07:雄呂血(1925)

はじめに

 この記事は映画鑑賞批評における課題レポートを編集したものである。つまり、以後しばらくは週一回以上の更新が確約されたことになるため、かわらず私の成長を優しく見守っていただけるとありがたい。一石二鳥の良い授業だ♪

シナリオ

 米国映画における古典的名作がD・W・グリフィスの『国民の創生(1915)』である様に、邦画の古典的名作といえば今回紹介する『雄呂血』なのだという。また総指揮に「日本映画の父」牧野省三を据えていることからも、やはり「映画の父」であるグリフィスとの対比が見受けられる。10年という時を経ているということもあって邦画にもきちんとテンポの良い効果的な編集が用いられているのは誇らしいことである。

 本作のストーリーを簡潔にまとめると、正義感の強い武士である主人公の久利富平三郎(阪東妻三郎)が世の不条理により凋落していく様を描いたものである。彼は社会の秩序に適応できるほどの柔軟性をもたず、周囲もまたそれに救いをもたらそうとはしない冷酷な存在である。そして誰も話すら聞いてくれない不条理を信じることができない彼は、憧れの女性への恋を実らせようというあまりに愚かな幻想を抱いてしまっている。そしてこのトラジェディは実際に誰にでも起こりうることであり、不条理に気づかない鈍感な人間は軌道修正を行うことなく何度も同じ過ちを犯してしまうものなのである。

 身分の違いによって押し付けられてしまった些細な冤罪をきっかけに、その後もボタンを掛け違え続けた主人公は最終的に大勢の役人を殺し、本物の罪人となってしまう。しかも彼が濡れ衣を着せられる原因は毎回彼の義憤に狩られた末の行いにある上、助けた人間は感謝の言葉一つ述べてくれないという、なんとも皮肉な話である。しかしながら、正義を行なった弱者が悪人として裁かれ、暴利を貪る強者が世間の尊敬を集めるというのも一つの理であり、本作は社会秩序の不平等な本質を暴くという点で優れた寓話であるといえる。

日本文化のアイデンティティ

 サイレント映画期に世界中で興隆したドタバタコメディに日本特有のチャンバラを加えたアクション性の高さは唯一無二であり、日本の文化的アイデンティティの明瞭さを再確認させられた。そして阪東妻三郎の基本的に抑えた映画的演技は感情を豊かに表現しており、「歌舞伎の延長線上としての邦画」の時代が終わりを迎えた初期の作品であるということも洞察できる。しかし、所々にて歌舞伎的な動きをアクセントとして加えることによって主人公の狂気、憤怒、欲望などの激情を表現することにも成功していた。

 活動弁士を交えたサイレント映画は本作が初めての視聴であったが、その親しみやすく雄弁な語りは海外映画における吹き替え版の先駆けであることを十分に理解させてくれるほど十分エンターテイメント性に富んだものであり、感銘を受けた。また彼・彼女らは所々字幕を逸脱したセリフをいうこともあったため、彼らの柔軟性を将来ライブ形式で直に聞いてみたいという願望もでてきた。

 撮影技術の進化も海外に引けを取っておらず、御役人ら群衆を主人公の囲む形で匍匐前進させるシーンなど洗練された構図の数々は現代映画にも劣らぬ美しいものである様に思う。他にもパンの多用や、クレーンを用いたような上空からの滑らかな移動ショットも用いられており、本作のアクションをさらに躍動感あふれたものにしている。

後世への多大なる影響

(画像:小林正樹『切腹(1962)』と松本俊夫『修羅(1971)』のポスター)

 本作に多大なる影響を受けているであろう後年の日本の時代劇映画として、私の現在知っている限りにおいて小林正樹監督の『切腹(1962)』と松本俊夫監督の『修羅(1971)』が挙げられる。前者は終盤における悲壮感溢れる一人対複数人のチャンバラシーンにおいて、後者はその主人公が女性関係により凋落し狂人と化す展開においてその影響が見られると私は思う。

 全てを失った男が壁を背にし、多数の相手に戦うチャンバラには男が敵に大損害を与えつつも確実に死に向かってゆく悲壮感と極度の緊張感が漂う。規模が小さく重厚感の漂う『切腹』と規模の大きいお祭り騒ぎ的『雄呂血』という多少の違いはあれど、いずれも迫力満点のチャンバラアクションを楽しむことができる。

 登場人物12人の内9人が死亡することとなる狂気の物語『修羅』の主人公もまたその純粋さ故に周囲に騙され、特に女によって人生を破滅させられ報復心に囚われた狂人と化す。彼と『雄呂血』の主人公の違いは単に女性に非がある様に感じたか否か、そして嫉妬心が強かったか否かの二点のみである。

最後に

 私は最近ようやく名作ジャンル映画を理解するにおいて、古典との共通点を学習することの重要性を理解し始めたのだが、本作を鑑賞することで後年の時代劇映画への強い影響力を切実に感じることになった。邦画のサイレント映画を見る機会もこれまでなかったため、非常に意義ある鑑賞になったと感じた。以上。


 

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