Jリーグのクラブについて

今Jリーグのクラブのほとんどが株式会社という形態で運営しています。ただこの形は好ましくありません。なぜならば会社の社長の意見に左右されながら運営しているのが現状です。確かに、そういう人ばかりではないですがほとんどがそうですが。そもそもクラブの母体が企業での部活であったというのがあります。例えば鹿島アントラーズ、川崎フロンターレ、浦和レッズ、柏レイソルなどなど。

ただ最近になって(2000年代になってようやく)市民クラブが増えてきたなと思いますが、まだまだ少ない方です。ただそういったクラブでも株式会社でトップチームを運営しているのが現状です

サッカーチームは世界中でどのチームにも地域や街の名前が付いています。それは、選手、サポーター、フロントスタッフ、地域の人々、皆が一丸となって文化を創造していくからです。それぞれのクラブに理念があって、それをみんなで目指していくものがあります。

住民も一緒に成長していく
 Jリーグのクラブなどによるスポーツをその地域の文化として定着させていくためには、選手だけでなく、住民側も一緒に成長していく必要があります。目先の勝敗だけに左右されず、より長期的な視点でクラブを支えていく考え方を持つのです。そして、住民自身もクラブを通じてさまざまなスポーツを楽しむようになれば、プロスポーツに対する理解もさらに深まっていくと思います。

全てのスポーツクラブには5年後、10年後を見据えた健全で地域に密着したクラブ経営を目指してほしいと思います。それを実現するためにも、Jクラブがそれぞれのホームタウンに暮らす人々にとってどのような存在であるべきか、今一度考えることが重要だと思います。

今までJクラブは私たちの地域にありながら、私たちのものではなかった。それは株式会社という組織形態がそうさせていたんです。

株式会社という運営形態をとっている。Jリーグ参入条件に株式会社でなくてはならないという明記はないが、暗黙のうちにどこのクラブもプロ化する段階で株式会社を設立するのが実情となっています。

 一方ドイツでは、ドイツ国内に存在する約2万5000のサッカークラブが「フースバルフェライン」である(唯一の例外となるレヴァークーゼン)。「フースバル」とはドイツ語で「サッカー」を意味するが、「フェライン」とはどういう意味なのだろうか。

フェラインはある特定の目的を持った人間が最低7人集まれば簡単に設立することができる。申請が比較的簡潔であることに加え、公益性の認証を受けることができれば、税制上の優遇処置(法人税、営業税、売上税などの軽減処置)や、小規模であれば、フェラインの会員が所得税控除を受けられるという処置もある。また、設立の目的も自由であることから、ドイツには趣味趣向に合わせて、消防団、自然保護、青少年育成、子育て、病人、高齢者介護、合唱、オーケストラ、音楽隊、スポーツ、観光、民族、園芸など、多種多様なフェラインが存在している。ちなみにスポーツを目的とした「スポーツフェライン」は、ドイツ国内に約9万ほど存在するが、そのうちの約2万5000がフースバルフェラインで、全体の約4分の1を占めている。

これは本当の意味での地域密着ではないと思います。地域密着とは、Jクラブと地域が一緒になってクラブを支えていくことである。その仕組みがハイブリッド型スポーツクラブです。


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移籍について

現在、Jリーグのクラブの主な収入は、観客、スポンサー、グッズ、放映権、移籍金などです。ここで話すのは、クラブに重要な移籍金についてです。

スポーツはまず勝敗を競うものというのが本質的な部分――だけど、そこがすでに揺らぎ始めている。選手売って10億儲かる環境がある時に、1億円の賞金に躍起になる理由はない。でも、Jリーグ側にそういう発想はホントにないんだというのが分かりました。欧州はビジネスライクにやっているというわけです。

でもこれは知っておく必要はあります。

欧州では、現実としてそうなっていて、この流れは止まらない。実際問題、日本代表クラスのほとんどの選手が欧州に行っていて、若手も少し活躍したらドンドン飛び出している状況がありますよね。もう欧州サッカーの市場にJリーグが接続されているのは絶対的な事実なわけです。つまりJリーグは欧州のクラブに食い物にされているというわけです。

