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あえて「絶対」と言う意味

はじめに

今回は、前回のメンタルの大前提となる、昔からなんとなく思っていた「俺は運がいい」を書きつつ、
この1週間で、それでもまた不安等々が再燃し、また落ち着かせることができたので、
それについて、書きたいと思います。

先週、前回の記事を出すまでは、
入院生活にある意味で満足していました。
体調もよかったし、メンタルも安定してて、ただただやりたいことだけやれている日々でした。

でも、やはり何かのきっかけで不安は溢れてきてしまうもので、
その瞬間から不安を抑えられるようになるまで、それしか考えられないようになります。

この病気になってしまった限り、退院しても最低5年は安心できる生活はないし、
その後も多分、もうプラス5年ぐらいはうっすら不安が付きまとうんだろうなと思っています。

でも、今回のメンタルの崩れは、意外と一瞬で抑えられました。

それは「覚悟」でした。

かっこつけたように聞こえるかも知れませんし、ありきたりだと思われるかも知れません。

病気(定数)の不安に対しては、
自分の努力ではなんともならないので考え方や心持ちでしか対抗できないわけで、
大事なのは「覚悟」と聞くと、そう思うのは当然です。

多分僕も病気じゃなかったら同じ考えになってます。

でも、当事者として本当に不安で何も考えられなくなり、前に進まない状況に置かれたとき、
初めて本当の意味で「覚悟」をもてるものだと実感しました。

俺は運がいい

おそらくこの考え方が1番今のメンタルを支えています。
激太の実家とか鬼イケメンとかド天才とか、上を見たらキリない話ですので、偏差値58ぐらいのイメージで思っています。

めちゃくちゃに豪運ではないですが、胸張って運いいと言えます。
これは、「上見て歩くな下見て歩け」的な要素もありますが、エピソードを紹介します。

まず、生い立ちからして運いいです。

父はローカルな居酒屋経営していて、5人兄弟の真ん中に産まれ、
兄弟多いにも関わらず、結構でかい家に住んで、何不自由ない生活をさせてもらってきました。

東大阪の汚くて品のない地域ですが、
その地域の中ではちょっと金持ちな方かなと思ってました。
もちろん、お金の面では孫正義の子供とか言い出したらキリないですけど、
基本的に子供の意志を尊重して育てられ、
厳しいしつけも全く記憶にないです。

勉強、習い事、部活、バイトなど基本全てするもやめるも子供の自由でした。

どう考えても親ガチャ当たりです。

余談ですが、うちの父は反社みたいな厳つい顔してますが昔はカッコよかったし、
母はもう老けていってますが、昔は美人で藤原紀香に似てました笑

参観日は、いつもうちのおかん1番美人やなと思ってました。
卒業式とかで「これぞ卒業式のおかん」みたいなオバハン色のセットアップとか着てないのも自慢でした。

父は今でこそ財布をもってますが、20年ぐらい前は財布を持たず、札束を折り曲げてデニムのポケットに入れてました。
デニムに札束のアタリが出てて渋かったです笑

大学受験を決めた時も、運よかったです。

高3の時、受験どうしようかなーとなんとなく思ってる時に、友達から
「八尾翠翔(僕の高校と同レベル)から関大に特待で入った人おるらしい」
と聞いて、じゃあ俺も頑張ろかなと思って受験を決めました。

高校のレベルは、偏差値50ぐらいで、関関同立は学年に数人おるかおらんか、
近大入ったらなかなかすごいって感じでした。

その高校で特別成績良かったわけでもなかったので、関大の「か」すら頭に浮かんでなかったですが、
その話を聞いたおかげで関関同立を目指すきっかけになりました。

だから、友達のその一言がないと絶対受験頑張ってないです。
その一言をもらえた自分、めちゃくちゃ運いいです。

友達おもろいとか上司ええ人やったとか、運いいエピソードはいっぱいありますが、
やっぱ俺運いいわって思ったのは1回目移植の時のドナーが早めに見つかったことです。

今となっては再発してしまってますが、早めにドナーが見つかるって半端ないです。
しかもHLAと言う白血球の血液型が全一致してるドナーさんでした。
これまじで運いいです。

詳しい説明は省きますが、豪運です。

HLA全一致していたことによって、
移植の副作用も比較的少なく、
よくある白血病の闘病記のように1日トイレに吐き続けたみたいな辛い入院生活ではありませんでした。
(言うて、人生最大に辛かったです笑)

別に運良くないやろと思う人もいると思いますが、僕は運いいと思ってます。
白血病になったとか、再発してるし運悪いやんと思われると思いますが、運悪いことには目をつぶってます笑

というか、そんなもん今までの運いいエピソードと比べたら、カスみたいなもんです。

運いいエピソードは山ほど出てきますが、運悪いエピソードはあんまり思いつきません。

結局はどう捉えるかでしかないですが、
この通り、病気・生まれ・上手くいったことについては運が良かったと捉えています。

今後もいろいろな定数の出来事はあると思いますが、
基本的にはポジティブで、大体のこと上手くいくと思っています。

(逆に、悪いことが起こった時は運悪かったではなく、
努力・実力不足と思ってしまうので、その辺はまたの機会にしたいと思います。)

