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【エッセイ】父の干し芋

「これ、なに?」
 週末に帰省していた私は実家のリビングにぶら下がっているものを見て尋ねた。
 それは青い網でできており、籠のようで三層のそれぞれの面には何やら不格好な黄色いものが並べられていた。
「それ? ああ、お父さんが作っとる干し芋やがね。好きなの食べやあ」
 新聞を読んできた母は顔を上げて、さも当たり前のことのように答えた。

 定年退職するまで父が台所に立つ姿をあまり見たことがなかった。
 根が真面目な父は仕事が好きで、職業柄、緊急時や災害時には職場へ向かうことも珍しくなく、家にいても本を読むか庭仕事をしたりで、料理は食べることに専念するタイプだった。母に言わせると、自分がやりたいことはこまめにやるが、興味関心がないことには一切関わらないらしい。
 そんな父だが、ある時から正月の黒豆を煮るようになった。何がきっかけだったかは覚えがないが、豆の選定から始まり、水の量、ストーブの火加減などを事細かに確認しながら作っている。
 そしてほぼ同時に栗きんとんにも手を出し始める。これは父が自分好みの味にしたかったのではないかと今なら思う。その延長で自分のおやつにスイートポテトまで作るぐらいだ。その後、レパートリーが増え続け、たつくりと海老まで調理するようになった。

 父はいつしか干し柿を作り始めていた。
 秋頃に帰省した時に、テーブルの上の山積みになった渋柿の皮むきを延々とさせられたのを思い出す。横から父の細かな指導が何度も入り、私はかなりうんざりして手を動かしていた。結局、私は不器用さを遺憾なく発揮したため、それ以降は皮むきに呼ばれることはない。父の干し柿作りは毎年の恒例行事になり、毎年改良に改良を重ね、かなりレベルが高くなっていた。
 ある時職場に持たされた時があり、食べてくれた同僚からは「今まで食べた干し柿の中で一番うまい」との言葉をもらった。それを聞いた父は満足げに頷き、「やっぱりおいしいんやて」と自画自賛しながら自分で作った干し柿を食べていた。
 そして今、父の干し芋が私の目の前にある。 私も含め家族みんな昔から干し芋が好きだなぁと思いながら、青い籠のチャックを開けて一つ取り出す。
 干し柿に比べたら時間はかからないが、それでもそれなりに手間はかかる。取り出した干し芋は市販のもののように形は綺麗に揃っておらず歪んでいる。一口サイズの大きさなのは、小さいサツマイモを使ったからだろう。 静かに先っぽを囓ってみる。ほのかな優しい甘さが舌に伝わる。思わず声が出る。
「あ、おいし」
「それ、芋そのまんまやでおいしいやろ」
 母がまた顔を上げて、まるで自分が作ったかのように言った。
「うん……でもなんで干し芋なん?」
 少しずつ囓りながら私は聞いた。干し柿は季節にも依るが干し芋はスーパーに行けばいつでもいくらでも売っている。私にはわざわざ父が作る理由が思いつかなかった。
 それがね……と読み終えた新聞を畳みながら母が話し出した。
 少し前に実家に遊びに来ていた妹家族が、父が試しに作った干し芋を食べたらしい。その時に一番反応したのが当時小学校低学年の甥っ子だった。甥っ子は大食らいだが甘い物を好まず、お菓子はほとんど食べない。唯一好きなのはおにぎりせんべい、いつも行く床屋のおじさんが散髪するたびにくれるものだ。 その甥っ子が父の作った干し芋を一口食べるなり、「これ全部ほしい」とぼそっと言った。横にいた妹もびっくりしたらしいが、本当に全部持って帰って甥っ子が一人で食べたとのこと。その後、妹から母に電話があった。「他のお菓子は食べんけど、お父さんの干し芋は独り占めしてずっと離さんのよ」
 そんな孫の様子を聞いた父が奮闘しないわけがない。それからは頻繁にサツマイモを買ってきては作り、甥っ子が一つ残らず持って帰るの繰り返しだった。甥っ子はいまだに甘いお菓子は全く食べないのに父の干し芋だけは食べている。
 そして父の凝り性はここでも十二分に発揮され、干し柿ほどではないものの干し芋のレベルも上がり続け、帰省するたびにおいしくなっていた。自分が食べたいことに加え、大事でかわいい孫のためという大義名分ができたことにより意気揚々と作っている。
 たまに私と帰省が被ると甥っ子と干し芋の取り合いになる。なぜなら私も大好きだから。いい年した大人が子どもと干し芋を取り合いするのも恥ずかしい限りだが、おいしいのだから仕方ない。
「干し芋、まだある?」
「あれ、もうないかも。あの子が全部持ってってまったんやない?」
 私が帰る時に母がそう言うと、父が冷蔵庫からジップロックに入れた干し芋を取り出してきた。
「これ、持って行きなさい」
 きっと自分のおやつ用だったに違いない。私は父の優しさを受け取り帰路につく。
 父の干し芋をいつまで食べられるか分からないけれど、この味と優しさを覚えておこうといつも思う。

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