ただ、これはあらためて強調しておきたいのだけれど、安いお金で獲ってきた安い選手は安い扱いを受けますよ、ということ。これは欧州が今ビジネスの論理で動いているから。

例えば、コロンビアとかカメルーンとかいろいろな国のハングリーな選手たちとの競争だから。日本人がそこで成功するのは本当に容易じゃないと思う。

言葉の壁もデカい。まあ、現状としては日本人の10代は狙われている実態の数ほどには出て行っていないと思う。あるJユースの選手が欧州の有名クラブのオファーを蹴ったという話がありますが、やっぱりそこに簡単じゃない壁があって、リスキーな挑戦だという認識自体はあると思います。

Jリーグに入ってプロとしての自分を確立するところまではやった方がいいと思います。それは日本に限らず、オランダだろうとフランスだろうと言えることだと思う。

ただ、徳島は、まったく異なる文化が支配するJリーグの中で欧州のビジネスの論理で動いているので。ビジネス化する欧州の現状には、ある種の恐怖感すら覚えました。でも徳島の取り組みには可能性を感じますし、日本人は絶対に知っておいた方がいい現実でもあります。

今のスポーツの問題点

例えば大人が1万円を払ってスポーツジムに行ったとします。そこでインストラクターに『おまえなんか練習させねえぞ』と言われたら『ふざけるな!』と辞めますよね。ところが日本のスポーツの現場では、それが公然と行われている。親からお金を頂いておいて、その子供に暴言を吐き、『そんなプレーをしていたら試合に出さないぞ』と交代を命じたりしているわけです。時代錯誤も甚だしいのに、まだそれを当たり前だと思っている指導者がいる。

確かにかつては自動車教習所の教官や警察官など居丈高が罷り通る職業がいくつかあったが、今では軒並み仕事に臨む姿勢も改められている。そう考えれば、スポーツ界は日本でも最も意識改革が立ち遅れているのかもしれない。

例えば、イングランドでは、『そんなんじゃ納得できない』と全員帰ってしまいます。欧州では言葉で説得するスキルがなければ、子供たちにも相手にされない。言語化技術も大切です。

 日本ではパワハラをした指導者たちが、『理不尽は社会に出れば往々にしてあることだから役に立つ』などと言い訳をしていますが、それは自分の無能ぶりを子供たちに責任転嫁しているに過ぎない。試合中に怒鳴り散らしているコーチは、トレーニングで選手を言葉で修正する能力がないことを自ら大声で知らせているだけです。

先生から生徒、上級生から下級生、まるで義務教育で学校へ通うようにサッカーをする。だから卒業すれば義務(サッカー)も終わってしまいます。

ドイツ人元Jリーグ監督のゲルト・エンゲルス、(かつて滝川二高サッカー部を指導)は、率先して生徒たちに伝えようとしたのは、サッカーを楽しむことだった。全体を小人数ごとにグループ分けをすると、積極的にミニゲームを行い、クラブ内のミニ大会なども実施。集中して楽しめる環境作りに尽力した。

そして次のように語っていました。

「たぶん生徒たちは、明日の練習が休みだと言ったら大喜びする。でもドイツの子供たちは、今日はサッカーが出来ないなんて言われたら、みんながっかりして落ち込むよ。もしかすると日本は義務と趣味のバランスが悪いのかもしれない。

サッカーを義務と感じたら「先生がいなくなった途端に辞めちゃう」
 実際にエンゲルスが、翌日練習がオフだと告げると、生徒たちから一斉に大歓声が沸き上がった。

「プロになれる選手なんて全体の1%。残りの99%の子供たちにとって、一番大切なのはサッカーを楽しむことじゃないか。僕はみんなに、サッカーを生涯の遊びにして欲しかった。そうすれば彼らの子供たちもサッカーを楽しむ。そういう種を蒔いていかなければ、サッカーは広まっていかない。サッカーを義務だと感じていたんじゃ、先生がいなくなった途端に辞めちゃうよ」

