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知らないけれど感じるもの

学会で京都に行っていた。


盆地で暑いと言われていた京都は、どうやら涼しい日だったらしく、山から気持ちのいい風が吹いてきて、思わず息を吸い込みたくなるような気候で過ごしやすかった。



京都観光というと京都タワーの見える方向に出ることが一般的だけど、今回は学会の会場の都合で九条ねぎでおなじみの九条方面が主な活動領域になった。




方向が違うだけでこんなにも人通りや賑わいが違うのかと思って驚いていたけれど、夜銭湯に行くとその理由が少しわかった。

入れ墨の入った方や痩せ細ったご老人、肉体労働者の方などが散見され、夜の銭湯がものすごく賑わっていることからも、おそらく祇園や四条などとは違う人々を受け入れてきた街なのだろうということが読み取れた。


そこに京都駅への好立地というところでホテル産業が進出してきているということなのだろう。
ボクらが泊まったホテルもデザインやアートを用いて、この街に新しい息吹を吹かせようとしているプレイヤーの一つなのだろうと思うと、この先このエリアがどうなっていくのか、とても気になっている。



これまで京都に訪れた時、不思議と二条や四条など反対側にしか訪れていなかった。
目と鼻の先にあるはずなのに、自然に経路には入らず、知りもしなかった。


こうやって近くにたしかにあるはずなのに、存在を感じにくいことって、もしかしたらボクらが日頃住む地域にもあるのかもしれず、実はそこにはいろんな経過や歴史がある場合もある。



今回知識よりも先に肌や空気で違和感を感じて調べると、いろんな経過がそこにはあった。



今度京都を訪れた時は、そのことを少し学んで、改めて街を歩いてみたいと思う。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
アートというものの主戦場は、人々の思い込みの部分なのかもしれない。



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