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母に捧げるバラード(移植day13)

現状報告

早くもday13
前の移植の時はday13で生着してたっけなと思いつつ、
生着前の白血球急増からくる骨痛辛かったなーと振り返ってます。

リアルに悶え、暴れ、ベッドを叩き、か弱い足腰でジャンプしたり、ジタバタしたり、当然痛すぎて寝れるわけもなく3日間ほぼ完徹してました。

痛み止めも入れても痛み、医療用麻薬もさほど効かず地獄の3日間でした笑

今はというと、引き続き体調的はめちゃくちゃ元気です。
ご飯も食べ、ポテチとかクッキーとか食べたり、炭酸飲んだりしながらWebライティングも続けてます。

ただ、今回はけつあなの痛みが半端ない。
常時痛くて、排便時とそれが終わった時は痛みが倍になる。

なので痛み止めの点滴を最大量入れて、常に痛み止めが効いてる状態にしてます。
それである程度マシなもののそれでも痛い。
痛み止めなしでは寝れない体になりました。
まぁあの時の骨痛よりはマシかなと思って耐えるのみです。

血球の状態はというと、白血球は増加の兆しを見せていて、
ずっと0.01だったものが、今は0.04になりました。
ちなみに正常値は3.3~8.6です笑

生着の定義は、
白血球の中の「好中球」が0.5を3日連続で越えているということ。
正常であれば、白血球の中の好中球の割合は45〜65%です。

なので、白血球の中でも好中球が大事なわけですが、
現在好中球は0.01でした。

0.01か0.02かというのは誤差の範囲なので実数は置いておいて、
こちらもしっかり増えてます。
今までは「<0.01」でした笑

今のところはちゃんと生着に向かっていってそうで安心しました。

でもあくまで今のところです。
ほぼ毎日朝6時に採血され、午前中に採血結果を知らされ、
数値に踊らされる日々が続きそうな予感がします。

ある程度長い目で見て治ればいいので、
1日1日の短期的な変化に一喜一憂しすぎないようにしたいなと思いつつ。

ちなみに白血球が増えると、もちろん体を修復する機能が少し出てきます。
なので、ここからは少しづつけつあなの痛みも落ち着くかもしれません。

修復に使われる白血球が多いと、白血球増加の妨げになるのでその分正着も遅れます。

正直、最終的に生着するなら長引いてもいいから、とにかくこの痛みをなんとかしてほしいです。

短期的な幸せに目が眩むのが人間です。

多分長引いたら不安でたまらなくて、痛みはええからはよ生着してくれと思うやろなと思います。

生着前はよくあることらしいですが、
最近輸血しても以前より数値が伸びないことが多いです。
なので、あの嫌な血小板輸血も頻度が多く、今日で3日連続の血小板輸血でした。

3日連続で日中に無理やり薬で寝かされるのが仕事の邪魔で鬱陶しいですが、我慢してこちらも耐えるのみです。

仕事はというと、最近1.5〜2時間で1記事書けるので、
1日2記事書くことが多いです。
今月だけでも3、4万稼げそうなので、3月に10万とか余裕かもしれません。
大して楽しい仕事ではないですが、結構うまいこといってます。

余談

はじめに

今回は、ただの思い出と好きな曲の話を書きたくなりました。

先に言うと『母に捧げるバラード』という曲ですが、マザコンの曲ではないし僕がマザコンと言う話ではないです。
僕は男なら誰しもという一般的なレベルのマザコンだと思います。笑

