に倒れて数十年、数世紀をかけてゆっくりと朽ちてゆくのを妨げます。もしも最高齢の樹木、おばあさんの木が、森林が百年に一度の異常な状況を耐え抜くため役立つような知恵(あるいは、化学的にコード化された情報)を持っているとしたら? もしも朽ちていく木がゆっくり成長する菌類を養い、それが生態系バランスの維持に重要な役割を果たすとしたら? これら全ての現象は、バイオマスのトン数に比べたら、はるかに数値化しにくいものです。

2016年の著書『樹木たちの知られざる生活〜森林管理官が聴いた森の声〜』で、ピーター・ヴォールレーベンは森林のもつ意識と樹木の社会性について論拠を挙げながら述べます。彼の研究チームは放射性核種で印を付けた糖を使って、健康な樹木が病気の樹木に栄養を分け与え、親の木が自分の子の木を養うことを明らかにしました。時には、樹木の共同体が切り倒された木の切り株を何世紀にもわたって生かし続けさえします。樹木は大気中化学物質を通じ、また菌糸のネットワークを通じて交信し、また個体としても全体としても、干魃などの危険な経験から学習します[17]。樹木の中には他の木との友情をも育むものがあり、日光を巡って競争するのではなく互いに助け合います。樹木は微気候をつくり出すためにも力を合わせます。ヴォールレーベンが引用する研究では、自然に生育する森林は管理された区域より気温が3℃低く保たれていました。

おそらく私たちが気候変動と国境線の枠組みで捉えている生態系の危機を解決するには、その危機によって森林と森羅万象が生きているという気付きにまで私たちが導かれる他ないでしょう。そのとき初めて私たちはガイアの身体の組織と器官を正しく世話するのに必要な知識と技を手にするでしょう。でも森林その他の生き物がデータの束へと単純化されるとき、それらが生きていることは見えなくなります。

私たちが森林と呼ぶ生き物を構成するのは樹木だけではなく、そこに生きる全ての生き物をも含んでいます。たとえばオオカミの群れが生態系に与える貢献を、どのように数値化できるというのでしょうか? 最上位捕食者は、炭素隔離には直接何の貢献もしませんが、強健な生態系を維持するために不可欠です。その貢献は間接的で、全体的で、広範です。北米の森林では、オオカミとクーガーを根絶した結果、シカの頭数が激増し、下層植生と若木を食べ尽くし、土壌を裸にし、雨水流出と浸食を増大させ、保水力を低下させ、乾季の降水量減少と雨季の洪水の一因となりました。地表と下層の植生変化は昆虫、菌類、バクテリアの群落にも影響を及ぼし、樹木が昆虫と病気の害を受けやすくなり、その結果山火事にも弱くなります。伐採や酸性雨、オゾン汚染、気候パターンの変化が、危険な相乗効果によって、これらの影響を悪化させます。理由は場所ごとに異なりますが、森林は世界中で衰退しています。

様々な型の森林について地上と地下の炭素隔離の数値を、もっと引用しようと思えばできます。熱帯林、温帯林、寒帯林、一次極相林、二次林などなど。でも皆さんちょっと待って、私たちが貴重な森林を保全し大切にしなければならないということを知るために、こういう数字が本当に必要なのでしょうか? 私たちが森林のない地球に生きることができるとしても、それを望むのでしょうか? 木々の殺戮はいつ終わるのでしょうか? もっと多くの数値に踏み込むのに気乗りしないのは、議論すべきはその数値だと暗示してしまうのを警戒してのことです。私たちがすべきだと既に知っていることを、なぜすべきなのかと問うために、定量的な理由をもっと積み重ねて役に立つでしょうか? 私はそうは思いません。

もし私たちがまだ森林は神聖で貴重だと分からないなら、数値をいくら積み上げても役には立たないでしょう。

森林は想像を超えた複雑さを持つ生き物です。私たちが森林をほんのいくつかの一般的な関係と数量に落とし込むなら、私たちは暴力のお膳立てをするのです。チェーンソーとブルドーザーで森林の身体を貶め、続いて森林の概念を測定可能な数量とサービスに貶めます。これが、私が森林の価値を炭素の観点から定義することを躊躇する理由です。炭素以外の生態系サービスや内在する価値が抜け落ちて、議論を数字に向けてしまうのです。

森林をバイオマスや炭素隔離速度のような数字に単純化することは、森林をボードフィート(木材の量単位)やドルで表すのと大して違いません。考え方は同じです。これ以上その考えで進むのを、私は拒否します。

注:
[1] たとえばアルネートら(2017)を参照。

[2] ローザら(2016)。

[3] 熱帯雨林バイオマスに吸収される炭素の推定値は増加傾向にあります。2012年の『ネイチャー気候変動』誌に掲載された論文(バッチーニら、2012)は、その数値を228.7ギガトンとし、2010年の「世界森林資源アセスメント」(国連食糧農業機関、2010)の推定値より21%も高いものでした。それでも、『ネイチャー気候変動』誌の論文の熱帯林破壊による年間排出量の推定値は、上記の『カレントバイオロジー』誌の数値の半分以下で、それはおそらく地中バイオマスと過去の排出量を考慮していないからでしょう。

[4] ミドルトン(2012)。

[5] デビッドソン(2014)。

[6] ウェイコットら(2009)。

[7] フィアース(2013)。

[8] デュアルテら(2013)。この数値は修復された藻場の測定値と50年期間でのモデルを組み合わせたものです(おそらく天然の藻場の方が高い能力を持っています)。それによると、隔離率は時間の経過とともに(限界に達するまで)指数関数的に増加することが見出され、短期の移植事業について実施されたこれまでの研究の多くは、海藻の炭素隔離能力を大幅に過小評価していることを示しています。世界中の約3〜6千万ヘクタールの海藻は1ヘクタールあたり20トンを隔離し、毎年1ギガトン近くの炭素を吸収し、これは人為起源排出量の10分の1に相当します。

[9] ネルマンら(2009)。この報告書に記載された隔離量の数値は最近の推定値より低いことに注意して下さい。

[10] これについて詳しくは、第8章の再生型農業を参照。ほとんどの推定値はこれらの数字より一桁小さいですが、一方でアメリカの丈高の草が茂るプレーリーは全世界の草地のわずか2%でしかありません。

[11] 国連食糧農業機関(2009)。

[12] パンら(2011)。

[13] クラウザーら(2015)。

[14] バッチーニら(2017)。

[15] ワースナー(2016)。

[16] たとえば『シエラ・フォレスト・レガシー』(2012)を参照。

[17] 再生型農業ヴォールレーベンの著作への入門として、私はシフマン(2015)による素晴らしい対談をお勧めします。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/carbon-soil-and-life/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸

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