末寺の末事 76
持続性が無い。「恩」を感じないワケじゃない。感謝してないコトもない。続かないということだから、満ち足りて穏やかに安らぐ心もまた、続かない。
愚痴と固く手を繋ぎ、不平や不満、恐怖や不安にばかり目を向けて生きている。
見方の問題なのか?「モンクを言わない」とか、「感謝しよう」とか、簡単に言う人もいるけど、そんなの自分で「よーし!そうしちゃおう♪」とか、決めたり思ったりできることなのか?
僕はそうは思いません。
…となると、圧倒的、超絶スーパーな「恩」に包まれ(続け)ていないと、満足も安穏もありゃしないってことになる。
しかし、無能過ぎて、圧倒的だと圧倒されちゃうし、超絶スーパーとかワケが解らない。
…お手上げじゃないか。
母方の祖父が亡くなる前に「考えてもわからんことは、考えんでよいこと」という言葉を遺してくれたが、今、その言葉に少し「恩」を感じている僕がいる。
to be continued
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