本題はまた覚悟についてです。

覚悟とは何かについて少し調べていると、ある動画がでてきました。

この人が言うには、「覚悟=先に決めること」のようです。

準備が整ったから覚悟が決まるのではなく、
覚悟を決めるから準備が整ってくるのだと言ってます。

確かにそうでした。

これまでに覚悟したのっていつかなーと思うとやっぱり転職の時です。
初転職だったので、今思うと気構えすぎてたかもですが、楽しみな反面不安もありました。

でも転職先を決める前の、
転職することを決めた時点で、
絶対にこれだけはやると決めていたことがありました。

それは働くことです。
当たり前ですが笑

ただ、働く。
とにかく働く。
止まらずに働く。
ということだけを心に決めて転職活動しましたし、転職しました。

シンプルに死ぬ気で働くという意味もありますし、
とにかく動き続けるという意味も込めてます。

もともと考えすぎて動けなくなることが多かったので、
PDCAではなくDo,Do,Do,Doだと
胸に刻んでいました。

当時は覚悟という風には考えてませんでしたが、
このとにかく働くと「先に決める」ということが、
覚悟だったらしいです。

そんなことを考えている時に出会った歌が『母に捧げるバラード』でした。
ちょっと特殊かもしれませんが、とても背中を押してくれた曲です。

とにかく働く+母に捧げるバラードのマインドで、駆け抜けた3ヶ月間でした。
この2つだけでも、あと3年は行けたと思います。笑

先に決めたことによって得たもの

そもそも転職を考え始めた主な要因は、
仕事へのモチベーションとか楽しさとか達成感とか充足感とかそういうものを
ほぼ感じない期間が長くなってしまっていたからです。

そのころは、仕事=苦痛でした。
もちろん就業時間中ずっと苦痛があるわけではないですが、
全てがだるい作業みたいな感じです。

転職前の1年間だけで見ても、
3年越しに取れたでか案件とか色々いいこともありました。

でも、心は動いてなかったです。
取れたおかげで、お金を多めにもらえた時だけ心が動きました。笑
(前回書いた、自分じゃなくて他人がすごいだけというネガティブさも相まってだと思いますが笑)

理想は、案件とれた達成感イェーイ、お金ももらえるイェーイです。
でも実際は、案件取れた、これから作業増えてまうのだる、まぁでもお金もらえるしイェーイみたいな感じでした。

そういう仕事=苦痛というネガティブイメージを持ってこの仕事を続けたとして、

文句ばっか垂れるおっさん窓際社員に成り下がるのではないか?
この先このまま働いていて死ぬ時満足できているのか?
人生を通して、これをしたなと思えるのか?
もし子供ができた時、自分の仕事を誇れるのか?
笑って死ねるのか?
と自分に問いただして転職を決めました。

そもそも僕は仕事に熱くなりたいし、
熱があれば深夜残業とか休日出勤とか全然したいタイプです。
シンプルにもっと死ぬほど仕事したいと思ってました。

斜に構えているところもありますが、
トータスとかサンボ好きなぐらいですし根本は熱々の人間です笑

でももうその時の仕事には、
これから熱を持てる可能性すらも感じることができなくなってました。

上司にそんな話をしている時に、
とりあえず30歳まで死ぬ気で働いてみたら?と言われたことがありましたが、
もちろんそうしたかったです。
でも、その場に留まっていたらできるわけ無かったです。

それぐらいもう無理でした。

なので、
仕事=「苦痛も伴う快楽」に変え
笑って死ぬために
転職して、とにかく働くことを決めました。

そのおかげか、仕事のイメージは好転しました。
仕事は忙しくも楽しく、モチベーション高く、もうこれ以上仕事受けれんと思いながら、
いやまだまだできるしまだまだしたいと思えてました。

結果的にはたった3ヶ月間でしたが、
仕事=苦痛を伴う快楽
になってました。

もちろん関わる人たちのおかげも、仕事の内容もめちゃくちゃ大きいです。
社内の人間関係も、社員の熱量高い企業カルチャーも、商材も、お客さんも合っていたと思います。

特に商材、仕事内容がお客さんの事業に直結するものばかりなので、成果に手触り感があり、楽しかったのも大きかったです。
SBでは商材柄、最終的には価格勝負になることが多かったですが、
CAでは予算を提示されて、予算内で最高の提案してくれ的な案件が多かったのも良かったです。

どちらが良い悪いではなく、僕には後者が合っていました。

でもやっぱり、一番はとにかく働くと決めていたことだと思います。

以前は、
疲れでも分からないことがでてきたでもなんでもいいですが、
1度立ち止まると
色々無駄なことを考えて仕事を少し止めてしまうことがよくありました。

でも、とにかく働くと決めていたので、動き続けられました。
先に「とにかく働く」と決めていたことで、
仕事を止めるという選択肢はないです。

悔しいことがあれば、くよくよと悩んだりする方ですが、それも吹っ切って動けました。

打ち合わせで何も発言できてなかった僕に
「文野くんこれどう思う?」と振られ、
マジで正解も不正解もなにも分からず、
というかなにも理解できておらず、
「難しすぎて分かりません」
っていう1番クソな最悪の回答した時は、ほんまに落ち込みました。

