余裕のある振る舞いを支えるもの
日本人が持っていた品の良さや落ち着きが失われてしまったと最近よく聞く。
たしかに一昔前は電車の降車時に降り切ってから乗るというのが当たり前だったけど、最近は我先にと乗り込む人もよく見かける。
そういうのを見ると、余裕がなくなっているのかなぁという考えがボクも浮かんでくることもある。
でもじゃあ何が変わってしまったのか?
まずは居る人一人一人か?
と思うけど、居る人一人一人は社会の影響を受けて育つわけだから、属人的にしてはいけない。
常識自体が変わったか?
人の目を気にしなくなったのか?
そもそもの文化や価値観が変わったのか?
義務教育に変化があったのか?
どれもおそらく変化はさほどない。
むしろ諸外国より変わっていないくらいだろう。
ここでおもしろいヒト科のデータがある。
ほとんど同じ遺伝子の、ある川を隔てた場所に住むボノボとチンパンジーがいる。
チンパンジーは気性が荒く、ボノボは温厚で争いを好まない。
何が彼らを分けたのかというと、チンパンジーの住む土地は食料がない痩せた土地で、川を挟んだボノボのいる土地は実り豊かな土地だった。
食料へのアクセスの良さと余裕、つまり豊かさが性格や気性に影響していたということ。
昔の日本人は品と教養があり、落ち着いていたというのも、もしかしたら根底には豊かさから来る余裕がそれを支えていたのではないか。
今の時代に失われてしまったものは、実は豊かさであり、環境からの影響を受けてボクらはそれを振る舞いに反映させる。
だからこそ余裕のある振る舞いをしようと思ったら、かつてより圧倒的にむずかしく、意志の力が必要になるはずで、そういう振る舞いの人を見かけた時は、これまで以上のリスペクトをはらって、そういう人と関わりたい。
なぜなら環境という強力な因子に逆らっている人なのだから。
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