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【ショートショート】黒い風船

「あーあ、またあいつにかけっこで負けちゃった」
学校から帰る途中、僕は大きなため息をついた。今日こそは勝てると思ったのにな。あいつにはかけっこをするたびに負けている。今日はみんなの前で恥をかいたし。かけっこだけじゃない。あいつは勉強もできて、クラスの女の子からも人気がある。かたや僕なんて…。人生ってすごく不公平だ。そう思ったら無性に腹が立ってきた。何もかもあいつが悪いせいだと思えてくる。今まで感じたことのない感情だ。
「あいつなんていなくなっちゃえばいいのに。死んじゃえばいいのに」

そう言った途端、僕の口から風船が飛び出てきた。カラスのように真っ黒な風船だ。風船の紐はスルスルと僕の首に巻き付いた。
「うわっ、何これ、気持ちわるっ」
紐を思いっきり引っ張るけれどまったくとれない。黒い風船は僕の頭の上をプカプカ浮いている。
「おやおや、黒い風船だね」
声がした方を振り返ると、黒い帽子、黒い服、黒い靴、とにかく全身が真っ黒な背の高い男の人が立っていた。男性は手を伸ばして僕の風船に触ろうとした。その手にも黒い手袋をしており、指先まで真っ黒だ。
「ふうむ、まだ出たばかりだね。黒い風船は初めてかい?君にはこの風船が見えるんだね」
その男性は低い声で僕に質問をした。僕は怖くてうなずくだけだった。いきなり口から風船が出て、知らない男の人に話しかけられる。いったい何が起きたのだろう?風船が見えるんだねって、僕の目には相変わらず真っ黒い風船がはっきりくっきり見える。
僕は勇気を振り絞って、その男の人に尋ねた。
「この風船は何?どうしていきなり僕の口から出たの?」
「君、ちょっと前に誰かの悪口を言わなかったかい?冗談ではなく、本気で憎むようなことを言わなかったかい?」
僕はあいつの悪口を言ったことを思い出した。でも正直に答えるのは恥ずかしい気がした。もじもじしている僕を見て、その男性は言った。
「君が誰かの悪口を追ったことは分かっているよ。この黒い風船が証拠だ」
「どういうこと?」
思わず口が開く。黒ずくめの男性はにやりと僕を見て言う。
「この黒い風船は嫉妬や憎しみ、とにかく黒い感情の現れなんだ。誰かを強く憎んだり、激しい自己嫌悪に陥ったり、誰かを殺したいと思ったりしてそれを口にした時に出てくる。君もそうだったろう?」
「…うん」
男性にみつめられて僕はうなずくしかなかった。僕の憎しみの塊が風に揺られている。
「じゃあ、誰かを強く憎んで口に出すたびにこの風船が出てくるの?」
「そういうことだ。小さかったり、大きかったり、感情の大きさによって変わるがな」

こんなの背負っていたら、周りのみんなに白い目で見られちゃうよ…そんな僕の心配を見透かすように男性は笑って言った。
「大丈夫、他の人にはこの風船は見えないんだ。君はどうも特殊な目を持っているらしいがね」
そう言うと、男性は指を指す。指した方向を見ると、大量の黒い風船につながっている若い女性がいた。相当な風船の量だ。大きなものや小さなもの、みんな女性の首に紐が巻き付いている。あまりにも紐が多すぎて女性の首が見えないくらいだ。けれども若い女性は風船には全く気にも留めず、携帯を見ながら早足で歩いている。
「あの女の人、すごい量の風船を持ってるよ」
「彼女は毎日誰かを憎み、口を開けば悪口ばかり言っている。自分の我儘ばかり突き通すから家族にも友達にも嫌われている。けれど自分が悪いとは思わず、すべて周りのせいにしている。誰かに感謝することをすっかり忘れているらしいな」
若い女性が動くたびに周りの黒い風船たちが揺れる。風船に囲まれているみたいだ。けれども彼女は黒い風船の存在にはまったく気が付いていない。
「風船が多くなりすぎるとどうなるの?」
僕の質問に、男性は指を唇に当てて、若い女性を見た。僕も視線を送る。
その瞬間、若い女性がふわりと宙に浮いた。
「あっ」
僕は思わず声を上げる。若い女性は驚く様子もなく、相変わらず携帯を見ているが、その身体はどんどんと上に上がっていく。僕と男性は無言で彼女を目で追っていく。彼女は屋根を越え、電柱を越え、ビルを越え、雲を越え、終いにはゴマくらいの大きさになって僕らの視界から消えてしまった。
「あの人、どこに行ってしまったの?」
僕は黒ずくめの男性の顔を見て聞いた。男性はふふっと笑いながら言った。
「さあ、どこに行ったのだろうね」
彼は笑ってはいるものの、その目は冷たく、彼女がいなくなったことを気にも留めていない様子だった。僕は急に怖くなり、声を震わせた。
「僕もいつかはああなるの?」
「なるかもしれないし、ならないかもしれない。黒い風船が増えなければ彼女のようにはならないだろうよ。それは君次第だよ」
そう言うと、男性は踵を返し歩き始めた。僕は聞きたいことがたくさんあったにも関わらず何も言えずに男性を見送った。

男性がいなくなった後には、僕と黒い風船だけが残った。
                               おわり

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