見出し画像

俗に言う「音楽と青春」

僕は来年で24歳になります。
ミュージシャンを始めて5年くらいが経ちます。

そろそろ同世代のミュージシャン仲間たちが
夢を諦めて現実の世界へと歩み始めています。

そんな中、僕はどうしてこんなにも飽きもせずに
むしろ歳を重ねるごとに音楽が大好きになって

ファンもそんなにいなくて、本来なら孤独を
感じる状況なのに、ちっとも心は孤独じゃなくて

音楽から広がる現実という名のパラレルワールド
そこにどんどん足を踏み入れています。

どうしてそんな事ができるのだろう?

それは、恐らく僕の学生時代に理由があって
俗に言う「音楽と青春」が僕にはないんです。

みんなで一つの音楽を共有する感覚、
拳を上げて、みんなで心をひとつにする感覚。

そういうのが、僕にはないんです。

逆にそういう環境に身を置くとムズムズして
僕はやっぱり一人になりたくなります。

要するに社会性がないんです、本来の私は。

ですが、なぜそれが音楽を続けていける
理由になるのだろう?と感じると思います。

その理由は、僕が常に未来を見ているからです。
「あの頃はよかった」的な感覚がありません。

でも過去を蔑ろにする訳でもないんですね。

過去の経験から学べる事は沢山あります。
最近では特に高校時代の文化祭でのライブを
意識しています。これは僕の初ライブです。

うまくいったとき、気持ち良かったときの
パフォーマンスをとにかく参考にします。
そしてその方向性を保ったまま、新たに技術を
刷新させるイメージで最近は活動しています。

その意味で過去はとても大切だと思っています。

しかし、長く続かないミュージシャンは
「昔みんなで作った思い出」的なものに
どこかで縋っているような気がします。

僕は正直羨ましいです、キラキラした青春が。
そんなの僕にはありませんでしたから。

そういう人たちにとって、音楽の羅針盤は
集団つまり「他人の集合体」なんですね。

非常に環境依存的で、僕には量産型に見えます。

僕はむしろ自分が好きな音楽は自分で調べて
ずっと一人で見つけて来ましたから。

それを友達に広めようとして、何度も失敗して
最後には「みんなが知っている歌にしてくれ」
と同級生から辛辣な言葉を貰いましたから(笑)

でも、たまに僕の話の半分くらい理解してくれる
友人と出会う事があって、そんな友人とは
ずっと今でも音楽の話ばかりしています。

僕にとって音楽の仲間は、集団ではないんです。
しっかりとした軸を持った個人なんですね。

それゆえに僕の友人は個性派がとにかく多くて
逆に僕の方が理解に苦しむ事も多々ありました。

きっとその友人たちも、孤独だったと思います。

でも僕はそんな友人の方が興味がありました。
音楽に対する知的好奇心が働くんでしょうね。

いつでも友人たちは僕を成長させてくれました。
パラレルワールドに連れていってくれました。

そういう意味では、僕もバリバリ他人から
影響を受けまくっています。でも羅針盤は
いつでも自分が持っています。ブレていません。

僕も友人も、それぞれが旅人みたいな感じで
本当に険しい茨の道を歩いているんですよ。

それが分かっているから、より強く繋がれるし
でも話す言語は全然違うので面白いです。

いい距離感だなと、いつでも感じています。

だから僕は孤独を感じないのだと思います。
もともと自分にとっての居場所なんてなくて
でも、ちゃんと深く話せる仲間はいます。

なんだか実業家と実業家の対談みたいな感じで
それぞれ畑は違うけど、それ故の面白さみたいな

部活やサークルのノリで音楽やってないんです。
一人でちゃんと音楽の世界を歩いて行けます。

もしかすると、これこそが僕にとっての
「音楽と青春」なのかもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?