 さらにエンゲルスは熱弁を続けた。

「トレーニングをして試合に勝つのも結果だけど、サッカーを好きになってもらうのも大切な結果だよ。僕は80人の部員全員を、しっかりと見たかった。プロになれる可能性のある子と同じように他の子も助けたかった」

結果的にサッカーを楽しんだ滝川二高からはその後、波戸康広(元横浜F・マリノスほか)や加地亮(元ガンバ大阪ほか)、岡崎慎司(ウエスカ)、金崎夢生(名古屋グランパス)ら次々にプロの選手も育っていった。

 それにしてもなぜ日本だけが、こんな状況に陥ったのか。

その原因は、約70年前に当時の政府が学校にグラウンド、体育館、プールなどを作らせて、ドイツが実践していた軍事教練をベースにした体育をさせたことです。本来スポーツはラテン語の“Deportare”に由来していて、気分転換、つまり遊びを意味している。ところが日本では学校にスポーツを入れてしまったために、本来相容れない遊びと教育が一緒にされてしまった。

 だからそこに先輩後輩の縦関係が生まれ、成績や進路の権限も握る先生が、体罰を伴って朝練習や自主練習を課し、夏休みも練習に明け暮れるようになった。それを日本の人たちはずっと当たり前のことだと受け止めてきたわけですが、僕にとっては物凄い違和感です。


日本のアマチュアスポーツに蔓延する過度な勝利至上主義


 彼我の違いは、人生観にも反映されている。

もともと海外では人生は楽しむものだという考え方が根底にある。練習も仕事も短時間で効率的にこなし、オンとオフを明確に分ける。サッカーも監督の前でやるトレーニングがすべてで、逆に試合と同じ状況、強度で行う。それで十分なんです。ところが日本では長時間続けることで安心しているんです。

 過度な勝利至上主義は、全国高校野球選手権に端を発していると見る。

 すべての試合が天国と地獄に色分けされる。勝っても負けても、そこにカタルシスがある。やがてサッカーも続くわけですが“涙のロッカールーム”なんて、まさに典型です。本来すべてのアマチュアスポーツは選手のためのものでなければならない。ところがいつしか選手は二の次になり、観客やテレビの視聴者中心のイベントにすり替わってしまった。

 世界中の非常識が日本の常識になっているのに、どこからも声が挙がってこない。またパワハラに走るのも、高齢の指導者に限ったことではない。

「本当に根が深い……」

 しかしだからこそ、この異常な環境を変えていきたいと思います。



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充実ぶり、成熟ぶり=寛容さ
 もちろんそれも大事な活動ではあるが、そもそものところグラスルーツの対象となるのはそのスポーツをやりたいと思う一般市民全員だ。誰でも、誰とでも、どこでも、いつでも楽しめるというのがサッカーが持つ最大の魅力の一つ。それは一部の誰かにだけ許された特権ではない。プロリーグを頂点としたピラミッド図で見た時、底辺にあたる層におけるサッカー環境のあり方こそが、その国のサッカー文化の充実ぶり、そして成熟ぶりを何よりも色濃く物語ります。ここで問われる充実ぶり、成熟ぶりとは試合のレベルそのものではないです。寛容さ、受け入れる心です。いわゆるバリバリサッカーに取り組んできた「エリート選手」ではなくても、多少サッカーをかじってましたという人であっても、運動はどちらかというとちょっと苦手という人であっても、分け隔てなく生涯にわたってサッカーに関わり続けることができる、というのが本来普通のことなのです。

歴史が違うと誰かが言う。そうかもしれない。でもそれなら、どのように歴史が成り立ってきたかを知る必要がある。どの国もいろいろな変遷をたどって今があるのだから。習慣にあるものをそう簡単に変えて、確信のないものを受け入れようとはしない。だから新しいものを始めようとするとものすごく反発する。でも、そうした伝統を大切にする一方で、より良くなるための取り組みを積極的に導入しようとする人も必ずいるのだ。