不安と覚悟

不安の再燃

上記のように、定数に対しては基本的にポジティブな自分ですが、
なかなかそれだけでは不安は抑えられず、この1週間でまた不安に押しつぶされそうになりました。

先週土曜日、久しぶりに現職(もはや休職期間の方が余裕で長いですが、、)の上司や先輩、同僚とZOOMしました。

なぜかずっと遠慮して1年間言い出せなかった会だったこともあり、
近況を話したり、久しぶりに仕事の話をしたり、本当に楽しい会でした。

大人数集まってもらえたこともあり、
パワーももらえ、元気なうちに時間をもらって本当によかったと思います。

3ヶ月しか働いてませんが、皆さん集まってくださいました。本当に有難いです。
そして、サイバーエージェントはいい意味で特殊な会社です笑

ただ、それと同時に、現在進行形で仕事を頑張り、成長して、ステージが上がってたりする話を聞くと、
前より差が開いていっていることと
自分が足踏みしていることをまざまざと感じ、
自分の状況に対するどうしようもない悔しさが込み上げてきました。

初発の当初、病気の不安はほとんどなかったものの、人生の足踏みを強いられている状況に1番苦しめられました。

それも諦めがついたと思っていましたが、全くそんなことはなく、
時間が経って慣れただけなのか、
そもそも病気に対する不安等々が大きくなりすぎていたのか、
その感情を忘れていただけでした。

むしろ初発の時から1年経ち、
当時より差を感じて、余計悔しかったかも知れません。

「絶対」という覚悟

その日の晩から日曜もずっとそのことばかりが頭の中でぐるぐるしていて、
それまで普通に楽しめていたYoutubeもゲームも全く手につかなくなりました。

何かを具体的に考えているわけでもなく不安だけが溢れている中で、
現状に対する悔しさとともに、
やっぱり自分は、もう一度仕事頑張りたいんだなと再認識しました。

今回再発してから、母からは
治っても仕事はほどほどにして
できる限り家族といる時間を長く持った方がいいとか、
できれば子供を作って、周りに助けて貰えばいいとか、
助言をもらっていました。

僕も以前のように仕事はできないと思っていたし、こうなってしまった以上それが幸せなのかもなと思っていました。

実際、再発がわかってすぐに一番辛かったのは、
仕事への未練や自分自身がこれから長生きできないかも知れないということよりも、
もし自分が死んだら、
妻や両親はどんな悲しみを背負って生きていくのかを考えた時できた。

当時泣いてしまっていたのは、
自分がもっと生きたいからではなく、自分が死んだ時に真横で妻と母が泣き崩れるのを鮮明に想像できてしまったからです。

だからこそ、治ってからは、
できるだけ長い時間一緒に過ごせればそれだけで幸せなことだと思っていました。

しかし、今回仕事への思いを一気に自覚させられ、
ただ治るだけではなく、元気にならないと意味がないと思わされました。

自分のやりたいことに再度気づけて良かった反面、
自分のこれからの人生に対する欲がこれまで以上に強く出てきているということで、
満足のハードルが上がってしまうので、
それによっていろんな不安が湧いてきます。

欲を持った僕は退院後のことを考えて、

また頑張れる日がきても病気が再発して邪魔されるんじゃないかとか、
再々発まで行かなくても満足に働ける日はいつまで経っても来ないんじゃないかとか、

最終的には「病気になった時点で自分の人生詰んでる」とまで思っていました。

1回目の記事から、前回の記事を投稿するまでの1週間は、入院生活に満足していました。

これは紛れもない事実ですが、こうして欲を再認識したことで、
あくまでも欲に蓋をしていいただけだったと気づき、
自分の欲と無駄な不安に気持ちを落とされた日になりました。

そんな土晩・日曜でしたが、
月曜に上司からのメッセージで救われました。

『「絶対」という言葉は何事においても覚悟がい
りますが、また絶対に一緒に仕事しましょう』

本当に今でも書きながら涙が出てしまうほど、突き刺さった言葉でした。

「一緒に仕事しましょう」という言葉が嬉しいということはもちろんですが、
自分に足りなかったのは、
不安を押し退けるほどのポジティブさや
強靭なメンタルでもなく、
「覚悟を持つ」ことだと気付かせてもらえました。

人から応援メッセージとして「絶対大丈夫」と言われると、その気持ちが嬉しいものの、
「絶対」という言葉だけは全くと言っていいほど入ってきませんでした。

noteにも「絶対はない」とか「確率が〜」とか書いてましたが、
上記のことも含め、全てはうまくいかなかった場合に、
できるだけ苦しまないように自分の気持ちにかけていた保険だったことに気づきました。

覚悟を持つことで、
欲から目を背けたとりあえずの幸せではなく、
欲を認識し、いろんな不安も受け入れた上で、
とにかくまたあの場に戻るんだという強い気持ちを持つことができています。

