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"才能あるね"ってなにか(みんな天才?!)。


「アーティストになれるのはひと握り」
「芸術で食べていけるのはほんの数%の天才だけ」
といった言葉をよく聞く(気がする)。

この言葉は、たしかに、とおもう反面、余計なトゲトゲや解釈がひっついているよなぁとも思う。

演劇をやっていたころ、「才能があるね」という言葉が一番嬉しかった。でもある意味、他人と切磋琢磨するなか、常に気にかかっていたことでもある。他人にはあって自分に無いもののように感じることもあれば、気にしすぎて自分自身を苦しめていたワードでもある。

アーティストを目指し、挫折して、別の業界へ転向した、というひとつの見方に対して
一口にそう表現してしまったらそうなのだけど、なんか全然感覚がちがうの…(大粒のなみだ)と苦しんでいる・モヤモヤしている方が少なくとも、いや、かなりいるんじゃないかなと思う。
わたしも、自分自身にこの解釈を長年強いていたのでよくわかる。自分のために整理したくて、この文章を書いている節もあるのだ。

わたしの場合、芸術、舞台、演劇、俳優の波動を一度ぜーーんぶ取りのぞいたら、自分本来の波動が戻ってきた。仕事も取りのぞき(倒産という強制終了だったのだが、笑)なるべく自然のなかに身を置いて、何もしていないときのナチュラルな自分自身の波動を取り戻した。
でも、やっていることは1mmも変わらない。実体験、記憶からくる真実のエネルギーを、自分自身が誠実に感じ、それをなにかの道具を使わずに、生身の自分自身の身体をつかって伝えるということだ。単純に話し、伝え、人と対話し、魂の交流をするということだ。そのエネルギーを文字にこめて、発信するということに活動の軸を置いてみた点だけはちょっと変わった。でも、話しているときや、伝えているときの自分自身は、なにも変わっていないのだ。舞台の上ではセリフという形式があり、その中で自由に魂を表現することを学んだ。内面を解放していくことを学んだ。それは羽が生えるような経験だった。舞台の上では超課題(役の人生の使命のようなもの)があって、それを自分自身がこころから欲するものに設定し、織り交ぜていく。本当に自分が経験してきたこと、実体験を思い出し注ぎ込んでいく。この実体験、記憶を思い出すという作業が、俳優のいちばんの仕事であると学んできた。実際、いちばん苦労する作業でもあった。初恋、裏切り、親との関係、、、自分自身の癖を見つめていくことでもあった。人生でいちばん嬉しかったこと、喜び、愛に満ちた感覚を思い出す作業でもあった。

なにを伝えたいかというと、自分自身を生きる ということは、アーティストであることとなんら変わらないということなのだ。私の場合、生きる海が違った。でもそれは間違えていたのではなく、そのときそうするしかなかったからそうしていたのである。(伝わってほしい。笑)2020年ごろのわたしをとり巻く環境のなかで、本当に自分自身の波動をみつけていく、表現していく場として"舞台"というフィールドが与えられていたのである。そこで自分自身を見つけ、波動をそだててそだてて、整ってきたところで追い出されたような感覚がある。当時はピシャリ、という感じだったけど、いま思えば、はい、いってらっしゃい!!!!(激励)といったところだろうか。支度ができた。実際、わたしにとっての舞台は、人との対話の"時間"そのものだったり、文章を書いてSNSへ投稿することそのものであり、普通に生きているこの世界だったのだ。伝えたいことも、机に向き合って捻りだす!みたいなことはない。朝起きて、白湯を飲み、本を読んだり、世界を眺めていたら自然とでてくる。大半は、いまの社会にうっすらとある生きづらさ、これはおかしい!と感じること、そしていま時代が要請しているあたらしい生き方について考えている。なにをしていても一日中そのことを考えている。なにか、変革したいと考えている。いつも幸せの隣にある生きづらさを見つめながら過ごしている。美味しいものを食べたり好きな人と過ごしたり、仕事をしたりすることもすべて、それを考え、閃くための材料になっている。これがわたしの超課題ということにいまはなっている。
(ちなみに先日はフルートを吹けることがデモ行進の時に役立って、なるほど、ここに繋がるのね!と感動したのである。笑)

コールの声を助長するのに役立った


ちなみに超課題や役の課題(欲求)は、小鳥のように繊細かつ逃げやすいもので、幕開けの時間が決まっている舞台きっかりにその意志を帯びることは、本当に難しい。本番の時間に焦点を合わせ、「ほんとにやりたい!!」という状態に自分をもっていくことに多くの人は苦戦する。台本をひらき新しい記憶を…!と、根掘り葉掘り思い出しては薪をくべ、火を絶やさない努力をしていたときは「自分のなかに意志なんてものあるのだろうか、、、(ちーん)」と悩んでいたけれど、いまははっきりとした意志が、わたしの中から発現し、人生の自然な行動に駆り立てているように思う。

これがはたして、「才能がなかった・離脱した・表現は向いていない」ということになるだろうか???

ならない。。。。よね!!(無理やり!)

