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末寺の末事 1

 書き留めたい想いはあれど、如何せん才に恵まれず、どこから手をつけたものか悩んでいるうちに、とうとう抑えきれず書き始めてしまった。

 僕の『生きづらさ』の根幹は、『寺に生まれた』ということに他ならない。無論、理由は『それだけ』ではない。しかし、揺るぎようのない現実的な柵や歯車が、重力のように不可思議な力で、お釈迦さまの手の内から抜け出ることのできない猿のように、抗う僕を『生きづらさ』へと誘い押し戻してきた。

 加えて、あの時こうしておけば良かったのに、なんでここまで考えが及ばなかったのか、などといったお決まりの自責の念と後悔を反芻し尽くした後、やはり、どうしようもない僕は『生きづらさ』を未だに抱合している。

 これが僕の生涯の些末な一部分であり、全てでもある。意味や目的といった大層なものは、後に考察するとして、今は目前の『生きづらさ』と対峙し、ここに記すことにした。

to be continued


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