「新規登録拒否」は聞いたことがない
第2回JFAグラスルーツアンケート調査結果が発表された時、その最後にローカルルールに対するアンケート結果が記載されていたが、現場ではまだまだ問題がたくさんあるということがあらためて浮き彫りになっている。日本サッカー界の不明瞭さが、一番濁ったまま漂っているという印象さえ受ける。

 一つ例を挙げると、設立したばかりのサッカークラブはその地区のサッカー協会に登録することが非常に困難という「登録問題」がいまだに全国的に多発している。

・チームから排除されたコーチを中心にサッカークラブを立ち上げたが、受け入れてもらえない。登録させないようにと裏でいろいろと大人が動いている

・地区のサッカー協会に登録できないと、その地区の大会だけではなく、さらに市の大会にも参加できないんです

・登録に向けて指導者もライセンスを所得しいろいろと準備や段階を踏んできましたが認めてもらえません。無加盟なままチーム活動をしていますが、公式戦に出場することができません

・支部の活動に参加するなど努力しているが、いまだに登録を認めてもらえない

これらはあくまでも一部の声です。日本で実際に指導者や保護者の方々と話をすると、もっといびつなやり取りもあるという。許可認定されないチーム同士でリーグ戦を行ったりしているが、それにも限界がある。県のサッカー協会に登録するためには、地区のサッカー協会に常任が必要というのもよくわからない。大人の事情だけが理由で、つまはじきにするというのはあまりにも度量が狭い話だ。そもそもそんなことをする人を大人とは言わない。子供のケンカの方がよっぽど正々堂々としている。そこで得られる小さな優越感のために縄張り争いをするというローカルあるある。ある意味日本っぽいが、ちょっと冷静に事象を見てみる必要があると思う。

 もちろん、真面目に地域のことを思って活動されている役員の方もたくさんいる。おそらく協会側にも事情はあるのだろう。予算的に潤沢なわけではなく、ほとんど無償で活動されている方も多い。グラウンド事情、リーグ戦の整備などを統括するのは簡単な仕事ではなく、これまでの事例を踏襲することが悪いわけなわけではない。

 でも、それでは何のための協会であり、何のためのサッカーなのかを改めて考える必要がある。

そもそも、協会に登録チームを選ぶ権利はない。地域の活性化に飾られたドンはいらない。例えば、ヨーロッパで、新規登録を断られるなんて話は一度も聞いたことがないです。同じサッカーファミリー。なぜ阻害しなければならないないのか?条件を満たしたクラブ・チームをすべて受け入れ、それぞれの地域と年代に応じたリーグ戦のシステムを作り上げるのが本来あるべき姿のはず。難しいことでも不思議なことではなく、ただ当たり前のことだと思っています。そしてできるだけ多くの指導者が育成を受けられるようにスケジュールを組む。クラブ、少年団の運営・経営をサポートするための講習会を開く。そうした基盤作りが必要なのだ。地域のサッカー協会だけで重荷ならば、日本サッカー協会がスタッフを派遣するくらいはどんどんしてほしい。そうなったら毎年チーム・選手・指導者登録費を払うことに抵抗を覚える人も少なくなるはずです。

「うちの地域では難しい」

そういうことではない。難しいからやらないのではない。必要だから、大切だからやるんです。それがどれだけ自分たちのプラスになるかをわかっていれば、どれだけ難しかろうが、いや難しければ難しいからこそ、そのためにどうすればいいかを突き詰めていくのがこれ以上ないチャレンジなのではないか。どれだけ立派な思想も、動かなければ変わらない。どれだけ勇猛な行動も、理念がなければ暴走してしまう。サッカーと一緒だ。子どもたちにピッチ内で勇敢なプレーを求めるのであれば、既存の不確かな常識に縛られずに、毅然と立ち向かう大人の背中を見せてほしい、そして自分たちが自立していく必要があると思っています。

子どもたちが楽しくサッカーをしてる姿が見たい。


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