いま(!)そこで悩んでいるかもしれない、あなた自身に重ねて考えてみてほしい。

創造って、芸術の形式をとっていなかったら、しょせん創造じゃないでしょっ、って思ってた。

一度、いまの持ち場の波動を綺麗に洗い流したら(職場だったり、肩書きだったり、いまのわたしをかたちづくっているものを、半年〜数年休んでみる、やめてみる)、プレイフィールドのほうから勝手に現れるはずだ。あなたの波動を最も表現できる場所、出し切れる場所。持ち場は常に変わり、何年後かにまた元の持ち場が現れるのかもしれない。でもそれはこの際どうでもよくないか??自分が、どの瞬間も自分自身を生きられていたらそれで最高じゃないか!!と思うのだけど、どうだろう。
そもそも、大学時代に熱中していたダンス部で、引退&就活の時期になるとみんなとたんに個性をしまってしまうのをとても不思議に思っていた。先輩や同級生や後輩がみんな、言いようもないほどほんっっとうに可愛くて、魅力的で、輝いていて。ステージを観てると芸能人を観ているのと何も変わらないくらい高揚したものだった。それは学生だけの特権じゃなくて、人類の特権であり、人生ずうっとそのままの姿でいていいはずなのに。一体、なにに、終了させられているんだろうって、考える。就活だって、舞台に立ってるときのように、自由でセクシー(?)な姿のまんまでいいんじゃないかと。(ちなみにわたしもしっかりと内定先にスーツとパンプスで通い続け、入社直前にパンプスのあの汗臭さに耐えきれなくなり、「わたし、もっといつも可愛い格好でいたい」って母に謎の格言を残し、辞めました)

多くの人は、表現活動に向いている。とわたしは思う。大恥ずかしながら、当時のわたしは「こんなに感受性があるのに、芸術じゃないってどういうこと??」って、ほんとにほんとに思ってた。(恥ずかしい!!爆)でも、あるのだ。無限に。。芸術以外の分野で表現できないか?というのにも全然ピンとこなかった。それは(今日はほんとに伝えたいから、語弊を恐れずに言うけれど)表現を芸術以外でやるって、どこか諦めている感じがしたからだ。そういう固定観念が自分の中にあった。世の中にもはびこっている気がする。アートをほかの分野と絡めて考えることがどうも受け入れられなかった。実際、純にアートだけをやっている時のあの感覚が好き!というのはいまも変わっていないかもしれないのだけど、舞台をやっていた時よりも、自分自身がますます、その"純"な状態であれるようになったのだから、考え方についてはもうどうでもよくなった。
(余談。演劇を休んだ時によく考えちゃったもうひとつのことは、よく"なおちゃんは才能がある" って先生が言ってくれたの、あれ、嘘だったんじゃん!!(投げやり!)ということ。(恥ずかしい!!爆爆)結局、わたしは舞台俳優にならなかったじゃないかー!と。でもでも、冷静に考えると、「俳優にならなかったこと」と「その人の才能のあるなし」は関連がなくて、その人の生まれ持った使命や、それをやっているときの輝きのことを言ってくれていたのだといまはわかるのです。なにをしていても、輝いていたら、先生はいつだって同じように言ってくれるのだろうなぁと思っています)

✴︎
最後に。

その人がその人を生きられているときって、
キラキラの粉がでている
ように見えるんです。

だから、人をぱっと見てまず感じるのは
金粉が出ているか、出ていないか。
どんな色でもいい、その人がイキイキしていて輝いているか?

そのキラキラの粉には魔力があって
ものすごい惹きつけられるのです。
その魅力はあまりにもすごいから、
まるごと真似したくなっちゃったりするので、その点だけ注意しています。
(とくにアーティストなど人前に出るお仕事、わかりやすくキラキラしているから、憧れやすいところがあると思うのです。演出家やコーチなど人の内的な感情を動かしたり操作したりするようなお仕事、霊性が必要になるお仕事も、自分にもできるかな?!と憧れやすいと感じます)

憧れても、真似してみても、楽しくても
あなたにとっての「それ」を見つけない限り
いつまでもあなたからキラキラの金粉はでてこないのです。。
それを見つける旅が、人生。

その入口でひとつキーになるのは
どれだけ自分の感覚を信じられるかということ。
誰になんと言われようと、自分が感じたこれは正しいんだと、真実と確信のエネルギーに満ちているとき、
人はものすごい金粉を放てるようになるのです。(!)

見つかっている人は、さらにさらに金粉を振りまきまくって、周りの人々を魅了してほしいのです!!(わたしも魅了されたい!笑)

繰り返しになるのですが、自分の波動を見つけるには
感性をもう一度研ぎ澄ますこと
環境を整えて日々洗うこと が
とっても大事、と思います。

みんなが天才なんです 本当に。
これは励ましでもなんでもなく
本当のことで
みんな、なにかの天才なんです。
いまの世の中にあてはめようとすると活躍の場がなくなっちゃうだけで、自分にふさわしい場所を生み出してしまえばいいんだと思うんです。(ちなみにこれからどんどん今までになかったような職種が増えていくようなので、そのなかにときめくものを発見するのもありだと思います。わたしも探しています)

場を探す前に自分の波動を取り戻す、そうすれば、場は向こうからやってきてくれる。
母親やら仕事やら、いろんな役割を着ることはあっても、その役割を演じて一生を終えたくはないはず!!誰でも。

"自分自身を生きる" をどの瞬間もつらぬいて、つらぬいて、つらぬいて生きていたい。そこから一時的に外れることがあっても、またそこに戻ってきたいと思います。

わたしもまだまだこれから見つかっていく途中にありますが、
この文章が、だれかのなにかのブレイクスルーのきっかけになればと、心より願っています!

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