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いらないことの必要性

それいらない。
それほんとうに必要ある?



といった会話が、テクノロジーの発展によって巷でも所々で聞かれるようになってきた。

書類やハンコウなどは元より、社会生活に欠かせないお金なども物質化は必要ないのでは?とさえ言われている。


そして今まで誰かの仕事、誰かの動きを見るということを仕事にしていた人達や、フィジカルな移動を要した会議なども必要ないと言われ始め、いろいろなものが必要ないのでは?
という空気が漂っている。


その領域にじぶんがいないとわかった人たちは声高らかに、無くそう、必要ないと主張する。




しかし僕はそういうときに、モンゴル帝国が日本に攻めてきた元寇を思い出す。

当時広大な領土をすでに持ち、巨大な戦力であった元が小さな島国である日本になぜ興味を持ったのか、大変不思議だった。


もちろん諸説あるが、元は当時戦争が減り、兵隊や軍人が市街地に余っていて、暇になった軍人が街の治安を乱すことを危惧し、元寇という本来必要のない役割を与えることによって、街の治安を守ったというのが、元寇の理由だということらしい。

つまり必要ない、いらないと、急速に人の役割を奪い、やりがい、活躍する場所を奪い、暇を与えるのは、長い目で見ると、危険だということなのだ。


その役割を削って浮かせたつもりのコストは、その後の削られた人たちの社会不安の可能性を考えたら逆に高いものであり、人が活躍できる役割を残すこと、というのが必要になってくる。


もしかしたら僕らは街を見て、あの仕事、役割、いらないよね、とふと思ってしまうかもしれないが、無くすことが全てではなく、もしかしたらいらないけどあることで安心して暮らせる人もいるのでは?
緩やかに変化している途中なのでは?と少し思えると、やさしい視線で、人の仕事の今を見ることができるのではないだろうか?


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
人は急には変われないんです。


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