見出し画像

雑談はほんとうに意味がないのか

仲の良い人に、じぶんの心の奥にあることを共有できること、してもらえること。
それらは人にとって、この上ない喜びである。



しかしそれは一対一であったり、ある程度環境や人数に制限やコントロールがきく場合の話であって、不意に数人の前でとか、部署内でなどの場合は、むしろ負荷が高いことが多い。



本来なら雑談や社交辞令やら業務連絡で済んでいるところが、私的なこと、心の奥のことを出さなければ、その場が収められないということであり、それは話してくれた、さらけ出してくれたと喜ぶ部分では本来ない。



話した人は、話さないと終わらない(ほんとうにそうかは分からないが)と思ってしまって、話していることが多く、その人はほんとうにこの環境、シチュエーションでこの話題を話したかったかを考えると、その人がしている無理を想像できる。




意味のある会話を、時間を。


そういう圧がビジネスや学びの現場を引き締めることはよく分かる。


しかし雑談やどうでもいい話の効用は、皆が心の奥にある言いにくいことを、そのまま抱えていられるところにあり、また雑談で時間を共有することによって、心の奥を出さなくても誰かと繋がれるところにある。




意味や有意義な時間が大事と言う風潮は理解できるし、したらいいと思うけど、無駄だと思うものの中に意味や有意義を探す努力も、惜しんで欲しくはない。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?