こんな状況にならないと、それこそ絶対に身に沁みない言葉だと思います。
たった一言ですが、この言葉のおかげで今こうしてnoteを書けている自分がいます。

おわりに

救われた言葉について、本当に今後大事にしていきたい言葉をもらえ感謝しています。

この言葉は素敵ですが、
誰からもらうのかがとても大事だということも改めて感じます。
強い信頼関係ができていて、人間的にも能力的にも尊敬できる人から言われたからすんなり入ってきたのであり、
家族や友達から言われても、
なんとなく的外れに聞こえてしまっていたかもなとも思います。

上司との大きな差を感じながらも、それを目指して治療も仕事も頑張ろうと思えた出来事でした。

ちなみにこの言葉を頂けたのは、上司ですが、年齢的には3個下で、
たまたまですが僕と同じ同志社卒の方です。
(転職してから知り合いました。)

引用で書いた言葉だけ見ると、
固く見えますが年齢的にも関係性的にも
前後にもう少し砕けたやりとりもしてます。

でも、
25、26歳にしてこんな言葉でるかと、、、
仕事の能力だけではなく、人間的にもできすぎです。笑
(自分の3年前考えたら恥ずかしくなります、、)

この方は役職的にはマネージャーですが、
その上の局長からもいつも本当にパワーをもらえます。
仕事は言うまでもないですが、人間パワースポットみたいな人で、
正のオーラが漂っていてメンタルお化けです笑

自分はそんな風にはなれないだろうなと思いつつも、
憧れ・大尊敬のお二人です。

そして、入社直後からとにかく事あるごとに褒めてくれて、自己肯定感を爆上げしてもらえます。
この歳になってもやはり褒め言葉は、大好物です笑
とにかく褒められたい人、サイバーエージェントおすすめです笑

そして、やっぱり俺は運がいい。

昔からそうでしたが、周りに恵まれています。

前回は母の占いに助けられてますし、
今回は上司にパワーをもらえました。

あっけらかんとしている妻にはいつも安心させられます。
(それに腹が立つこともあるのは言うまでもないですが笑)

笑いや応援をくれる友達からはいつも豊かさをもらっています。

今までは弱い自分を見せたくない、
気持ち的にしんどくても誰かに本気で相談したことはなかったです。

僕にとって、気持ちを吐き出すことはなかなか簡単なことではないですが、
吐き出すことによって救ってくれる誰かが居ることを知りました。

病気になってよかったとは、なかなか言えませんが、
病気にならないと気付けなかった
何ものにも代え難い、人の温かさや人生通しての学びを得られていると思っています。

よかったとは言えないまでも、結果プラスだったと言える人生にしたいと思います。


余談ですが、トップの画像は
高校時代48グループのオタクしてた時に作ったつなぎです。
友達数人と絶点(ぜってぇ)軍団やってました笑
恥ずかしい思い出ですが、いい思い出です。

ちなみに大学ではハロプロが好きでした。

team ℃-ute時代

現状報告

先日から状況が進んでおり、
来週21日(月)から移植前処置が始まり、
再来週28日(月)には臍帯血移植が決まりました。

14日(月)の骨髄検査の結果、骨髄中のガン細胞の割合は2割弱でした。
理想としては、0の状態での移植でしたが、
もう一度抗がん剤をする時間的猶予もないらしく、いわゆる非寛解移植となります。

前処置は、前回と少し異なりますが、2回目になります。
6日間めちゃくちゃ強い抗がん剤を入れて、残っているガン細胞を0にすると同時に、
骨髄をすっからかんにして、移植する細胞を入れるスペースを作ります。
詳細省きますが、もちろん半端ない副作用がきますし、
移植してからも色々なしんどいことが起こります。

前処置中は常に心電図を付けられていて、何か異変があればナースコールを押さなくても看護師が飛んできます。
ビビらせたい訳じゃないですが、それぐらいの治療だということです笑

移植から生着(体と細胞が合致する的な)まで大体3週間です。
前処置開始〜生着までの4週間が、恐らく人生で身体的には一番しんどい期間になりそうです。

また、生着するかが勝負の分かれ目です。
何とか耐えて、生着を祈ります。

無事生着すれば血液型がA型に変わります。
元々B型で、今は0型(前のドナー細胞)、次はA型(今回の臍帯血のドナー細胞)です。
性格は、変わりません笑

今のところは体調いいですが、輸血と点滴の毎日です。
僕の骨髄に自力で血をつくる力はもうすでにないです。
そもそも再発した時点で正常な血は、ほとんど作れてなかったですが。

もう何度目の輸血かわかりません。
赤血球と血小板の輸血を2日に1回はしてます。
献血によって命を繋ぎ止められています。
献血頂いているどこかの誰か、ありがとうございます。


とりあえず今の目標は、移植前日の来週日曜日にまたnoteを上げることです。
自己満で始めてみたnoteがライフワーク化してきており、
毎週土日のどちらかには投稿したいというところから、今では少しの義務感が芽生え始めました笑
誰に期待されてる訳でもないですが、何となく続けていこうと思います。


あと、ポケモン買いました。

水曜日のIC終わり
病院では、僕はイケメンで
美男美女夫婦ということになっているようです。
看護、ホスピタリティとは奥深いです。笑

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