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『Piercing』

ピアスを開けようと思った。

そう思ったのは中学のころ以来だ。

きっかけは2ndアルバムのリリースに際し、某アーティストが移住先のロンドンから配信を行ったことだった。

彼がピアスを開けた。

近況の発信でその事を知った時、
不思議と自分にもその時がきたと思った。

そして、そう決めた後でようやく私は “私” という人格に少し近づけるような気がしていた。

それから、遅すぎる“親離れ”かも知れない とも思った。

世間一般的なその言葉がふとよぎったのも、また新しい感覚だった。

両親との関係性や自分を雁字搦めにする性格は、今に始まったことではない。

とはいえ、考え方が大きく変わりだしたことは言うまでもなく、その大きなきっかけとしてはそれを差し置いて思い当たらなかった。

私にとって父は、よそ様や周囲の同世代が言う「厳格」「亭主関白」とは明らかに違うことを、十を過ぎる頃には感じ取っていた。

いや、それ以前にうちでは日常的に起こることが、起こらない家もあるということを羨んだ時点から潜在的には分かっていただろう。

いま振り返れば、父のそれは「度を超えた」とか「癇癪持ち」と表現され、性格に軽くでも触れるなら「自己中心的」や「他者愛の欠如」であると、私は思っている。

しかし、決して悪いことばかりではなかったと今では思えること、何ひとつ不自由することなく生活をおくらせてくれたことへの感謝など、語りきれぬ思いはまたいつかの機会に話そう。

私がピアスに初めて興味を持った時、母は嫌悪を示した。

それは絶対的な父の手前であったようにも思えるし、母の考えそのものだったとも取れるが、叶えることが難しいことには違いがなかった。

二言目に“父が”という言葉が出た時点で無理であることを悟った。

その時のことに限らず、その言葉を口にする母を私は好ましく思わなかった。

どんなに叱責されようと、ときに理不尽なことを言われようとも、心の底では母を求め追い続けていたが、父にその思いが向くことはなかったからだ。

何時、誰が、どの場面で、何をしたら、何を言ったらその時間がくるのか、未熟な私にはわからなかった。

動揺し口が聞けなくなり、父の気がおさまるのをただ待つだけだった。

しかしそういう私も決して両親にとって良い子供ではなかったことは、ここで言っておくべきだろうと思う。

私は父から逃れるためにできる限り遠くに行ったし、同じ時間を回避するためなら大きな嘘も平気でついた。

罪悪感なく平気で嘘がつけたあの頃について、どんな外的要因を語ろうとも、ただの言い訳にしかならず弁解の余地もない。

そんな両者の過去は水に流したように今を振る舞う私

父に好かれる人間を演じる私

いまだに大きな嘘をつき続けている。

それは大人になった自分を見て欲しい
そして認められたいという承認欲求によるものであると自覚している。

ファザーコンプレックスとは到底無縁だと思っていたが、私はそれを素直に認めることにした。

その時から目の前の景色が開けて広がるのを感じた。

そして私はその色をもった世界を前にして、長い間一歩も動かずにいたこの場所から、黙って静かに立ち去ることを決意した。

父の許可を得ずに。

私はこうしてピアスを開けた。
2023年、1月10日のことだ。

ピアスを開けると決めた後から、世界が色を帯びて輝いて見えていたが、開けたことによってその世界がそれ以上の変化を見せた様子はなかった。

このことを通して私は、人と同じものを見て同じ場所を生きているものの、自身による見方や感情、状況によっていくらでも異なる色をみせることを身をもって学んだ。

そのことはこの先を生きるうえで重要な気づきになったと思っている。


最後に
ピアスをあける行為と2023という数字に関連はない。

ただ、『兎』は感情ゆたかな動物であるが、声帯がなく鳴き声を発することはできないそうだ。
その代わりと言っていいか分からないが、全身を使って今感じている気持ちを表現する方法として跳ぶことがあるとも書かれていた。
また、本来 “跳ぶ”という行為は嫌なことから素早く逃げるために備わっている捕食される側のスキルだと知った。

それならば、私はずっと嫌だと思っていたことから自らの足で逃れることができたのは、癸卯の年であったから ということにしておこう。

– 年を跨いでPiercing –


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