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なくなって初めて分かる

日常のじぶんを支えていたものというのは、案外認識していないことが多い。



それに気づくのは多くの場合、それがなくなった時だ。



最近仕事がワンオペで行う日が増えていて、それはそれで快適だぜと思っていた。



しかしふとした連絡やお願い事をする時に、変な抵抗感を覚えることがあった。
はたまたその返信の中に、じぶんのことをよく思わないという意味あいを付け足してしまうことが増えた。



それを信頼できる人に話すと、「会っていたことそのものが、もしかしたらあなたにとってのリソースだったのかもしれませんね。」という話をいただいた。



豊かなで、かけがえのない時間だとは思っていた。



しかしそれがじぶんの健康の礎になっていたことは、その機会がなくなることでしか、他者からそう指摘されるまでは、実感、体感できなかったと思う。



失ったものばかり数えていないで、今あるものを見つけようと励ましの台詞を時々耳にするが、その通りで、実はじぶんは多くのものに支えられて今日を生きている。



そしてその多くは日頃自覚すらしていない当たり前の中に隠れている。



だからこそ知らないし、気づかないし、自覚しておらず、失うことでしか気づけない。




でも少しそういう目線で日常に眼差しを向けることが出来たなら、日常は今より少し豊かなものになるかもしれない。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
受け取る側が気付いたその瞬間に贈与が発生すると言います。

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