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末寺の末事 126


 つまり、門徒とは名ばかりの檀家制度です。

 歴史的背景や文化的影響も鑑みて、過去にこの「家」を軸にしたシステムが上手く機能して運用されてきたことは事実ですが、それがまた一方では、僧俗ともに意識的な鈍化に繋がった原因でもあるのではないか、とも思ったりもします。

 「家」というのは、現代における「家庭・家族」ではなく、「家父長制」のことです。

 時代は容赦なく変わりました。今の日本では「家」は機能していません。なのに仕組みだけはそのまま続けるって無理があります。

 盛り付ける料理が変わったのに、器がそのままでは具合がわるい。そりゃもちろん食べられはしますよ。でも、ラーメンを平皿で出す店を想像してみて下さい。確かに珍しいけど、たぶん潰れますよ。今はなんとかなっても、これからは無理ということですね。

 本質的なところに立ち返って、信仰はパーソナライズ化されるべきなのでしょう。

to be continued



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