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末寺の末事 118
逃避は解決策のひとつではある。かなり利己的ではあるが、場合によっては有効な手段と言える。しかし、重要なのは目的や意味だ。プロセスや目先の負荷・負担じゃない。
少なくとも、守りたいものがあったり、その大切な誰かや何かに、伝えたい、遺したいものがあるなら、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…。
でも、だいたい逃げてきた結果が歴史には遺されている。命には限りがあることを知って、現実に全力で磨耗していく人は意外と少ない。「今を生きる」とかをテーマにした話を聞くのは明日にしておく人は意外と多い。結果、世間が成立している。故に今をときめく人が際立って目立つが、本当に生きているとは限らない。単に逃げているだけなのかもしれない。
逃げているうちにも人生は終わるのだから。
自死した知人を思い出して、冷酷と言われるかもしれないが納得できる自分がいた。
to be continued
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