見出し画像

短編映像「一族の集い」(チャールズ・アイゼンスタイン)

チャールズ・アイゼンスタインの『私たちの心が実現できると知っている より美しい世界』(2013年)のフィナーレをもとにしたアニメーション動画(2021年)に日本語字幕を付けました。チャールズ自身が朗読する、大人のための寓話です。

2021年12月に、チャールズは自分のサイトにオーブリー・マーカスが制作したこの動画の紹介文を書いています。彼はこの話をallegory(たとえ話、寓喩ぐうゆ)と呼び、

「私の寓喩」と書きましたが、 自分の創作だと主張するようなものではありません。 この物語が真実なのはある意味あたりまえで、実話を創作することなどできるでしょうか? 私はこの物語に雇われた語り部の一人なのです

と書いています。(チャールズはこの話を2009年のエッセイ「A Gathering of the Tribe」にも書いています。)

動画を制作したオーブリー・マーカスは、自身のポッドキャストのためにチャールズの朗読を収録していました。動画の概要欄に彼はこう書いています。

隠された真実が明かされるとき、私の涙はあふれます。あたかも認識を狭める枠組み自体が溶解して目から流れ落ち、再び視界が晴れわたるようです。 チャールズ・アイゼンスタインの本「心の中にある実現可能なより美しい世界」で初めてこの話を読んだとき私は泣きました。それ以来これを見るたび私は涙します。それは、この話が本当だからです。実話でも、比喩として真実でも、それはどちらでも良いのです。

今こそ私たちが集うときです。集い、立ち上がり、愛し、《生きる》! あなたは独りではないのです。間違いなく、あなたは独りではないのです。

https://www.youtube.com/watch?v=XinVOpdcbVc

字幕翻訳には特有の難しさがあって、映像とシンクロさせたいので、できるだけ言葉の順番どおり訳し、前後をひっくり返すのは(なるべく)避けます。画面に収めるためできるだけ短い言葉を使い、限られた時間で理解できるように易しい言葉を選びます。「ギャザリング」はカタカナにすると長いので「集い」と訳しました。「シャーマン」は映像中では男性に描かれています(絵だけでなく he が使われています)が「祈祷師」や「呪術師」では感じが出ないので「巫女みこ」と訳しています。男巫おとこみこかんなぎという言葉もありますが、現代人にはなじみが薄すぎます。「トライブ」を部族と言ってしまうと対立や後進性のイメージが付きまとうような気がするので「一族」と訳しました。動画の最後にチャールズと対談相手のオーブリー・マーカスが「Here we are」と言い交わすのを何と訳すか悩みました。「とうとう来たよ」とか「また会えたね」とか。でもボソッと言ってる感じを出したくて、短く「来たね」と訳してみました。

(もとはAmaraプラットフォームを使って製作した日本語字幕が、オリジナル動画の正式字幕として採用されました。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?