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末寺の末事 167


 何が違うのか。たぶん根っこだと思う。人によっては芯とか中心とか、色々と表現されると思うけど、僕はたぶん、心の根っこのところに信があって、それが引っこ抜けないから、安心してユラユラ、フラフラ揺れていられるようになったんじゃないかな。

 これ自分で努力したんじゃ、こうはいかないんだと思う。なかなか引っこ抜けない信なんて築けない。なかなかというか、まず無理だわ。
自分好きで鏡好きのナルな方なんだろうけど、そこまでの自信家にはなり切れない。むしろ、自信がないことに自信がある。

 一朝一夕で適うことでもない。生まれてからこの方ずっと。いや、もっと前からだと思う。たぶん…知らんけど。とてつもなく永い時間をかけて、僕は僕に整ってきた。

 ただ僕は何の努力もせず、用意されたものを聴いてきただけ。というか、どちらかっていうと、用意されたものから逃げ回って抗い続けてきただけかもしれん。

to be continued



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