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末寺の末事 177
一躰…、一つのからだ。また、同一のからだのようになっていること。同体。全体が一つのものになっていること。一つにまとまっていて分離できないもの。
いったい自分とは何者だ?いったいアナタは誰なんだ?一体全体もともと同体?
自分を説明しようとすると、どうしても他者から見てしまう。私は彼女の夫とか、私はこの子の親とか、そんな感じ。じゃあ、相手はどうかと言えば、これもまた結局同じ。
それなのに個性を尊重とか言っちゃう。相手が無けりゃ個性も無い。
身体は一つの指標なのだ。バラバラに別れているように感じている。各々別々なのだと信じている。私の心が…。でも、その私が私のみでは、どうにも説明がつかない。
尊敬とは、そんな畏敬への慈愛ではないのだろうか?
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ
本当にそんなことできるものか?愛は見返りを求めて苦悩する。
to be continued
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