今の時代に「わざわざ」すること
旅行、旅に行くことを最大化させるものは、わざわざ行くことにある。
その風景は、名所は、名前さえ入れれば知ることも見ることもできる。
どんなお店があって、行った人がどう思い、何を味わったのかも知ることはできる。
まるで体験してきたかのように。
多くの場所はもしかしたらそれで満足してしまうかもしれないが、時々調べれば調べるほど、見たし、知ったはずなのに行きたくなる場所がある。
それは身体が直接行くことを求めている。
わざわざ行って五感で味わうことを欲している。
その場所の自然、空気、光、におい、音、すれ違う人、住まう人、建物の佇まい。
それらを全身で感じるために、味わうために、わざわざ旅に行く。
現地に行く。
そして思い返すと、それは旅行だけではない。
舞台とかライブもそうかもしれない。
食べ物を食べに行くはもちろんそうだし、気になるお店に行くのも同じかもしれない。
そして何より誰かと会うことも同じことだろう。
SNSには自己紹介も考えも思いも載っていることがあるけれど、それでは満足せずに時間を合わせて、きちんと約束をして会うわけで。
それもやっぱり五感や体験として味わいたいと思うからこそ、わざわざ会うが発生する。
ボクらは今頭でかっちだけれども、ほんとうは極めて身体的な存在で、その身体的な欲求であるわざわざを、叶えてあげることこそが、生きる喜びに繋がっているのではないだろうか。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
わざわざを、ムダなものと切り捨ててしまう考えこそが、ほんとうのムダなのかもしれない。
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