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末寺の末事 233

 『イエの宗教』には『イエの宗教』なりに、評価される部分もあって、というか我々の生活様式や文化の熟成や発展において、欠かすことのできない重要なものであったことは、揺るぎない事実だろう。

 どの国の、どの民族の、どの宗教においても、『イエの宗教』を通じた信仰の歴史は存在するのではないか。
 個人主義傾向が強くなった現代では、いずれの宗教も、大なり小なりその限界という壁に、ぶち当たっているように思うが…。

 あくまで『イエの宗教』は『ジブンの宗教』までの通過地点に過ぎない。

 ここのところの意識が軽かったのが、既存の宗教組織の失策だろう。かといって、ムキムキにこの意識が過ぎると、新興宗教臭くなる。
 難しさは解らないでもない。しかし、だからといって放置しても解決にはならなかった。

 『イエの宗教』の評価される点は認めないと先人たちの立つ瀬もない。そのうえで前に進むべきだろう。

to be continued



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