いろんな言い訳をしたいところですが、
実際黙ってるだけでもカスやのに、しゃべってもカスでした。

その後、怒られたわけでもないし、何も言われなかったですが、
普段ならめちゃくちゃ落ち込んで考え込んでしまうカスな僕です。

でもとにかく働くことを決めていたので、すぐに動けました。

動けた理由は紛れもなく「先に決めていた」からだと思います。
今思えば、これが覚悟の正体でした。

全て「先に決めていた」成果です。

今では、僕はメンタルが弱いのではなく、
メンタルを作るのが下手だっただけなのかなと思っています。

母に捧げるバラード

そんな転職時の思い出ですが、転職の入社日の直前に知ったのが、
海援隊の『母に捧げるバラード』です。

2021年8月1日入社でしたがその前々日でした。
大好きな霜降り明星のオールナイトニッポンで、粗品休みのためせいやソロ回がありました。

ラジオ全編通してせいや1人ですが、
合間にながれる曲も、全てせいやがその場で歌う『母に捧げるバラード』でした。
もちろんこれはボケで、めちゃくちゃおもしろかったです。
(全編面白くて神回の1つだと思うのでぜひ聞いてみてください)


ただ、曲の歌詞というか語りの部分がちょうど刺さるもので一生忘れられない曲になりました。

働いて働いて働き抜いて、
休みたいとか遊びたいとか、
そんなこといっぺんでも思ってみろ。

そんときゃ死ね。

それが人間ぞ。
それが男ぞ。

(上の動画の29:33〜がこの歌です。その後も何度かあります笑)

これや!と思いました笑

休みたいと思ったら死ななあかんなと。
まぁそれは言い過ぎかもですが、
休日以外にも休みたいと思ったりするようじゃあかんなと。
それが人間、男やと。

前時代的やと思われるかもしれませんが、本気で思ってました。

まぁもう少し広く捉えると、全力で生きろということだと思います。
怠けてだらだらして無駄に人生を消耗するなよ、ということを言いたいんだろうなと。

この曲を聞いて、ぶっ刺さり、めちゃくちゃ気に入って、
家で妻にしょっちゅうこのセリフを言ってました笑

仕事の話をちょっとでもしようもんなら最後には
「働いてー働いてー」と言ってました笑

転職して、忙しくてひーひー言いたい時も、うまくできなくて悔しい時もありました。

その度に、心の中で
「働いて〜働いて〜働き抜いて〜、、、」
と歌い、
「いま休んだら死ぬのと同じ」
と言い聞かせてました。

もしかしたらこういう合言葉的なものがあることも、自分の中で反芻できて良かったのかもです。

おわりに

覚悟について再度書いてきましたが、
いつでもどんな時でも「先に決められる」わけではないと思います。

覚悟とはどういう時にするものか、ということですが、
基本的には崖っぷちだったり、どん底の時。
チャンスではなく、ピンチの時にやっとできるものだと思います。

人間、調子がいい時に覚悟とか考えなくても波に乗ってるだけで前に進みます。
どうにもこうにも前に進めなくなった時、足をもう一歩前に進めるためにあるのが覚悟だと思います。

今考えると、転職の時も、再発直後もどん底でした。
そんな時に助けてくれたのは、
人からの言葉だったり曲だったりしますが、
最終的に重要なのは覚悟で、イコール「先に決める」ことだったみたいです。

なので、もし前に進めない時が来たら、
悩んで悩んでどん底まで潰れたそこに覚悟スイッチがあるのかもと思って、
ある意味前向きに沼にハマれればいいかもしれません。

まだなんとか一歩でも踏み出せてるうちは底ではないです。
もう半歩すら出せなくなったらそこにスイッチがあるはずです。

そんなことできるか知らんけど笑


一応原曲も貼っておきます。

せいやのとはちょっとセリフが違いますが、働いてーの部分は同じです。
霜降りANNのせいやソロ回を聞いた後だと、セリフの間がボケに聞こえて笑ってまう体になります。笑

本当に大好きな曲です。
故郷どうこうはまだよくわかりませんが、一生懸命に生きようと思える曲だと思います。


さすがにネタ尽きてきました笑
いつも、書いてる最中には次はあれかこかなーと思い浮かんでますが、
全く出てこないです。
ネタくらはい。

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